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『家守綺譚』#961

「私は、人間が“生きようとする”ための手伝いをできる作品を書きたい」 小説家の梨木香歩さんの言葉です。たしか小川洋子さんがラジオでお話されていたのを聞いたので、正確ではありませんが、こういう主旨のお話でした。 ここでは「人間が」とありますが、梨木さんの作品って、もっと広く、地球も自然も動物も植物もすべてのものが「生きようとする」ことに対しての、エールなのではないかと感じるんですよね。 梨木さんの小説には、植物が重要なモチーフとしてよく登場します。 『家守綺譚』では、間借りしてきた青年・綿貫征四郎に、庭のサルスベリが恋をしちゃう。 新人小説家と、天地自然の「気」との交歓の物語です。 ☆☆☆☆☆ 『家守綺譚』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 駆け出しの小説家・綿貫征四郎は、湖で行方不明になった友人・高堂の家を「家守」することになる。初日から家の周辺がザワザワしているが、人の気配はない。家や周囲の自然で起こる、さまざまな「怪異」との交歓がはじまる……。 滋賀県には、京都に向かって流れる「瀬田川」という川があります。日本一大きな湖である琵琶湖から、唯一「外」に流れる川。山を抜けて京都に入り、山科疎水と呼ばれる辺りは、桜の名所としても有名です。 はっきりと示されてはいませんが、『家守綺譚』の舞台は、この疎水のある山中のようです。 この周辺の学校に通っていたので、なんだかとても懐かしい匂いを感じました。木立の向こうにキラキラと輝く湖水の描写などは、かつて自分が見ていた景色とも一致します。 この、自然の描写と人との結びつきが、『家守綺譚』で描かれているんです。全二十八章のタイトルは、すべて植物名になっています 飼い犬が河童と仲良くなったり、散りぎわの桜が暇乞いに来たり。異世界と現実が地続きとしてあって、生と死もひとつの流れのように思えてきます。 家主の高堂は行方不明ですが、綿貫と会話するシーンがあります。「どうやって!?」は、これまた奇想天外なので、本編でお楽しみいただくとして。 そこに登場するのが、『村田エフェンディ滞土録』の村田くんです。 『村田エフェンディ滞土録』#960   どちらの小説も、自分の価値観と相手の価値観の違いを受け入れ、見えるものがすべてではないことを受け入れ、「生きようとする」ことの不条理と幸せを感じられる物語といえます。 高堂の家を取り巻く

『村田エフェンディ滞土録』#960

「宗教が原因で戦争が起きているのに、宗教に人を救う力はあるんでしょうか?」 大学時代、宗教学の時間にクラスメイトが質問したことがありました。宗教だけでなく、国家のメンツ、資本主義の利権は、多くの争いの元になっています。 「平和」とは、画に描いた餅、決して届かない空の星のようなものなのでしょうか。 梨木香歩さんの『村田エフェンディ滞土録』の舞台は、出身も、宗教も異なる若者が集まるアパートです。 場所は、1890年代のトルコのイスタンブール。 違いを抱えていても、対立するものでも、どちらかがどちらかを飲み込むものでもなく、違ったまま両立することができることを教えてくれる小説です。 ☆☆☆☆☆ 『村田エフェンディ滞土録』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 遺跡発掘のため、トルコに留学した村田くん。下宿先ではイギリス人の女主人・ディクソン夫人、ドイツ人考古学者・オットー、ギリシャ人の研究家・ディミィトリス、トルコ人の下働き・ムハンマドと一緒に生活している。ある日、ムハンマドが鸚鵡(おうむ)を拾ってきて……。 梨木香歩さんらしい、ファンタジーと現実が融合した、しかも異国のスパイスの香りが漂う小説です。代表作のひとつである『家守綺譚』の世界ともつながっています。 (画像リンクです) 西洋と東洋、キリスト教とイスラームと神道、男と女などなど、多くの「違い」を抱えた下宿は、神さま同士もおっかけっこして調和を探るような場所なんです。 ムハンマドが拾ってきた鸚鵡の傍若無人ぶりも、クスッとさせてくれます。「こいつ、なめてんのか!?」と言いたくなるような鸚鵡なんですが、コイツが話せる言葉は、ラストシーンにつながっていきます。 “見えないもの”をないものとし、自分の信じたいものだけを正しいと主張することが、どれだけ貧しいことなのか。見たいものだけ見る世界が、どれだけ歪んでいるのか。 ディミィトリスが村田くんに教えてくれる言葉があります。 “我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要なものに手を差し出そうではないか。 この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。 『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と。” 背景が違うからこそ、議論を尽くし、分かり合おうとする異国の青年たち。村田くんが帰国した後、戦争が勃発。 日本で友の無事を祈るしかない村田くんの

『ミシンと金魚』#959

どれだけ孤独が好きだったとしても、友だちと呼べる人が少なかったとしても、ひとりじゃない。 永井みみさんの『ミシンと金魚』を読みながら、あらためてそんなことを感じました。 主人公は、認知症を患う「カケイさん」です。人生の軌跡を可視化するライフチャートなんか書いたら、「ドン底期」しかないんじゃないかと思うほどの人生。 その中にあった、幸せの時間とは? ☆☆☆☆☆ 『ミシンと金魚』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 永井みみさんは、ケアマネージャーとして働きながら、この小説を書き上げ、第45回すばる文学賞を受賞。絶賛されているレビューをTwitterで見かけて、さっそく読んでみました。 物語は、「カケイさん」のひとり語りで進みます。というか、超絶マシンガントークで、「カケイさん」の日常が浮き彫りになっていく。 デイサービスと、息子の嫁の介護を受けながら、ひとりで暮らしている「カケイさん」。嫁の名前はかろうじて覚えているんですが、デイサービスで出会う介護士たちは、みんな「みっちゃん」という名前で認識されているんです。 その、「みっちゃん」という名前に込められた背景に、またまた壮絶な「ドン底期」を知ることになります。 継母から毎日薪で殴られ、犬のおっぱいをもらいながら育った幼少期。 女に学はいらないと教育は受けられず、古新聞を読んで文字を知った少女時代。 兄のおかげで結婚するも、夫は蒸発。先妻の息子と、自分の子どもを必死に育てた、母としての時間。 学もなく、周囲にバカにされるだけだった「カケイさん」の、唯一の特技がミシンでした。 以前、在日一世の聞き取り調査をした際、ミシンの話がたくさん出てきたと聞いたことがあります。遺品として残っているものも、旧型の足踏みミシンが多くあったそう。 外で女性が働くことが難しく、学もない女性が働こうとなったとき、初期投資の少ないミシン仕事は、家計を助けるものだったのかもしれないですね。 ミシンに夢中になり、いわゆる「ゾーン」に入ったときに、事件は起きます。 禍福は糾える縄の如しなんてことわざがありますが、「カケイさん」にとって、禍福の採算はどうだったんだろうと思わずにいられない。 ずっと搾取される側で、人間の尊厳なんて言葉も知らず、バカにされ、雑に扱われてきた人生。 それでも。 「カケイさん」は決してひとりではなかった。 デイサービスで隣に座った

『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』#958

トマトは赤くて、バナナは黄色い。 当たり前だと思っていた色の認識は、「商品」として作り出されたものなのかもしれない。 久野愛さんの『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』は、資本主義の観点から食べ物を見直した本です。 ☆☆☆☆☆ 『視覚化する味覚: 食を彩る資本主義』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 大量生産・大量消費時代に、食べ物は「農業」から「産業」へと変化しました。これに合わせて、農場自体が工場化され、形や色を「標準化」していきます。 たとえば、アメリカのオレンジ農家による地域対決の話が紹介されています。 オレンジ色が強いカリフォルニアのオレンジに対して、味は良いけれど見た目が武骨なフロリダのオレンジ。両者で起こったアピール合戦は、「見た目」勝負でした。 食いしん坊なので、おいしそうな料理の写真や言葉には、つい反応してしまいます。この時、自分が何に反応しているのか、考えてみると、やっぱり写真などの「見た目」が大きいなと感じます。 以前、「曲ったキュウリは売れないから、まっすぐになるように栽培するのだ」という話を聞いたことがありました。 一方で、関西の田舎から東京に来たとき、野菜の味が違うことに驚きました。特に、スーパーで売っていたトマト。青くさくて、水っぽくて、わたしの知っているトマトとは違う……!?と感じたんですよね。 うちではご近所の方が作っていたお野菜を分けていただいてたので、土の味が違うのかもと思っておりました。皮が厚くて、形も歪だけど、ちゃんと太陽の味がした。わたしにとっては、あれが「トマト」でした。 いま、食べ物の形や色に対して、「自然」と感じているものは、商品としてすり込まれた「当たり前」なのかもしれない。 一番効果を発揮しているのは、ツヤツヤして、形が整い、新鮮さを感じさせる広告写真でしょう。 その点、ヴィジュアル重視が進んで、盛ったり、映えを追求したりといった行動は、ますます見た目の標準化を加速させたといえそうです。 「自然」とは何か。 毎日、口にするものの視覚的情報について考えさせられる一冊です。

『おいしい味の表現術』#957

テレビの食レポを見るとき、どこに注目していますか? うちのダンナ氏は古い世代のせいか、お箸の持ち方が気になるそうです。食いしん坊のわたしはもちろん、どんな味なのか、です。 「ふわトロ~」や「ヤバいー」といった、味に関する言葉は広がっているように思いますが、はたして本当に「その味」を表現できているのだろうか。 そんな疑問から、味を表現する言葉を分析した本が『おいしい味の表現術』です。 ☆☆☆☆☆ 『おいしい味の表現術』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ こうして毎日ブログを書いていると、自分にとって使いやすい表現が出てきます。これをわたしは「逃げの言葉」と呼んでいて、一度書いた後に、「他の言葉で表現するとどうなる?」を考えることにしています。 もともと、この「1000日チャレンジ」を始めた時に決めていたのは、 ・すごい ・おもしろい ・かわいい という、とても使いやすいけど、何も言っていないに等しい言葉を使わないことでした。 決めたはいいですけどね。 大変やし!!! 同じレベルで語るのもあれですが、食レポをされる方も大変だろうなーと思います。 日本語には、基本五味(甘味・塩味・酸味・苦味・旨味)があり、ほかに五感を使った共感覚表現があります。「こんがりキツネ色に揚がったクリームコロッケ」の「こんがりキツネ色」が視覚を使った表現ですね。 こうした味にまつわる言葉を、ひとつひとつ分析した本なんです。 著者の「味ことば研究ラボラトリー」とは、「味にまつわる言葉を研究し、情報交換をしている言語研究者集団」とのことで、認知言語学やレトリックの専門家がおられます。 わたしの大好きなおやつ「ポッキー」という商品名に含まれる、「ポキッ」というオノマトペが、聴覚と触覚を刺激しているだなんて。 「おいしい」を表す言葉の数々にも規則性や傾向があって、どの要素を、どの順番で並べると「おいしい」が高まるのかなど、ヨダレが出そうな話がいっぱいでした。 言葉の森は奥深いけど、味の世界は歩いていて楽しい道ですね。 類書に、ソムリエの田崎真也さんが書かれた『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』があります。こちらは、「おいしい」をどれだけ違う言葉で表現するかに焦点を当てた内容。「逃げの言葉」を使わないようにしようと決めたのも、この本がきっかけでした。 自分に負荷をかけよう『言葉にして伝える技術――ソ

『ロスト ハウス』#956

少女マンガ界で「24年組」と称されるマンガ家さんがいます。 萩尾望都さんや竹宮惠子さんら、昭和24年頃に生まれ、1970年代から活動されている方々です。 わたしの家ではマンガを買ってもらえなかったので、夏休みに従姉の家に行くのを楽しみしていました。 なぜって、従姉はマンガが好きだったから。 萩尾望都さんのマンガや、『エースをねらえ!』なんかを、布団の中で従姉と一緒に読んだんですよね。 この頃、たぶん大島弓子さんのマンガも読んだように思いますが、あんまり記憶に残っていない……。 久しぶりに『ロスト ハウス』を読み返してみると、日常の中にある違和感を描いた作品が多い。だから小学生には難しかったのかもしれません。 ☆☆☆☆☆ 『ロスト ハウス』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 表題作の「ロスト ハウス」のほか、6編の短編と、あとがきマンガが収められています。 あとがきには「猫が増えてきたし、引っ越します」という話があり、「吉祥寺駅徒歩5分、2DK」のマンションから、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」へお引っ越しをされています。 引っ越しを検討しているとき、一度は契約しようとしたけど、そこから頭痛に悩まされてキャンセル。振り出しに戻ったところで、希望通りの家に出会った話は、『グーグーだって猫である』でも紹介されていました。 (画像リンクです) 昨日、2022年2月22日は「猫の日」だったと、ブログを公開してから気が付きました。今年の「猫の日」は、『グーグーだって猫である』を紹介しようと思っていたのに……。 950日も書いていて、相変わらずの計画性のなさ。 そんなフラフラしたわたしでも、生きていていいんじゃないかと思える温もりが、「ロスト ハウス」にはあるんです。なんかムリヤリ感ありますが、本当です。 突然、「北海道の話聞きたくないですか?」と、エリをナンパした仁。うっかりエリを怒らせてしまい、「一か月間、部屋の鍵をかけずに、出入り自由にできたら許す」という約束をしてしまいます。 おかげで泥棒に入られたりするんですが、エリには「散らかった部屋でボーッと過ごす」ことに特別な意味があったのです……というお話。 毎日の連続が、息苦しくなったり、色のないものに思えたりすることがあります。そんな時に読み返すのに、ぴったりなのが大島作品。手の中にある、小さな自由を大事にしよう

『東大教授がおしえる やばい日本史』#955

「どうしたら本を一冊読めるようになりますか?」 知人にそう聞かれて、とても困りました。息をするように自然に本を手にしてしまうわたしにとって、「読む」ことは当たり前だったからです。 この方のように「文字を追いかけるのが苦手」な人は、意外と多いのかもしれません。 わたしの友人も「文字を追いかけるのが苦手」なため、「聞く」ことで本を読んでいます。AmazonのAudibleやオーディオブックなど、最近は書籍の音声コンテンツ化も増えていますよね。 この話を聞いて、散歩のときにAudibleで本を「聞く」ようになりました。おもしろそうなら紙の本を買うこともあります。実質2冊になっちゃうけど、ポイントを振り返るには、やっぱり紙の方が便利なので。 最近の散歩の共は、Podcast 「歴史を面白く学ぶCOTEN RADIO」です。 「COTEN RADIO」とは、株式会社COTEN代表の深井さん、楊睿之さん、そして株式会社BOOK代表の樋口さんが、日本と世界の歴史を「現代の言葉で」語り尽くす番組です。 COTEN RADIO コテンラジオ オフィシャルサイト   歴史上の偉人と呼ばれる人たちも、踏んだり蹴ったりな目に遭ったり、絶望したり、もがいたりしていた話がおもしろくて、聞き入ってしまう。 中でも、今年の1月下旬から配信されている、東京大学史料編纂所の本郷和人教授が語る日本の歴史も、人間ドラマの語りが秀逸。 思わずご著書の『東大教授がおしえる やばい日本史』を買ってしまいました。 これも“やばい”おもしろさを秘めた本でした。 ☆☆☆☆☆ 『東大教授がおしえる やばい日本史』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 聖徳太子に紫式部、徳川家康や坂本龍馬といった武士たちまで、日本史に必ず登場する偉人たちの姿が立体的に紹介されています。和田ラジヲさんのイラストもクスッとなるポイントです。 キーワードは、「人はすごいとやばいでできている!」。 (画像はAmazonより) 「COTEN RADIO」の良さについて、「現代の言葉で」語り尽くすところと紹介しましたが、この本も同じ。難しい話をかみ砕いて説明してくれていて、偉人たちの人間性に触れることができます。 本屋さんでずっとこの本を探していたんですが、歴史コーナーやエッセイの棚では、まったく見つけられませんでした。検索機で探したところ……。 子ども

『奇病の人』#954

「マルセ太郎」という名前は、どれくらいの方がご存じでしょうか。 形態模写とパントマイムを得意とした喜劇役者で、一本の映画を再現した舞台「スクリーンのない映画館」は大人気でした。 これじゃないけど、一度舞台を観にいったことがあります。 クルッと振り返ったところで、歌舞伎役者のようにギロリと光る、目。 思わず椅子から飛び上がるくらい怖かった……。 若いときはいろんな“やんちゃ”をし、芸人となってからも“バカ売れ”したわけではないけれど、多くの芸能人のファンを持っていました。永六輔さんや立川談志さん、古舘伊知郎さんらがファンとして知られています。 実は、さまざまな“奇病”の持ち主でもあって、病との付き合いを綴ったエッセイ『奇病の人』を残されています。 ユーモアと愛をもって、人間の生き様をみつめたマルセ太郎さん。自身のすべてを舞台に捧げた方でした。 ☆☆☆☆☆ 『奇病の人』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ マルセ太郎さんは、肝臓ガンのため、2001年に亡くなられています。『奇病の人』には、ガンと闘いながら舞台を作り続ける日常が綴られています。 最初に不調を感じたのが、山梨県の白州で行われたアートキャンプに参加した時だったそう。「アートキャンプ白州」とは、舞踊家の田中泯さんが主宰するイベントです。 田中泯さんの踊りと生き様を追ったドキュメンタリー映画「名付けようのない踊り」にも、“畑仕事で作り上げた身体”で踊ろうと決めた田中泯さんが、農作業をされる様子が出てきます。 映画「名付けようのない踊り」#953   マルセさんは、田中泯さんの東京の拠点である「プランB」でも舞台公演をおこなっていて、この時の経験が、自身の芸を大きく変えたと語っておられます。 ですが、キャンプの途中で腹痛を訴え、帰宅。検査入院を繰り返し、分かったのは肝臓ガンでした。 さまざまな病気と付き合ってきたせいか、なんというかとても前向きな捉え方をする方で、この経験を「幸運だった」と述懐されてるんですよね。 そして、本人に告知をするかどうか、医療チームや家族の判断に委ねられていた時代なのですが。 看護師から「ガンの告知は受けましたか?」と質問されてとまどう……などなど、病院生活でさえも笑いに包んでしまう。 4度の再発を抱えながらも、多くの人に支えられ、「マルセ喜劇」を完成させ、興行を行うまでの過程は、読んでいてハ

映画「名付けようのない踊り」#953

「彼の歩き方は、“ダンサー”じゃないんです! 彼こそ“俳優”の歩き方ができる人なんです!!」 2002年に公開された山田洋次監督初の時代劇「たそがれ清兵衛」を観て、当時師事していたアメリカ人映画監督が叫びまくっていました。感動の叫びですよ、念のため。 DVD (画像リンクです) Amazonプライム配信: https://amzn.to/3IiVKpv “彼”とは、映画の中で清兵衛が討ちに行く相手・余吾善右衛門を演じた田中泯さんです。 狭い家の中で斬り合い、倒れる善右衛門。 この時、なんの音もしないんです。静かに、ゆっくりと倒れていく。 これは、絶対的に全身の筋肉をコントロールできる人だけができる演技とのこと。 (画像はIMDbより) ドラマ「太陽にほえろ!」などでは、亡くなるシーンの時、いかに派手に、個性的に、華々しく散るかを考えたそうです。ジーパン刑事(松田優作)の 「なんじゃあこりゃああ!!!!!」 が有名ですよね。 でも、田中泯さんが見せてくれたのは、およそ正反対の極にある死に様でした。 その姿はいまでも強烈に残っています。 クラッシックバレエとモダンダンスを学び、土方巽氏に師事した田中泯さん。その踊りと生き様を追ったドキュメンタリー「名付けようのない踊り」が公開されています。 ☆☆☆☆☆ 映画「名付けようのない踊り」 公式サイト: https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/ ☆☆☆☆☆ 映画は、ポルトガルの街角で、ひとりの男がしゃがみこんでいるところから始まります。 ホームレスのような風貌(すいません)、モソモソと超スローモーションで伸びていく腕、ゴソゴソと超スローモーションで動きだす足。 これが、田中泯さんの“踊り”です。 わたしの貧弱な知識の中で「ダンス」といえば、音とリズムに合わせて手足を動かすもの、でした。軽やかで、ウキウキするような、“ハレ”の気配を感じるもの。 映画「スウィング・キッズ」なんて、マジで重力を感じさせない「ダンス」でした。 K-POPアイドルグループ「EXO」のド・ギョンスくんと、ブロードウェイミュージカルの最優秀ダンサーの称号をもつジャレッド・グライムスのダンス対決シーンは、しびれるほどのかっこよさです。 タップのリズムで結ばれた絆の行方 映画「スウィング・キッズ」 #227  

『弓を引く人』#952

「わたしにとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。しかもその真理は、わたしがそのために生き、そのために死ねるような真理である」 デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールの言葉です。 大学時代に出会ったキェルケゴールは、わたしの人生の指針となりました。本人は中二病まんまの「こじらせおじさん」だったようですが、厳しくも孤独を愛し、激しく神を信じた人です。 この頃、参考になるのでは、と友人に勧められて、シャーリー・マクレーンのエッセイ『アウト・オン・ア・リム 愛さえも越えて』や『オール・イン・ザ・プレイング 私への目覚め』なども読んでいました。 (画像リンクです) (画像リンクです) これら一連の本を翻訳されたのが、山川紘矢さんと山川亜希子さんのご夫婦です。1995年に日本で発刊された『聖なる予言』を知っている方も多いはず。 (画像リンクです) ご夫婦で精神世界やスピリチュアル関連の翻訳を多く手がけられている、という点でも珍しいと思います。 おまけに、お二人とも東大出身で、紘矢さんは大蔵省、亜希子さんはマッキンゼー・アンド・カンパニー出身と、バリバリの資本主義経済ど真ん中におられた方なんですよね。 振り幅が大きい! そんなお二人が翻訳されたパウロ・コエーリョの『弓を引く人』は、弓道の極意を語る達人のお話です。 ☆☆☆☆☆ 『弓を引く人』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 小さな村で大工として暮らしていた哲也のもとに、遠い国から弓の達人が訪ねてくる。ふたりの勝負を目撃した少年は、弓を教えて欲しいと哲也にお願いする。哲也が語る、弓の真髄とは……。 静かな、静かな物語です。弓を引く音、矢が飛んでいく音、その背後にある葉ずれの音まで聞こえてきそうな静けさ。 弓について教えることなんて、簡単なこと。本当に難しいのは、教わったことを、求められる精度でマスターできるまで、毎日研鑽を積むことだ、と語る哲也。 弓矢に的。それぞれの持ち方、見方。姿勢や、矢を放つ瞬間について、哲也は少年に一つひとつ説明してくれます。 これ、すべてそのまま「日々の生き方」だなと感じました。 たとえば「仲間」については、こんな言葉があります。 “冒険を試み、危険を冒し、失敗し、傷つき、それでもさらに危険を冒す人たちと友だちになりなさい。 正しいとされていることを主張し、自分の考えと会わ

『タイム・スリップ芥川賞 「文学って、なんのため?」と思う人のための日本文学入門』#951

「歌は世につれ、世は歌につれ」といいますが、「文学は世につれ、世は文学につれ」ともいえるのかもしれません。 菊池良さんの『タイム・スリップ芥川賞 「文学って、なんのため?」と思う人のための日本文学入門』は、歴代の芥川賞から、“転換点”といえる作品を紹介した本。その作品が書かれた当時の日本を知ることで、より作品世界を味わえるようになっています。 こうして通して振り返ってみると、「文学は世につれ、世は文学につれ」ってホントにそうなんだなと実感しました。つまり、近代の歴史を振り返る本でもあるのです。 ☆☆☆☆☆ 『タイム・スリップ芥川賞 「文学って、なんのため?」と思う人のための日本文学入門』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1冊も小説を読んだことのない少年が、文学好きな博士と一緒にタイム・マシンに乗って、歴代の芥川賞受賞作家に会いに行く、というストーリー形式で進みます。 この、「タイム・マシン」と「少年と博士」という組み合わせは、完全に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。オープニングなんか、まさに!な幕開けでした。 (画像リンクです) 菊池良さんといえば、「世界一即戦力な男・菊池良から新卒採用担当のキミへ」で一躍有名になった方です。ネタはおもしろかったんですが、この“真顔”が怖かった……。 世界一即戦力な男・菊池良から新卒採用担当のキミへ   その後、めでたくWeb制作のLIGさんに就職。コンテンツ記事を制作されていたそうで、わたしが一番記憶に残っているのは、ゲームチェアの広告記事。当時、この“真顔”が怖かった……。 【衝撃の事実】立つよりも座る方が楽なことが判明 | 株式会社LIG   上の記事では「座るほうが楽」という結論が出ておりますけれど、5年以上経ったいま、もしかしたら結論は変わったかもしれないですね。 リモートワークをしている時、半分くらいは立って仕事をしております! 相変わらず「座るほうが楽」なんだけど、運動不足のため、お尻と足が疲れてしまう。適度に立って仕事をするようになりました。 ちなみに、アメリカ在住の友人によると、Google勤務の方はスタンディングで仕事をする方が多いそうで、理由は「座っていると、思考が止まるから」だそうです。さすがすぎる……。 閑話休題。 LIGさんを退職された菊池さん。またまた世間を騒がせたのが、『もし文豪たちが カップ焼きそ