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『精霊の守り人』

今日の東京は30度を超える気温で、いつものように散歩に出かけて、汗びっしょりになりました。 細菌やウイルスなど、人間はこれまでも「未知なるモノ」と闘ってきました。これまではだいたい100年周期だったけど、だんだん短くなっているといわれています。 科学が発達したといっても、パンデミックに対しては現在の科学で分かる「最適解」にしかなりません。 もしかしたら100年後の地球人は、マスク生活を笑っているのかも、なんて思います。 この世には、まだまだ分からないことがあるのだと思い知らされる毎日。「最適解」に翻弄される生活をしていると、そんな気がしてしまいます。 上橋菜穂子さんの『香君』を読んで以来、ファンタジー熱が再燃し、『精霊の守り人』から始まる「守り人」シリーズを読み続けていました。 短槍の達人が活躍するこの世界でも、「未知なるモノ」と闘う人間の傲慢が描かれています。 ☆☆☆☆☆ 『精霊の守り人』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 川に流された少年を救った用心棒バルサは、新ヨゴ皇国の王宮に招待されることに。晩餐の夜、二ノ妃から皇子チャグムが命を狙われていることを伝えられ、命を守ってほしいと託されてしまう。精霊の卵を宿した息子のチャグムを守りながら、父帝が差し向ける刺客や、卵を狙う魔物との戦いが始まり……。 「守り人」シリーズは、外伝とガイドブックを含めると全14巻にもなるんですが、第1巻の『精霊の守り人』が一番、伏線がキレイに決まっているように思います。 冒険活劇でもあり、卵のナゾを解明しようとする知的な動きもあり、オトナでも一気に読めてしまうくらい、物語に厚みがあります。 この本の中で、最大のナゾは「精霊の卵」に関することなんですよね。 なぜ、皇子に産み付けられたのか。 卵を狙う魔物とは何なのか。 最初に「精霊の卵」がみつかったとき、皇国と先住民との間に、何があったのか。 過去の出来事を探り、方法をみつけようとする人たちに、呪術師のタンダと師匠・トロガイ、星読博士のシュガがいます。 そして。 けっきょく。 分からないままなんです!!! 判明したのは、皇国の歴史が歪められているということ。そして、卵を孵化させる方法だけ。逆に、いま明らかなことだけでとった行動が、大きな危機を招いてしまうんです。 『香君』でもやはり、王国の歴史が断裂していて、オアレ稲の栽培に関す

インフレ化した夢の後始末

「夢は追い求めているほうが幸福なのだ」 まったく売れないマンガ家だったやなせたかしさんは、先輩からちょっとほめられただけで、天にも昇るくらいうれしかったそうです。 『アンパンマンの遺書』の中で、逆境の中でも夢を見るのが人間なのだと語っておられます。また、夢を実現することだけが人生の目的なのではなく、夢に向かって進もうとする力が尊いのだ、とも。 (画像リンクです) 夢に向かって全力投球!!!  夢!夢!夢! ……と言われるたび、わたしはちょっとゲンナリしていました。 夢破れた過去があるから? いま、これといった夢がないから? いろいろ考えてみましたが、たぶん、「夢を見ろ! 夢を追え!」と煽られる空気がイヤなのだなと思います。 韓国でも、日本と同じくらい、いやそれ以上に「夢を見ろ! 夢を追え!」な社会のようで、最近邦訳の出ているエッセイには、そうした競争から下りることを勧めるものもありますね。 キム・テリさんとナム・ジュヒョクさん主演の「二十五、二十一」にも、鮮やかに夢をあきらめるシーンがありました。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「二十五、二十一」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ IMF通貨危機によって、夢を絶たれてしまったふたりが出会い、支え合う前半パート。後半には、キム・テリ演じるナ・ヒドと、ボナ演じるコ・ユリムが通う高校の後輩が「フェンシングを辞めたい」と言うシーンが出てきます。 コーチは「次の大会で8強に入れたら、辞めてもいい」と条件を出す。 そこから猛特訓が始まるんです。ヒドとユリムは、世界でもトップクラスの選手という設定なので、後輩もメキメキ上手くなっていく。 ここで、スレたオトナであるわたしは、 「あぁ、いまは単なる伸び悩みの時期で、大会で見事8強に入って、フェンシングの楽しさを再確認できたから、辞めません!!」 って叫ぶんだろうなーと予測していたのですけれど。 後輩の選択は、まったく予想外のものでした。 夢を追いかけて必死だった自分を肯定しつつ、その夢に見切りをつける。大きな喪失を抱えつつ、爽やかに踏ん切りをつける後輩。その吹っ切れた明るさがあまりにも残酷で、思わず涙しました。 後輩はまだ高校生だったので、これからもっとやりたいこと、見たい世界が出てくる可能性もありそうですが。 30代になってしまうと、進むも地獄、引くも地獄なのかもしれないなーと、一穂ミチさんの『

『香君』でみた食料を自給できない世界の未来とは

「新緑の候」「薫風の候」と呼ばれる5月が始まりましたね。 でも、我が家はちっともさわやかな感じがしない……。理由は、さまざまなものの値上げを知ったから。 5月も続々値上げ 食料品や電気代など…家計に打撃  あすから5月ですが、原材料価格の上昇や原油高騰などの影響で食料品や電気代などが値上げされます。  コカ・コーラボトラーズジャパンはコーラやスポーツドリンク、緑茶など大容量のペットボトル入り飲料を値上げします。  明治はレトルトカレーやチョコレート、グミなどの菓子を、キッコーマンはトマトケチャップやソースなどを値上げします。  原材料価格の上昇やウクライナ情勢などによる原油の高騰が続いていることが要因です。  電力大手10社と都市ガス大手4社の料金も上がります。  政府が今月、輸入小麦を売り渡す価格を引き上げたことから、6月以降も小麦粉や即席めんなどの値上げが予定されていて、家計に打撃となりそうです。   電気代にレトルトカレー、スポーツドリンクにチョコレートまで。「安すぎる日本」の問題を感じてはいるけれど、これはツライ。 『安いニッポン 「価格」が示す停滞』#822   世界情勢の変化に、円が影響を受けるのは仕方のないことではあります。でも、けっきょくは食糧自給率の低さが問題なんではないかと思ってしまいます。 「食料自給率」とは、国内で消費された食料のうち、国産の占める割合のことで、日本の場合、2020年度は37%でした。 1965年度に73%を記録して以降、緩やかに下降しているのだそう。 日本の「食料自給率」はなぜ低いのか? 食料自給率の問題点と真実 | 農業とITの未来メディア「SMART AGRI(スマートアグリ)」   上橋菜穂子さんの新作小説『香君』には、病害にも寒さにも強く、虫の害もほとんど受けない「オアレ稲」という稲が出てきます。 遠いむかし、不作によって飢餓の危機にあった帝国を救ったのが、異郷からもたらされた「オアレ稲」でした。 そのナゾと、香りで万象を知る活神「香君」を巡る物語です。 ☆☆☆☆☆ 『香君』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 「オアレ稲」は育てやすくて味も良い、ということで、帝国を安定させてくれる農作物になりました。 ただ、問題がひとつ。 それは、「種」がとれないことなんです。 どれだけ収穫量があっても、一部は次回の「種籾」

『星へ行く船』#998

「自身を変えるような運命の一本に出会えることは、幸せなこと」 映画研究者の伊藤弘了さんは、著書の『仕事と人生に効く教養としての映画』の中でそう語っておられました。 『仕事と人生に効く教養としての映画』#996   わたしの場合、映画は「運命の一本」がいっぱいありすぎなんですが、小説なら絶対これ!というのがあります。 それが、新井素子さんの『星へ行く船』。 ひとりの女性の成長物語としても、かっこいい大人のあり方としても、大きな刺激を受けたシリーズです。 新井素子さんの小説を通して、SFやハードボイルドという分野を知り、ファンタジーや世界文学全集みたいな本ばかり読んでいたわたしは、一気に世界が広がりました。 ☆☆☆☆☆ 『星へ行く船』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 「マンガ『ルパン三世』の活字版を書きたかったんです」とインタビューで語っておられるとおり、独特の文体を活かした小説で、ライトノベルの草分け的存在として知られている新井素子さん。 高校2年のときに第1回奇想天外SF新人賞に応募して、星新一に見出され、デビューを飾ります。 あの、星新一に、ですよ!? 初期の頃の作品は、「幼稚園のときから小説家になりたい」と考えていた新井素子さんの脳内を再現するような、ハチャメチャで、ドタバタで、それでいてヒューマニズムにあふれるものでした。 デビュー2作目となった『星へ行く船』は、19歳の森村あゆみが、家出ついでに地球を捨てちゃおう……と宇宙船に乗り込むところから始まります。 この時代、人口過多となった地球は積極的に他の星への移住を勧めていて、とりあえず最初に開拓され、住環境が整っていそうな火星に向かうことにする。 イーロン・マスクに聞かせてあげたいですね……。 1981年に集英社のコバルト文庫から発行された『星へ行く船』。評判がよかったので続編を書くことが決まり、物語はシリーズ化されることに。全5巻のシリーズは、2016年に「新装・完全版」が発売されました。 (画像はAmazonより) 宇宙船の個室を予約したはずなのに、見知らぬオッサンと相部屋となり、やっかいごとに巻き込まれ、事件を見事に解決してしまう、あゆみちゃん。 ここで知り合ったのが、山崎太一郎という男性です。 実は「星へ行く船」シリーズは、新井素子さんの脳内に太一郎さんのセリフがフッと浮かんで出来上がったものなんです

『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』#995

作品における「空白」は、なにを意味するのか。 特にラストシーンの「ご想像にお任せします」は、いろんな気持ちが刺激されちゃいますよね。 ジェフリー・アーチャーの『十二枚のだまし絵』には、「焼き加減はお好みで…」という短編があって、ここでは結末を「焼き加減」で選ぶことができます。こういうの、すごく楽しい。 (画像リンクです) 映画でも、どうともとれるラストシーンが話題になることがあります。 最近の映画だと、ユ・アインとユ・ジェミョンが“犯罪者”コンビを演じた映画「声もなく」が最高にウワウワしました。 映画「声もなく」#933   映画でも、マンガでも、小説でも、作品の中で登場する小道具、景色、セリフ、行動などなどには、すべて意味がある。 作品を味わいつくすために、まず読みを深めてみませんか?という本が、小林真大さんの『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』です。 ☆☆☆☆☆ 『やさしい文学レッスン 「読み」を深める20の手法』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ フランスの思想家であるツヴェタン・トドロフによると、「読み方」には3つの手法があるそう。 1. 投影:作品が作られた背景を分析する方法 2. 論評:文章に登場するレトリックや心理描写を分析する方法 3. 読み:作品をひとつの大きなシステムと考え、構造を分析する方法 こうした「読み方」があることを踏まえて、本書では、書き出しや時間、空間、比喩や象徴といった切り口から、名作文学の「読み方」を紐解いていきます。 教科書で読んだくらいだわ……という小説なんかもあって、「そういう意味だったの!?」なんていう発見に、自分の読みの浅さを思い知りました。 小説をよく読む人や、映画好きの人の中には、あんまり難しいことを考えずに、ただ作品世界を味わいたいという方もいると思います。 でも。 こうした「読み方」を知っていると、人生に奥行きが出ていくような気がするんです。 ああ、人間って、けっきょく古今東西、同じようなことで悩んでいるんだなと思ったり。 この文化圏ではこういうことに幸せを感じるんだなと思ったり。 わたしはビジネス書も小説も読むけど、「学び」を求めてはいないかもしれません。どちらかというと、「刺激」かな。 見たことのない世界を知り、思いがけない発想に出会い、自分でも意識していなかった感情に気付く。 作品に「空白」を

『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』#994

「読書」は、高尚な趣味なのでしょうか。 以前、「オススメの本はこれ!」としたツイートが、「ビジネス書ばっかりやんか」と批判されていましたよね。気の毒……。 これは「本」というくくりが、大きすぎたのではないかと思います。 「本」とひと言でいっても、小説もあればエッセイもあるし、ミステリーもSFも恋愛ものもある。古典が好きな人もいれば、ハウツー本しか読まない人もいるでしょう。 その中で、「アレが上で、コレが下」とはいえないし、人は結局、自分が読んだことがある本に反応するのだなーと毎日書いていて感じます。 『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、著者のピエール・バイヤールが、「読書が高尚な行為だというのは大いなる誤解」と指摘していました。 『読んでいない本について堂々と語る方法』#992   どんな本を読んだにせよ、その本について語ることは、「書評」と呼ばれたり、「レビュー」と呼ばれたり、「感想文」と呼ばれたりしています。 こちらに関しても「どう違うねん」という気がしています。 三省堂の「ことばのコラム」によると、「評論」よりも「レビュー」と表記した方が、堅苦しくなさそうな雰囲気があるのだそう。 第18回 レビュー | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム   「レビュー」は、Amazonなどの「商品レビュー:使ってみての使い勝手や感想」という場で使われていることを考えると、なるほどカジュアルに書き込みやすいのかもしれません。 とはいえ、どちらも目的としては「これよかったから、ぜひ!!!」と誘うことです。まぁ、逆の場合もあるけど。 『批評の教室』の著者・北村紗衣さんは、「作品に触れて何か思考が動き、漠然とした感想以上のものが欲しい、もう少し深く作品を理解したいと思った時に、思考をまとめてくれる」ものが「批評」である、とされています。 批評のための3ステップ「精読する、分析する、書く」について解説した『批評の教室』。めちゃくちゃ勉強になりました。 ☆☆☆☆☆ 『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 批評の役割としては、大きくふたつ。 ・解釈:作品の中からよく分からない隠れた意味を引き出す ・価値づけ:その作品の位置づけや質を判断する このふたつは、なんじゃかんじゃと言葉を尽くして

『読んでいない本について堂々と語る方法』#992

こうして毎日ブログを書いていて、一度はやってみたかったことがありました。 読んでない本について書いてみたい!! たとえば清水義範さんは『主な登場人物』で、チャンドラーの『さらば愛しき女よ』の登場人物だけでストーリーを想像する……という短編を残しておられます。 “既存の要素”を組み合わせればこうなる!短編集 『主な登場人物』 #391   こういう「芸」のあるものを書いてみたかったなー。もちろんピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んだから、狙っていたんです。 ☆☆☆☆☆ 『読んでいない本について堂々と語る方法』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ピエール・バイヤールは精神分析家の大学教授です。大学の講義の中で名作本について触れることもあれば、自身が書く論文に引用することもある。メディアにコメントを求められることだってあります。 こうした「文化人」枠の人たちは、はたして本当に本をすべて読んでいるのでしょうか? バイヤールの答えは、「non」! 『読んでいない本について堂々と語る方法』の中でとりあげる本については、 <未>ぜんぜん読んだことのない本 <流>ざっと読んだことがある本 <聞>人から聞いたことがある本 <忘>読んだことはあるが忘れてしまった本 の4分類で記号が付けてあるんです。つまり、どの本もうろ覚え状態。バイヤールは他の文化人も大して変わらず、「読んだふり」してるんですぜ……と指摘しています。 では、なぜこうした人たちは、正々堂々と語れるのか。 ひとつには、文学や歴史の大きな地図の中で、その作品の立ち位置が分かっているからだ、とのこと。 “教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。(中略)全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。” さすが教授。読んでない本について語るためには、その本のページ数の100倍は教養が必要なのだと教えてくれました……。 いまではもう割り切ってマイペースで書くようになったけれど、「#1000日チャレンジ」を始めた当初は、いったいどうすれば「書評」や「映画評」と呼ばれるものになるのだろうと、試行錯誤して、書評の本も読みました。

『いつか陽のあたる場所で』#988

日本は「弱者」にやさしくない社会になってしまった、と言われています。 別にキビキビ・シャキシャキできることだけが、人間の存在価値じゃないだろうと思いますが、「自分の基準」に満たない人を排除し、邪魔者扱いするようになってしまったのは、いつからなのだろう? 乃南アサさんの小説『いつか陽のあたる場所で』の主人公は、罪を犯して刑務所で出会ったというふたりの女性です。 出所後、東京の谷中で新しい人生を始めたふたり。後ろ暗い過去は、どこまでも足かせになってしまう。劣った者としてないがしろにされ、ドン底まで落ちた過去の痛みを抱えたふたりの再生は叶うのか……。 ☆☆☆☆☆ 『いつか陽のあたる場所で』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 乃南アサさんはサスペンスのイメージが強かったのですが、『いつか陽のあたる場所で』は、友情と再生をユーモラスに描いています。 『いつか陽のあたる場所で』はシリーズの第1巻で、この後、『すれ違う背中を』『いちばん長い夜に』へと続いていきます。 (画像リンクです) (画像リンクです) 主人公のふたりは小森谷芭子が29歳、江口綾香が41歳と年齢差も大きく、出身も、育ちも、犯した罪も違います。 それでもお互いだけがお互いの「過去」を知っている身。かばい合い、支え合いながら再起を図る。 んですけど。 そうは簡単にいかないのが、「世間」ってもの。パン屋に弟子入りした綾香は、どんくさいと叱られまくってるし、芭子はアルバイトもできないくらい内気なのに、お巡りさんに惚れられてしまうし。 女ふたりの友情物語から浮かび上がるのは、「世間」の風なのです。 どれほどの痛みを抱えていても、時間は一方通行。人生は前にしか進めません。過去にとらわれるよりも、ただ“いま”という瞬間を一所懸命生きるしかない。 せつなさがあふれて、谷中で本当にふたりが暮らしているような気がしてしまいました。 完結編の『いちばん長い夜に』で描かれる震災の出来事は、実際に乃南さんが取材中に経験したことだそう。 震災が表現者に与えた影響は、計り知れないものだったことが感じられます。乃南さんも、凄みを増したかも。 クスッと笑えて、ホロッとする、やさしい気持ちになれるシリーズです。ぜひ!

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986

ウソみたいなホントの話に、壮絶な努力に、壊れかけた家族の再生に、涙が止まらなかった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。 こんな話だと思ってなかったよ……。 通称「ビリギャル」と呼ばれた、教育についてのフィクション小説です。 ☆☆☆☆☆ 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 話題になっていた時にはスルーしていて、今ごろになって読みました。きっかけは、「ビリギャル」こと、小林さやかさんが、UCLAとコロンビア教育大学院に合格されたという話を聞いたから。 なんと...UCLAとコロンビア教育大学院に合格をいただきました😭どちらも教育心理学のプログラムです。TOEFL62から104までの道のりがなにより辛くて泣きながらだったけど、やっぱり何歳になっても、意思あるところに道は拓ける! 応援してくれたみなさま、ほんとーーに、ありがとうございました!! pic.twitter.com/5mD8xkAC90 — 小林さやか (@sayaka03150915) March 14, 2022 めちゃくちゃおめでたい!!! でも、さやかさんは高校2年生の段階で、「JAPAN」の意味は「ジャパーン」だと思っていた方なんです。 マジか!?という段階から偏差値を上げて慶応大学に合格するまでには、当たり前だけど壮絶な毎日があったことが伝わってきます。今回のTOEFL受験に至るまでの勉強方法もYouTubeにまとめられています。 本の中で衝撃を受けたのは、さやかさんのお母さん(ああちゃんと呼ばれているそう)と、坪田先生の、徹底的に相手を肯定する姿勢です。 ここから書くのはイベントでお聞きした話で本には載っていないのですが、子育ての姿勢として象徴的だったので紹介しますね。 小学校のときに習い事をしたいと思ったさやかさん。お母さんにお願いして通うことになりますが、わりとすぐに飽きてしまったそう。「辞めたい」というさやかさんに、さて、何と言いますか? 「せっかく通わせてあげたのに!」 「あんたが行きたいって言ったんでしょ!」 なんて、わたしの場合は言われてましたね……。自分でも言いそうな気がします。 でも、さやかさんのお母さんは違う。 「自分で決められてエライね!」 これを聞いて、(!!!!!)って

『鶏小説集』#977

たぶん、人間にとって一番身近な「飛べない鳥」といえば、ニワトリではないでしょうか。 せっかく翼をもっているのに、ほとんどの時間を地面をほじくり返すことに使っているニワトリたち。 学研のサイトによると、ニワトリの先祖は「セキショクヤケイ」という鳥で、もともと飛ぶのがあんまり得意ではなかったそう。 食べてみたらおいしかった ↓ 人間が飼うようになり、飛ぶ必要がなくなった ということらしいです。 ニワトリはどうしてとべないの | 空の動物 | 科学なぜなぜ110番 | 科学 | 学研キッズネット   それにしても、「飛びたい」という欲求は、忘れてしまえるものなのかしら? 今は地べたを歩いているけれど、いつかは空に舞い上がるのかしら? 坂木司さんの『鶏小説集』を読みながら、ニワトリの境遇について考えてしまいました。「飛べない鳥」は、きっと、わたしも同じだから。 ☆☆☆☆☆ 『鶏小説集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ お互いの家族に憧れる友だち。夜中の駐車場で缶チューハイを飲みながら語り合うおっちゃんたち。少しずつ登場人物が重なりながら、あげチキ、地鶏の炭火焼、ローストチキンなど、「鶏料理」でつながっていく連作短編集です。 坂木司さんは『和菓子のアン』シリーズが好きで、お菓子のイメージが強かったのですが、他の料理になったとき、ずいぶんと印象が変わりました……。 『和菓子のアン』#976   ほんとうは『鶏小説集』の前に『肉小説集』があったみたいでした。 (画像リンクです) 『和菓子のアン』シリーズの特徴は、ミステリーといいつつ、イヤな人が出てこないところかもしれません。 だけど『鶏小説集』の登場人物たちは、それぞれにブラックな想いを抱えた人たちです。腹を割って語り合える人に出会えるんだけど、語り合ううちに価値観の違いが見えてくる。 こういう小説に出会うと、「分かり合える」「共感する」といった言葉の薄っぺらさを感じてしまうんですよ、どうしても。 心底理解し合えるなんて、幻想なんじゃないか、と。 それでも人は分かりたいと思うし、分かってほしいと思って、誰かとつながりをもとうとする。空回りにも見えるジタバタが、ほんのりせつなくなりました。 地べたを歩くしかなく、羽をむしられ、“部位”に分けられて食べられてしまうニワトリたち。 地べたを歩き回り、意欲をむしられ、心折られることがあっ

『和菓子のアン』#976

“お菓子は、生きるための必須の要素ではありません。でも人はいつの時代もどこの国でもお菓子を作り、食べてきました。それはおそらく、お菓子が「心を生かすもの」だから。” お菓子、中でも「あんこ」が大好きなわたしとしては、大きくうなずいてしまう坂木司さんの言葉です。 坂木司さんの小説『和菓子のアン』でも、「心を生かすもの」としてお菓子が登場します。デパ地下の和菓子屋「みつ屋」を舞台とした、お菓子を巡るミステリーです。 ☆☆☆☆☆ 『和菓子のアン』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 高校を卒業したばかりの梅本杏子・通称あんちゃんは、特に将来の進路を考えたこともなく、これならできそうかも……という、わりと消極的な理由で「みつ屋」でアルバイトをすることに。 お店にいるのは、元ヤンの桜井さん、和菓子職人を目指す立花さん、店長の椿さん。見た目とは裏腹に雄叫びの上がるバックヤードの描写にクスリとさせられ、閉店後のデパ地下の様子にうなってしまう。 和菓子はもちろん、料理の世界は「季節感」が強く打ち出されます。梅雨の時期の涼しげな和菓子、秋の初めに並ぶこっくりした味、どれもおいしそうで、たまらん物語でした。 現在までに3巻が出ています。 第1巻:和菓子のアン 第2巻:アンと青春 第3巻:アンと愛情 タイトルを見てお分かりのように、思いっきり『赤毛のアン』を意識した展開ですね。 季節の移ろいと一緒に、あんちゃんの成長を感じられるストーリー。 わたしにとって和菓子は、ホッとしたいときに選ぶお菓子のように思います。クリームたっぷりの洋菓子や、歯ごたえも楽しみたい焼き菓子は、気分を上げたいときかも。 その、和菓子に込められた意味と一緒に、ゆっくり読みたい小説です。もちろん「心を生かすもの」であるお菓子とお茶もお手元に。

『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』#972

天災、戦争など、自分の力ではどうにもならない出来事を前にして、無力感に襲われることがあります。 2011年3月11日もそうでした。 新宿のオフィスから新宿御苑へと避難し、自転車で麻布まで行ってダンナ氏と合流。そこから車と電車と徒歩で、なんとか帰宅しました。 「うちは、倒れずに残っているかな……」 なんて話をしながら、お互いが無事であったことに感謝し、珍しく手をつないで歩きました。 いま世界ではまた、天災や戦争が起きていて、自分の力ではどうにもならない事態に打ちひしがれる日々でした。 そんなときに、南米アンデスに伝わる「クリキンディの話」を教えてもらいました。 森が火事になったとき、ほかの動物たちは急いで逃げてしまったのですけれど、ハチドリだけが、くちばしで水のしずくを運んでいる。「何をしているの?」と聞かれたハチドリは、こう答えます。 「私は、私にできることをしているだけ」 クリキンディ=ハチドリの物語は、『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』としてまとめられています。 ☆☆☆☆☆ 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ クリキンディの話は絵本の形になっていて、坂本龍一さんやC.W.ニコルさんのメッセージが収録されています。 著者の辻信一さんは、文化人類学者で環境運動家という方。クリキンディの話を英訳し、イラストレーターの方と打ち合わせをした際、善悪二元論にしてしまうのは違うのではないか、という指摘を受けたのだそう。 森の一大事にあたって、行動をしたのはハチドリだけだったわけですが、だからといってそれがエライわけでもない。 ハチドリ=正義 ほかの動物=悪 ではないところが、この物語に引きつけられる理由かなと思います。 “怒りや憎しみに身をまかせたり、人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。” 鳥類の中で最も体が小さいハチドリ。小さなくちばしで運んだ水のしずくは、本当にちょびっとだったと思います。 でも、ちょびっとがたくさん集まれば、森の火事を消し止めるのに役立つかもしれない。 そう思って、今年もスタバの「ハミングバードプログラム」に参加してきました。 「ハミングバード プログラム」とは、東日本大震災をきっかけに始まった若者支援プログラム。期間中にカードで購入すると、商品代金の1%が寄

『妊娠小説』#964

毎日毎日、開いてしまうゲームアプリに、流れてくる広告があります。 島で暮らしている男女がいて、女性が妊娠検査薬を男性に見せるんです(無人島っぽいところに、なんでそんな文明の利器があるのかはナゾ)。赤い線が入った検査薬を男性は、やっほーい!と喜んでみせ、引っ越しを提案。イカダに荷物と女性を乗せて、蹴り出してしまう……という、めちゃくちゃシュールな広告です。 男が女を妊娠させて捨てる話は、近代文学にも例が多いそうで、文芸評論家の斎藤美奈子さんは、これらのパターンに「妊娠小説」と名付けました。 いまでは毒舌と皮肉がトレードマーク(?)の斎藤美奈子さんのデビュー作です。 ☆☆☆☆☆ 『妊娠小説』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 森鷗外や島崎藤村、三島由紀夫に石原慎太郞など、近代以降の「大作家」と呼ばれる小説家の作品が俎上にのっています。 そして、小説の中で「望まない妊娠」に直面したときの態度を分類。男性も女性も、マジメも蓮っ葉も、みんな結構ステレオタイプなことが分かってきます。 それは作者自身の頭が偏っているからなのかもよ、というお話。 解説には、「文学はこんな風に読むもんじゃない」と編集者に怒られた話が紹介されていました。が、この評論こそ、文学をエンタメする好例だと思うんですけどね。 特に、石原慎太郎の『太陽の季節』へのツッコミは、ノリノリ・イケイケ感が突き抜けていて、思わず小説を読んでみようかと思ってしまった。どうやっても好きになれないので読まないけど……。 柚木麻子さんの小説『らんたん』には、女性が死ぬことで文学的な表現になると主張する男たちに声を荒らげるシーンがあります。 『らんたん』#963   人生の一大イベントといえる「妊娠」。文学の中でも、女性は便利な駒として扱われてきたのだろうか。