「彼の歩き方は、“ダンサー”じゃないんです! 彼こそ“俳優”の歩き方ができる人なんです!!」
2002年に公開された山田洋次監督初の時代劇「たそがれ清兵衛」を観て、当時師事していたアメリカ人映画監督が叫びまくっていました。感動の叫びですよ、念のため。
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“彼”とは、映画の中で清兵衛が討ちに行く相手・余吾善右衛門を演じた田中泯さんです。
狭い家の中で斬り合い、倒れる善右衛門。
この時、なんの音もしないんです。静かに、ゆっくりと倒れていく。
これは、絶対的に全身の筋肉をコントロールできる人だけができる演技とのこと。
(画像はIMDbより)
ドラマ「太陽にほえろ!」などでは、亡くなるシーンの時、いかに派手に、個性的に、華々しく散るかを考えたそうです。ジーパン刑事(松田優作)の
「なんじゃあこりゃああ!!!!!」
が有名ですよね。
でも、田中泯さんが見せてくれたのは、およそ正反対の極にある死に様でした。
その姿はいまでも強烈に残っています。
クラッシックバレエとモダンダンスを学び、土方巽氏に師事した田中泯さん。その踊りと生き様を追ったドキュメンタリー「名付けようのない踊り」が公開されています。
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映画「名付けようのない踊り」
公式サイト:https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/
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映画は、ポルトガルの街角で、ひとりの男がしゃがみこんでいるところから始まります。
ホームレスのような風貌(すいません)、モソモソと超スローモーションで伸びていく腕、ゴソゴソと超スローモーションで動きだす足。
これが、田中泯さんの“踊り”です。
わたしの貧弱な知識の中で「ダンス」といえば、音とリズムに合わせて手足を動かすもの、でした。軽やかで、ウキウキするような、“ハレ”の気配を感じるもの。
映画「スウィング・キッズ」なんて、マジで重力を感じさせない「ダンス」でした。
K-POPアイドルグループ「EXO」のド・ギョンスくんと、ブロードウェイミュージカルの最優秀ダンサーの称号をもつジャレッド・グライムスのダンス対決シーンは、しびれるほどのかっこよさです。
で、こういうイメージの正反対に位置するのが、田中泯さんの“踊り”。
「たそがれ清兵衛」のシーンは、映画でも使われています。あれほどの決闘を繰り広げたのに、最期の瞬間は、フッと消えるように死んでしまうのです。
どれほどトレーニングすれば、これほど自分の身体をコントロールできるようになるんだろう。
ダンサーは、ダンスを目的に身体を作ってしまう。でも自分は、“畑仕事で作り上げた身体”で踊ろうと決め、田中泯さんは40歳の時に山梨県で農業を始めます。
1978年にパリの秋の芸術祭で“踊り”を披露し、絶賛されるも、自分の流派を作ったり、名声を高めたりするような誘いや活動に、嫌悪を感じたから。
田中泯さんが、ただひとり、“踊り”を観てもらいたいと思った人が、フランスの哲学者ロジェ・カイヨワでした。
映画のタイトルは、この時、カイヨワが伝えた「永遠に、名付けようのない踊りを続けてください」からきています。
正解や効率、生産性といった言葉があふれるいま、独自の美学を貫く田中泯さんの哲学に触れ、わたしも大きく揺さぶられました。
そしてまた、「見ている人と僕の間に、“踊り”が生まれることが理想です」という田中泯さんの言葉にも、ズンッと感じるものがありました。
これはまさに、「コミュニケーション」のことだから。
映画のラストで、ひとつの“踊り”を終えた田中泯さんが、頭をポコポコと叩くシーンがあります。そして、ニコニコしながら、ひと言。
「海に沈んでいきそうな感じ」
映画を観ながら、わたしも一緒に海に沈んでいたのかもしれない。田中泯さんの集中力に引き込まれ、光の射さない暗闇の中で、たくさんのものを見つめていたせいでしょうか。
家に帰ってから、コンコンと眠ってしまいました……。
田中泯さんの“踊り”に感じるものに、たぶん正解はないでしょう。
だからこそ、たくさんの人に感じて欲しいなと思います。
正解のない道をいく、厳しさと楽しさを。
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