トマトは赤くて、バナナは黄色い。
当たり前だと思っていた色の認識は、「商品」として作り出されたものなのかもしれない。
久野愛さんの『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』は、資本主義の観点から食べ物を見直した本です。
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『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』
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大量生産・大量消費時代に、食べ物は「農業」から「産業」へと変化しました。これに合わせて、農場自体が工場化され、形や色を「標準化」していきます。
たとえば、アメリカのオレンジ農家による地域対決の話が紹介されています。
オレンジ色が強いカリフォルニアのオレンジに対して、味は良いけれど見た目が武骨なフロリダのオレンジ。両者で起こったアピール合戦は、「見た目」勝負でした。
食いしん坊なので、おいしそうな料理の写真や言葉には、つい反応してしまいます。この時、自分が何に反応しているのか、考えてみると、やっぱり写真などの「見た目」が大きいなと感じます。
以前、「曲ったキュウリは売れないから、まっすぐになるように栽培するのだ」という話を聞いたことがありました。
一方で、関西の田舎から東京に来たとき、野菜の味が違うことに驚きました。特に、スーパーで売っていたトマト。青くさくて、水っぽくて、わたしの知っているトマトとは違う……!?と感じたんですよね。
うちではご近所の方が作っていたお野菜を分けていただいてたので、土の味が違うのかもと思っておりました。皮が厚くて、形も歪だけど、ちゃんと太陽の味がした。わたしにとっては、あれが「トマト」でした。
いま、食べ物の形や色に対して、「自然」と感じているものは、商品としてすり込まれた「当たり前」なのかもしれない。
一番効果を発揮しているのは、ツヤツヤして、形が整い、新鮮さを感じさせる広告写真でしょう。
その点、ヴィジュアル重視が進んで、盛ったり、映えを追求したりといった行動は、ますます見た目の標準化を加速させたといえそうです。
「自然」とは何か。
毎日、口にするものの視覚的情報について考えさせられる一冊です。
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