どれだけ孤独が好きだったとしても、友だちと呼べる人が少なかったとしても、ひとりじゃない。
永井みみさんの『ミシンと金魚』を読みながら、あらためてそんなことを感じました。
主人公は、認知症を患う「カケイさん」です。人生の軌跡を可視化するライフチャートなんか書いたら、「ドン底期」しかないんじゃないかと思うほどの人生。
その中にあった、幸せの時間とは?
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『ミシンと金魚』
(画像リンクです)
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永井みみさんは、ケアマネージャーとして働きながら、この小説を書き上げ、第45回すばる文学賞を受賞。絶賛されているレビューをTwitterで見かけて、さっそく読んでみました。
物語は、「カケイさん」のひとり語りで進みます。というか、超絶マシンガントークで、「カケイさん」の日常が浮き彫りになっていく。
デイサービスと、息子の嫁の介護を受けながら、ひとりで暮らしている「カケイさん」。嫁の名前はかろうじて覚えているんですが、デイサービスで出会う介護士たちは、みんな「みっちゃん」という名前で認識されているんです。
その、「みっちゃん」という名前に込められた背景に、またまた壮絶な「ドン底期」を知ることになります。
継母から毎日薪で殴られ、犬のおっぱいをもらいながら育った幼少期。
女に学はいらないと教育は受けられず、古新聞を読んで文字を知った少女時代。
兄のおかげで結婚するも、夫は蒸発。先妻の息子と、自分の子どもを必死に育てた、母としての時間。
学もなく、周囲にバカにされるだけだった「カケイさん」の、唯一の特技がミシンでした。
以前、在日一世の聞き取り調査をした際、ミシンの話がたくさん出てきたと聞いたことがあります。遺品として残っているものも、旧型の足踏みミシンが多くあったそう。
外で女性が働くことが難しく、学もない女性が働こうとなったとき、初期投資の少ないミシン仕事は、家計を助けるものだったのかもしれないですね。
ミシンに夢中になり、いわゆる「ゾーン」に入ったときに、事件は起きます。
禍福は糾える縄の如しなんてことわざがありますが、「カケイさん」にとって、禍福の採算はどうだったんだろうと思わずにいられない。
ずっと搾取される側で、人間の尊厳なんて言葉も知らず、バカにされ、雑に扱われてきた人生。
それでも。
「カケイさん」は決してひとりではなかった。
デイサービスで隣に座った「広瀬のばーさん」の過去も、女の悲劇を凝縮したような話。それでも、誰も「ドン底期」しかない自分の人生を嘆いていないところが、逆につらい。
「あなたには怒る権利がある!!」
と、叫びたいくらいの思いを抱えてしまいました。
人は、死ぬ。
いつか、確実に、死ぬ。
でも、暴力的に命が奪われることに対しては、「No」と言いたい。
ニュースを見ながら、何もできない自分に無力感しかないのだけれど、せめて。
「生を全うした」といえる生き方をしなければと思った。
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