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でぶりんの観察日記 #2:がんばる猪木とカニ歩き

朝、目を覚ましたら、枕元に、でぶりんことダンナ氏が立っていました。 両手を顔の横に広げて、小さくバンザイの姿勢。満面の笑みを浮かべて、カニ歩きしながら行ったり来たり……。 しばらくボ〜ッと眺めていましたが、ようやく何をしているのか気が付きました。 インベーダーゲームだ!!! 手を出して、「バン!バン!バン!」と撃てみたら、「フニャニャニャ〜」と倒れてくれました。 ま、こんな感じで平和な我が家です……。 でぶりんが突然インベーダーゲームごっこを始めたのは、テレビで見た「脳疲労」のニュースのせいだったのかも。 物忘れやうっかりミスは脳疲労のせい? 専門家が教える意外な回避策   2年前にでぶりんが早期リタイアして家にいるようになったとき、バーンアウトを心配していました。 結果的に、テニスに行ったり、大学のセミナーに行ったりして機嫌よく過ごしていて、杞憂に終わったのですけれど。 今度はわたしが会社員を辞めたので、不安になったのかな!? ここのところ仕事が立て込んでいて、無口だったからかも!? でぶりんはあまり口数が多い方ではないので、今回のように何かわたしを笑わせるものを探してくる。これがでぶりんのコミュニケーションの形です。 もう10年以上前のことになります。 仕事先でパワハラを受けて、精神的にボロボロになっていた時期がありました。このとき、でぶりんが「猪木」のマグネットをくれました。 首からタオルを下げ、「ファイヤー」のポーズをする猪木。 足元のマグネットをとると、グッタリしちゃう。 再びマグネットを付けると、「ファイヤー」とばかりにムクッと起き上がる! 「がんばる猪木ー!」 「グッタリ猪木ー!」 「がんばる猪木ー!」 と、何度もマグネットを付けたり外したりして遊んでいました。一日に、100回以上はやってましたね。いま思うと、壊れていたんでしょうかね……。 こんな話を思い出したのは、友人から「これって、パワハラといえるのかな」という相談を受けたからです。 厚生労働省のサイトによると、「職場のパワーハラスメント」の定義は、 ①優越的な関係を背景とした言動であって、 ②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、 ③労働者の就業環境が害されるものであり、 ①から③までの3つの要素を全て満たすもの だそう。 ハラスメントは、生きる力を奪います。自己肯定感の低い人なら、なおさ

でぶりんの観察日記 #1:上手なお願いの仕方が知りたい

冷蔵庫にオリーブオイルが入っていたのを発見したとき。 あなたなら、パートナーになんと言いますか……!? 土曜の夜にこんばんは! 1000日間もブログを書いたんだし、もういいんじゃない……!? と思っていたんけどね。 一度休んだら、もう二度と立ち上がらない気がしたので、一週間に一度くらい、お気軽なものを書いてみようと思いつきました。 名付けて、「でぶりんの観察日記」です。 「でぶりん」とは、わたしのダンナの名前です。いえ、本当の名前は別にありますが、わたしの友人の間ではずっと「でぶりん」と呼ばれております。 本人もうっすら気に入っているっぽいです。 ちょうど2年ほど前の2020年の3月半ばからリモートワークとなり、お互い家にいる時間が増えました。 これが、とてもありがたい展開になったんだけど……というお話です。 リモートワークが始まったころ、会社の同僚の中でも、子どもさんのいるメンバーや、部屋数の少ない家からオンラインで仕事をしている人は、なかなか大変そうでした。 でも、ありがたいことに、我が家はオトナふたり。 自分のことは自分でやってね!! と言いつつ、20年間、家事はわたしひとりが担当してきました。料理も後片付けも、掃除も洗濯も、税金の支払いもご近所づきあいも、全部です。 そして、リモートになったタイミングの3月から4月は、わたしが一番忙しい時期。おかげで、でぶりんは、 「この人、朝から夜中までずーーーーーっとパソコンの前に座ってる!?」 と感じたようです。本当はブログを書いたり、Netflixを観たりしているのだけど、でぶりんにその違いは分からないのですよ。フフフ。 その後、でぶりんは早期リタイアをし、ずっと家にいる状態になりました。 で、変わったんですよ。 家事をしてくれるようになったんです!! これには本当に驚きました。いまだに料理はできないので、でぶりんの担当は、居間やキッチンの掃除と、ご飯の後片付けですが、買出しにも付き合ってくれるようになりました。 ずっと「1000日チャレンジ」中でしたから、できるだけ歩きたい、でも重いものを持って歩くのは大変……と感じることが多かったので、とてもありがたかったです。 ふたりで車でスーパーに行き、わたしはそのままお散歩へ。でぶりんは家に帰って、買い物したものを冷蔵庫や冷凍庫に入れる係に。 冷蔵と冷凍の区別はできな

『読んでいない本について堂々と語る方法』#992

こうして毎日ブログを書いていて、一度はやってみたかったことがありました。 読んでない本について書いてみたい!! たとえば清水義範さんは『主な登場人物』で、チャンドラーの『さらば愛しき女よ』の登場人物だけでストーリーを想像する……という短編を残しておられます。 “既存の要素”を組み合わせればこうなる!短編集 『主な登場人物』 #391   こういう「芸」のあるものを書いてみたかったなー。もちろんピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んだから、狙っていたんです。 ☆☆☆☆☆ 『読んでいない本について堂々と語る方法』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ピエール・バイヤールは精神分析家の大学教授です。大学の講義の中で名作本について触れることもあれば、自身が書く論文に引用することもある。メディアにコメントを求められることだってあります。 こうした「文化人」枠の人たちは、はたして本当に本をすべて読んでいるのでしょうか? バイヤールの答えは、「non」! 『読んでいない本について堂々と語る方法』の中でとりあげる本については、 <未>ぜんぜん読んだことのない本 <流>ざっと読んだことがある本 <聞>人から聞いたことがある本 <忘>読んだことはあるが忘れてしまった本 の4分類で記号が付けてあるんです。つまり、どの本もうろ覚え状態。バイヤールは他の文化人も大して変わらず、「読んだふり」してるんですぜ……と指摘しています。 では、なぜこうした人たちは、正々堂々と語れるのか。 ひとつには、文学や歴史の大きな地図の中で、その作品の立ち位置が分かっているからだ、とのこと。 “教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。(中略)全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。” さすが教授。読んでない本について語るためには、その本のページ数の100倍は教養が必要なのだと教えてくれました……。 いまではもう割り切ってマイペースで書くようになったけれど、「#1000日チャレンジ」を始めた当初は、いったいどうすれば「書評」や「映画評」と呼ばれるものになるのだろうと、試行錯誤して、書評の本も読みました。

『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』#989

振り返ってみると、動物の出てくる物語をたくさん読んでいることに気が付きました。 『火狩りの王』のようなファンタジーには動物がつきものですし、動物の妖怪が人間のふりをして暮らしている『しゃばけ』みたいな小説もある。 『火狩りの王』#735   とぼけた味の妖たちが大活躍 『しゃばけ』 #497   ミステリーの世界でも「三毛猫ホームズ」シリーズは大好きだったし、ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』も好きでした。 一方で、荻原規子さんの『グリフィンとお茶を』みたいな「魔法生物」に関するエッセイも大好物です。 『グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~』#946   現実(?)に近い話でも、佐々木倫子さんのマンガ『動物のお医者さん』とかおもしろかったですよね。チョビを飼いたかったけど、散歩が大変そうだから断念しました。 もっとリアルに大変そうで、でも愉快でシビアな現場が、鳥取環境大学の研究室です。小林朋道教授によって「森の人間動物行動学先生!」シリーズは、10巻を超えています。 今日ご紹介するのは、記念すべき10巻目の『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』です。 ☆☆☆☆☆ 『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 小林朋道教授は動物行動学者で、ヒトと自然の精神的なつながりなどを研究しておられるそう。 研究室にある水槽に新しいお客さまをお迎えし、「お・も・て・な・し」をしたときの話が、タイトルになっている「イソギンチャクが腹痛を起こしちゃった」事件です。 そもそも動物の生態(陸の動物も、海の生き物も)って、分からないことがこんなに多いんですね。人間ならインタビューという手法が使えますが、相手は動物。好きな餌も、心地よい環境も、ひとつずつトライ&エラーを繰り返して発見していくんです。 その過程が……。 笑いしかなかった! 教授自身が腹痛を抱えながら、珍しいコウモリに会えるかもしれない洞窟に調査に行くなど、研究者魂を感じさせるエピソードもあり、ヒトも動物も、生きることに熱心だなーという世界です。 最初に出版されたのは『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』ですが、内容にあまりつながりはないので、どれから読んでも大丈夫。 人間は生きて生活しているだけで環境汚染の原因をつくっている、といわれているいま。自然と

『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』#987

恥ずかしながら、「ローランド」という方について知りませんでした。 2019年に出版された『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』という本のタイトルを見て、(またすごい系が来たな……)と思っていたくらいです。 ずっと積ん読になっていた本を読んでみたら。 おもしろい!!! いまさら?な話ですみません。でも、おもしろかったので紹介したかったのです。 ☆☆☆☆☆ 『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <発する言葉すべてが「名言」となる、現代ホスト界の帝王ローランド>と帯にありますが、現在はホストを引退されて、実業家に転身されたのだそう。 小学生の時のエピソードが秀逸でした。 小学生くらいの男の子が夢中になるものといえば、「戦隊もの」ではないでしょうか。わたしでさえ、近所の友だちと田んぼを駆け回りながら、ゴレンジャーごっこなんかをやりました。 でも、ローランドさんが夢中になっていたのは。 「ゴッドファーザー」!!! (画像リンクです) (現在、Amazonプライムで配信中です。パート1を観ちゃうと、もれなく全シリーズ観たくなってしまうのがミソ) ドン・コルレオーネみたいな男こそ、真の男!と思い定め、タキシードの似合う体型を目指したのだとか。 ゆるTとか、腰パンとかは幼く見えるからイヤだ。男はエレガントでなければ!!とタキシードの似合う所作を意識していたそうです。 渋すぎる……。 身近にこんな小学生がいたら、浮いていたかもしれません。 ローランドさんの場合、お父さんの影響もあって、自分の好きなものに忠実に生きてこられたとのこと。 読みながら感じたのは、自分の言葉を持っていることの強さでした。そして、「ビリギャル」こと小林さやかさんに負けないくらい自己肯定感が高い! 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986   わたしは自己肯定感がゼロのまま、ずっとなんとか生きてきた……という状態だったんですが、そしてそこにあまり疑問も感じていなかったのですけれど。 さやかさんとローランドさんのふたりを見て、自己肯定感って、人間をこんなに強くするのかと、考えをあらためました。 ホスト界では珍しく、売り掛けをしない、お酒を飲まない、タバコを吸わないという、自分のやり方を通してきたローランドさん。愛・仕事・哲学など、す

『決断=実行』#984

落合博満さんほど、好き嫌いの分かれる選手・監督はいないと聞いたことがあります。 カリスマ性とダークヒーロー感漂う「オレ流」スタイル。 「落」合博満の「信」者を表す「オチシン」という言葉が生まれるほどの信頼感。 相反するイメージに、よく知らないまま“揶揄”する空気だけを受け取っていました。 42万部を突破するベストセラー『采配』の内容をアップデートした『決断=実行』を読んでみたら、ぜんぜん思っていたのと違った……。というか、なぜ“嫌う”人がいるのかが分かった気がしました。 ストイックな姿勢に対して、言い訳を封じられたように感じてしまう人が、反発してしまうのかなと感じたのです。 ☆☆☆☆☆ 『決断=実行』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 落合博満さん。 1953年に秋田県に生まれ、1979年にドラフト3位でロッテオリオンズに入団。その後、中日ドラゴンズや読売ジャイアンツなどで選手としてプレーされました。 「ロッテ時代に、史上4人目かつ日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王」と説明にありましたが、これがどれくらいすごいことなのか、野球に詳しくないわたしには分からない……のだけど。 日本のプロ野球が1920年に始まり、100年以上も続いてきた中で「唯一の3度の三冠王」ということは、飛び抜けた成績を持っていたのだろうことだけは理解できますね。 2004年に、中日ドラゴンズの監督に就任。多くを語らず、結果だけを残していくスタイルが注目されていました。 落合さん自身は、こうした自分の野球=仕事への取り組み方について、 「人目を気にせず、自分がこうだと思ったことをやり抜く」 ことだとしています。 “練習が好きな選手はいないだろう。私も例外ではない。できれば練習せずに寝ていても、試合になれば打てるようになりたかった。だが、それが無理だと分かっているから練習した。” ドラフト3位でプロ野球選手となった当時は、バッティングフォームを酷評されたりして、期待されていなかったそう。だからこそ、結果にこだわり、タイトルを目指し、より野球に打ち込むことに。 誰かに認めてもらいたいからではなく、見返すためでもなく、ただ野球という仕事に取り憑かれる姿勢。このストイックさが、「言い訳大王」として生きているわたしのようなフツーの人の劣等感を刺激するのかもしれませんね。 監督となってから意識していたことが、

『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981

いまの流行と、自分の理想。そのギャップにずっと悩んできました。 「#1000日チャレンジ」を始める前、通っていたライター講座で、何度か講師の方から(参加者からも)言われた言葉がありました。 「自分が好きなライターの文章を“写経”するといいですよ」 やりました。何人ものライターさんの、何本もの記事。でもぜんぜんしっくりこない。好きなライターさんだけでなく、人気のライターさん、バズっている記事も“写経”してみましたが、やっぱり何かが腑に落ちない。 悩み続けて、やっと原因が分かりました。 ウェブで読まれるコラムと、わたしが理想とするコラムは、構造が違うことに。 「紙」で育った世代のせいか、わたしは「起承転結」のある文章が好きです。中でも「起」から「転」への角度が急であるほど、「おおっ!」という思いが強くなる。すべての流れを受ける「結」には、ジグソーパズルの最後のピースがピタッとはまるような快感がある。 読売新聞の「編集手帳」を担当された竹内政明さんのコラムは、ドンピシャでわたしの理想でした。 ☆☆☆☆☆ 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 竹内さんは、読売新聞社に入社後、財政、金融などを担当して、1998年から論説委員を務められました。 新聞社などでよく見る肩書きの「論説委員」。似たものに「編集委員」がありますよね。 専門の分野のコラムや記事を書くのが「編集委員」、社説などで社の論調を書くのが「論説委員」なのだそう。 なんかすごそう……な肩書きですが、竹内さんのコラムは徹底した「下から目線」なんです。 “私の書くコラムというのはよくへそ曲がりだといわれまして、大体電報と一緒で、勝った人にそっけないんですね。負けた人に手厚い。” たとえばソチ・オリンピックの期間、「勝った」選手を取り上げたのは2回しかなかったと綴っておられます。 歌舞伎に落語、相撲や童謡など、時には町で耳にした子どもの言い間違いから話が始まり、時事問題へとつながっていく。 深い教養があるからこそ、こうした「起」を書き出せるのでしょうね。 構成の練り具合、言葉の選び方、目線のやさしさに惚れてしまい、読売新聞は読んでないけど、竹内さんのことはずっと尊敬しているという、おかしな具合になっています。 ただ、会社の後輩(20代女性)3人に『「編集手帳」傑作選』の1本を読んでもらったところ

『一切なりゆき 樹木希林のことば』#971

そういえば、最近「新書」を読んでないかもしれない。 珍しく外出する予定があったとき、気が付きました。理由は単純。家にいる時間が長くなったので、薄い本より分厚い本を読むようになったから。 ここ2年くらい「鈍器本」と呼ばれるほど分厚い本が多く出ていて、中にはベストセラーになっているものもあります。 厚くて高価な「鈍器本」が異例のベストセラー おうち時間の学びに…女性におすすめの一冊も   上の記事にある『独学大全』なんて、寝転んで読むには重すぎるくらい分厚いです……。 「新書」には「新書」の良さがあるんだけどなと思う程度には、「新書」好き。久しぶりに手に取ってみたのは、樹木希林さんの『一切なりゆき 樹木希林のことば』です。 ☆☆☆☆☆ 『一切なりゆき 樹木希林のことば』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 2018年に亡くなられた樹木希林さん。どんな姿を思い出すかは、世代によって違うかもしれません。 わたしは富士フイルムのCMのイメージが強いです。毎年お正月前になると、岸本加世子さんとの楽しいやり取りのCMが流れていたんですよね。 「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」というキャッチフレーズは、当初は「美しくない方も美しく」だったものを、希林さんの提案で修正したものだとか。 こうした他者への想像力や感性が、彼女の演技力を支えていたのかもしれないと、本を読んで感じました。 さまざまな雑誌に掲載されたエッセイから、154の言葉を紹介しています。 後ろを振り返るより、前に向かって歩いたほうがいいじゃない、という話に続いて、 「自分の変化を楽しんだほうが得ですよ」 なんて言葉があったり。 ほとんど服などを買わないという希林さんが、 「物を買う代わり、自分の感性に十分にお金をかけるほうがいい」 ということを娘の也哉子さんに伝えていたり。 人生のこと、俳優としてのこと、女として、病を抱えた者として、日々感じていたことからは、途方もなく“人間くさい”姿が感じられます。 巻末には、也哉子さんの「喪主代理の挨拶」も収録。 理解しがたい関係だった両親の、知らなかった一面をのぞいたエピソードには、ホロッとしてしまいました。 「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」 母から贈られたという、このメッセージ。全人類に伝えたい。

『センス・オブ・ワンダー』#965

「知ることは、感じることの半分も重要ではない」 そう語るのは、『沈黙の春』で知られるレイチェル・カーソンです。遺作となった『センス・オブ・ワンダー』には、彼女の姪の息子である幼いロジャーと過ごした日々が綴られています。 自然の中で、自然を感じること。 五感で刺激を受けて、心が動かされる体験は、「ググる」世界では味わえない豊かさを秘めている。そんな当たり前のことに、あらためて気付かされました。 ☆☆☆☆☆ 『センス・オブ・ワンダー』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ レイチェル・カーソンの代表作である『沈黙の春』は、初めて環境問題を正面から取り上げたレポートとして注目されました。 そのせいか、ちょっとかたいんですよね……。 でも『センス・オブ・ワンダー』は、夏の数か月を過ごしたメーン州が舞台のエッセイ。だから読みやすいですし、美しい自然描写に、地球という存在への愛がひしひしと感じられます。 タイトルに使われている「センス・オブ・ワンダー」とは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」のことで、子どもなら誰でも持っている才能です。 わたしも子どものころ、空に浮かぶ雲を見て、シュークリームを想像したり、林の中に基地を作ってごっこ遊びをしたりしました。子どもって、ホントに「見立て」がうまいですよね。 でも、そんな純な心は、もしかしたらオトナの笑い声によって消されてしまうのかもしれない。 「センス・オブ・ワンダー」を守り、育てるために必要なことは、子どもと一緒にさまざまな発見をし、感動を分かち合うこと。少なくともそんな大人がひとり、そばにいれば、子どもの心は守られる。 地球の営みに驚くこと、神秘に感激すること。 ググって得た知識とは別次元の「感じること」を、最近やってないような気がしてきました。 この週末は、森を歩きたいな。

『妊娠小説』#964

毎日毎日、開いてしまうゲームアプリに、流れてくる広告があります。 島で暮らしている男女がいて、女性が妊娠検査薬を男性に見せるんです(無人島っぽいところに、なんでそんな文明の利器があるのかはナゾ)。赤い線が入った検査薬を男性は、やっほーい!と喜んでみせ、引っ越しを提案。イカダに荷物と女性を乗せて、蹴り出してしまう……という、めちゃくちゃシュールな広告です。 男が女を妊娠させて捨てる話は、近代文学にも例が多いそうで、文芸評論家の斎藤美奈子さんは、これらのパターンに「妊娠小説」と名付けました。 いまでは毒舌と皮肉がトレードマーク(?)の斎藤美奈子さんのデビュー作です。 ☆☆☆☆☆ 『妊娠小説』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 森鷗外や島崎藤村、三島由紀夫に石原慎太郞など、近代以降の「大作家」と呼ばれる小説家の作品が俎上にのっています。 そして、小説の中で「望まない妊娠」に直面したときの態度を分類。男性も女性も、マジメも蓮っ葉も、みんな結構ステレオタイプなことが分かってきます。 それは作者自身の頭が偏っているからなのかもよ、というお話。 解説には、「文学はこんな風に読むもんじゃない」と編集者に怒られた話が紹介されていました。が、この評論こそ、文学をエンタメする好例だと思うんですけどね。 特に、石原慎太郎の『太陽の季節』へのツッコミは、ノリノリ・イケイケ感が突き抜けていて、思わず小説を読んでみようかと思ってしまった。どうやっても好きになれないので読まないけど……。 柚木麻子さんの小説『らんたん』には、女性が死ぬことで文学的な表現になると主張する男たちに声を荒らげるシーンがあります。 『らんたん』#963   人生の一大イベントといえる「妊娠」。文学の中でも、女性は便利な駒として扱われてきたのだろうか。

『捨て猫に拾われた男 猫背の背中に教えられた生き方のヒント』#962

わたしには野望があります。 猫を飼いたい。 子どものころに犬を飼っていたんですが、赤川次郎さんの『三毛猫ホームズの推理』を読んで以来、猫もいいなーと思っていたのです。 (画像リンクです) 「魔女の宅急便」を観てからは、黒猫がいいなーと思っていました。 (画像リンクです) ひとり暮らしをしていたときは、ひとりでお留守番してもらうのが申し訳なくて飼えず、結婚したときは動物が苦手な姑がいたので飼えず。 ダンナ氏とわたし、ふたりきりになったとき、提案したところ「イヤだ」の一点張りでした。 そこで、あの手この手で「うん」と言わせる「問いかけ」を工夫しています。たとえば、保護猫のシェルターにいるオトナの猫なら、飼いやすいんだってーという話をしてみたり。 ある日は、なんの脈絡もなく、 「黒ならいいよね?」 と聞いてみました。一瞬、「うん」と言いそうになったダンナ氏の答えは。 「猫のことなら、色の問題じゃないから!!!」 ガッカリです……。 コピーライターの梅田悟司さんも、根っからの犬派だったそうで、奥さまの希望によって猫の里親会に参加。黒猫の「大吉」と出会うことになります。 『捨て猫に拾われた男 猫背の背中に教えられた生き方のヒント』には、そんな梅田さんが、「大吉」と暮らしながら悟った、生き方改革が紹介されています。 ☆☆☆☆☆ 『捨て猫に拾われた男 猫背の背中に教えられた生き方のヒント』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 梅田さんが「大吉」と出会った経緯が、あまりにもわたしの理想と重なっていたので、思わず手に取り、一気に読みました。 ドラマ化もされたそうで、このたび『捨て猫に拾われた僕 きみが教えてくれた生き方のヒント』として文庫化されました。 (画像リンクです) 「ぐぅ」という、意外な猫語によって、ご縁ができた出会いのときから、やむなく一日お留守番してもらったときのことなど、「大吉」との10年の日々が、「困ったら寝ればいいじゃん」「シャッターを押すよりも大事なこと」といった、梅田さんの悟りの言葉とともに綴られています。 猫にまつわる世界の名言にもニヤニヤしてしまいました。 身の丈にあった暮らしで、爪痕をのこせ。 「大吉」の教えをまとめると、この一言に尽きるかもしれません。 わたしの野望。いつか絶対叶えたい。

『奇病の人』#954

「マルセ太郎」という名前は、どれくらいの方がご存じでしょうか。 形態模写とパントマイムを得意とした喜劇役者で、一本の映画を再現した舞台「スクリーンのない映画館」は大人気でした。 これじゃないけど、一度舞台を観にいったことがあります。 クルッと振り返ったところで、歌舞伎役者のようにギロリと光る、目。 思わず椅子から飛び上がるくらい怖かった……。 若いときはいろんな“やんちゃ”をし、芸人となってからも“バカ売れ”したわけではないけれど、多くの芸能人のファンを持っていました。永六輔さんや立川談志さん、古舘伊知郎さんらがファンとして知られています。 実は、さまざまな“奇病”の持ち主でもあって、病との付き合いを綴ったエッセイ『奇病の人』を残されています。 ユーモアと愛をもって、人間の生き様をみつめたマルセ太郎さん。自身のすべてを舞台に捧げた方でした。 ☆☆☆☆☆ 『奇病の人』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ マルセ太郎さんは、肝臓ガンのため、2001年に亡くなられています。『奇病の人』には、ガンと闘いながら舞台を作り続ける日常が綴られています。 最初に不調を感じたのが、山梨県の白州で行われたアートキャンプに参加した時だったそう。「アートキャンプ白州」とは、舞踊家の田中泯さんが主宰するイベントです。 田中泯さんの踊りと生き様を追ったドキュメンタリー映画「名付けようのない踊り」にも、“畑仕事で作り上げた身体”で踊ろうと決めた田中泯さんが、農作業をされる様子が出てきます。 映画「名付けようのない踊り」#953   マルセさんは、田中泯さんの東京の拠点である「プランB」でも舞台公演をおこなっていて、この時の経験が、自身の芸を大きく変えたと語っておられます。 ですが、キャンプの途中で腹痛を訴え、帰宅。検査入院を繰り返し、分かったのは肝臓ガンでした。 さまざまな病気と付き合ってきたせいか、なんというかとても前向きな捉え方をする方で、この経験を「幸運だった」と述懐されてるんですよね。 そして、本人に告知をするかどうか、医療チームや家族の判断に委ねられていた時代なのですが。 看護師から「ガンの告知は受けましたか?」と質問されてとまどう……などなど、病院生活でさえも笑いに包んでしまう。 4度の再発を抱えながらも、多くの人に支えられ、「マルセ喜劇」を完成させ、興行を行うまでの過程は、読んでいてハ

『10歳からの 考える力が育つ20の物語 童話探偵ブルースの「ちょっとちがう」読み解き方』#949

「誰かの靴を履いてみる」 英語の定型表現で、「他人の立場に立ってみる」「相手の視点から眺めてみる」といった意味をもっているのだとか。 わたしは、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んで、こうした表現があることを知りました。ダイレクトで分かりやすい表現ですよね。 少年の学校生活を通して知る“他者への想像力” 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 #175   話は変わるようで続くのですが、この間、紹介してきた「児童書」や「絵本」のジャンルには、長く読み継がれている本が多くあります。 それだけ普遍的な内容だから、ということもありそうですが、一方でこの世代の本選びに大きな影響を持っているのがオトナであることを考えると、それは「誰にとって」良書なのか、という問題に気が付きます。 マジメで、正直で、努力して、よい結果を得る。 『アリとキリギリス』や『ウサギとカメ』、『泣いた赤鬼』に『さるかに合戦』は、本当にそんなお話なんでしょうか? 放送作家の石原健次さんによる『10歳からの 考える力が育つ20の物語』は、わたしが“主人公”だと思っていたキャラクターとは、違う立場の「靴を履いてみる」本。矢部太郎さんのイラストもかわいい、考えるための一冊なんです。 ☆☆☆☆☆ 『10歳からの 考える力が育つ20の物語 童話探偵ブルースの「ちょっとちがう」読み解き方』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ブルースという童話探偵と、その秘書のシナモン(リス)が、「ミートバン」という乗り物に乗って、童話のすこし後の世界へと飛んでいく……というお話。 『3匹の子ブタ』なら、わらや木くずが散らばった現場。 『泣いた赤鬼』なら、青鬼の家。 「ミートバン」は、物語の名前を入力するだけで、時間も場所も飛び越えてシュンッ!と連れて行ってくれるんです。 めっちゃいいやん……。 もちろん、そんなSFな話ではありません。 たとえば『裸の王様』の回では、ふたり(?)は1300年代のスペインに向かいます。大きくて立派なお城と、つつましい庶民の暮らしのギャップを体験し、童話の読み解きに。 町に現われた詐欺師の言葉に、みんなが「見えない」と言えなくなった理由は、「空気を読んだから」と、ブルースは語ります。 “空気を読むとは、裏を返せば自分の気持ちや意見をかくすことだ。自分の人生を自分