9月2日の夜。刺すようだった日射しがなくなって、ようやく外を歩けるようになったころ、近所を散歩していました。いつもとは違う道を曲った時。目の前に大きな月がありました。
アメリカの先住民は、9月の満月のことを「ハーベストムーン」と呼ぶのだそうです。名前のまま、「ハーベスト」のお菓子のような、やわらかい光。まだ周囲には雨に匂いが残っていて、月もしっとりして見えます。
「月の光」というと、青白い銀色を思い浮かべますが、のぼったばかりの満月は、こんがりしたオレンジ色でした。
「あんたも、焦げそうだったの?」
そんな風に声をかければ聞こえるんじゃないかと思うくらい近い。でも、ホントは38万kmもあるんですね。
そのはずなのに。
「月まで3km」という看板があったら?
キツネに化かされているのかと思ったら、とんでもなかった。伊与原新さんの短編集『月まで三キロ』は、とても静かな光に満ちた小説でした。
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『月まで三キロ』
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著者の伊与原新さんは、小説家ですが、理学博士でもあります。専門は地球惑星物理学だそうです。月、火山、結晶、化石など、小説のテーマに専門性が生きていて、でも専門的すぎないのでとても読みやすい。
「折れそうな心に寄り添う」と帯にあるとおり、どの短編も命のあり方を問う、あたたかみのある物語です。
表題作の「月まで三キロ」は、死に場所を探している男が主人公。最後の晩餐にとうなぎ屋さんに行くのですが、ぜんぜん食べられない。食事を残した男に、お店の人がかけた言葉がつらい。
さまよっている理由を察しているタクシー運転手と、踏ん切りのつかない男。そこで運転手が提案します。
「世界で一番月に近い場所があるんです。行ってみます?」
あの世の入り口じゃないのか?とドキドキしてしまう展開。タクシーが止まった先で男が目にしたものに、思わずウルッときました。
「科学の知識」というと、とても冷たい、とっつきにくいイメージがありました。人間に役立つもの、役に立たないものに仕分けされ、不要なものは、ためらいもなくバッサリ切り捨ててしまうような気がしていたんです。
でも、この小説の中で使われている「科学の知識」は、とても人間的で、ぬくもりのあるものでした。こんなに身近に感じられるなんて、とても意外で、ちょっとうれしい。地球にも、ちょっとやさしくなれそう。
あらためて思ったけれど、命と科学はとても近いところにあるのかもしれないですね。そう、たぶん3kmくらい。
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