「わたしにとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。しかもその真理は、わたしがそのために生き、そのために死ねるような真理である」
デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールの言葉です。
大学時代に出会ったキェルケゴールは、わたしの人生の指針となりました。本人は中二病まんまの「こじらせおじさん」だったようですが、厳しくも孤独を愛し、激しく神を信じた人です。
この頃、参考になるのでは、と友人に勧められて、シャーリー・マクレーンのエッセイ『アウト・オン・ア・リム 愛さえも越えて』や『オール・イン・ザ・プレイング 私への目覚め』なども読んでいました。
これら一連の本を翻訳されたのが、山川紘矢さんと山川亜希子さんのご夫婦です。1995年に日本で発刊された『聖なる予言』を知っている方も多いはず。
ご夫婦で精神世界やスピリチュアル関連の翻訳を多く手がけられている、という点でも珍しいと思います。
おまけに、お二人とも東大出身で、紘矢さんは大蔵省、亜希子さんはマッキンゼー・アンド・カンパニー出身と、バリバリの資本主義経済ど真ん中におられた方なんですよね。
振り幅が大きい!
そんなお二人が翻訳されたパウロ・コエーリョの『弓を引く人』は、弓道の極意を語る達人のお話です。
☆☆☆☆☆
『弓を引く人』
☆☆☆☆☆
小さな村で大工として暮らしていた哲也のもとに、遠い国から弓の達人が訪ねてくる。ふたりの勝負を目撃した少年は、弓を教えて欲しいと哲也にお願いする。哲也が語る、弓の真髄とは……。
静かな、静かな物語です。弓を引く音、矢が飛んでいく音、その背後にある葉ずれの音まで聞こえてきそうな静けさ。
弓について教えることなんて、簡単なこと。本当に難しいのは、教わったことを、求められる精度でマスターできるまで、毎日研鑽を積むことだ、と語る哲也。
弓矢に的。それぞれの持ち方、見方。姿勢や、矢を放つ瞬間について、哲也は少年に一つひとつ説明してくれます。
これ、すべてそのまま「日々の生き方」だなと感じました。
たとえば「仲間」については、こんな言葉があります。
正しいとされていることを主張し、自分の考えと会わない人間を批判し、人々から尊敬されると確信できないことには手を出さない人、そして疑わしいことよりも確実なことだけを好む人を敬遠しなさい。”
いま、SNSにはびこる「正義の刃」を振りかざす人って、まさに「遠ざけた方がいい人」ではないでしょうか。
また、「的を見る」には、内省を奨励する言葉もありました。
良い瞬間を、内なる平和への道を発見するために使いなさい。”
著者のパウロ・コエーリョはブラジルの作家で、『アルケミスト - 夢を旅した少年』がベストセラーになっています。『ベロニカは死ぬことにした』は映画化もされましたよね。
少年の冒険譚が、そのまま人生の箴言につながっているところは共通しています。
わたしの家の近くに弓道場があって、時々、稽古しているところを見ていました。一連の動作の美しさは、ずっと見ていても飽きません。
矢を手にし、弓を引き、的を見つめ、矢を放つ。
矢を射る稽古は単なる繰り返しではありません。弓道は「立禅」と呼ばれるほど、精神修養も求められる武道です。
驚くほどに細かく、繊細な弓道の所作の描写。
すべての行為に精神性を見出す哲也の言葉。
静かで、強い言葉の数々に、新たな人生の指針を見つけた思いでした。
コメント
コメントを投稿