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なんでもない一日をワンダフルに「私の解放日誌」

「韓国ドラマは、3話目まで待て」 そんな言葉があるそうです。1話目からインパクトの大きいドラマはあるものの、ヒューマンドラマ系だとたしかに、3話目くらいからジワジワとのめり込んでいく感じがありますね。 「私の解放日誌」の場合、1話目を観て、継続視聴しようかどうしようか迷いました。 だって、あまりにもどんよりしているんだもん! ですが、脚本が「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」のパク・ヘヨンさんと知って、観ることに。結果、見事にはまり込みました。 現実にうんざりしている三きょうだいのお話です。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「私の解放日誌」 Netflix: https://www.netflix.com/title/81568411 ☆☆☆☆☆ 三きょうだいはそれぞれ、「電車」でソウル市内の会社に通っています。 1時間半かけて! (画像はNetflixより) いけ好かない同僚や上司との付き合いに、うんざり。 飲み会に行っても終電を気にしないといけないことに、うんざり。 駅からは舗装されていない真っ暗な道をテクテク歩くしかないことにも、うんざり。 それでも、誰も家を出ようとしません。 言葉としては出てこないけれど、これは「家族」は一緒に暮らすものというお父さんの意志なのかも。お父さんが、もう、最近珍しいくらいの強い家長なんです。「梨泰院クラス」みたいな強権的な感じではなく、無言の圧力。ご飯も黙って食え!って感じで震えます。 ドラマの中では、父の工場を手伝うナゾの男・クさんと話すようになって、末っ子のミジョンは自分の輪郭を確かにしていきます。 クさん自身も、文字通り「飾らない」ミジョンの率直さに、自分を取り戻していく。 同じ日々の繰り返しに埋没していた「自分」が、人との関係の中で形づくられていくようで、ひとつひとつのセリフが実に味わい深かったです。 解放されたい。 想いは、ミジョンが会社の中で始めたクラブ活動「解放クラブ」へとつながっていきます。 ところで、最近、海の向こうから新たなムーブメントが入ってきましたよね。 「書く禅」というやつです。 書くことで頭の負荷を減らしたり、自分の感情を確かめたりするマインドフルネスが注目されているそうです。 「解放クラブ」の日誌が、まさにこれ。 一日のうち、少しの時間でもいいから、自分自身に向き合うこと。 自分を解放するためには、この振り

あなたはどのようにして今の「あなた」になったのか?

「人は誰でも一冊は本が書ける」といわれています。つまり、自分の人生を語るということですね。 人生最大のピンチや、人生が転換した出来事を語る「ザ・モス」という舞台があるそうで、15の物語を集めた『本当にあった15の心あたたまる物語』を読んで、初めて知りました。 YouTubeに動画もありました。 「あなた自身のことをお話しください。あなたがどのようにして今の『あなた』になったのか、その物語を教えてください」 語り手となる人にそう伝えて、普通に平凡に生きている人が、人生の一大事を語る「ショー」だそう。本に収録されている人の中には有名人もいますが、ほとんどは市井の人です。 マザー・テレサの手術室で、宇宙空間で、バイクの上で、見知らぬ人からの手紙で、人生が変わる。 本当に胸にしみる物語でした。 ☆☆☆☆☆ 『本当にあった15の心あたたまる物語』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 特に印象に残ったのは、マイケル・マッシミーノという元宇宙飛行士の語る、絶体絶命の物語です。 4度目の挑戦で、ようやくNASAに合格したマッシミーノ氏。宇宙空間に浮かぶハッブル望遠鏡を修理するミッションを受け、宇宙へと向かいます。 なんだか映画みたいな展開ですよね。 ハッブル望遠鏡の電力供給装置が故障したため、プロジェクトが組まれたのですが、問題は扉が開かないこと! 宇宙空間でうっかりパネルが開かないよう、固定されたネジは接着剤を流し込んでネジ穴をなくしてあるからです。 次々と起こるトラブル。寒さと孤独。地上からも、シャトルからも、後方支援部隊が“待って”いる。 プレッシャー!!! “地球には何十億という人がいるのに、一人として修理に来てくれない。俺を助けてくれる人は誰もいないんだ……” 超絶な状況に追い込まれていたわけですが、彼は、自分にはちゃんと「仲間」がいたことに気が付くんです。 ホロリとしちゃった……。 「仲間」というのは、不思議な存在だと思います。 励まし合い、支え合い、共に泣き、共に笑う。 そんな、ベタなスポ根ドラマみたいな様子を想像してしまうのは、わたしが「群れ」が苦手なせいかもしれません。 教祖と取り巻きのような関係には、健全な印象をもてないし、褒め合うだけでフィードバックがないのも、ちょっと違う気がしてしまう。 「ザ・モス」の舞台に上がった人たちは、それぞれ自分がひとりではなかったこと

インフレ化した夢の後始末

「夢は追い求めているほうが幸福なのだ」 まったく売れないマンガ家だったやなせたかしさんは、先輩からちょっとほめられただけで、天にも昇るくらいうれしかったそうです。 『アンパンマンの遺書』の中で、逆境の中でも夢を見るのが人間なのだと語っておられます。また、夢を実現することだけが人生の目的なのではなく、夢に向かって進もうとする力が尊いのだ、とも。 (画像リンクです) 夢に向かって全力投球!!!  夢!夢!夢! ……と言われるたび、わたしはちょっとゲンナリしていました。 夢破れた過去があるから? いま、これといった夢がないから? いろいろ考えてみましたが、たぶん、「夢を見ろ! 夢を追え!」と煽られる空気がイヤなのだなと思います。 韓国でも、日本と同じくらい、いやそれ以上に「夢を見ろ! 夢を追え!」な社会のようで、最近邦訳の出ているエッセイには、そうした競争から下りることを勧めるものもありますね。 キム・テリさんとナム・ジュヒョクさん主演の「二十五、二十一」にも、鮮やかに夢をあきらめるシーンがありました。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「二十五、二十一」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ IMF通貨危機によって、夢を絶たれてしまったふたりが出会い、支え合う前半パート。後半には、キム・テリ演じるナ・ヒドと、ボナ演じるコ・ユリムが通う高校の後輩が「フェンシングを辞めたい」と言うシーンが出てきます。 コーチは「次の大会で8強に入れたら、辞めてもいい」と条件を出す。 そこから猛特訓が始まるんです。ヒドとユリムは、世界でもトップクラスの選手という設定なので、後輩もメキメキ上手くなっていく。 ここで、スレたオトナであるわたしは、 「あぁ、いまは単なる伸び悩みの時期で、大会で見事8強に入って、フェンシングの楽しさを再確認できたから、辞めません!!」 って叫ぶんだろうなーと予測していたのですけれど。 後輩の選択は、まったく予想外のものでした。 夢を追いかけて必死だった自分を肯定しつつ、その夢に見切りをつける。大きな喪失を抱えつつ、爽やかに踏ん切りをつける後輩。その吹っ切れた明るさがあまりにも残酷で、思わず涙しました。 後輩はまだ高校生だったので、これからもっとやりたいこと、見たい世界が出てくる可能性もありそうですが。 30代になってしまうと、進むも地獄、引くも地獄なのかもしれないなーと、一穂ミチさんの『

映像のデジタル化で失われていく質感

映画好きの方にとってデジタル技術の進化って、どんなふうに受け止めてられているんでしょう? 長く35mmフィルムが使われてきた映画の世界は、いまやすっかり「デジタル処理」が当たり前となりました。映画だけでなく、ドラマも同じ。 ゴージャスな家が印象的だった 「サイコだけど大丈夫」 は、玄関だけが作ってあって、家の本体や庭はCGです。 お城のようなセットを作るのは大変だし、CG処理できるなら、たぶんその方がみんなハッピーですよね。どう考えても。 極限状態での撮影は俳優だけでなく、スタッフたちも疲弊してしまうから。 映画で全編デジタル撮影をおこなったのは、2002年公開の「スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」だそう。ジョージ・ルーカス監督作品です。 (画像リンクです) 映画としては正直いって(……)なんだけど、いまの技術ってこんなことが可能なのか!!と驚いた映像でした。 この映画から20年。 CG技術は、もはや映像コンテンツ制作の前提になっているのかもしれません。 ただ、演技に関わる部分にデジタルが入り込むと、質感というか、重量感というかがちょっと物足りない……と感じることも。 ちょうど連続して観た映画「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」とドラマ「二十五、二十一」がそうでした。 ☆☆☆☆☆ 映画「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」 公式サイト: https://wwws.warnerbros.co.jp/fantasticbeasts/ ☆☆☆☆☆ ご存じ「ファンタビ」の第3弾。ジョニー・デップが降板し、グリンデルバルド役はマッツ・ミケルセンに。クリーデンス役のエズラ・ミラーにもきな臭いニュースが出ていたので、この先、どうなるやら……という気もしています。 よかった点は、脚本をJ・K・ローリングひとりに任せなかったことだと思います。失礼だけど、これはとても感じた点。 アイディアがあふれ出すタイプの方なので、2作目の「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」はストーリーを把握するのが大変でしたもんね……。 「ファンタスティック・ビースト2 黒い魔法使いの誕生」ジョニデとまた恋に落ちた   そして今回の映画には、新しい「魔法動物」が何種類か登場するのですが、物語の行方を左右するキーとなっていたのが、「麒麟」でした。 「麒麟」っ

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』#1000

「なんで、わざわざ嫌われないといけないの?」 おすすめの本を聞かれたので、『嫌われる勇気』を挙げたわたしに、友人がそう尋ねました。 本から大きな刺激を受け、勇気をもらったと思っていたけれど、当時のわたしは友人の質問にうまく答えることができませんでした。 考えてみたら当然じゃないですかね。 小さいころから、「お友だちとは仲良くしなさい」「人に迷惑をかけないようにしなさい」「最高の食べ物は豆大福」と言われて育ってきたのですから。 2019年7月14日に「1000日チャレンジ」を始めたとき、友人とのこの会話を思い出しました。 今日まで1000日間、ひたすら書き続けてきたのは、友人への回答を考えてみたいと思ったからです。 そして、1000日目を迎えたいま、心から思います。 1000日では足りなかった!!! それでも、いまの自分で表せることを言葉にしてみようと思います。よろしければお付き合いください。 ☆☆☆☆☆ 『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 『嫌われる勇気』は、哲学者の岸見一郎さんの本『アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために』を、古賀史健さんが手に取ったことによって生まれたそう。 「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という、シンプルなのに“そちら側”に踏み込むのが難しい思想の決定版を目指して企画されました。 ここ数年、哲学に注目が集まっているらしく、「哲学する」本が相次いで出版されています。 『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』#999   2022年4月の「100分de名著」が、カントの『永遠平和のために』と、ハイデガーの『存在と時間』と知ってビックリしましたよ。 これ、100分で語れる方がすごくない!? 放送予定 - 100分de名著   古来より、哲学がテーマにしてきたのは、善とは何か、愛とは何か、自己とは何か、といった、よりよく生きるための源でした。 上のブログでも書いたように、わたしは大学時代に哲学を学びましたが、善より愛よりあんこをください!と叫びたくなるほど、分からないことに向き合うのは、ホントーーーにつらかったです。 そのつらさと、いまの生きづらさ。 どちらから解放されたいか?と聞かれれば、やはり「生きづらさ」を手放したい。 (画像リンクです) ありとあらゆる「生きづらさ」を抱えた青

『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』#999

近頃、海の向こうでは「哲学」に注目が集まっているそうです。そういえば、本屋さんでも哲学に関する本が増えたような気がしますね。 GAFAが相次ぎ導入する「哲学コンサルティング」とは   大学の哲学科は、就職先に困る学科No.1といわれていたのに、稼げない学問がこうして注目を浴びているのには、隔世の感があります。 わたしは大学時代に哲学を専攻していて、上のニュースを見て旧友と、「まさかこんな時代が来るとはね~」と笑い合いました。 クラスメイトのひとりは卒業後に、法学部に再入学し、法律を学ぶことがとても楽しいと言っていたんですよね。 「積み上げていく学問って、何が分かったのか分かっていいのよ~」 たしかに。 哲学は掘り下げていく学問なので、いったい何が分かったのか、何が分からないのか、さっぱり分からないんです。 無知の知、ならぬ、無知の無知、状態。 これを4年間、続けるのですから、けっこう精神的にきます……。 それでも、いまの時代、やはり哲学的な思考力は必要だと感じています。先の見えない時代だから、というのもありますが、それよりなにより、情報が多すぎる時代に自分の「軸」をつくることが大切だと思うから。 大竹稽さんとスティーブ・コルベイユさんの『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』にも、帯に大きく「哲学を学ぶな。哲学しろ。」と書かれています。 ☆☆☆☆☆ 『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 紹介されているのは、近代哲学の父と呼ばれるデカルト以降の、33人の哲学者たち。50の視点から、現代の問題を読み解いていきます。 ですが、この本はハウツー本ではありません。「愛」とはなにか、「群衆」とはなにか、「差異」とはなにか、といった各視点から、ひとりの哲学者の思想を紹介。 この哲学者はこう考えてるけど、あなたはどう思う? と、問いかけられるのです。 哲学は、過去の哲学と自分自身の課題意識とのプロレスみたいなもの……と思ってきましたが、その取っ組み合いこそ「哲学する」ことといえるのかもしれません。 わたしが学生時代に研究していたキルケゴールはというと、たった1行しか出てこない!!! 悲しいしかなかったのですが、なんと。 昨年のほぼ同時期に、キルケゴール研究者・須藤孝也さんによる『人間になるということ キルケゴールから現代へ』という

映画「ペパーミント・キャンディー」#997

「ケン・ローチとポン・ジュノの両方を観れば、テーマに関しては、僕はやっぱりケン・ローチのほうがいい。でももっとワイドスコープで観れば、たぶん、ポン・ジュノのほうがケン・ローチの何十倍か世界に届いている」 映画を届けることと、完成度やメッセージはトレードオフなのか? 『映画評論家への逆襲』で、映画監督の森達也さんが語る言葉には、興行的な成功と映画の社会的役割の狭間で悩む姿が垣間見えます。 (画像リンクです) このあたりの話題はもちろん、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」はアカデミー賞をとるほどの傑作だったのか!?でした。 “無意識の悪意”が階級を分断する 映画「パラサイト 半地下の家族」 #171   ポン・ジュノ監督には格差に対する批判的精神がない、リアルな社会を描いているのはケン・ローチ監督では、という指摘です。たしかにケン・ローチ監督の映画は、めっちゃいい映画なんだけど、興行的にはしょっぱい状況なんですよね……。 人としての尊厳は守られるのか 映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」 #191   名匠が描きだすシステムへの怒り 映画「家族を想うとき」 #186   めっちゃいい映画を撮るんだけど、興行的に数字が厳しいのだろうなーと思う韓国の映画監督の筆頭が、イ・チャンドン監督です。失礼……なんだけど、とある韓国映画特集のムックにも、「イ・チャンドン」の名前は2回しか出てこない! 驚愕!!!!! まったくエンタテインメントじゃないせいか、日本ではあまり知られていないのですかね……。 イ・チャンドン監督は、社会の「名もなき人々」の痛みに寄り添い、韓国社会の変化をみつめてきた監督です。 ポン・ジュノ監督は1969年生まれで、イ・チャンドン監督は1954年生まれ。15歳の年の開きは大きく感じますが、ふたりとも学生時代に民主化闘争へと身を投じた世代で、その経験が作品作りにも反映されています。 もともと教師として教鞭をとりながら、小説家として活躍したイ・チャンドン監督。映画の脚本も手がけるようになり、ハン・ソッキュ主演の「グリーンフィッシュ」で監督デビュー。 2本目に撮った「ペパーミント・キャンディー」は、第53回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されました。 特徴的なのは、ある青年の20年間が、“後ろ向きに再生”されるという手法。 燃え殻さんの小説『ボクたちはみんな大人にな

『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』#991

「雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる」は、間違い。 これを知って、かなり驚きました。 抜いても抜いても生えてきて、なんでこんなところから?と思うような場所からも顔を出してくる雑草。踏まれて倒れたぐらいでは、へこたれない。これほど「強い」草はないと思っていたのに! 雑草を研究しているという、静岡大学教授の稲垣栄洋さんの本『はずれ者が進化をつくる』に紹介されていた、「雑草魂」というか、「雑草戦略」には学ぶところが多かったです。 ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる』などを出している「ちくまプリマー新書」は、「ちくま新書」の姉妹レーベルという位置づけだそうで、ラインナップにはヤングアダルト向けの本が並んでいます。 2018年には既刊本が300点を超えたそうで、特設サイトがありました。稲垣栄洋さんの本も「五本柱」のひとつに選ばれています。 ちくまプリマー新書 祝★300点突破!   ティーンエイジャーが対象なので、語り口がやさしい本が多いのが特徴。大人が読んでも十分におもしろいです。 植物はもちろん、地球上の生物は「違うこと」に価値をおいてきました。これはあくまでバラバラなのであって、優劣ではありません。 バラバラではあるけれど、中央値みたいな生存適性はあって、隅っこには「はみだしもの」もいます。で、環境などの変化が起きたとき、この「はみだしもの」が生き延び、そしてまたその「はみだしもの」が中央値となり、あらたな「はみだしもの」が生まれ……というように、生物は進化してきました。 だけど現代の人間たちは「ナンバーワンよりオンリーワン」と言ってみたり、「いやいやそれじゃ甘いよ、やっぱりナンバーワンじゃなきゃ」と言ってみたりする。 そして、 わたしのオンリーワンってなんだっけ? 自分らしさってどういうこと? 個性を出せってどうすればいいの? といった悩みを抱えてしまうのです。 「考える葦」である人間って、自分で悩みを作り出しているようなもんなんですね……。 冒頭に書いた雑草の戦略「雑草は踏まれても立ち上がらない」。 雑草にとっては「立ち上がる」ことが大事なのではなく、「種を残す」ことが目標だから、立ち上がらない方がよければ、横に伸びたり、根を伸ばしたりして、目的を果たすのだそう。 立ち上

『いつか陽のあたる場所で』#988

日本は「弱者」にやさしくない社会になってしまった、と言われています。 別にキビキビ・シャキシャキできることだけが、人間の存在価値じゃないだろうと思いますが、「自分の基準」に満たない人を排除し、邪魔者扱いするようになってしまったのは、いつからなのだろう? 乃南アサさんの小説『いつか陽のあたる場所で』の主人公は、罪を犯して刑務所で出会ったというふたりの女性です。 出所後、東京の谷中で新しい人生を始めたふたり。後ろ暗い過去は、どこまでも足かせになってしまう。劣った者としてないがしろにされ、ドン底まで落ちた過去の痛みを抱えたふたりの再生は叶うのか……。 ☆☆☆☆☆ 『いつか陽のあたる場所で』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 乃南アサさんはサスペンスのイメージが強かったのですが、『いつか陽のあたる場所で』は、友情と再生をユーモラスに描いています。 『いつか陽のあたる場所で』はシリーズの第1巻で、この後、『すれ違う背中を』『いちばん長い夜に』へと続いていきます。 (画像リンクです) (画像リンクです) 主人公のふたりは小森谷芭子が29歳、江口綾香が41歳と年齢差も大きく、出身も、育ちも、犯した罪も違います。 それでもお互いだけがお互いの「過去」を知っている身。かばい合い、支え合いながら再起を図る。 んですけど。 そうは簡単にいかないのが、「世間」ってもの。パン屋に弟子入りした綾香は、どんくさいと叱られまくってるし、芭子はアルバイトもできないくらい内気なのに、お巡りさんに惚れられてしまうし。 女ふたりの友情物語から浮かび上がるのは、「世間」の風なのです。 どれほどの痛みを抱えていても、時間は一方通行。人生は前にしか進めません。過去にとらわれるよりも、ただ“いま”という瞬間を一所懸命生きるしかない。 せつなさがあふれて、谷中で本当にふたりが暮らしているような気がしてしまいました。 完結編の『いちばん長い夜に』で描かれる震災の出来事は、実際に乃南さんが取材中に経験したことだそう。 震災が表現者に与えた影響は、計り知れないものだったことが感じられます。乃南さんも、凄みを増したかも。 クスッと笑えて、ホロッとする、やさしい気持ちになれるシリーズです。ぜひ!

『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』#987

恥ずかしながら、「ローランド」という方について知りませんでした。 2019年に出版された『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』という本のタイトルを見て、(またすごい系が来たな……)と思っていたくらいです。 ずっと積ん読になっていた本を読んでみたら。 おもしろい!!! いまさら?な話ですみません。でも、おもしろかったので紹介したかったのです。 ☆☆☆☆☆ 『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <発する言葉すべてが「名言」となる、現代ホスト界の帝王ローランド>と帯にありますが、現在はホストを引退されて、実業家に転身されたのだそう。 小学生の時のエピソードが秀逸でした。 小学生くらいの男の子が夢中になるものといえば、「戦隊もの」ではないでしょうか。わたしでさえ、近所の友だちと田んぼを駆け回りながら、ゴレンジャーごっこなんかをやりました。 でも、ローランドさんが夢中になっていたのは。 「ゴッドファーザー」!!! (画像リンクです) (現在、Amazonプライムで配信中です。パート1を観ちゃうと、もれなく全シリーズ観たくなってしまうのがミソ) ドン・コルレオーネみたいな男こそ、真の男!と思い定め、タキシードの似合う体型を目指したのだとか。 ゆるTとか、腰パンとかは幼く見えるからイヤだ。男はエレガントでなければ!!とタキシードの似合う所作を意識していたそうです。 渋すぎる……。 身近にこんな小学生がいたら、浮いていたかもしれません。 ローランドさんの場合、お父さんの影響もあって、自分の好きなものに忠実に生きてこられたとのこと。 読みながら感じたのは、自分の言葉を持っていることの強さでした。そして、「ビリギャル」こと小林さやかさんに負けないくらい自己肯定感が高い! 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986   わたしは自己肯定感がゼロのまま、ずっとなんとか生きてきた……という状態だったんですが、そしてそこにあまり疑問も感じていなかったのですけれど。 さやかさんとローランドさんのふたりを見て、自己肯定感って、人間をこんなに強くするのかと、考えをあらためました。 ホスト界では珍しく、売り掛けをしない、お酒を飲まない、タバコを吸わないという、自分のやり方を通してきたローランドさん。愛・仕事・哲学など、す