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『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』#974

地球史上、この本ほど、「沼」に引き込む本はあっただろうか。 万年筆好きが必ず通るインク沼。 本好きなら素通りできない特殊フォント。 ファンタジー好きが憧れる妄想商店街。 さまざまな仕掛けで、その世界に引き込まれてしまう『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』。副題には「ガラスペンでなぞる」とありますが、もちろんどんなペンで書いてもOK。 これ、めちゃくちゃハマります……。 ☆☆☆☆☆ 『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 本の制作は、「少し不思議」な紙雑貨屋の「九ポ堂」さんです。もともとは活版印刷屋さんだったそう。 九ポ堂 powered by BASE   わたしの中で(勝手に)活版印刷屋さんといえば、ほしおさなえさんの 『活版印刷三日月堂』 でした。もちろん、九ポ堂さんとコラボした作品も制作されています。はぁ、もう、かわいいしかない世界。 印刷博物館×活版印刷三日月堂 コラボ企画展   『ツキアカリ商店街』は、過去のグループ展イベントがきっかけで誕生した、妄想の商店街シリーズをまとめたものです。 ・ツキアカリ商店街 ・雪乃上商店街 ・でんでん商店街 ・ゾクリ町商店街 ・七色珊瑚町商店街 5つの商店街にある、48のお店と57のおはなしが「なぞり書き」できるようになっています。 (画像はAmazonより) おはなしに合わせてインクを選ぶのも楽しいですし、書体や紙自体もたくさんの種類があるので、書き味の違いも楽しめます。 設定もとても細かくて、「雪乃上商店街」は上空2000メートルのところにあるらしい。「でんでん商店街」は雨の日だけオープン。理由は、カタツムリの殻が割れちゃうかもしれないから! 書き込みながら自分だけの一冊がつくれるオリジナリティと、インクやガラスペンへのオタク愛を刺激するポイント満載の本。 なにより、妄想の世界の広がりが心地いい。 休日のリラックスタイムにお試しいただくと……沼へGo!となりますよ。

『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』#972

天災、戦争など、自分の力ではどうにもならない出来事を前にして、無力感に襲われることがあります。 2011年3月11日もそうでした。 新宿のオフィスから新宿御苑へと避難し、自転車で麻布まで行ってダンナ氏と合流。そこから車と電車と徒歩で、なんとか帰宅しました。 「うちは、倒れずに残っているかな……」 なんて話をしながら、お互いが無事であったことに感謝し、珍しく手をつないで歩きました。 いま世界ではまた、天災や戦争が起きていて、自分の力ではどうにもならない事態に打ちひしがれる日々でした。 そんなときに、南米アンデスに伝わる「クリキンディの話」を教えてもらいました。 森が火事になったとき、ほかの動物たちは急いで逃げてしまったのですけれど、ハチドリだけが、くちばしで水のしずくを運んでいる。「何をしているの?」と聞かれたハチドリは、こう答えます。 「私は、私にできることをしているだけ」 クリキンディ=ハチドリの物語は、『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』としてまとめられています。 ☆☆☆☆☆ 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ クリキンディの話は絵本の形になっていて、坂本龍一さんやC.W.ニコルさんのメッセージが収録されています。 著者の辻信一さんは、文化人類学者で環境運動家という方。クリキンディの話を英訳し、イラストレーターの方と打ち合わせをした際、善悪二元論にしてしまうのは違うのではないか、という指摘を受けたのだそう。 森の一大事にあたって、行動をしたのはハチドリだけだったわけですが、だからといってそれがエライわけでもない。 ハチドリ=正義 ほかの動物=悪 ではないところが、この物語に引きつけられる理由かなと思います。 “怒りや憎しみに身をまかせたり、人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。” 鳥類の中で最も体が小さいハチドリ。小さなくちばしで運んだ水のしずくは、本当にちょびっとだったと思います。 でも、ちょびっとがたくさん集まれば、森の火事を消し止めるのに役立つかもしれない。 そう思って、今年もスタバの「ハミングバードプログラム」に参加してきました。 「ハミングバード プログラム」とは、東日本大震災をきっかけに始まった若者支援プログラム。期間中にカードで購入すると、商品代金の1%が寄

映画「名付けようのない踊り」#953

「彼の歩き方は、“ダンサー”じゃないんです! 彼こそ“俳優”の歩き方ができる人なんです!!」 2002年に公開された山田洋次監督初の時代劇「たそがれ清兵衛」を観て、当時師事していたアメリカ人映画監督が叫びまくっていました。感動の叫びですよ、念のため。 DVD (画像リンクです) Amazonプライム配信: https://amzn.to/3IiVKpv “彼”とは、映画の中で清兵衛が討ちに行く相手・余吾善右衛門を演じた田中泯さんです。 狭い家の中で斬り合い、倒れる善右衛門。 この時、なんの音もしないんです。静かに、ゆっくりと倒れていく。 これは、絶対的に全身の筋肉をコントロールできる人だけができる演技とのこと。 (画像はIMDbより) ドラマ「太陽にほえろ!」などでは、亡くなるシーンの時、いかに派手に、個性的に、華々しく散るかを考えたそうです。ジーパン刑事(松田優作)の 「なんじゃあこりゃああ!!!!!」 が有名ですよね。 でも、田中泯さんが見せてくれたのは、およそ正反対の極にある死に様でした。 その姿はいまでも強烈に残っています。 クラッシックバレエとモダンダンスを学び、土方巽氏に師事した田中泯さん。その踊りと生き様を追ったドキュメンタリー「名付けようのない踊り」が公開されています。 ☆☆☆☆☆ 映画「名付けようのない踊り」 公式サイト: https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/ ☆☆☆☆☆ 映画は、ポルトガルの街角で、ひとりの男がしゃがみこんでいるところから始まります。 ホームレスのような風貌(すいません)、モソモソと超スローモーションで伸びていく腕、ゴソゴソと超スローモーションで動きだす足。 これが、田中泯さんの“踊り”です。 わたしの貧弱な知識の中で「ダンス」といえば、音とリズムに合わせて手足を動かすもの、でした。軽やかで、ウキウキするような、“ハレ”の気配を感じるもの。 映画「スウィング・キッズ」なんて、マジで重力を感じさせない「ダンス」でした。 K-POPアイドルグループ「EXO」のド・ギョンスくんと、ブロードウェイミュージカルの最優秀ダンサーの称号をもつジャレッド・グライムスのダンス対決シーンは、しびれるほどのかっこよさです。 タップのリズムで結ばれた絆の行方 映画「スウィング・キッズ」 #227  

『暗幕のゲルニカ』#917

なんとなく、芸術家は政治に無関心なのだと思っていました。 原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』を読むまでは。 崇高な精神を表すアートと、世知辛い世の中を映す政治にギャップがあったせいかもしれません。 でも。 芸術家こそ、自分の想いを形にして、政治にもの申すことができるんですよね。 『暗幕のゲルニカ』は、ピカソの名画「ゲルニカ」を巡り、過去と現在が交差するミステリーで、一気読み必至。そして、あらためて芸術の影響力を感じました。 ☆☆☆☆☆ 『暗幕のゲルニカ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 物語の主人公は、MoMAのキュレーター八神瑶子。ということは、原田さん自身の経歴とも重なります。エスカレーターの描写や、コーヒーショップのエピソードなど、「ニューヨーカー」のリアリティを感じました。 もうひとりの主人公は、1937年のパリで暮らす、ピカソの恋人で写真家のドラ・マール。ピカソの愛情をひとり占めしていることへの自信と、傲慢さが見え隠れするような人物です。 ふたりの住む世界が交互に描かれ、物語は進行していきます。 内戦に苦しむ母国・スペインを支援したいと悩むピカソと、ゲルニカへの空爆。 そして、ニューヨークで起きた同時多発テロと、イラクへの空爆。 いくつもの戦争と恋の結末が、「ゲルニカ」の絵へとつながっていく。 「ゲルニカは私たちのものだ」 何度も登場するこの言葉は、ラストシーンの強烈さに結びついていて、忘れられない。 アートに詳しくなくても楽しめるのが、原田さんの小説のよいところかも。 実は「ゲルニカ」のレプリカが、東京にあります。丸の内のオアゾ1階にある広場の壁に展示されているんです。セラミックとはいえ、原寸大。迫力あります。 本の表紙にも描かれてはいますが、この大きさにピカソの絶望を感じてしまう。

『怖い絵』#916

中野京子さんの『怖い絵』は、「背景を知る」ことの大切さを教えてくれた本でした。 知識を持って見ることで、より深く味わうことができる。それは、美術だけでなく、小説や映画などでも同じかもしれません。 なによりドラマチック! 中野さんは「自分は美術の専門家ではなく、ドイツ文学を研究している者なのに」と書いておられましたが、だからこそ、「感覚」ではない美術鑑賞に着目した本が出来上がったともいえそうです。 ☆☆☆☆☆ 『怖い絵』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 多くのシリーズが刊行されていて、2017年にはシリーズの10周年を記念した「怖い絵」展も開催されました。 この時の目玉だったのが、ポール・ドラローシュが描いた「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。思っていたよりも巨大で、堪能しました。 知れば知るほど背筋が凍る! 中野京子が選んだ、本当に“怖い絵”。   レディ・ジェーン・グレイは、在位9日でロンドン塔に幽閉され、処刑されてしまったというイギリス最初の女王です。「ジェーン女王」ではなく、「レディ」と呼ばれているところがすでに、悲劇の匂いがしますね。 処刑された時は、わずか16歳。結婚してから間もなかったそうで、左手にはめた指輪がピッカピカでした。本で彼女の境遇を知っていたからこそ、それに気付いたのだと思います。そして涙を誘われました……。 ドガの「踊り子」や、「サロメ」など、有名な絵も掲載されています。原田マハさんの小説『サロメ』を読んだときも、「怖い絵」展で見た絵を思い出しました。 『サロメ』#915   背景を知っていると、描いた人の情念まで受け取ってしまいそうだな。

『サロメ』#915

相手の破滅を望むほどの感情を、愛と呼べるのだろうか? 原田マハさんの小説『サロメ』は、オスカー・ワイルドの戯曲と、その挿絵を描いたオーブリー・ビアズリー、そしてオーブリーの姉であるメイベルの物語です。 同性愛が「犯罪」として扱われていた時代、ワイルドは逮捕され、投獄されるのですが、その背景にいたのは誰なのかが明らかになっていきます。超・仲良しだった姉弟を襲った愛憎劇に、「愛」とはなんなのかを考えさせられました。 ☆☆☆☆☆ 『サロメ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 上は文庫本の表紙で、単行本の方は表紙が違います。こちらが、小説にも出てくる雑誌「The Studio」の創刊号(1893年4月)に掲載された「クライマックス」という作品なのだそう。 (画像はAmazonより) オスカー・ワイルドは、アイルランド出身の詩人・劇作家で、産業革命によって経済発展を遂げた時期のイギリスに、耽美的・退廃的な作品を発表して話題になりました。 わたしが読んだことがあったのは、『幸福な王子』くらいかも。「幸福な王子」と呼ばれる像が、自分の身体に埋め込まれた宝石を貧しい人たちに分け与えた結果、みすぼらしい姿になった王子の像も捨てられてしまう、というお話です。 (画像リンクです) 1893年に発表された『サロメ』は、当初はイギリスで舞台化するつもりでしたが、聖書に登場する聖人を扱った戯曲は禁止されていたそうで、フランス語で書かれました。 その英語版を作る際、挿絵を描いたのがオーブリー・ビアズリーです。 彼のイラストについては、中野京子さんの『怖い絵』でも触れられています。 (画像リンクです) 上野で行われた「怖い絵展」ではグッズも販売されていて、わたしも買いました。思わず見入ってしまうほどの妖しさを放っていたんですよね。 『サロメ』の物語自体は、史実を基にしたフィクションですが、イラストの禍々しいほどの魅力を感じていただけに、背筋がゾワワワッとするほどの恐怖を味わいました。 病弱な弟・オーブリーのために、母の愛も、自身の幸せも、すべてを投げ出してきたメイベル。女優として活動しようとしますが、芽が出ず、くすぶっているところに出会ったのが、オスカー・ワイルドでした。 それぞれに、それぞれの形でオスカーに惹かれていく姉と弟。 「超・仲良し」の意味するところは、ほんのりと示される程度ですが、実際に

『人生が輝くロンドン博物館めぐり 入場料は無料です!』#912

あああああぁぁぁあああぁぁぁ。旅行に行きたい。 最近は旅行ガイドを見て、あちこちの町をあるく妄想をして楽しんでいます。かつて行ったところでも、見学していないところは多いものなんですよね。 ロンドンに行って驚いたことはというと、美術館などが「無料」なことでした。 入り口に寄付用のボックスはあるけれど、入れている人はほぼいない……。平日は学校の遠足っぽい子どもたちがウロウロしていたりもしますが、広ーーーいので、あんまり気になりませんでした。 もし行くなら、井形慶子さんの『人生が輝くロンドン博物館めぐり』で、戦略的に回るのがおすすめです。 ☆☆☆☆☆ 『人生が輝くロンドン博物館めぐり 入場料は無料です!』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ わたしがロンドンに行ったのは、合気道のセミナーがある時でした。師範のお供で来ているので、体育館とホテルを行ったり来たりしているだけ。セミナー終了後に半日だけフリータイムをもらって、ブラッと町歩きをするという、超超超貴重な時間なんです。 ある時はスコーンの食べ歩きをして、ある時は「ハリーポッター・スタジオ・ツアー」を満喫してご機嫌に。キングス・クロス駅の「ハリーポッター・ショップ・アット・プラットフォーム9 3/4」にも行きました。 他にも、テート・ブリテン美術館で、ミレーの「オフィーリア」をひとりじめで鑑賞したり、ヴィクトリア&アルバート博物館で、女王のティアラをかぶっているように撮影したり。 いかにも「観光客」な時間が楽しくて、稽古で足がガクガクしているにも関わらず、たくさん歩いたものでした。 『人生が輝くロンドン博物館めぐり』のよいところは、見どころが整理されていることでしょうか。もちろん、「何を」見るかは好みもありますけど、「この美術館に行くならこれを押さえておけ!」が載っているので、迷子にならずに済みます。 とはいえ、テートに行った時は、広すぎて仲間たちとはぐれてしまい、おまけに非常ベルが鳴り出して追い出される……という経験もしました。あの時は怖かった……。 次にロンドンに行けるのは、いつのことだろうか。

『ソウル案内 韓国のいいものを探して』#911

あああああぁぁぁあああぁぁぁ。旅行に行きたい。 昨日、旅行から帰ってきたところなのに、また行きたくなっています。特に、韓国に行きたいな……。 韓国旅行に関しては、格安旅行、ドラマ聖地巡り、カフェガイド、いろいろな本が出ていますが、わたしが愛用しているのは平井かずみさんの『ソウル案内 韓国のいいものを探して』です。 ☆☆☆☆☆ 『ソウル案内 韓国のいいものを探して』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 著者の平井かずみさんは、「ikanika」を主宰するフラワースタイリストだそう。 「ikanika」 http://ikanika.com/ 骨董市で出会った、韓国の白磁の器に惹かれ、韓国の生活用品や食に興味をもったのだとか。 安国や仁寺洞といったアンティークの町はもちろん、梨泰院や狎鴎亭のザワザワした町にある癒やしスポットが紹介されています。 詩人の茨木のり子さんは、韓国で買った器の「ゆがみ」を、「味わい味わい」と言い聞かせていたとエッセイで語っておられました。 韓国の雑貨やキッチン用品、陶器やかごって、いまはすっきりかわいいものも増えましたけど、日本のものより「ざっくり、大味」なものも少なくありません。 それを「らしさ」ととらえる心の余裕が、旅に一番必要なものなのかも。 オトナのぶらぶら歩きにぴったりのガイドブックです。

『なぞりがき 般若心経』#899

「漢字を覚えるのが苦手だったので、小学生の時は写経をしていました」 今年の新人ちゃんから「ええ!?」という経験を聞いて、わたしもやってみました。何もない用紙に書くのは難しいので、ユーキャンのおうち時間シリーズの一冊『なぞりがき 般若心経』を手に入れてチャレンジ。 これが意外にもすごくよかったです。 ☆☆☆☆☆ 『なぞりがき 般若心経』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 般若心経の真髄は、白川密成さんの『坊さん、ぼーっとする。』でも紹介されていました。 『坊さん、ぼーっとする。 娘たち・仏典・先人と対話したり、しなかったり』#852   とはいえ、一度読んだくらいで理解できるようなものでもないんですよね、当然だけど。 『なぞりがき 般若心経』には経典の解説が載っているので、意味を確認しながらトライすることができます。鈴木啓水さんのお手本も美しい。 (画像はAmazonより) わたしは万年筆が好きなので、万年筆で書いたり、筆ペンで書いたり、その違いも味わいながらやっています。 書いている時、スーーーーッと集中モードに入ることがあるんです。意味を完全に理解する、というより、「いま、ここ」にいる自分を感じる。よく分からないけど、これが「無」であり、「空」である自分を体験する、ということなのかもしれません。 小学生から写経していたという新人ちゃん。「落ち着くんですよー」という言葉の意味が、やっと分かってきました。 専用用紙に写経して、本の監修をされた林慶仁さんのいらっしゃる大慈寺に郵送すると、納経していただけるそうですよ。

『どうしても欲しい! 美術品蒐集家たちの執念とあやまちに関する研究』#862

オタクの欲は黒くて、深い。 権力を手にした人たちの虚栄心を満足させてきた美術品。普通にほしがり、普通に手に入れるなら、なんの問題もないのですけれど。 古代ローマの時代から、美術品のために盗む、嘘をつく、手を加えるといった行為はあったのだそう。 『どうしても欲しい!』に登場するコレクターたちの、愛すべきワガママさに、オタクの熱意は時代を超えて変わらないのだなと感じました。 ☆☆☆☆☆ 『どうしても欲しい! 美術品蒐集家たちの執念とあやまちに関する研究』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 美術品には、古代から多くのコレクターが存在しています。なんていうか、お上品で“ちゃんとした”人たちばかりなら、ギィ・リブのような天才贋作作家は生まれなかったのでしょうね。 『ピカソになりきった男』#861   西岡文彦さんの『ビジネス戦略から読む美術史』には、ナポレオンやヒトラーのように権力をつかんだ者は、軍装や建築物をローマ帝国風の威圧的デザインで統一していたことが指摘されています。 『ビジネス戦略から読む美術史』#859   でも、陰気な皇帝として知られるローマのティベリウスは、身の回りをせっせとギリシャの美術品で固めたそうなので、ローマに続く道はギリシャに続いているのかも。 “権力や権威を夢見る者にとっては、やはりすべての道はローマに通じているらしい。” 『ビジネス戦略から読む美術史』より ガキか!?と言いたくなるようなコレクターたちのワガママ振り。それを叶える業者たちの奮闘振り。 現代でいうなら、上司やクライアントの無茶振りに耐えながら悪態をつくようなもんでしょうか。テキトーなことを言って丸め込む業者たちは、やり手の営業マンのようです。 まったく知らなかった美術コレクターの“裏側”の世界。クスクスと呆れる展開ですよ。

『ピカソになりきった男』#861

「その朝、俺はピカソだった」 ギィ・リブというフランス人のおじさん画家は、その界隈では有名な方なのだそう。 その界隈とは……贋作業界です! ピカソやシャガールら巨匠たちの名画の複製だけではなく、作風をコピーして新作を描いていたというんですから驚き。30年にわたって贋作を描き続けたギィ・リブの自伝もまた、ワクワクするくらいに刺激的でした。 ☆☆☆☆☆ 『ピカソになりきった男』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1948年生まれのギィ・リブは、幼少期を娼館で暮らしており、学校で学ぶという環境にはなかったようです。 8歳の頃から絵を描き始め、30代半ばで贋作作家へと踏み出します。でも、せっせと描き続けたことで、ある日、気が付くんです。 作品に、魂がないことに。 そこから、偉大な先人たちの画風を完璧にコピーし、「新作」に取り組むように。フランス警察でさえ、「偽物」だと結論付けることができないくらいの腕前(?)になってしまう。 ギィ・リブの場合、正当な画壇との縁は遠く、食べていくために底辺の世界に手を染めるしかなかった。まともなアーティストの代わりに、集まってくるのは、邪な計画を持つ画商だけ。本物以上の偽物を作り上げ、買い手を騙そうとする。 どんだけ!?と思うんですけど、実際にピカソの子どもたちが「本物」と認めた作品もあるのだそう。 アート市場の欺瞞も感じることができる自伝ですが、とても心に残った言葉がありました。 「いい盗みとは、いいものだけを盗むことである」 うう。 その天才的な審美眼が、ギィ・リブを犯罪世界に引きずり込んだともいえそうです。 独善的で、利己的だけど、根は(たぶん)善人なギィ・リブの半生。これはおもしろかった!

『たゆたえども沈まず』#860

人を信じて待つ、ということは、これほど勇気のいることなのか。 ゴッホの生涯を、史実と想像力で描いた小説、原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読んで、人を信じる心について考え込んでしまいました。 ☆☆☆☆☆ 『たゆたえども沈まず』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが"世界を変える一枚"を生んだ。 今でこそ大人気の印象派の絵画ですが、最初に開かれた展示会は酷評の嵐だったそうです。 「印象派」という名前自体も、「描かれているのが“印象”やん」というツッコミからきたもの。そんな異端の絵画だった作品を、金縁の華やかな額縁に入れ、猫足家具の並んだサロンで鑑賞する、という手法で売ったのがポール・デュラン=リュエルという画商です。 『美術史に学ぶビジネス戦略』で詳しく紹介されていて、へー!となりました。 『ビジネス戦略から読む美術史』#859   1874年4月15日から開催された第1回美術展に参加したのは、モネやルノワール、シスレーら、日本でも有名な画家たちです。 このひとつ下の世代で、ポスト印象派と呼ばれたのが、ゴッホやゴーギャン。この辺りの人になると、自身の芸術性と生活がリンクしているので、作品に狂気が感じられるようになってしまうのかもしれません。 『たゆたえども沈まず』の主人公であるゴッホは、不遇の時代を過ごし、わずか10年ほどの作家活動で多くの作品を残しました。 若い頃は、働いては解雇され、なんかやりだしては放り投げを繰り返していて、こんな人、現代にもいるよなーという感じがあります。 そんなゴッホを信じて支え続けたのが、弟のテオ。このテオが画商に勤めていたことから、浮世絵に触れたり、いまの流行を知ったりするのですが、ゴッホ自身は、描きたいものしか描けないんですよね。 というか、描くことから逃げるために別のことを始めているようにも思えます。 そんな腰の据わらないゴッホに、真実の言葉を伝えたのが、日本人の画商だった……という展開です。 人物描写も関係性も、ジリジリするくらい暗くて熱い。 人を信じて待つとは、どれほどの覚悟が必要なのか

『ビジネス戦略から読む美術史』#859

西岡文彦さんの『ビジネス戦略から読む美術史』を読んで、もう一度、歴史を勉強し直したいなーとワクワクが止まりません。 歴史って、ホントにおもしろいなと思いませんか? プラトンの『国家』には「最近の若者は……」という言葉があって、ジェネレーションギャップは二千年前からあったんだなーと、なんだか笑ってしまいます。わたしごときが悩んでもムダムダと思えるような感じで。 『ビジネス戦略から読む美術史』では、技術の進化と社会の変化が、美術という芸術のあり方も変えていったことが、よく分かります。 ☆☆☆☆☆ 『ビジネス戦略から読む美術史』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 西洋美術は、聖書の物語をビジュアルで伝える役割を担っていました。そのため、描かれる場所は、教会や宮殿でした。フレスコという技法で壁や天井に直接描く「不動産絵画」だったんですね。 そこから油彩の技術が発達し、キャンバスに描かれるようになり「動産絵画」へと変化。 これは、現代でいえば、オフィスに出勤しなければ仕事ができない人と、リモートワークで十分仕事ができちゃう人との、境遇の差とのこと。 そんな「へー!」がいっぱいです。 印象派の販売戦略を立てた人物として紹介されているポール・デュラン=リュエルは、原田マハさんの小説『ジヴェルニーの食卓』にも登場します。『たゆたえども沈まず』のドイツ系ユダヤ人の画商とも接点があったのだそう。 (画像リンクです) (画像リンクです) こうしたひとつひとつの歴史の流れが、一大絵巻のように繰り広げられていくので、飽きずに一気に読むことができます。 あのダ・ビンチが、「ちくしょー! オレだって自宅で仕事してー!」と思っていたかもしれないと想像するだけで楽しい。 カシコク生きるヒントは、歴史の中にありそうですね。