「大黒柱」とは、家や国の中心となって支える人を指す言葉です。「他の柱よりも太くて家を支えている柱」が語源となっていることから、一家の経済的な支柱という意味合いが強いように思います。
経済的に家族を養う。
歴史的に「大黒柱」は“父”が背負うことが多かったわけですが、その重荷はいかばかりか。そんな風に感じてしまった映画がケン・ローチ監督の「家族を想うとき」でした。
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映画「家族を想うとき」
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イギリスのニューカッスルに暮らすターナー一家。マイホーム購入のため、父のリッキーはフランチャイズの宅配ドライバーを始めることに。妻のアビーもパートタイムの介護福祉士として時間外まで働いており、高校生のセブと小学生のライザは寂しさを募らせていく。ある日、セブの学校から呼び出しを受けるがリッキーは仕事を抜けることができず……。
マンチェスター出身のリッキーは、「マンチェスター・ユナイテッド」のファン。香川真司が所属していたチームですね。ところが配達先のおっちゃんのシャツについていたワッペンは「マンチェスター・シティ」のもの。
名試合について冗談を飛ばしているうちに熱くなってしまう様子は、イギリスだなーという感じがします。
インターネットが発達して、暮らすには格段に便利になりましたが、最終的にわたしたちの手元に届けてくれる窓口はやはり、人。
でも、ここで描かれているような人間的なやり取りは、「安い賃金で、長時間」働かせることで利益を生もうとしている企業にとってムダでしかありません。
小さな黒い機械に支配されるようになったリッキーの日常はつらいしかなく、日本でも問題になっている労働問題、コンビニの24時間営業や「ウーバーイーツ」配達員の労働環境などを彷彿させました。
ターナー一家は、心から家族のことを気遣い、幸せになりたいと願う人たちです。
家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと、大黒柱である父のリッキーは一所懸命に働く。なのに家族の間には、どんどんとイライラが溜まり、ケンカが絶えなくなり、ギクシャクしてしまうのです。
なに、この矛盾?
「勝つも負けるも自分次第」と説明されるフランチャイズ契約の実態は恐ろしいものです。あれをしたからペナルティ、これをしなかったから罰金、機械を壊したから弁償…。そもそも1日14時間、週に6日という働き方に無理がありますよね。
両親にかまってもらえない寂しさ、父の運のなさ、お金がないこと、勉強しても大学に行けるかどうか分からず、卒業できても仕事があるかどうか分からない。未来に対する希望のなさがセブを分かりやすく非行少年にしていきます。
学校の友だちとストリートペイントをしようとするセブが黄色いベストを取り出すシーンがあります。
これはブレイディ みかこさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にも登場していました。「危険な場所で仕事をする人たちに義務付けられているベスト」なのだそう。
イギリスの労働者階級の最底辺にいる人々の話は、この本が参考になります。副読本におすすめ。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」で2度目のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したケン・ローチ監督が、引退宣言を撤回して臨んだ映画です。
社会的弱者への眼差しは温かく、一方でシステムへの怒りは鋭い。心引き裂かれる物語のエンディングが、また衝撃的。安易な解決策を提示することなんてできない。それがいま、わたしたちが生きている世界なのかもしれません。
「NEWS23」スタッフノートに監督のインタビューがあるのを見つけました。ゼロアワー契約の問題や監督から次世代へのメッセージもあります。
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