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『弓を引く人』#952

「わたしにとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。しかもその真理は、わたしがそのために生き、そのために死ねるような真理である」 デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールの言葉です。 大学時代に出会ったキェルケゴールは、わたしの人生の指針となりました。本人は中二病まんまの「こじらせおじさん」だったようですが、厳しくも孤独を愛し、激しく神を信じた人です。 この頃、参考になるのでは、と友人に勧められて、シャーリー・マクレーンのエッセイ『アウト・オン・ア・リム 愛さえも越えて』や『オール・イン・ザ・プレイング 私への目覚め』なども読んでいました。 (画像リンクです) (画像リンクです) これら一連の本を翻訳されたのが、山川紘矢さんと山川亜希子さんのご夫婦です。1995年に日本で発刊された『聖なる予言』を知っている方も多いはず。 (画像リンクです) ご夫婦で精神世界やスピリチュアル関連の翻訳を多く手がけられている、という点でも珍しいと思います。 おまけに、お二人とも東大出身で、紘矢さんは大蔵省、亜希子さんはマッキンゼー・アンド・カンパニー出身と、バリバリの資本主義経済ど真ん中におられた方なんですよね。 振り幅が大きい! そんなお二人が翻訳されたパウロ・コエーリョの『弓を引く人』は、弓道の極意を語る達人のお話です。 ☆☆☆☆☆ 『弓を引く人』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 小さな村で大工として暮らしていた哲也のもとに、遠い国から弓の達人が訪ねてくる。ふたりの勝負を目撃した少年は、弓を教えて欲しいと哲也にお願いする。哲也が語る、弓の真髄とは……。 静かな、静かな物語です。弓を引く音、矢が飛んでいく音、その背後にある葉ずれの音まで聞こえてきそうな静けさ。 弓について教えることなんて、簡単なこと。本当に難しいのは、教わったことを、求められる精度でマスターできるまで、毎日研鑽を積むことだ、と語る哲也。 弓矢に的。それぞれの持ち方、見方。姿勢や、矢を放つ瞬間について、哲也は少年に一つひとつ説明してくれます。 これ、すべてそのまま「日々の生き方」だなと感じました。 たとえば「仲間」については、こんな言葉があります。 “冒険を試み、危険を冒し、失敗し、傷つき、それでもさらに危険を冒す人たちと友だちになりなさい。 正しいとされていることを主張し、自分の考えと会わ

『世界でいちばん弱い妖怪』#893

この小説はヤバい。久しぶりに興奮するくらいヤバい小説に出会ってしまった。 「2021年のベスト○○」が話題になる時期ですが、わたしの中でキム・ドンシクさんの『世界でいちばん弱い妖怪』は、間違いなく「2021年の神7」に入れたい。 小説を読んだことがないという、“無学”の小説家によるショートショート集です。 ☆☆☆☆☆ 『世界でいちばん弱い妖怪』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ あとがきによると、1985年生まれのキム・ドンシクさんは、中学をドロップアウトした後、鋳物工場に勤務。偶然のぞいたネット掲示版の投稿を見て、自分にもできるんでは、と小説を投稿するようになったとのこと。 これがおもしろいと話題になり、出版されることになるのですが。 もともとのキム・ドンシクさんの文章は、綴りなどの間違いがたくさんあったのだそうです。 これを有志が集まって修正し、そのフィードバックを受けてキム・ドンシクさん自身も学習。どんどん上達したというんだから、「集合知」のパワーを感じさせますね。 『世界でいちばん弱い妖怪』に収録されているのは、18編のショートショートです。 表題作のように、「ぼく、ほんとに弱いの。殺したりしないでね」という妖怪や、「人間でとった出汁が人気だからお鍋に入ってくれる人、募集!」という妖怪なんかが登場します。 クスッと笑える展開もありつつ、韓国の社会が抱える暗部もみえるオチが待っています。 家長の重責。 外見至上主義。 自分の先入観を映し出すような小説に、ちょっとしんみりもしました。 星新一さんのショートショートが好きな方は、この魅力が分かるかも。 韓国では全10巻の作品集が刊行されているそうですが、日本ではこれが初めての邦訳。もっと読みたい!というか、わたしが訳したい!と思ったけど。 吉川凪さんの自然な翻訳文がステキだったので、おとなしく待つことにします……。

『ファンタジーと英国文化 児童文学王国の名作をたどる』#877

『不思議の国のアリス』に『ナルニア国ものがたり』、『ピーター・パン』に「ハリー・ポッター」シリーズ。 子どものころに読んだ本だけでなく、大人になってから夢中で読んだ本の中にも、イギリス発のファンタジー小説がたくさんあります。 イギリスは、なぜこうした児童文学を生み出せるのか。 大妻女子大学比較文化学部教授の安藤聡さんの著書『ファンタジーと英国文化 児童文学王国の名作をたどる』によると、「ハリー・ポッター」シリーズは、第四次ファンタジー黄金時代の作品といえるそうです。イギリス製ファンタジーを巡る旅にワクワクしました。 ☆☆☆☆☆ 『ファンタジーと英国文化 児童文学王国の名作をたどる』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ フランスの英文学者ルイ・カザミヤンによると、ファンタジーはイギリスの「国民文学」なのだそう。写実主義小説と叙情詩の中間に位置するからです。 たとえば「ハリー・ポッター」シリーズには、現実世界に存在するキングス・クロス駅や、マグル(魔法を使えない人間)の食べ物が登場します。ハリーの親友であるロンのお父さんは、「電気」や「機械で動くもの」に興味津々。車を改造したりもしてましたよね。 (画像はIMDbより) 現実世界からファンタジーの世界へと逃避することで、現実を「再発見」することができる。これぞ、ファタンジーの一番の魅力といえます。 「食事」についてはおもしろい指摘もありました。 イギリスの食事といえば、「……」なことで有名ですが、「ハリー・ポッター」シリーズに登場する料理のうち、メインディッシュとなる料理は伝統的なイギリス料理がほとんどです。 でも、お菓子類は違う。 「蛙チョコレート」や「バーティ・ボットの全味ビーンズ」など、想像力に富んだ“魔法の”お菓子なんです。 (画像はIMDbより) このギャップはおもしろいなと本を読みながら感じていました。こうした食事内容について、安藤さんは、こう指摘されています。 “現実世界でも、英国料理はデザート類や茶菓が充実している割に、主食となる料理に対する英国人の関心は異常なほど薄いと一般的に考えられているが、『ハリー・ポッター』シリーズの魔法界においても不可思議な飲み物や菓子が多く存在するのに反して食事のメニューが現実的であるのは、このような英国の国民性を反映しているということなのかもしれない” 思わず笑った……。 近代

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』#771

“かわいい”は、すべてを越える。 パッと見には、時代遅れでポンコツのロボット。ホントになにをしてくれるわけでもない、しかも“壊れかけ”のロボットである「タング」が、ずっと一緒にいたいと思えるくらいにかわいいんです。 デボラ・インストールの小説『ロボット・イン・ザ・ガーデン』は、レトロなロボット「タング」と、妻に愛想を尽かされたベンの旅物語です。 ☆☆☆☆☆ 『ロボット・イン・ザ・ガーデン』 https://amzn.to/3D5AbGB ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 近未来のイギリス南部の村。仕事も家事もせず、家でブラブラと過ごしている34歳のベンは、庭で壊れかけのロボットのタングを見つける。巷に溢れるアンドロイドにはない「何か」をタングに感じたベンは、彼を直してやるため、作り主を探そうとアメリカに向かうことになるが……。 2016年ベルリン国際映画祭で「映画化したい一冊」に選ばれ、劇団四季では舞台化もされています。映画化はいつ……!?と思ったら。 二宮和也さん主演、三木孝浩監督で製作が決定したとニュースになっていました。 二宮和也、嵐の活動休止後初の映画主演!「ロボット・イン・ザ・ガーデン」実写化で不良品ロボットと出会うダメ男に|シネマトゥデイ   ベンがニノか……。ちょっとキレイすぎる気もしちゃう。 というくらい、やさぐれた中年のおっさんなんです、ベンは。妻のエイミーのことは大切に想っているようなんですが、なぜ彼女がそんなにイライラしているのか分からない。 庭にとつぜん現われた「タング」を、捨ててくるように言う理由も分からない。 共感性ゼロなおっさんが、幼児レベルの頭脳しかもたないロボットと旅をするのですから、そりゃもう「珍道中」にならざるを得ないのです。 「タング」は簡単な会話なら交わせる程度ですが、やっぱロボットといえば、「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」のR2-D2だと思います。 (画像はIMDbより) 1977年公開とあって、いま見ると、ホントに「レトロ風」ですね。2015年に公開された“新たなる”3部作1作目の「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」には、BB-8が登場します。動きの軽やかさは段違いでした。 (画像は映画.comより) 「スター・ウォーズ」シリーズでも、有能で、かっこよく、人間の“役に立ってくれる”ロボットに活躍のシーンが与えられ

『サハマンション』#765

「このマンションに住んでる人たちって、おんなじような家族構成で、おんなじくらいの収入で、おんなじような人生を歩むのかと思うと、ちょっとビミョー」 結婚して、大型マンションに住むことになった友人が言っていました。 たしかにそうかも。集合住宅は、同じような“階級”の人が集まっている、といえそうですよね。 チョ・ナムジュさんの小説『サハマンション』も、舞台は集合住宅である「サハマンション」です。そこに暮らしているのは、「サハ」と呼ばれる“階級”の人々。 この国では、階級移動の望みもなければ、一攫千金のドリームもない。 最下層の「サハ」たちの生き様を描いた小説です。 ☆☆☆☆☆ 『サハマンション』 https://amzn.to/2UjQz4N ☆☆☆☆☆ <あらすじ> ある企業が国家を買収して、都市国家となった「タウン」。最下層の“サハ”が住む「サハマンション」で暮らすジンギョンは、小児科医のスーが殺されたニュースを目にする。スーと一緒に暮らしていた弟のトギョンが容疑者にされるが、ずっと行方不明で……。 2016年10月に韓国で刊行されたチョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』は、120万部を超えるベストセラーとなり、日本やアメリカなど、17か国で翻訳出版されました。 コン・ユとチョン・ユミ主演で映画化もされています。 「82年生まれ、キム・ジヨン」のコン・ユが象徴するものについて考えてみた   もともとテレビの放送作家をされていたそうで、取材をもとに物語を構成するのが得意なのだと思います。『韓国文学ガイドブック』を監修した黒あんずさんは、チョ・ナムジュさんを「記録する作家」と呼んでいました。 『韓国文学ガイドブック』と『韓国文学を旅する60章』#757   『サハマンション』でもその手法は発揮されていて、様々な現実の事件が数多のモチーフとなって登場します。 語ることさえ許されない「蝶々暴動」は、韓国での民主化闘争を思わせますし、「タウン」の歴史を保管する方法は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を彷彿させます。 (画像はAmazonより) 「サハマンション」で暮らすひとりひとりに焦点を当てて進むストーリーなので、どちらかというと「キム・ジヨン」より、『彼女の名前は』に印象が近いかもしれません。時間も、場所も、行ったり来たりしますが、短編をつなぎ合わせていくと

『韓国文学ガイドブック』と『韓国文学を旅する60章』#757

K-POP、韓流ドラマに韓国映画と、拡大を続けるK-コンテンツ。邦訳されるK文学も増え続けています。 韓国文学が海外に積極的に紹介されるようになったのは、「韓国文学翻訳院」の支援が大きいのだそう。 1990年代の後半から、K文学は世界的に広まるようになり、翻訳される言語も倍増。『アーモンド』などを出した出版社「チャンビ」の場合、翻訳の契約件数は10年前と比べ6倍も増えているそうです。 世界で翻訳が急増 K-POPの次は「K文学」だ:朝日新聞GLOBE+   「韓国文学」コーナーのある本屋さんも増えてきましたが、こうなると「どれから読むのがいいのかしら……」という悩みもできてしまいますよね。 黒あんずさんが監修された『韓国文学ガイドブック』には、作家別のおすすめ作品がまとめられているので、おすすめです。 ☆☆☆☆☆ 『韓国文学ガイドブック』 https://amzn.to/3jwQvHn ☆☆☆☆☆ 韓国がおかれている文化的な背景を知るためのコラムや、文学賞の紹介もあり、本を選ぶ時のガイドになってくれます。 これまでわたしは、「ジャケ買い」することが多かったんですよね。日本版用に装丁を変えることもあれば、韓国版をそのまま使うこともあるようなのですが。 韓国では、装丁のデザイン性の高さが若い読者を呼び込む理由にもなっているそうです。最近のベストセラーは、パステルカラーが多いのだとか。 『アーモンド』や『娘について』etc.、おすすめの韓国文学作品5冊。【韓国カルチャー最前線 vol.3】   初期のブームがフェミニズム本だったせいか、そのイメージが強いですが、K文学には「痛みを分かち合う」作品が多いなという印象があります。特に「クィア」の扱いは、ドラマよりも洗練されているように思います。 そして、もう一冊。 波田野節子さん・斎藤真理子・きむふなさんが編集された『韓国文学を旅する60章』は、文学を巡る豪華エッセイ集もおすすめ。 ☆☆☆☆☆ 『韓国文学を旅する60章』 https://amzn.to/3yvk42t ☆☆☆☆☆ こちらはパンソリや演劇といった古典から、近代文学、民主化以降の文学まで、幅広く紹介されています。ゆっくり、じっくり読みふけってしまう本です。 この2冊は、たとえるなら、集英社文庫をのぞいてみるか、岩波文庫からはじめるか、という感じでしょうか。いつか全

『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』#755

ミステリー小説好きにとって、翻訳家の田口俊樹さんは神さまのような存在なのではないでしょうか。 ローレンス・ブロックの「マット・スカダー」シリーズ、レイモンド・チャンドラーやアガサ・クリスティーといった大御所の作品も、田口さんの訳が出ています。 200冊近い訳書を刊行された大御所ですが、駆け出しの頃の訳を見ると、トホホ……となることもあるのだとか。 そんな、40年に及ぶ翻訳生活を振り返った本が『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』です。 ☆☆☆☆☆ 『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』 https://amzn.to/3xptA5P ☆☆☆☆☆ 小学生の頃、アガサ・クリスティにのめりこんでミステリーにハマったという田口さん。大学を卒業後、英語の先生になります。 さすが~! 英語教師になるくらい語学に堪能だから、翻訳とかできるんですよね!? なーんて思ってしまいますが、実際はその逆。生徒に質問されても答えられないもどかしさから、英語力を身につけようと翻訳をやってみた。そしたら仕事になってしまった、というミラクルな経歴をお持ちです。 通訳や翻訳など、企業に就職して仕事を得るタイプではない業種って、人の縁でデビューが決まったというパターンが多いようです。 日本のトップ通訳者である田中慶子さんも、「人生無計画」な生活から通訳デビューをされています。 失敗上等!人生無計画でもなんとかなるよ『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』#49   韓国語翻訳家のたなともこさんは、友人から送ってもらったホン・ソンスさんの著書『ヘイトをとめるレッスン』を読んで、翻訳出版したいと決めたのだとか。ホントに動いて実現させちゃう行動力がすごいな。 『ヘイトをとめるレッスン』#741   『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』の著者・宮崎伸治さんも、出版社に持ち込み企画をしていたそう。ただ、デビュー作は「名前が出ない」予定で進んでいました(ある大物文筆家が翻訳家としてクレジットされる予定だった)。 『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』#754   デビューの形はいろいろあれど、自分の名前で本が出せるのはうれしいことですよね。でも、過去の翻訳を見直すことほど、つらい作業はないと思います。『日々翻訳ざんげ』に綴られているのは、勘違いや誤訳へのざんげと、新人だった

『魯肉飯のさえずり』#744

最近では日本でも見かけるようになった「魯肉飯」は、台湾の庶民フードです。甘辛く煮込んだ豚肉をご飯にのっけた丼で、わたしもよくデリバリーしています。 醤油ベースの味付けですが、味の決め手になっているのは香辛料。特に、八角の味と香りが強いんですよね。 んん~台湾! そう感じるその味を、自分のアイデンティティとして認められるようになるまでの痛みを描いた小説が、温又柔さんの『魯肉飯のさえずり』です。 ☆☆☆☆☆ 『魯肉飯のさえずり』 https://amzn.to/3eVAyZX ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 就活に失敗し、逃げるように結婚を選んだ桃嘉。だが、少しずつ夫との生活にズレが生じてしまう。台湾人の母・雪穂は、なにも言わない娘が心配でならない。日本人の夫と出会い、結婚して日本にやって来たものの、日本語が上手ではないため、思いを十分に伝えることができないでいた。夫とケンカをした桃嘉は、友人に誘われ、台湾の親戚宅を訪れることになり……。 「魯肉飯」は、お店のメニューには「ルーローファン」と表記されていることが多いのですが、これは中国語の読み方。台湾語では「ロバプン」というのだそうです。 タイトルに現われているように、日本語も、中国語と台湾語も、チャンポンになって出てきて、いくつもの文化が折り重なる、風味豊かなお話。でも、序盤は痛みが重なって胸をえぐられるようでした。 「理想的な夫」と結婚したものの、自分の気持ちを正直に言うことができない桃嘉。夫の両親やきょうだいたちも、気を使っているようでいて無神経やろと感じる発言をしています。その中で、孤独を深めてしまうんです。 台湾から日本へやって来て、慣れない環境で子育てをする母・雪穂の孤独も深い。 父の茂吉は、台湾で仕事をしている時に雪穂と出会い、結婚することになりました。初めて家にあいさつに行った時、雪穂の母が作ってくれた魯肉飯を三杯も食べたという人物です。 雪穂にとっては「おふくろの味」である台湾フードを、思春期の桃嘉に拒絶され、傷つく雪穂。 妻となった桃嘉もまた、夫に台湾フードを作って「もっとふつうのご飯がいいな」と言われてしまう。 そんな「魯肉飯」というソウルフードを軸にした、ルーツをたどる旅の小説ともいえます。 小学校の高学年から中学生って、誰かと「同じ」であることに一番敏感になる時かもしれません。少しでも「違う」ことに、

『三体』#743

現代中国最大のヒット作と呼ばれる小説が、劉慈欣さんの『三体』です。 おもしろいと噂に聞いていたものの、分厚さにひるんでいました。だって第1巻は1冊ですが、第2巻の『三体II 黒暗森林』と第3巻の『三体III 死神永生』は上下巻なんです。この沼に落ちたら、寝不足必至やな……。 そう思っていたので、なかなか手が出なかったのに。考え事をしていて眠れなくなった夜、ついにページを開いてしまいました。 この展開だと、夢中になって朝まで読んだ、となりそうでしょう? いやー、訳が分からなくて。SF小説という程度しか知らなかったから、父親が無残に処刑される冒頭シーンから、殴られたような衝撃を受けました。 SF的展開は、いったいいつから始まるの? そうして1巻を読み続け……。半分を過ぎた頃、やっと! やっと! おもしろくなってまいりました。「スケールが大きい」と言われる意味も、やっと分かった。大きすぎて全体像をつかむことができなかったんですね。たぶん。 ☆☆☆☆☆ 『三体』 https://amzn.to/3rtMO92 ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 1967年、文化大革命の粛正によって、物理学者の父を惨殺された少女・葉文潔。反乱分子の扱いを受けてきた文潔は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える軍事基地で仕事をすることに。 数十年後、ナノテク素材の研究者・汪淼は、ある会議で世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。謎の学術団体「科学フロンティア」への潜入を引き受けるが、怪現象に襲われてパニックに。知り合いの科学者に教わったVRゲーム「三体」にログインした汪淼は、三つの太陽を持つ世界を体験することになり……。 1966年から1976年まで続いた文化大革命は、知識人、旧地主の子孫などを「反革命分子」とし、迫害した政治闘争です。 エリート教育を完全否定したことに加えて、「知識青年上山下郷運動」が展開されたことで、都会の知識人ほど、辺鄙な村に送られることになったのだそう。 小説の冒頭で行われる暴行シーンも、めちゃくちゃリアルです。実在の知識人の名前も登場するので、どこまでが史実で、どこからが創作なのかと思ってしまいます。 SF小説と聞いていたけど、歴史小説だったのかしら……と感じるころ、物語は現代へ。主人公はエリート科学者の汪淼です。 怪現象に襲われ、エラそうな刑事につきまとわれ、殺人事

『天気が良ければ訪ねて行きます』#728

30度近い気温の週末ですが、真冬の小説はいかがでしょうか? 韓国の小説家イ・ドウさんの『天気が良ければ訪ねて行きます』は、「スノードーム」のような小説で、かなり胸キュンしてしまいました。 ドーム形の透明な容器の中で、キラキラ・ヒラヒラと舞う雪を楽しむ「スノードーム」。ゆったりとした気分になれるし、閉じ込められた世界への安心感もある。 雪深い江原道の町が舞台です。凍てつく寒さのために事故が起きたりしているんだけど、それでも。 とても温かいんです。 ☆☆☆☆☆ 『天気が良ければ訪ねて行きます』 https://amzn.to/3wvHXou ☆☆☆☆☆ <あらすじ> ソウルで美術講師をしていたヘウォンは、生徒とのトラブルが原因で仕事を辞めてしまう。ひと冬を故郷で過ごすため、叔母の営むペンションに帰省。隣の空き家は、小さな本屋になっており、同級生のウンソプが経営していた。ウンソプにとっては初恋の人であるヘウォンが戻ってきたことで、静かな冬の生活が変わっていく……。 「キム秘書はいったい、なぜ?」 のパク・ミニョン主演でドラマ化もされています。ただ、CSの衛星劇場でしか放映されなかったみたいなんですよね。今後、配信に出てくることに期待したいです。 イ・ドウさんの小説を読んだのは、これが初めてでした。ラジオの脚本やコピーライターとして活動されてきたそうで、韓国では「ゆっくり大切に読みたい本」として愛されている作家だそうです。 小説の舞台となった町は架空の市ですが、江原道はホントーーに寒い地域です。2018年に開催された「平昌オリンピック」の平昌があるところ。今年の1月には氷点下28.9度を記録したとニュースになっていました。 韓国江原道香炉峰、氷点下28.9度を記録…体感温度は氷点下43度以下に   そんな豪雪地帯の田舎町に、ポツンと立っている本屋さん「グッドナイト書店」。なかなか経営は厳しそうだけど、読書用の本をキープしておけるようにしたり、文章の勉強会を開いたりと、地域の人たちに愛される書店として運営されています。 出版業界が厳しいのは韓国でも同じで、書店数は1990年代半ばの約5700件をピークに減少しています。ただ、カフェや雑貨を組み合わせて販売する独立系の書店は増えているそう。 わたしは弘大という町にある 「THANKS BOOKS」 に何度か行きましたが、現在は移

『美食と嘘と、ニューヨーク』#663

 おもしろくて、一気読み。 目の前にある“エサ”を“チャンス”だと考えてしまう学生と、彼女を支配する大物料理評論家。自己顕示欲の強い若者には、イタい教訓になりそうな小説です。 ☆☆☆☆☆ 『美食と嘘と、ニューヨーク:おいしいもののためなら、何でもするわ』 https://amzn.to/3hsBuH6 ☆☆☆☆☆ ニューヨークを舞台に、上昇志向の強い若者と、それをうまく利用したゲスいおっさんの、食を巡る物語です。いつバレるか、いつバラすのかとハラハラしてしまって、のめり込むように読んでいました。 昭和のヒット曲である、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」に、こんな歌詞がありました。 <恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して 毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない> この本の主人公・ティナがまさに“ぼく”なんです。 食品学を研究する学生が出会ったのは、トップofトップのレストラン評論家のマイケル・サルツ。秘密を守り、仕事に協力する代わりに、ハイブランドの洋服や特権階級の扱いを手に入れてしまったら。もう“普通”の生活になんて戻れない……。 権力者の傲慢さを感じつつ、目の前にある“エサ”を“チャンス”だと考えてしまうティナ。恋人の素朴さと、一流シェフのワイルドさを比べてしまうのも、仕方がないと言えば仕方がないものです。だって、都会はあまりにもキラキラしているから。おまけに、自分自身が“権力”を手にしたように錯覚してしまうのですから。 三浦哲哉さんのエッセイ『LAフード・ダイアリー』や、アメリカ版「男子ごはん」な料理番組「ザ・シェフ・ショー」で、度々紹介されていた料理評論家が、ジョナサン・ゴールドです。 「ロサンゼルスタイムズ」でコラムを連載し、誰も知らないレストランを発掘することが楽しみだったそう。彼のコラムで☆をもらい、運命が変わったというシェフも「ザ・シェフ・ショー」に出演していました。 ジョナサン・ゴールドは、好みではない味に出会った時には、何度も何度も足を運び、気に入る一品を見つけるようにしていたのだとか。数十回訪れてもダメな場合は、コラムに取り上げないことにしていたのです。それだけ、自分が書く「☆」の威力を自覚し、責任を感じていたからなのでしょう。 ティナを支配しようとするマイケル・サルツの仕事とは正反対。そんな彼に協力してしまったティナも同じです

悪意の芽はゼリー状!? 養護教師のぶっとんだもうひとつの顔 『保健室のアン・ウニョン先生』 #444

韓国文学というと重厚な歴史小説のイメージがありましたが、最近ではファンタジーやミステリーも邦訳されるようになってきました。 ほのぼのファンタジーがお好きなら、『保健室のアン・ウニョン先生』をおすすめします。タイトルからは想像もできない、ちょっとぶっ飛んだ楽しさのある小説です。 ☆☆☆☆☆ 『保健室のアン・ウニョン先生』 https://amzn.to/3r5UlL1 ☆☆☆☆☆ <あらすじ> “ゼリー”状になった人の欲望が見えてしまうアン・ウニョン。養護教諭となり、私立M高校に赴任してきます。この学校には、原因不明の怪奇現象や不思議な出来事が次々と起きているのです。BB弾の銃とレインボーカラーの剣を手に、同僚の漢文教師ホン・インピョとさまざまな謎や邪悪なものたちに立ち向かっていく。はたしてM高校にはどんな秘密が隠されているのか……。 霊が見える、というとおどろおどろしい感じがしますが、アン・ウニョン先生の目に映っているのは「カタツムリが這った後の粘液」のようなゼリーです。それをオモチャの剣でピシパシ切り捨てていく、という描写が、とにかくコミカルです。 ちょうど9月25日から、Netflixでドラマの配信も始まりました。主演はチョン・ユミ。もうすぐ映画「82年生まれ、キム・ジヨン」が公開されるので、そちらも楽しみです。 「82年生まれ、キム・ジヨン」のコン・ユが象徴するものについて考えてみた 「82年生まれ、キム・ジヨン」は、「なんか言いたくなる」小説であり、映画でした。心が反応しちゃうんです。キム・ジヨンというひとりの女性が生きていく中で、「ただ女性であるがゆえに」経験した差別と不合理の物語。できれば小中学校の授業はもちろん、企業の人事の方や、女性商材を扱う部署の人には必須で観てほしいくらいです。   学校に起きる奇異の原因は、どうやら地下室にあるらしい。ということで、アン・ウニョン先生は勇敢にも、武器を手に地下に降りていくのですが。 はたからみたら、オモチャの剣を振り回して遊んでるようにしか見えない!!! アン・ウニョン先生の怪しい言動を受け入れ、協力することになるのがホン・インピョ先生。学校の創立者の孫にあたります。そのせいか、強力な守護霊に守られているそうで、アン・ウニョン先生はパワーが落ちるとホン・インピョ先生の手を握って「充電」します。 このふたりが意外に

仕事に、恋に、母親に。ぶつかりながらアラサー女性の生きる道 『マイスウィートソウル』 #443

ここ数年、韓国文学はブックフェアが開かれるほど人気のようです。 それほどたくさんの本を読んだわけではないですが、「手始めに何から読めばいい?」と聞かれたら(誰にも聞かれないけど)、断然おすすめするのがチョン・イヒョンさんの『マイスウィートソウル』です。 ☆☆☆☆☆ 『マイスウィートソウル』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 編集者として働くオ・ウンス、30歳、ひとり暮らし。元カレの結婚報告、親友の結婚宣言、上司のセクハラ発言、母のイヤミと闘いながら毎日を送っている。ある日、年下の映画監督志望の男の子テオと知り合い、一夜をともにしてしまう。そして、上司から経営者であり大人の男性であるヨンスを紹介され……。 韓国版『ブリジット・ジョーンズの日記』で、「セックス・アンド・ザ・シティ」で、『東京タラレバ娘』ともいえる、アラサー女性の日々が赤裸々に綴られている本作。 著者のチョン・イヒョンさんは「記録者」とも呼ばれているそうで、なるほど、この年代に起こりえる、あらゆる問題にウンスは直面しているなと感じます。どの街でも、女性たちの生きる道はラクではないみたいですね。 もとは「朝鮮日報」という保守系の新聞に連載されていたのですが、2018年には韓国SBSでドラマ化もされていました。 わたしが「初めての韓国文学」にこの本をおすすめする理由は、ふたつ。 ひとつは、圧倒的な読みやすさです。地の文も口語体なので、とてもポップですし、翻訳のうまさもあってスラスラいけます。 ふたつめは、ウンスの悩みはたぶん世界共通だから。 会社員としての不満や、女性ならではの悩み。そして、恋心か経済力かで揺れる思い。「セックス・アンド・ザ・シティ」でも、キャリーやミランダが迷っていましたよね。 これが韓国女性になると、「両親」という悩みのタネも抱えることになるのだなーということが、よく分かります。 『マイスウィートソウル』を読んでしばらくしてから、同じチョン・イヒョンさんの『優しい暴力の時代』を読んだので、ちょっとギャップが大きかった。こちらは胸にチクチクと突き刺さる短編集です。 わたしの中にある“無意識の悪意”に気づくとき 『優しい暴力の時代』 #442   『優しい暴力の時代』にも出てくるように、現代の韓国女性にとって母との関係は、就職や結婚以上に乗り越えなくてはならない高い壁なのかもしれま

わたしの中にある“無意識の悪意”に気づくとき 『優しい暴力の時代』 #442

わたしは、なんて生きにくい時代に生きているんだろう。 本を読み終えて、いえ、読んでいる間中、そう感じていました。この「生きづらさ」の根本はどこにあるんだろう。 チョン・イヒョンさんの『優しい暴力の時代』は、母と子、妻と夫、恋人、同僚、同級生たちの“日常”を描いた短編集です。その“日常”に流れる“優しい暴力”は、思わず目を背けたくなるほど自然に“そこ”にあるものでした。 ☆☆☆☆☆ 『優しい暴力の時代』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 翻訳者の斎藤真理子さんの「あとがき」によると、『優しい暴力の時代』という本のタイトルは、偶然思い浮かんだものだそうです。 “その背景をチョン・イヒョンは「登場人物たちが、優しさとともに隠された暴力性を備えているように思えて」と語っている。また、各話の共通点については「苦痛の中にある人たちの物語、そして、彼らがその苦痛をそれぞれどう受け止めていくかを観察した物語」、また「何かをあきらめた後の物語」としている。” 収められている作品の中に同名のタイトルはないのですが、確かに全作品に共通しているのは、“優しい暴力”だったなと感じます。 “優しい暴力”という言葉を聞いて、思い出したのが「ソウル市民」という舞台でした。 (画像リンクです) 「ソウル市民」は、1990年に、 平田オリザさんが主宰する劇団「青年団」が上演した舞台劇。日本の韓国併合前夜、ソウル(当時の漢城)に暮らす日本人一家の一日の物語です。 平田さんはこの作品で、支配者として暮らす人々の“無意識の悪意”を描いたと語っていました。 「差別なんてとんでもない。ぼくたちは朝鮮人を人間と認めていますよ」なんていう数々のセリフからにじみでる“無意識の悪意”に、舞台が終わっても立ち上がれないくらいの衝撃を受けたんですよね。 “無意識の悪意”は、韓国映画としてカンヌ国際映画祭で初めてパルムドールを受賞し、アカデミー賞の各賞を総なめにした映画「パラサイト 半地下の家族」にもみてとれます。 “無意識の悪意”が階級を分断する 映画「パラサイト 半地下の家族」 #171   (このnoteは12月27日に行われた特別上映のことを書いていて、この時はまだアカデミー賞の行方は分かっていませんでした) 善良な市民の仮面に隠されていた本心は、21世紀になって堂々と歩き出したかのようにみえます。 「パラサイト」では

“想像力”のない世界を生きる 『アーモンド』 #288

「お宅のお子さんは優秀でいいわねー」「いえいえ、甘えてばかりの愚息です」 こんな謙遜の言葉に 「ホント、そうですわねー」 なんて答えたら、一生口を利いてもらえないかもしれない。ではなんて答えるのが正解なんでしょう。 「あらら、そこがかわいいんじゃないですかー」 「将来が楽しみですね」 いい年をしたオトナとして言える言葉はいくつかあるけれど、「それって本心?」と聞かれたら、テヘヘと笑ってしまいそう。 心の中にある感情と、表面に表れる表情やしぐさ、発する言葉は、驚くほど多くのパターンを持っていて、高性能なコンピューターでもまだ追いつけないのです。 そんな難しい組み合わせを、ひとつひとつ覚えなければならなかった少年がいます。 ソン・ウォンピョンさんの小説『アーモンド』の主人公ユンジェは、情動反応の処理と記憶を担っている「扁桃体」が人より小さく、人の感情を理解することができません。怒りや恐怖を感じることができないので、身を守る行動もできない。 『アーモンド』は、おばあちゃんから“かわいい怪物”と呼ばれるユンジェと、もう一人の“怪物”ゴニの物語です。 ☆☆☆☆☆ 『アーモンド』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 2020年本屋大賞の翻訳小説部門で第1位に輝いた『アーモンド』。高知県にある本屋さんからも「山中賞」を贈られています。 わたくし高知の本好き書店員、山中です。 半年にいちど、私がみなさんにどうしても届けたい本に〈山中賞〉という個人的な賞を贈ります。 これを機にたくさんの人に知ってもらえますように。 第2回〈山中賞〉はソン・ウォンピョンさんの『アーモンド』です! 発表のようすはこちら!!! https://t.co/UCyerIazvh pic.twitter.com/LMKOjjzgdC — なかましんぶん編集長 (@NAKAMAshinbun) March 11, 2020 口角が上がっている → うれしいと感じている 表情と感情をパズルのように組み合わせ、「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させたお母さん。普通に、平凡に、目立たないようにあることを望みますが、そんなお母さんとおばあちゃんが、通り魔に襲われてしまいます。 血まみれのふたりを見ても、表情を変えることのないユンジェ。 おばあちゃんは亡くなり、お母さんは植物状態に。16歳にして保護者を失っ