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『映画を早送りで観る人たち』にみる、パンドラの箱に残っていたもの

インターネットは人類を幸せにしたのだろうか? 日々、インターネットを利用しながら、何度もそう感じてきました。もはやネットのない時代に戻るなんて考えられない。ということは、「上手に、賢く」付き合っていくしかない。 十分にオトナ世代であるわたしはそう割り切っていたのですが、稲田豊史さんの『映画を早送りで観る人たち』を読んで、もっと積極的にこの世界の行方が気になってきました。 すべてのクリエイター、マーケティングに関わる方、若者文化に関心のある方は、ぜひご一読を。 「失敗したくない」と追い込まれていく心情の背景に、ずーんと考え込んでしまいました。 ☆☆☆☆☆ 『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 昨年1月、「AERA」に「『鬼滅』ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは」という記事が掲載されました。ここではサブスクサービスによって、「ありがたみ」が薄れていく様子が紹介されています。 「鬼滅」ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは〈AERA〉   続く3月に「現代ビジネス」で公開された、稲田さんによる「『映画を早送りで観る人たち』の出現が示す、恐ろしい未来」の記事は、わたしも驚愕しながら読みました。 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史) @gendai_biz   『映画を早送りで観る人たち』は、上の記事をはじめ、続編記事と追加取材を加えた内容です。 記事では、NetflixやAmazonプライムに実装された「倍速」モードや「10秒飛ばし」での視聴について、その背景が分析されていました。 現役大学生や「倍速」モードで視聴する方へのインタビューが掲載されていて、その回答が正直に言って、 「ひょえぇぇぇええぇぇっっっ!?」 なものでした。 映画業界で仕事をされてきた稲田さんとも、かみ合わない会話があったことが想像されます。 セリフのないシーンや、好きな俳優が出ていない(サブストーリー部分)を飛ばしたい気持ちは分からなくもないんですよね。でも、「先に最終話を見て、犯人が誰か分かってから見る」という心情には驚いたっすよ、ミステリー好きとしては。 コンテンツ多すぎ問題など、こうした視聴理由の背景もさまざまに分析されている中、わたしが気にな

『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』#999

近頃、海の向こうでは「哲学」に注目が集まっているそうです。そういえば、本屋さんでも哲学に関する本が増えたような気がしますね。 GAFAが相次ぎ導入する「哲学コンサルティング」とは   大学の哲学科は、就職先に困る学科No.1といわれていたのに、稼げない学問がこうして注目を浴びているのには、隔世の感があります。 わたしは大学時代に哲学を専攻していて、上のニュースを見て旧友と、「まさかこんな時代が来るとはね~」と笑い合いました。 クラスメイトのひとりは卒業後に、法学部に再入学し、法律を学ぶことがとても楽しいと言っていたんですよね。 「積み上げていく学問って、何が分かったのか分かっていいのよ~」 たしかに。 哲学は掘り下げていく学問なので、いったい何が分かったのか、何が分からないのか、さっぱり分からないんです。 無知の知、ならぬ、無知の無知、状態。 これを4年間、続けるのですから、けっこう精神的にきます……。 それでも、いまの時代、やはり哲学的な思考力は必要だと感じています。先の見えない時代だから、というのもありますが、それよりなにより、情報が多すぎる時代に自分の「軸」をつくることが大切だと思うから。 大竹稽さんとスティーブ・コルベイユさんの『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』にも、帯に大きく「哲学を学ぶな。哲学しろ。」と書かれています。 ☆☆☆☆☆ 『哲学者に学ぶ、問題解決のための視点のカタログ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 紹介されているのは、近代哲学の父と呼ばれるデカルト以降の、33人の哲学者たち。50の視点から、現代の問題を読み解いていきます。 ですが、この本はハウツー本ではありません。「愛」とはなにか、「群衆」とはなにか、「差異」とはなにか、といった各視点から、ひとりの哲学者の思想を紹介。 この哲学者はこう考えてるけど、あなたはどう思う? と、問いかけられるのです。 哲学は、過去の哲学と自分自身の課題意識とのプロレスみたいなもの……と思ってきましたが、その取っ組み合いこそ「哲学する」ことといえるのかもしれません。 わたしが学生時代に研究していたキルケゴールはというと、たった1行しか出てこない!!! 悲しいしかなかったのですが、なんと。 昨年のほぼ同時期に、キルケゴール研究者・須藤孝也さんによる『人間になるということ キルケゴールから現代へ』という

『仕事と人生に効く教養としての映画』#996

大学時代、「芸術論」の講義をとっていて、小津安二郎の映画を観てくるようにという宿題が出たことがありました。 なんの映画を観たのかは忘れてしまったけれど、翌週の講義で先生が「感想は?」と聞いたとき、見事にシーーンとしていたことは覚えています。 白黒で地味な話であり、アクロバティックな展開も、転がって笑いたくなるようなオチもない。いったい何がそんなに評価されているのか? ガックリしながら映画の見方を説明する先生。『仕事と人生に効く教養としての映画』を読んでいて、その背中を思い出しました。 ☆☆☆☆☆ 『仕事と人生に効く教養としての映画』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 著者の伊藤弘了さんは、映画研究者で批評家という方です。映画図書館で資料整理の仕事をされているそうなので、膨大なデータが頭の中にもあるのだと思われます。 そんな方が、ひとつひとつ解説してくれるのです。 「トイ・ストーリー」に込められたフロンティア精神。 「東京物語」の微妙すぎるカメラワーク。 などなど、超細かくて、10回以上見てないと気付かないんでは!?な世界です。 映画は監督が脚本に込めた想いを表現するとともに、過去の膨大な作品から数々の場面が引用され、画が作られていきます。 たとえば小津映画は、ハリウッド式のイマジナリー・ライン(2人の対話者の間を結ぶ仮想の線)を小津流にバージョンアップしました。小津としてオリジナリティを確立したから、評価を受けているわけです。 大学卒業後、わたしは演技の仕事をしていたので、ここでもアメリカ人監督から映画の見方や、演技の見方を教わりました。 でも。 これって。 ホントーーに微妙すぎて、伝わる人にしか伝わらないんでは、と感じていたのですよね、当時は。芸術論の先生の熱弁や、アメリカ人監督のこだわりが、分かってきたのは最近のことです。 微妙な演技の積み重ねと、映像のマジック、そして編集の技術が名作を生んでいるのだと。 ただ、さまざまに施される制作側の「苦労」は1mmも外から見えません。見えたら逆に、興ざめですよね。それが映画を観ることを難しくしているのかなーなんて思ったりもしつつ、もうひとつ感じたのが、「語ること」への意識でした。 自身を変えるような運命の一本に出会えることは、幸せなことと、伊藤さんは語っておられます。そして、アウトプットするなら、そうした映画の作り手たちにエ

『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』#995

作品における「空白」は、なにを意味するのか。 特にラストシーンの「ご想像にお任せします」は、いろんな気持ちが刺激されちゃいますよね。 ジェフリー・アーチャーの『十二枚のだまし絵』には、「焼き加減はお好みで…」という短編があって、ここでは結末を「焼き加減」で選ぶことができます。こういうの、すごく楽しい。 (画像リンクです) 映画でも、どうともとれるラストシーンが話題になることがあります。 最近の映画だと、ユ・アインとユ・ジェミョンが“犯罪者”コンビを演じた映画「声もなく」が最高にウワウワしました。 映画「声もなく」#933   映画でも、マンガでも、小説でも、作品の中で登場する小道具、景色、セリフ、行動などなどには、すべて意味がある。 作品を味わいつくすために、まず読みを深めてみませんか?という本が、小林真大さんの『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』です。 ☆☆☆☆☆ 『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ フランスの思想家であるツヴェタン・トドロフによると、「読み方」には3つの手法があるそう。 1. 投影:作品が作られた背景を分析する方法 2. 論評:文章に登場するレトリックや心理描写を分析する方法 3. 読み:作品をひとつの大きなシステムと考え、構造を分析する方法 こうした「読み方」があることを踏まえて、本書では、書き出しや時間、空間、比喩や象徴といった切り口から、名作文学の「読み方」を紐解いていきます。 教科書で読んだくらいだわ……という小説なんかもあって、「そういう意味だったの!?」なんていう発見に、自分の読みの浅さを思い知りました。 小説をよく読む人や、映画好きの人の中には、あんまり難しいことを考えずに、ただ作品世界を味わいたいという方もいると思います。 でも。 こうした「読み方」を知っていると、人生に奥行きが出ていくような気がするんです。 ああ、人間って、けっきょく古今東西、同じようなことで悩んでいるんだなと思ったり。 この文化圏ではこういうことに幸せを感じるんだなと思ったり。 わたしはビジネス書も小説も読むけど、「学び」を求めてはいないかもしれません。どちらかというと、「刺激」かな。 見たことのない世界を知り、思いがけない発想に出会い、自分でも意識していなかった感情に気付く。 作品に「空白」を

『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』#994

「読書」は、高尚な趣味なのでしょうか。 以前、「オススメの本はこれ!」としたツイートが、「ビジネス書ばっかりやんか」と批判されていましたよね。気の毒……。 これは「本」というくくりが、大きすぎたのではないかと思います。 「本」とひと言でいっても、小説もあればエッセイもあるし、ミステリーもSFも恋愛ものもある。古典が好きな人もいれば、ハウツー本しか読まない人もいるでしょう。 その中で、「アレが上で、コレが下」とはいえないし、人は結局、自分が読んだことがある本に反応するのだなーと毎日書いていて感じます。 『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、著者のピエール・バイヤールが、「読書が高尚な行為だというのは大いなる誤解」と指摘していました。 『読んでいない本について堂々と語る方法』#992   どんな本を読んだにせよ、その本について語ることは、「書評」と呼ばれたり、「レビュー」と呼ばれたり、「感想文」と呼ばれたりしています。 こちらに関しても「どう違うねん」という気がしています。 三省堂の「ことばのコラム」によると、「評論」よりも「レビュー」と表記した方が、堅苦しくなさそうな雰囲気があるのだそう。 第18回 レビュー | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム   「レビュー」は、Amazonなどの「商品レビュー:使ってみての使い勝手や感想」という場で使われていることを考えると、なるほどカジュアルに書き込みやすいのかもしれません。 とはいえ、どちらも目的としては「これよかったから、ぜひ!!!」と誘うことです。まぁ、逆の場合もあるけど。 『批評の教室』の著者・北村紗衣さんは、「作品に触れて何か思考が動き、漠然とした感想以上のものが欲しい、もう少し深く作品を理解したいと思った時に、思考をまとめてくれる」ものが「批評」である、とされています。 批評のための3ステップ「精読する、分析する、書く」について解説した『批評の教室』。めちゃくちゃ勉強になりました。 ☆☆☆☆☆ 『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 批評の役割としては、大きくふたつ。 ・解釈:作品の中からよく分からない隠れた意味を引き出す ・価値づけ:その作品の位置づけや質を判断する このふたつは、なんじゃかんじゃと言葉を尽くして

『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』#991

「雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる」は、間違い。 これを知って、かなり驚きました。 抜いても抜いても生えてきて、なんでこんなところから?と思うような場所からも顔を出してくる雑草。踏まれて倒れたぐらいでは、へこたれない。これほど「強い」草はないと思っていたのに! 雑草を研究しているという、静岡大学教授の稲垣栄洋さんの本『はずれ者が進化をつくる』に紹介されていた、「雑草魂」というか、「雑草戦略」には学ぶところが多かったです。 ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる』などを出している「ちくまプリマー新書」は、「ちくま新書」の姉妹レーベルという位置づけだそうで、ラインナップにはヤングアダルト向けの本が並んでいます。 2018年には既刊本が300点を超えたそうで、特設サイトがありました。稲垣栄洋さんの本も「五本柱」のひとつに選ばれています。 ちくまプリマー新書 祝★300点突破!   ティーンエイジャーが対象なので、語り口がやさしい本が多いのが特徴。大人が読んでも十分におもしろいです。 植物はもちろん、地球上の生物は「違うこと」に価値をおいてきました。これはあくまでバラバラなのであって、優劣ではありません。 バラバラではあるけれど、中央値みたいな生存適性はあって、隅っこには「はみだしもの」もいます。で、環境などの変化が起きたとき、この「はみだしもの」が生き延び、そしてまたその「はみだしもの」が中央値となり、あらたな「はみだしもの」が生まれ……というように、生物は進化してきました。 だけど現代の人間たちは「ナンバーワンよりオンリーワン」と言ってみたり、「いやいやそれじゃ甘いよ、やっぱりナンバーワンじゃなきゃ」と言ってみたりする。 そして、 わたしのオンリーワンってなんだっけ? 自分らしさってどういうこと? 個性を出せってどうすればいいの? といった悩みを抱えてしまうのです。 「考える葦」である人間って、自分で悩みを作り出しているようなもんなんですね……。 冒頭に書いた雑草の戦略「雑草は踏まれても立ち上がらない」。 雑草にとっては「立ち上がる」ことが大事なのではなく、「種を残す」ことが目標だから、立ち上がらない方がよければ、横に伸びたり、根を伸ばしたりして、目的を果たすのだそう。 立ち上

『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』#989

振り返ってみると、動物の出てくる物語をたくさん読んでいることに気が付きました。 『火狩りの王』のようなファンタジーには動物がつきものですし、動物の妖怪が人間のふりをして暮らしている『しゃばけ』みたいな小説もある。 『火狩りの王』#735   とぼけた味の妖たちが大活躍 『しゃばけ』 #497   ミステリーの世界でも「三毛猫ホームズ」シリーズは大好きだったし、ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』も好きでした。 一方で、荻原規子さんの『グリフィンとお茶を』みたいな「魔法生物」に関するエッセイも大好物です。 『グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~』#946   現実(?)に近い話でも、佐々木倫子さんのマンガ『動物のお医者さん』とかおもしろかったですよね。チョビを飼いたかったけど、散歩が大変そうだから断念しました。 もっとリアルに大変そうで、でも愉快でシビアな現場が、鳥取環境大学の研究室です。小林朋道教授によって「森の人間動物行動学先生!」シリーズは、10巻を超えています。 今日ご紹介するのは、記念すべき10巻目の『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』です。 ☆☆☆☆☆ 『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 小林朋道教授は動物行動学者で、ヒトと自然の精神的なつながりなどを研究しておられるそう。 研究室にある水槽に新しいお客さまをお迎えし、「お・も・て・な・し」をしたときの話が、タイトルになっている「イソギンチャクが腹痛を起こしちゃった」事件です。 そもそも動物の生態(陸の動物も、海の生き物も)って、分からないことがこんなに多いんですね。人間ならインタビューという手法が使えますが、相手は動物。好きな餌も、心地よい環境も、ひとつずつトライ&エラーを繰り返して発見していくんです。 その過程が……。 笑いしかなかった! 教授自身が腹痛を抱えながら、珍しいコウモリに会えるかもしれない洞窟に調査に行くなど、研究者魂を感じさせるエピソードもあり、ヒトも動物も、生きることに熱心だなーという世界です。 最初に出版されたのは『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』ですが、内容にあまりつながりはないので、どれから読んでも大丈夫。 人間は生きて生活しているだけで環境汚染の原因をつくっている、といわれているいま。自然と

『言葉を育てる―米原万里対談集』#982

文章を書き始めたころ、強く勧められて読んでみて大ファンになった方が、ふたりいました。 ひとりは、読売新聞で「編集手帳」を担当された竹内政明さん。「起承転結」の鮮やかな、コラムのお手本のような文章。ずっと仰ぎ見ている方です。 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981   そしてもうひとりが、ロシア語通訳から作家へと転身された米原万里さんです。 ロシアをはじめとする、さまざまなお国の民族性と食を巡るエッセイ『旅行者の朝食』は、以前紹介していました。「米原万里といえば大食漢」と言われるほど、食いしん坊だったそうです。 いま見たら、ちょうど2年前に書いたのでした。 ブラックユーモアと生きるための知恵 『旅行者の朝食』 #255   2006年に亡くなられ、もう新作が読めないなんて、信じられない……と、ずっと感じています。ロシアのウクライナ侵攻を、彼女はどう評しただろうと思ってしまいますね。 おそらく、毒いっぱいのユーモアを入れつつ、剛速球のど真ん中へボールを投げ込んだんじゃないでしょうか。 傍若無人なヒューマニストと呼ばれた米原万里さん。最初で最後の対談集『言葉を育てる―米原万里対談集』でも、小森陽一さんや、林真理子さん、辻元清美さんに、糸井重里さんら、錚々たるお相手に、豪快な球を投げ込んでいました。 ☆☆☆☆☆ 『言葉を育てる―米原万里対談集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 米原さんはご両親の仕事の都合により、小学生のころ、プラハにあるソビエト学校に通うことになります。多国籍で、多彩・多才な同級生に囲まれた日々。米原さんの鋭い分析力と俯瞰力、観察力、そして女王様力は、こうした環境に身をおいたことでついたものなのでしょう。 日本に戻って、ロシア語通訳として活躍。エッセイストとなってからは、プラハでの日々を綴った『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。 こちらは米原さんの好奇心と包容力、負けん気と追求心が感じられるエッセイです。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (画像リンクです) すでに確立された実績があるのに、新しいことを始め、奇想天外なアイディアを生み出し、猫と犬と暮らす。 奔放にも、豪快にも思える生き方は、これぞ他者に評価されることを潔しとせず、自分の価値観で自分の人生を生きるってことなんだなーと思います。 タイトルにある「言葉

『感情は、すぐに脳をジャックする』#978

「カラダは嘘をつかないけど、脳は嘘をつくんです!」 これはかつて師事していたアメリカ人映画監督の口癖で、彼女はいつも「カラダの声を聞け」と言っていました。 人間は感情の生き物といわれていますが、「こんな感情を持ってしまう自分はよくないかも……」と思ったとき、その感情に理性でフタをしようとしてしまいます。 そこで、ニコニコした表情を作っても、カラダは引いている……ということが起こる。 こんなことを繰り返していると、いつか自分の感情に鈍感になってしまうよ、という話だったと思います。そもそも感情に、善し悪しのラベルを貼ってしまうこと自体、意味のないことですし。 でも。 何かあるとすぐに不安になって、そのことが頭から離れなくなるのです。 下手をすると、一日グルグルしていたり、思い出し怒りをしていたり。ああ、こんなにも持て余してしまう自分の「感情」。上手な切り替え方法はないものでしょうか。 そんなときに読んだのが、佐渡島庸平さん、石川善樹さん、羽賀翔一さんが「感情」について語り合った『感情は、すぐに脳をジャックする』。 タイトルが、そのものズバリのドンピシャ。自分の中に湧き上がる「感情」を、ジッとみつめながら読みました。 ☆☆☆☆☆ 『感情は、すぐに脳をジャックする』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 第1章から第3章までは佐渡島さんによる、「感情」の考察論と、石川さんのコラム。第4章と第5章は、各「感情」を掘り下げて考察する鼎談です。 本の中で佐渡島さんが紹介されている、プルチック博士が考案した「感情の輪」を使ったキャラクターやストーリー作りの話がとても興味深かったです。 Wikipediaへのリンク↓ 感情の一覧 - Wikipedia   8つの基本感情と相関する「感情」を描いてから、本当に描きたかった「感情」を描けば、振り幅が大きくなって、より伝わるのではないか、という仮説です。また、少年マンガと青年マンガで描かれる「感情」の違いについての考察もありました。 人間は毎日、毎時間、毎秒、さまざまな刺激を受けて、たくさんの「感情」を抱いているはずなのですが、それはほとんど無意識のうちに流れてしまう。 特に強い「感情」だけが、一日の最後に残っているように思います。 悔しかったり、恥ずかしかったり、悲しかったり、うれしかったり。 こうした「感情」の、なにが、どこが、どうして、自

『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』#975

「ウェルビーイング」って、最近よく耳にするようになりましたが、こういう横文字はふんわりしていて意味がとらえづらい。 「ウェル」が入ってるってことは、「いい感じ」に生きようってことかな? なんて、思っておりました。 予防医学研究者の石川善樹さんによると、「ウェルビーイング」は「日本の昔話」に学ぶのがよいらしい。実際、石川さんは夜な夜な「にっぽん昔ばなし」をご覧になっているそうです。 研究者ってすごいですね……。 ☆☆☆☆☆ 『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1948年にWHOが憲章前文に「ウェルビーイング」という言葉を使っています。 健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態である ここから70年経って、現在はこういう形で理解されているそう。 ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である「満足」と、日々の体験に基づく「幸福」の2項目によって測定できる 「満足」と「幸福」は、とても主観的な価値なので、人によって違いが大きい。そのため、定義もふわっとしてみえるし、「何をどうやってこうすればウェルビーイングが上がるよ」と言い切れないものなのですね。 わたし自身、生きるにあたって「満足」でありたいし、「幸福」でありたい。 でも、「満足」がたくさんあっても飽きるかも……という気がします。 ここが日本文化の特徴なのだそう! 日本の昔話は、名もないおじいさんやおばあさんが主人公の話が多いですよね。そして、ハッピーエンドになることもなく、フッと話が終わってしまう。 これが西洋の物語だと、主人公は子どもで、冒険して宝物を見つけたり、結婚してハッピーになったりして「めでたし、めでたし」と終わります。 日本の文化は、こうした「ゼロに戻る」ことが特徴なので、そのメンタリティを受け継いでいる現代人も、西洋式の「上昇志向」よりも、日本式の「奥という感覚」を意識するほうが、心の平安を探れるのではないか、とのこと。 石川さんは「○○のためには何をしたらいいですか?」という質問をよく受けるのだそうです。こうした、「○○をする=doing」によって、「○○になる=becoming」な発想は、「因果の宗教」にハマっている状態だと指摘されています。 自分の内

『時代の風音』#973

「世界的巨匠」なんて呼ばれることを、たぶん宮崎駿監督はお嫌いなんでは……と思ったことがあります。 何者かになりたくてアニメをつくってきたわけではないだろうから。 情熱のまま、子どものように無邪気に、ガンコに物語を紡いできた姿は、鈴木敏夫さんの『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』に綴られていました。 『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』#927   そんな宮崎監督にも“若かりし頃”はあったわけで、堀田善衛さん、司馬遼太郎さんという知の巨人に挟まれて、20世紀を語りつくす鼎談『時代の風音』では、「書生役」というか、「小僧役」のような扱いをうけています。 ☆☆☆☆☆ 『時代の風音』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ロシアや中国、イスラームに日本、近代から現代へと時代が移る中で、日本人が得たものと、失ったもの。世界が向かう方向についてなどなど、話題がとても広い。 もともと別の出版社から刊行されていた本の再版なのですけど、最初に刊行されたのが1992年。 ソ連が崩壊したのは1991年12月25日なので、まだ生々しい興奮が感じられます。堀田善衛さん曰く、ソ連は「難治の国」なのだとか。 イスラムとモンゴル族に気を使わざるを得なかったイワン雷帝。イデオロギー独裁政治から、強行着陸を目指すしかなかったゴルバチョフ。 合議制という発想がなかったのだから、そうなりますよね……。 なーんて、分かったようなことを書いていますけれど。 この鼎談、堀田さんと司馬さんの知識量が豊富すぎて、しかも怒濤なので、まったく理解できない……。笑 たとえていうなら、空中戦のドッジボールのコートにいるような感じです。ぜったい自分にボールがヒットする可能性はない。 そんな中、宮崎さんが何か言うと、かるく司馬さんにいなされてしまうシーンも。 ちょうどこの頃、映画を準備されていた宮崎さん。司馬さんからこんな質問を受けます。 司馬「今度の作品の題名はなんでしたっけ。『ピンクの豚』?(笑)」 宮崎「ヤケクソみたいな名前なんですけど『紅の豚』」 司馬「紅か。おもしろそうですね。また飛んでいくんでしょう」 ピンク……。飛んでいく……。 門前の小僧のように、何度も読めば、少しはヒットするところが出てくるのかしら。と、思いつつ、自分がふだん、いかに「分かりやすい」ものに触れているのか感じました。 難しいことを分かりやすく言えるって、すごい知

『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』#958

トマトは赤くて、バナナは黄色い。 当たり前だと思っていた色の認識は、「商品」として作り出されたものなのかもしれない。 久野愛さんの『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』は、資本主義の観点から食べ物を見直した本です。 ☆☆☆☆☆ 『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 大量生産・大量消費時代に、食べ物は「農業」から「産業」へと変化しました。これに合わせて、農場自体が工場化され、形や色を「標準化」していきます。 たとえば、アメリカのオレンジ農家による地域対決の話が紹介されています。 オレンジ色が強いカリフォルニアのオレンジに対して、味は良いけれど見た目が武骨なフロリダのオレンジ。両者で起こったアピール合戦は、「見た目」勝負でした。 食いしん坊なので、おいしそうな料理の写真や言葉には、つい反応してしまいます。この時、自分が何に反応しているのか、考えてみると、やっぱり写真などの「見た目」が大きいなと感じます。 以前、「曲ったキュウリは売れないから、まっすぐになるように栽培するのだ」という話を聞いたことがありました。 一方で、関西の田舎から東京に来たとき、野菜の味が違うことに驚きました。特に、スーパーで売っていたトマト。青くさくて、水っぽくて、わたしの知っているトマトとは違う……!?と感じたんですよね。 うちではご近所の方が作っていたお野菜を分けていただいてたので、土の味が違うのかもと思っておりました。皮が厚くて、形も歪だけど、ちゃんと太陽の味がした。わたしにとっては、あれが「トマト」でした。 いま、食べ物の形や色に対して、「自然」と感じているものは、商品としてすり込まれた「当たり前」なのかもしれない。 一番効果を発揮しているのは、ツヤツヤして、形が整い、新鮮さを感じさせる広告写真でしょう。 その点、ヴィジュアル重視が進んで、盛ったり、映えを追求したりといった行動は、ますます見た目の標準化を加速させたといえそうです。 「自然」とは何か。 毎日、口にするものの視覚的情報について考えさせられる一冊です。

『東大教授がおしえる やばい日本史』#955

「どうしたら本を一冊読めるようになりますか?」 知人にそう聞かれて、とても困りました。息をするように自然に本を手にしてしまうわたしにとって、「読む」ことは当たり前だったからです。 この方のように「文字を追いかけるのが苦手」な人は、意外と多いのかもしれません。 わたしの友人も「文字を追いかけるのが苦手」なため、「聞く」ことで本を読んでいます。AmazonのAudibleやオーディオブックなど、最近は書籍の音声コンテンツ化も増えていますよね。 この話を聞いて、散歩のときにAudibleで本を「聞く」ようになりました。おもしろそうなら紙の本を買うこともあります。実質2冊になっちゃうけど、ポイントを振り返るには、やっぱり紙の方が便利なので。 最近の散歩の共は、Podcast 「歴史を面白く学ぶCOTEN RADIO」です。 「COTEN RADIO」とは、株式会社COTEN代表の深井さん、楊睿之さん、そして株式会社BOOK代表の樋口さんが、日本と世界の歴史を「現代の言葉で」語り尽くす番組です。 COTEN RADIO コテンラジオ オフィシャルサイト   歴史上の偉人と呼ばれる人たちも、踏んだり蹴ったりな目に遭ったり、絶望したり、もがいたりしていた話がおもしろくて、聞き入ってしまう。 中でも、今年の1月下旬から配信されている、東京大学史料編纂所の本郷和人教授が語る日本の歴史も、人間ドラマの語りが秀逸。 思わずご著書の『東大教授がおしえる やばい日本史』を買ってしまいました。 これも“やばい”おもしろさを秘めた本でした。 ☆☆☆☆☆ 『東大教授がおしえる やばい日本史』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 聖徳太子に紫式部、徳川家康や坂本龍馬といった武士たちまで、日本史に必ず登場する偉人たちの姿が立体的に紹介されています。和田ラジヲさんのイラストもクスッとなるポイントです。 キーワードは、「人はすごいとやばいでできている!」。 (画像はAmazonより) 「COTEN RADIO」の良さについて、「現代の言葉で」語り尽くすところと紹介しましたが、この本も同じ。難しい話をかみ砕いて説明してくれていて、偉人たちの人間性に触れることができます。 本屋さんでずっとこの本を探していたんですが、歴史コーナーやエッセイの棚では、まったく見つけられませんでした。検索機で探したところ……。 子ども