「私は、人間が“生きようとする”ための手伝いをできる作品を書きたい」
小説家の梨木香歩さんの言葉です。たしか小川洋子さんがラジオでお話されていたのを聞いたので、正確ではありませんが、こういう主旨のお話でした。
ここでは「人間が」とありますが、梨木さんの作品って、もっと広く、地球も自然も動物も植物もすべてのものが「生きようとする」ことに対しての、エールなのではないかと感じるんですよね。
梨木さんの小説には、植物が重要なモチーフとしてよく登場します。
『家守綺譚』では、間借りしてきた青年・綿貫征四郎に、庭のサルスベリが恋をしちゃう。
新人小説家と、天地自然の「気」との交歓の物語です。
☆☆☆☆☆
『家守綺譚』
☆☆☆☆☆
駆け出しの小説家・綿貫征四郎は、湖で行方不明になった友人・高堂の家を「家守」することになる。初日から家の周辺がザワザワしているが、人の気配はない。家や周囲の自然で起こる、さまざまな「怪異」との交歓がはじまる……。
滋賀県には、京都に向かって流れる「瀬田川」という川があります。日本一大きな湖である琵琶湖から、唯一「外」に流れる川。山を抜けて京都に入り、山科疎水と呼ばれる辺りは、桜の名所としても有名です。
はっきりと示されてはいませんが、『家守綺譚』の舞台は、この疎水のある山中のようです。
この周辺の学校に通っていたので、なんだかとても懐かしい匂いを感じました。木立の向こうにキラキラと輝く湖水の描写などは、かつて自分が見ていた景色とも一致します。
この、自然の描写と人との結びつきが、『家守綺譚』で描かれているんです。全二十八章のタイトルは、すべて植物名になっています
飼い犬が河童と仲良くなったり、散りぎわの桜が暇乞いに来たり。異世界と現実が地続きとしてあって、生と死もひとつの流れのように思えてきます。
家主の高堂は行方不明ですが、綿貫と会話するシーンがあります。「どうやって!?」は、これまた奇想天外なので、本編でお楽しみいただくとして。
そこに登場するのが、『村田エフェンディ滞土録』の村田くんです。
どちらの小説も、自分の価値観と相手の価値観の違いを受け入れ、見えるものがすべてではないことを受け入れ、「生きようとする」ことの不条理と幸せを感じられる物語といえます。
高堂の家を取り巻く植物は、芽吹き、葉を広げ、茎を伸ばし、自然のままに生きている命です。自分のありたいように生きる。それが、道を拓くことにつながっていくのかも。
コメント
コメントを投稿