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『映画を早送りで観る人たち』にみる、パンドラの箱に残っていたもの

インターネットは人類を幸せにしたのだろうか? 日々、インターネットを利用しながら、何度もそう感じてきました。もはやネットのない時代に戻るなんて考えられない。ということは、「上手に、賢く」付き合っていくしかない。 十分にオトナ世代であるわたしはそう割り切っていたのですが、稲田豊史さんの『映画を早送りで観る人たち』を読んで、もっと積極的にこの世界の行方が気になってきました。 すべてのクリエイター、マーケティングに関わる方、若者文化に関心のある方は、ぜひご一読を。 「失敗したくない」と追い込まれていく心情の背景に、ずーんと考え込んでしまいました。 ☆☆☆☆☆ 『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 昨年1月、「AERA」に「『鬼滅』ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは」という記事が掲載されました。ここではサブスクサービスによって、「ありがたみ」が薄れていく様子が紹介されています。 「鬼滅」ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは〈AERA〉   続く3月に「現代ビジネス」で公開された、稲田さんによる「『映画を早送りで観る人たち』の出現が示す、恐ろしい未来」の記事は、わたしも驚愕しながら読みました。 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史) @gendai_biz   『映画を早送りで観る人たち』は、上の記事をはじめ、続編記事と追加取材を加えた内容です。 記事では、NetflixやAmazonプライムに実装された「倍速」モードや「10秒飛ばし」での視聴について、その背景が分析されていました。 現役大学生や「倍速」モードで視聴する方へのインタビューが掲載されていて、その回答が正直に言って、 「ひょえぇぇぇええぇぇっっっ!?」 なものでした。 映画業界で仕事をされてきた稲田さんとも、かみ合わない会話があったことが想像されます。 セリフのないシーンや、好きな俳優が出ていない(サブストーリー部分)を飛ばしたい気持ちは分からなくもないんですよね。でも、「先に最終話を見て、犯人が誰か分かってから見る」という心情には驚いたっすよ、ミステリー好きとしては。 コンテンツ多すぎ問題など、こうした視聴理由の背景もさまざまに分析されている中、わたしが気にな

『仕事と人生に効く教養としての映画』#996

大学時代、「芸術論」の講義をとっていて、小津安二郎の映画を観てくるようにという宿題が出たことがありました。 なんの映画を観たのかは忘れてしまったけれど、翌週の講義で先生が「感想は?」と聞いたとき、見事にシーーンとしていたことは覚えています。 白黒で地味な話であり、アクロバティックな展開も、転がって笑いたくなるようなオチもない。いったい何がそんなに評価されているのか? ガックリしながら映画の見方を説明する先生。『仕事と人生に効く教養としての映画』を読んでいて、その背中を思い出しました。 ☆☆☆☆☆ 『仕事と人生に効く教養としての映画』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 著者の伊藤弘了さんは、映画研究者で批評家という方です。映画図書館で資料整理の仕事をされているそうなので、膨大なデータが頭の中にもあるのだと思われます。 そんな方が、ひとつひとつ解説してくれるのです。 「トイ・ストーリー」に込められたフロンティア精神。 「東京物語」の微妙すぎるカメラワーク。 などなど、超細かくて、10回以上見てないと気付かないんでは!?な世界です。 映画は監督が脚本に込めた想いを表現するとともに、過去の膨大な作品から数々の場面が引用され、画が作られていきます。 たとえば小津映画は、ハリウッド式のイマジナリー・ライン(2人の対話者の間を結ぶ仮想の線)を小津流にバージョンアップしました。小津としてオリジナリティを確立したから、評価を受けているわけです。 大学卒業後、わたしは演技の仕事をしていたので、ここでもアメリカ人監督から映画の見方や、演技の見方を教わりました。 でも。 これって。 ホントーーに微妙すぎて、伝わる人にしか伝わらないんでは、と感じていたのですよね、当時は。芸術論の先生の熱弁や、アメリカ人監督のこだわりが、分かってきたのは最近のことです。 微妙な演技の積み重ねと、映像のマジック、そして編集の技術が名作を生んでいるのだと。 ただ、さまざまに施される制作側の「苦労」は1mmも外から見えません。見えたら逆に、興ざめですよね。それが映画を観ることを難しくしているのかなーなんて思ったりもしつつ、もうひとつ感じたのが、「語ること」への意識でした。 自身を変えるような運命の一本に出会えることは、幸せなことと、伊藤さんは語っておられます。そして、アウトプットするなら、そうした映画の作り手たちにエ

『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』#994

「読書」は、高尚な趣味なのでしょうか。 以前、「オススメの本はこれ!」としたツイートが、「ビジネス書ばっかりやんか」と批判されていましたよね。気の毒……。 これは「本」というくくりが、大きすぎたのではないかと思います。 「本」とひと言でいっても、小説もあればエッセイもあるし、ミステリーもSFも恋愛ものもある。古典が好きな人もいれば、ハウツー本しか読まない人もいるでしょう。 その中で、「アレが上で、コレが下」とはいえないし、人は結局、自分が読んだことがある本に反応するのだなーと毎日書いていて感じます。 『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、著者のピエール・バイヤールが、「読書が高尚な行為だというのは大いなる誤解」と指摘していました。 『読んでいない本について堂々と語る方法』#992   どんな本を読んだにせよ、その本について語ることは、「書評」と呼ばれたり、「レビュー」と呼ばれたり、「感想文」と呼ばれたりしています。 こちらに関しても「どう違うねん」という気がしています。 三省堂の「ことばのコラム」によると、「評論」よりも「レビュー」と表記した方が、堅苦しくなさそうな雰囲気があるのだそう。 第18回 レビュー | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム   「レビュー」は、Amazonなどの「商品レビュー:使ってみての使い勝手や感想」という場で使われていることを考えると、なるほどカジュアルに書き込みやすいのかもしれません。 とはいえ、どちらも目的としては「これよかったから、ぜひ!!!」と誘うことです。まぁ、逆の場合もあるけど。 『批評の教室』の著者・北村紗衣さんは、「作品に触れて何か思考が動き、漠然とした感想以上のものが欲しい、もう少し深く作品を理解したいと思った時に、思考をまとめてくれる」ものが「批評」である、とされています。 批評のための3ステップ「精読する、分析する、書く」について解説した『批評の教室』。めちゃくちゃ勉強になりました。 ☆☆☆☆☆ 『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 批評の役割としては、大きくふたつ。 ・解釈:作品の中からよく分からない隠れた意味を引き出す ・価値づけ:その作品の位置づけや質を判断する このふたつは、なんじゃかんじゃと言葉を尽くして

ドキュメンタリー「ボクらを作った映画たち」#818

「あの時は、カメラのこっち側の方がドラマチックだったよねー」 むかーしのこと。俳優の中村敦夫さんにインタビューをした時、とある映画の制作について、ドタバタしすぎて、大変だった……という話の中でこう仰っていました。 映画には大勢の人間が関係するので、ドタバタは織り込み済みなのかもしれないけど、現場にいたらヒヤヒヤです。ハリウッドの大型スタジオだって、それは同じ。 いまでは「名作」といわれる映画だって、“カメラのこっち側”は大変なのですよね。 Netflixで配信されている「ボクらを作った映画たち」は、そんな大ヒット映画の製作秘話をまとめたドキュメンタリーです。現在、シーズン2まで配信されています。 ☆☆☆☆☆ ドキュメンタリー「ボクらを作った映画たち」 https://www.netflix.com/title/80990849 ☆☆☆☆☆ <シーズン1> 「ダーティ・ダンシング」 「ホーム・アローン」 「ゴーストバスターズ」 「ダイ・ハード」   <シーズン2> 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 「プリティ・ウーマン」 「ジュラシック・パーク」 「フォレスト・ガンプ 一期一会」 どれも1時間足らずにまとまっているので、お気に入りの映画から観るのがおすすめです。わたしは大好きな「プリティ・ウーマン」から観ました。 ☆☆☆☆☆ 映画「プリティ・ウーマン」 DVD (画像リンクです) Amazonプライム配信 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 言わずと知れた、ジュリア・ロバーツの出世作。この映画を観た時、口に手を当てず、グワッハッハと笑えるようになりたいなーと思ったものでした。泡がいっぱいのお風呂とか、マネした人も多いのでは。 実際、この画像のように泡泡泡泡泡にするのは超重労働で、掃除も大変なので、一度で懲りました。 (画像はIMDbより) 「プリティ・ウーマン」には複数の脚本があったといわれていますが、番組では、なぜそんな事態になったのかが詳しく紹介されています。 この頃、まだ売れない俳優だったジュリア・ロバーツは、映画の主役に抜擢されたことを母に知らせたのですが、「どんな役なの?」と聞かれて、返事に困ったのだとか。“娼婦の役”とは言えず、「ディズニー映画よ!」と答えたと、雑誌のインタビューで語っているのを読んだことがあります。 キャスティングはジュリア・ロバーツが先に

『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』#708

字幕翻訳は「要約翻訳」だと語る、太田直子さん。映像翻訳は「1秒4文字」が絶対に厳守すべきルールなためです。 映画を観るなら字幕派で、実際に字幕翻訳もしていたわたしにとって、太田さんの『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』は、痛快愉快な一冊でした。 ☆☆☆☆☆ 『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』 https://amzn.to/3vOQ27L ☆☆☆☆☆ 著者の太田直子さんは、「ボディガード」や「コンタクト」など、多くのハリウッド映画を手掛けられている方です。 字幕翻訳の裏側を綴った本は他に、『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』『字幕屋に「、」はない (字幕はウラがおもしろい)』があります。 太田さんがいかにして字幕翻訳家となったのかを綴った『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』は、あまりコースが明確でない「プロの翻訳家」となるまでの道のりが見どころ。 字幕文化へのプライドを感じる『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』 #82   『字幕屋に「、」はない (字幕はウラがおもしろい)』は、タイトルどおり字幕に「、」や「。」を使わないことなど、技術的な話というか、そこから生まれる苦労を綴った本。 映画を2倍3倍楽しむ裏技『字幕屋に「、」はない』 #81   そして『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』には、日本語に悩まされる字幕屋さんの苦労が綴られています。 日本語の文章で一番難しいのは、なんだと思いますか? 太田さんは、言葉の使い分けではないかと指摘。年齢、性別、敬語、立場の違いによるキャラクターは、一人称や語尾に反映されます。そのため、一本の映画の中で言葉が変化するのか、しないのかまで含めた選択をしなければならないのです。 めっちゃ大変な仕事ですね……。 日本で初めて映画に字幕がついたのは、1931年に上映された「モロッコ」という映画だったそう。工夫と試行錯誤を重ねた日本の字幕文化は、世界一クオリティが高いとのこと。 Netflixなどの配信サービスが増えたことで、英語圏でも字幕で映画を観るスタイルへの抵抗が薄れた、といわれています。ただ、量産されることで、質の担保が難しくなるのも事実。でも、字幕って職人仕事のイメージがあるから、ひとりで改善していくのは厳しいかもしれませんね。 韓国ドラマ「それでも僕らは走り続ける」の主人公オ・ミジュが、まさに字幕翻訳家の仕事をしていました

『その悩みの答え、アカデミー賞映画にあります 人生の扉を開く50の言葉』#654

今年も映画の祭典が行われ、昨日は一日ソワソワしていました。アメリカのアカデミー賞は、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員による無記名投票で授賞が決まります。 1本の映画は、慰めにも、励ましにもなる。賞レースにのったから、いい映画というわけではないけれど、やっぱり「観てよかった!」と感じるものも多いと思います。 山下トシキさんの『その悩みの答え、アカデミー賞映画にあります 人生の扉を開く50の言葉』は、そんなアカデミー賞の受賞作から、名言を集めた一冊です。 ☆☆☆☆☆ 『その悩みの答え、アカデミー賞映画にあります 人生の扉を開く50の言葉』 https://amzn.to/3waN3qK ☆☆☆☆☆ 映画のストーリーや登場人物も紹介されているので、知らない映画との出会いの場にもなりそう。 紹介されているセリフ=映画からのメッセージには、原文と日本語訳が付いています。 これは実際に上映された時や、DVDに収録されている字幕ではないのか、ずいぶんと意味が“補足”されています。 そして、「お、そっちで来たか!」というピックアップの妙も味わえちゃう。 たとえば「フォレスト・ガンプ」。圧倒的に有名なのは「人生は箱に入ったチョコレートみたいなものよ」という、ママのセリフだと思います。でも、あえてこれをイラストのストーリー紹介の方に置き、ガンプのセリフの方を載せているんです。 Mama always said miracles happen everyday, some people don't think so, but they do. (ママはいつも言っていた。奇跡は毎日起きるって。信じない人もいるけどホントだよ) 人生に迷った時、仕事に行き詰まった時、恋に悩んだ時。映画のメッセージが、ブレイクスルーのヒントになればうれしい。 わたしとしては、この本の韓国映画版を作りたいな。

字幕文化へのプライドを感じる『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』 #82

高村光太郎の詩「道程」には、一篇の詩と、第一詩集に収められているもの、ふたつのバージョンがあるそうです。どちらかというと、わたしは詩集版の長い詩の方が好きです。 “どこかに通じてる大道を僕は步いてゐるのぢやない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る 道は僕のふみしだいて來た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立つてゐる 何といふ曲りくねり 迷ひまよつた道だらう 自墮落に消え滅びかけたあの道 絶望に閉ぢ込められたあの道 幼い苦惱にもみつぶされたあの道 ふり返つてみると 自分の道は戰慄に値ひする (略)” 今日は引き続き、字幕翻訳家の太田直子さんの本を紹介しようとしているのですが、字幕翻訳家は、「これをやれば必ずなれます。稼げます」という道がありません。 いまでこそ、専門学校や講座なんかがありますが、卒業してしまえば、再びワナビー。デビューの糸口をつかむことほど、難しいことはありません。高村の詩は、そんな先人たちの気負いと嘆きが詰まっているように感じます。 ロシア文学にほれ込んだ太田さんの道も、平坦ではありませんでした。エピローグに収録されている、「字幕屋Nが出来るまで」はおすすめ。 夢破れても、なんかある。その辺の土でもつかんでこい!(安藤百福の言葉)といわんばかりの気迫に、うっかりウルッとしてしまいました。 ☆☆☆☆☆ 『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』 https://amzn.to/3vKgPBU ☆☆☆☆☆ そもそもこの本を読もうと思ったのは、字幕制作の過程が細かく紹介されているからです。 ハコ書き ↓ スポッティング ↓ 翻訳 ↓ 推敲 ↓ 初号試写 こうした字幕付き映画制作の一連の流れがよく分かる構成です。縦書き・横書き原稿の写真もあり、リアルな現場が見えます。 日本の映画字幕は、世界一と言われているそう。翻訳のクオリティ、タイミングの妙、どれもがすばらしく練り上げられているんですね。 ところが、こうした技は、人間の職人が積み上げてきた、非常に繊細な技術なんです。それが、ソフトで再現できるのだろうか?と、疑問を呈されています。 わたしが仕事をしていた翻訳事務所は、まさにそのソフトを使って制作していました。笑 このソフト、めちゃくちゃ高いんです。なので、翻訳会社のトライアルを受けようとすると、「ソフト所有の有無」を聞かれることが多いです。 ソフト持っている

尻込みしないで飛び込もう『スクリーンの向こう側』 #79

映画字幕の第一人者である戸田奈津子さんは、「映画は好きだけれど、映画を見てあれこれ評論する客観性がわたしにはない」と語っています。 映画会社でアルバイトの翻訳・通訳をしていたときに「地獄の黙示録」のロケに参加。コッポラ監督の推薦で日本語字幕をつけることになったそう。 トム・クルーズが来日するときは、必ず彼女を指名することは有名ですよね。 そんなハリウッドスタートの素顔や、字幕制作時の裏話を綴った『スクリーンの向こう側』をご紹介します。 ☆☆☆☆☆ 『スクリーンの向こう側』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 「恋におちて」のロバート・デ・ニーロ、「プリティ・ウーマン」の成功とリチャード・ギアの悪癖など、読んでいて楽しい話がいっぱいです。「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアム監督や、「シザーハンズ」のティム・バートン監督の話は、とてもかわいらしくておすすめ。あらたな目でもう一度、映画が観たくなってしまいます。 “わたしはどうしてもドラマの一端を担うセリフづくりに興味があり、性格的にも社交性を要求されない「一匹狼」の翻訳に向いているという自己分析があったのだ。” こうした自分の向き不向きを冷静に見極めた結果、「映画は好きだけど、映画ライターや評論家の仕事はできない」と割り切ったのだそうです。 英語力がなかったというコンプレックスをバネに字幕の修行を続けて、降って湧いたようなチャンスにもひるまなかった戸田さん。 わたしも以前、韓国語字幕をつける仕事をいただいたときに、全然能力は足りないものの、彼女のことを思い出してチャレンジしたことがあります。いや、できないレベルが全然違ったんだけど。笑 映像字幕は基本的に、1秒4文字が原則です。横書きの字幕なら、1行に表示できるのは13~14字。「文字数」が絶対なので、かなり工夫しないと入らないことが多いんですよね。 おかげで日本語を、裏から表から、ひっくり返したり肯定したり否定したり、あらゆる形で考えられるようになったかなと思います。 「できない」とひるまず、やってみることで得るものは大きい。 時に「なっちゃん語」と揶揄されながらも、第一線を走ってきた戸田さんの軽やかな言葉にクスリとしてしまう一冊。飛び込む勇気が感じられるエッセイです。