インターネットは人類を幸せにしたのだろうか?
日々、インターネットを利用しながら、何度もそう感じてきました。もはやネットのない時代に戻るなんて考えられない。ということは、「上手に、賢く」付き合っていくしかない。
十分にオトナ世代であるわたしはそう割り切っていたのですが、稲田豊史さんの『映画を早送りで観る人たち』を読んで、もっと積極的にこの世界の行方が気になってきました。
すべてのクリエイター、マーケティングに関わる方、若者文化に関心のある方は、ぜひご一読を。
「失敗したくない」と追い込まれていく心情の背景に、ずーんと考え込んでしまいました。
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『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』
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昨年1月、「AERA」に「『鬼滅』ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは」という記事が掲載されました。ここではサブスクサービスによって、「ありがたみ」が薄れていく様子が紹介されています。
続く3月に「現代ビジネス」で公開された、稲田さんによる「『映画を早送りで観る人たち』の出現が示す、恐ろしい未来」の記事は、わたしも驚愕しながら読みました。
『映画を早送りで観る人たち』は、上の記事をはじめ、続編記事と追加取材を加えた内容です。
記事では、NetflixやAmazonプライムに実装された「倍速」モードや「10秒飛ばし」での視聴について、その背景が分析されていました。
現役大学生や「倍速」モードで視聴する方へのインタビューが掲載されていて、その回答が正直に言って、
「ひょえぇぇぇええぇぇっっっ!?」
なものでした。
映画業界で仕事をされてきた稲田さんとも、かみ合わない会話があったことが想像されます。
セリフのないシーンや、好きな俳優が出ていない(サブストーリー部分)を飛ばしたい気持ちは分からなくもないんですよね。でも、「先に最終話を見て、犯人が誰か分かってから見る」という心情には驚いたっすよ、ミステリー好きとしては。
コンテンツ多すぎ問題など、こうした視聴理由の背景もさまざまに分析されている中、わたしが気になったのは「感情を揺さぶられるのがイヤ」という風潮でした。
犯人が分かった状態でミステリーを見ることで、「楽しむ」ことができるのだろうか?と考えてしまうんですが、たぶん発想が逆なんですね……。
「1000日チャレンジ」を書いていたとき、いろんな方から「アドバイス」をいただきました。曰く、「もっとSEOを勉強して、読まれる記事にしたほうがいいよ」「人気になっている記事の分析をして、マネしたほうがいいよ」などなどです。
わたしが書く目的は別のところにあったので、PVは気にしないことにしていましたし、そもそもこのブログには広告を貼っていません。だからサラッと聞き流してきました。
また、1000日間も何かを書いていたら、いろんな「お誘い」も来るもので、「動画コンテンツを作りませんか? 全力でサポートしますよ!!」的なものまできました。
いやいや、しないでしょ。笑
こうした「アドバイス」や「お誘い」にのっていたら、本でも紹介されている「ネタバレ付きあらすじ」記事なんかを書いていたのかもなーと思います。
ドラマに至っては、「○話の○分くらいに泣けるシーンがある」ことまで書いてあったほうが、心の準備をしてから見られるので安心できるんだそうです。
わたしは逆に、「そのシーンで泣けなかったらどうしよう? わたしってヘンなのかも!?」とプレッシャーになってしまいそうなんですけどね……。
「なんでだろう?」とか、「どういう意味があるんだろう?」とか、考えること自体が、わたしには楽しい。そして「飛ばされた10秒」に含まれるものを「味わいたい」タイプなのだと思います。
でも、こうした「考える」行為はコスパが悪いし、「これが正解じゃないかもしれない」という感覚が強いため、うかつにSNSに感想を投稿することもできない、というのが早送りで観る人たちの言い分です。
これはマウントを取りたいオタクたちが、上から目線であーだこーだツッコんだ結果でもあるわけです。
こうして「当たり障りのない」感想があふれることになり、これらと評論家の評論との区別がつかない人たちによって、「分析」は淘汰されていく。
説明セリフが多い理由や、快・不快で切り捨てられていく背景なんかも、悲しいことに納得してしまいました。
倍速視聴をする人が多いZ世代の特徴として、「多様性を認め、個性を尊重しあう」が挙げられています。この世代がこれからの消費の中心となり、文化の担い手となっていくことを考えると。
<「好き」って言葉に出してないんだから、恋愛感情がない。>
今後は、こんな読み取りをする人が多数派になるのかもしれません。
でも、この世代のコミュニケーションが、はたして本当に「多様性を認め、個性を尊重しあう」姿勢になっているのかどうか。
自分と違う意見に触れないままでは、多様性を認めることにならないし、自分の感情について言葉にしなければ、個性を尊重することもできないのだから。
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