たぶん、人間にとって一番身近な「飛べない鳥」といえば、ニワトリではないでしょうか。
せっかく翼をもっているのに、ほとんどの時間を地面をほじくり返すことに使っているニワトリたち。
学研のサイトによると、ニワトリの先祖は「セキショクヤケイ」という鳥で、もともと飛ぶのがあんまり得意ではなかったそう。
食べてみたらおいしかった
↓
人間が飼うようになり、飛ぶ必要がなくなった
ということらしいです。
それにしても、「飛びたい」という欲求は、忘れてしまえるものなのかしら?
今は地べたを歩いているけれど、いつかは空に舞い上がるのかしら?
坂木司さんの『鶏小説集』を読みながら、ニワトリの境遇について考えてしまいました。「飛べない鳥」は、きっと、わたしも同じだから。
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『鶏小説集』
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お互いの家族に憧れる友だち。夜中の駐車場で缶チューハイを飲みながら語り合うおっちゃんたち。少しずつ登場人物が重なりながら、あげチキ、地鶏の炭火焼、ローストチキンなど、「鶏料理」でつながっていく連作短編集です。
坂木司さんは『和菓子のアン』シリーズが好きで、お菓子のイメージが強かったのですが、他の料理になったとき、ずいぶんと印象が変わりました……。
ほんとうは『鶏小説集』の前に『肉小説集』があったみたいでした。
『和菓子のアン』シリーズの特徴は、ミステリーといいつつ、イヤな人が出てこないところかもしれません。
だけど『鶏小説集』の登場人物たちは、それぞれにブラックな想いを抱えた人たちです。腹を割って語り合える人に出会えるんだけど、語り合ううちに価値観の違いが見えてくる。
こういう小説に出会うと、「分かり合える」「共感する」といった言葉の薄っぺらさを感じてしまうんですよ、どうしても。
心底理解し合えるなんて、幻想なんじゃないか、と。
それでも人は分かりたいと思うし、分かってほしいと思って、誰かとつながりをもとうとする。空回りにも見えるジタバタが、ほんのりせつなくなりました。
地べたを歩くしかなく、羽をむしられ、“部位”に分けられて食べられてしまうニワトリたち。
地べたを歩き回り、意欲をむしられ、心折られることがあっても生きていく人間たち。
それでもきっと、いつか、空を飛べるかも。
人間は生まれながら、「想像力」という翼をもっているのだから。
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