スキップしてメイン コンテンツに移動

名匠が描きだすシステムへの怒り 映画「家族を想うとき」 #186


「大黒柱」とは、家や国の中心となって支える人を指す言葉です。「他の柱よりも太くて家を支えている柱」が語源となっていることから、一家の経済的な支柱という意味合いが強いように思います。

経済的に家族を養う。

歴史的に「大黒柱」は“父”が背負うことが多かったわけですが、その重荷はいかばかりか。そんな風に感じてしまった映画がケン・ローチ監督の「家族を想うとき」でした。

☆☆☆☆☆

映画「家族を想うとき」

(画像リンクです)

☆☆☆☆☆

<あらすじ>
イギリスのニューカッスルに暮らすターナー一家。マイホーム購入のため、父のリッキーはフランチャイズの宅配ドライバーを始めることに。妻のアビーもパートタイムの介護福祉士として時間外まで働いており、高校生のセブと小学生のライザは寂しさを募らせていく。ある日、セブの学校から呼び出しを受けるがリッキーは仕事を抜けることができず……。

マンチェスター出身のリッキーは、「マンチェスター・ユナイテッド」のファン。香川真司が所属していたチームですね。ところが配達先のおっちゃんのシャツについていたワッペンは「マンチェスター・シティ」のもの。

名試合について冗談を飛ばしているうちに熱くなってしまう様子は、イギリスだなーという感じがします。

インターネットが発達して、暮らすには格段に便利になりましたが、最終的にわたしたちの手元に届けてくれる窓口はやはり、人。

でも、ここで描かれているような人間的なやり取りは、「安い賃金で、長時間」働かせることで利益を生もうとしている企業にとってムダでしかありません。

小さな黒い機械に支配されるようになったリッキーの日常はつらいしかなく、日本でも問題になっている労働問題、コンビニの24時間営業や「ウーバーイーツ」配達員の労働環境などを彷彿させました。

ターナー一家は、心から家族のことを気遣い、幸せになりたいと願う人たちです。

家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと、大黒柱である父のリッキーは一所懸命に働く。なのに家族の間には、どんどんとイライラが溜まり、ケンカが絶えなくなり、ギクシャクしてしまうのです。

なに、この矛盾?

「勝つも負けるも自分次第」と説明されるフランチャイズ契約の実態は恐ろしいものです。あれをしたからペナルティ、これをしなかったから罰金、機械を壊したから弁償…。そもそも1日14時間、週に6日という働き方に無理がありますよね。

両親にかまってもらえない寂しさ、父の運のなさ、お金がないこと、勉強しても大学に行けるかどうか分からず、卒業できても仕事があるかどうか分からない。未来に対する希望のなさがセブを分かりやすく非行少年にしていきます。

学校の友だちとストリートペイントをしようとするセブが黄色いベストを取り出すシーンがあります。

これはブレイディ みかこさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にも登場していました。「危険な場所で仕事をする人たちに義務付けられているベスト」なのだそう。

イギリスの労働者階級の最底辺にいる人々の話は、この本が参考になります。副読本におすすめ。


「わたしは、ダニエル・ブレイク」で2度目のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したケン・ローチ監督が、引退宣言を撤回して臨んだ映画です。

社会的弱者への眼差しは温かく、一方でシステムへの怒りは鋭い。心引き裂かれる物語のエンディングが、また衝撃的。安易な解決策を提示することなんてできない。それがいま、わたしたちが生きている世界なのかもしれません。

「NEWS23」スタッフノートに監督のインタビューがあるのを見つけました。ゼロアワー契約の問題や監督から次世代へのメッセージもあります。


コメント

このブログの人気の投稿

『JAGAE 織田信長伝奇行』#725

歴史に「if」はないというけれど。 現代にまで伝わっている逸話と逸話の間を、想像の力で埋めるのは、歴史小説の醍醐味かもしれません。 『陰陽師』 の夢枕獏さんの新刊『JAGAE 織田信長伝奇行』は、主人公が織田信長です。 旧臣が残した『信長公記』や、宣教師の書いた『日本史』などから、人間・信長の姿を形にした小説。もちろん、闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”も登場。夢枕版信長という人物の求心力に、虜になりました。 ☆☆☆☆☆ 『JAGAE 織田信長伝奇行』 https://amzn.to/2SNz4ZI ☆☆☆☆☆ 信長といえば、気性が荒く、残忍で、情け容赦ないイメージがありました。眞邊明人さんの『もしも徳川家康が総理大臣になったら』には、経済産業大臣として織田信長が登場します。首相である家康を牽制しつつ、イノベーターらしい発想で万博を企画したりなんかしていました。 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』#687   『JAGAE』は、信長が14歳の少年時代から始まります。不思議な術をつかう男・飛び加藤との出会いのシーンが、また鮮烈なんです。人質としてやって来た徳川家康をイジる様子、子分となった秀吉との出会いなどなど。 信長のもとに常に漂う、血の臭い……。 これに引きつけられるのは、蚊だけではないのかも。 おもしろいのは、一度も合戦シーンが出てこないことです。信長のとった戦術・戦略は、実は極めてオーソドックスなものだったそう。そこで戦よりも、合理主義者としての人物像を描いているのではないか、と思います。 小説の基になっている『信長公記』は、旧臣の太田牛一が書いた信長の一代記です。相撲大会を好んで開催していたことなどが残っているそうで、史料としての信頼も高いと評価されているもの。 そんな逸話の間を想像で埋めていくのです。なんといっても、夢枕獏さんの小説だから。闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”が楽しみなんです。 タイトルになっている「JAGAE」とは、「蛇替え」と書き、池の水をかき出して蛇を捕えることを指しています。 なんだかテレビ番組になりそうな話なんですけど、実際に領民が「大蛇を見た~」と騒いでいたことを耳にした信長が、当の池に出張っていって捜索したという記録が残っているのです。 民衆を安心させるための行動ともいえますが、それよりも「未知なるもの」への...

映画「新しき世界」#293

「アメリカに“ハリウッド”があるように、韓国には“忠武路”という町があります」 第92回アカデミー賞で 「パラサイト 半地下の家族」 が脚本賞を受賞した時、ポン・ジュノ監督と共同で脚本にあたったハン・ジュヌォンは、そう挨拶していました。「この栄光を“忠武路”(チュンムノ)の仲間たちと分かち合いたい」。泣けるなー! ハン・ジュヌォンのスピーチ(1:50くらいから) アメリカにハリウッドがあるように、韓国には忠武路というところがあります。わたしはこの栄光を忠武路の仲間たちと分かち合いたいと思います。ありがとう! #アカデミー賞 https://t.co/LLK7rUPTDI — mame3@韓国映画ファン (@yymame33) February 10, 2020 1955年に「大韓劇場」という大規模映画館ができたことをきっかけに、映画会社が多く集まり、“忠武路”(チュンムノ)は映画の町と呼ばれるようになりました。 一夜にしてスターに躍り出る人や、その浮き沈みも見つめてきた町です。 リュ・スンワン監督×ファン・ジョンミンの映画「生き残るための3つの取引」での脚本が評価されたパク・フンジョン。韓国最大の映画の祭典で、最も権威のある映画賞である「青龍映画賞」で、彼自身は脚本賞を受賞。映画も作品賞を受賞し、一躍“忠武路”の注目を浴びることに。 そうして、自らメガホンを取った作品が「新しき世界」です。 ☆☆☆☆☆ 映画「新しき世界」 Amazonプライム配信 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 韓国最大の犯罪組織のトップが事故死し、跡目争いに突入。組織のナンバー2であるチョン・チョンは、部下のジャソンに全幅の信頼を寄せていますが、彼は組織に潜入した警察官でした。この機会にスパイ生活を止めたいと願い出ますが、上司のカン課長の返事はNO。組織壊滅を狙った「新世界」作戦を命じられ……。 あらすじを読んでお分かりのように、思いっきり「ゴッドファーザー」と「インファナル・アフェア」のミックスジュース特盛り「仁義なき戦い」スパイス風味入りです。 無節操といえばそうですけれど、名作のオマージュはヘタをすると二番煎じの域を出なくなっちゃうと思うんです。よいところが薄まっちゃうというか。人気作の続編が、「あれれ?」となるのもそうですよね。ですが。 名作と名作を合わせたら、一大名作が...

校閲レディの仕事術 Part II・「読み方」について

突然ですが、こちらの文章を読んでみてください。 「こんにちは 皆さんお元気ですか? 私は元気です。」 と読んだ方、もう一度、一文字ずつ読んでみましょう。 「あれ? あぁぁ!」 と、なった方、これからご紹介する 「校正的読み方」 をぜひご覧ください。 決して、意地悪したわけではないですよ! 今日は校閲レディの仕事術 Part IIとして、文字の「読み方」について書いてみたいと思います。 Part Iはこちらから。 校閲レディの仕事術・校正ってどうやってやるの? Part I   「校正的読み方」:どう見るのか 上の文章をスルリと読めるのは、「Typoglycemia」という現象だそうです。 「Typoglycemia」とは、単語の最初と最後の文字が合っていれば、中の文字が入れ替わっても読めてしまう現象のこと。 ずいぶん前に話題になりましたよね。まだ日本語の名称はないそうですが、要するに、「そら目」しちゃうということかと思います。 デジタル世界では、「こんちには」と「こんにちは」はまったくの別物。読み間違いという現象は起きません。 それはそれでいいのですが、人間がそれをやると疲れてしまいます。だから、“だいたい”のところで“ふんわり”と把握する能力は、生きる知恵なのではないかとわたしは感じるのです。 この大雑把でゆる~い感じはO型人間にとって、とてもうれしい! 大好き! サイコー! なんですが。 校閲レディとして仕事をする時は、この技は使えません。 ダメ。絶対。 校正の読み方とは、こちらです。 1 字 ず つ つ ぶ す なぜ、「つぶす」と呼ぶのか? 理由はよく分かりませんが、色鉛筆でひと文字ずつマークしていくので、確かに「つぶしている感」はある気がします。 webの短い記事を校正する時は、色鉛筆を使いますが、書籍などの長い文章を校正する時は、使いません。たぶん、疲れちゃうからでしょうね。 Part I で書いたように、校正の作業の流れは下記のとおりです。 <校正の流れ> 1 情報確認 2 資料合わせ 3 素読み 4 整合性 5 ネガティブチェック そして、どの作業においても、 1 字 ず つ つ ぶ す のです。 大変でしょ?笑 でも、残念ながら、校正のすべては、このひと言に尽きるのです。 「校正的読み方」:何を見るのか 1字ずつマークするだけなら簡単なのです...