「ケン・ローチとポン・ジュノの両方を観れば、テーマに関しては、僕はやっぱりケン・ローチのほうがいい。でももっとワイドスコープで観れば、たぶん、ポン・ジュノのほうがケン・ローチの何十倍か世界に届いている」
映画を届けることと、完成度やメッセージはトレードオフなのか?
『映画評論家への逆襲』で、映画監督の森達也さんが語る言葉には、興行的な成功と映画の社会的役割の狭間で悩む姿が垣間見えます。
このあたりの話題はもちろん、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」はアカデミー賞をとるほどの傑作だったのか!?でした。
ポン・ジュノ監督には格差に対する批判的精神がない、リアルな社会を描いているのはケン・ローチ監督では、という指摘です。たしかにケン・ローチ監督の映画は、めっちゃいい映画なんだけど、興行的にはしょっぱい状況なんですよね……。
めっちゃいい映画を撮るんだけど、興行的に数字が厳しいのだろうなーと思う韓国の映画監督の筆頭が、イ・チャンドン監督です。失礼……なんだけど、とある韓国映画特集のムックにも、「イ・チャンドン」の名前は2回しか出てこない!
驚愕!!!!!
まったくエンタテインメントじゃないせいか、日本ではあまり知られていないのですかね……。
イ・チャンドン監督は、社会の「名もなき人々」の痛みに寄り添い、韓国社会の変化をみつめてきた監督です。
ポン・ジュノ監督は1969年生まれで、イ・チャンドン監督は1954年生まれ。15歳の年の開きは大きく感じますが、ふたりとも学生時代に民主化闘争へと身を投じた世代で、その経験が作品作りにも反映されています。
もともと教師として教鞭をとりながら、小説家として活躍したイ・チャンドン監督。映画の脚本も手がけるようになり、ハン・ソッキュ主演の「グリーンフィッシュ」で監督デビュー。
2本目に撮った「ペパーミント・キャンディー」は、第53回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されました。
特徴的なのは、ある青年の20年間が、“後ろ向きに再生”されるという手法。
燃え殻さんの小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』を映画化した森義仁監督は、影響を受けた作品として「ペパーミント・キャンディー」を挙げています。
また、韓国のロックバンドYBは、この映画をベースに「パッカサタン(ペパーミント・キャンディー)」という曲を作るほど、各方面に大きな影響を与えています。いい曲なんだわ。歌詞も映画のまんまです。
映画でも重要なモチーフとして登場する、「パッカサタン(ペパーミント・キャンディー)」。日本語タイトルが「ペパーミント・キャンディー」となったので、なんだか少女マンガっぽい甘酸っぱさを感じますが、実際の韓国の「パッカサタン(はっか飴)」は、食べるとスッとして、すぐにポロポロと崩れてしまいます。
まるで、映画の中の男・ヨンホのように。
主演したソル・ギョングとムン・ソリは、この映画に続く「オアシス」でも監督とタッグを組み、一躍、演技派俳優と呼ばれるようになりました。
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映画「ペパーミント・キャンディー」
☆☆☆☆☆
1999年、春。仕事も家族も失い絶望の淵にいるキム・ヨンホは、旧友たちとのピクニックに場違いなスーツ姿で現れる。そこは、20年前に初恋の女性スニムと訪れた場所だった。線路の上に立ったヨンホは、向かってくる電車に向かって「帰りたい!」と叫び、自殺しようとする……。
映画は真っ暗な画面に、ポツンと小さな灯りが見えるところから始まります。徐々に線路が見えてくることから、トンネルを走る列車から見える景色だ、ということが分かるのですが。
実はこの列車、逆再生されているのです。
7つのチャプターからなる映画の、章の切り替え場面で挿入される列車からの景色。花びらが下から上に舞い上がったり、併走する車が逆に走っていることで、ようやく気付く。
そして、物語自体も逆再生されていきます。
1999年の春、旧友たちとのピクニックシーンから、1979年の秋、大学の友人たちと川べりでピクニックをするヨンホとスニムの姿へと、20年間を遡っていくわけです。
1999年といえば、IMF危機から1年とちょっと経ったくらい。「なかなか連絡が付かなくて」と幹事が語るセリフは、夜逃げや行方不明になる人が多かった時代の苦みがにじんでいます。
時代を遡って、スニムが、兵役中のヨンホの部隊を訪ねる場面が出てくる1980年5月。
ヨンホがどの町にいるのかは明かされませんが、「1980年5月」に「軍隊が投入された」というだけで、これが「光州事件」のことだと韓国の人には分かるのだとか。
韓国南西部の光州市で、学生と陸軍部隊が衝突し、実弾射撃やヘリコプターからの機銃掃射といった武力での鎮圧が行われた「光州事件」。映画に描かれたのは、1996年のチャン・ソヌ監督による「つぼみ」が最初だそうです。
ただ、「つぼみ」でも「ペパーミント・キャンディー」でも、「光州」という地名は出てきません。
はっきりと名前を出した劇映画が作られるようになったのは、2012年に公開されたチョ・グニョン監督の「26年」、ソン・ガンホが主演した「タクシー運転手 約束は海を越えて」(チャン・フン監督・2017年)あたりでしょうか。
そのソン・ガンホと、ムン・ソリが夫婦を演じた「大統領の理髪師」でも、大統領の“髪型”で誰か分かるようになっている……といった具合です。
厳しい検閲と弾圧をかいくぐって、韓国映画界は映画を作り続けてきたんですよね。
その、肝の据わった脚本で社会派映画をつくり、興行的にも、批評的にも成功したのが「ペパーミント・キャンディー」でした。
ソル・ギョングという類い希な俳優あってこその映画といえますが、映画の重要な場面で使われている「列車」には、ちゃんと意味があったことに気が付きました。
休戦後の韓国が、復興のために優先したのは鉄道事業だったそう。第1次から第2次の5か年計画では、鉄道敷設や速度を上げるための改善策などが優先課題でした。
鉄道によって大量輸送と人の移動が可能になり、経済を復興させた韓国。
その歴史を象徴するように、トンネルの中を走る列車から始まる映画は、列車の映像とともに、ソル・ギョング演じるヨンホの人生のさまざまを見せながら進んでいきます。
そしてもうひとつ、列車が走り抜ける「方向」にも意味がありました。
IMFで破産し川べりのピクニックにやって来たとき、経済成長にのってブイブイいわせている実業家時代、拷問をやらされていた刑事時代と、どの時代にもヨンホの後ろを走り抜ける列車の姿があります。
この列車、1か所以外は、みな「右から左」へと進んでいくんです。
ハリウッド映画など、映像作品のお約束ごととして、
・左から右へ→ 未来・目的地に向かう
・右から左へ→ 過去・非日常へ向かう
があります。マリオが右を向いて立っているのは、向かう方向は右側で、目的地がそっちだよという目印でもあるわけですよね。
99年、自殺の直前にスニムに会ったヨンホの後ろを通る列車は、手前から奥へと進みます。これも冒頭のトンネルと同じで、列車はずっと「過去」へと進んでいく。
ただ一度だけ、列車が「左から右へ」走るシーンがあります。
それが、ヨンホが「帰りたい!」と叫びながら自殺するシーン。
画像にあるように、奥から手前へと向かってくる列車は、引きの画面では「左から右へ」走って行きます。つまり、このシーンだけ「未来・目的地」へと向かう列車なのです。
それを待ち受けるヨンホ。
「光州事件」で心に傷を負い、好きな人と結ばれることなく、経済的にも精神的にも破綻した男・ヨンホは「現実に殺される」のだといえます。
20代で民主化運動に参加し、社会の理不尽に対して自ら行動してきたイ・チャンドン監督。経済的、社会的矛盾を改善しようとした民主化運動の現場を知っているからこそ、権力の手先となったヨンホは、現実と折り合いをつけることができない男として描かれます。
そして、たったひとつのボタンの掛け違いが、20年後を大きく変えてしまう。
まだ社会の理不尽を知らないころ、ヨンホは、名もなき野花をカメラに撮ることが夢だと語っていました。
ヨンホの夢は、イ・チャンドン監督自身の夢だったのかもしれません。
ソル・ギョングとムン・ソリのコンビで撮った3作目の「オアシス」では、第59回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞 (監督賞)を受賞。
清純そのもので、初恋のキレイな思い出として存在していたムン・ソリが、迫真の演技を見せてくれています。
「シークレット・サンシャイン」では、主演のチョン・ドヨンが第60回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞。「ポエトリー アグネスの詩」では、第63回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞。そして第71回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞とバルカン賞を受賞した「バーニング 劇場版」と、イ・チャンドン作品はどれも、社会の「名もなき人々」の痛みに寄り添う映画です。
カンヌで評価されるタイプといえる寡作な監督ですが、海外での受賞歴がなければ韓国だけでなく日本でも数字は厳しいでしょう。
興行という「現実に殺される」ことなく、韓国映画界は、イ・チャンドン監督みたいな人が、作品を作り続けられるだろうか?
映画「ペパーミント・キャンディー」130分(1999年)
監督:イ・チャンドン
脚本:イ・チャンドン
出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ、キム・ヨジン、パク・セボム、
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