大学時代、「芸術論」の講義をとっていて、小津安二郎の映画を観てくるようにという宿題が出たことがありました。
なんの映画を観たのかは忘れてしまったけれど、翌週の講義で先生が「感想は?」と聞いたとき、見事にシーーンとしていたことは覚えています。
白黒で地味な話であり、アクロバティックな展開も、転がって笑いたくなるようなオチもない。いったい何がそんなに評価されているのか?
ガックリしながら映画の見方を説明する先生。『仕事と人生に効く教養としての映画』を読んでいて、その背中を思い出しました。
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『仕事と人生に効く教養としての映画』
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著者の伊藤弘了さんは、映画研究者で批評家という方です。映画図書館で資料整理の仕事をされているそうなので、膨大なデータが頭の中にもあるのだと思われます。
そんな方が、ひとつひとつ解説してくれるのです。
「トイ・ストーリー」に込められたフロンティア精神。
「東京物語」の微妙すぎるカメラワーク。
などなど、超細かくて、10回以上見てないと気付かないんでは!?な世界です。
映画は監督が脚本に込めた想いを表現するとともに、過去の膨大な作品から数々の場面が引用され、画が作られていきます。
たとえば小津映画は、ハリウッド式のイマジナリー・ライン(2人の対話者の間を結ぶ仮想の線)を小津流にバージョンアップしました。小津としてオリジナリティを確立したから、評価を受けているわけです。
大学卒業後、わたしは演技の仕事をしていたので、ここでもアメリカ人監督から映画の見方や、演技の見方を教わりました。
でも。
これって。
ホントーーに微妙すぎて、伝わる人にしか伝わらないんでは、と感じていたのですよね、当時は。芸術論の先生の熱弁や、アメリカ人監督のこだわりが、分かってきたのは最近のことです。
微妙な演技の積み重ねと、映像のマジック、そして編集の技術が名作を生んでいるのだと。
ただ、さまざまに施される制作側の「苦労」は1mmも外から見えません。見えたら逆に、興ざめですよね。それが映画を観ることを難しくしているのかなーなんて思ったりもしつつ、もうひとつ感じたのが、「語ること」への意識でした。
自身を変えるような運命の一本に出会えることは、幸せなことと、伊藤さんは語っておられます。そして、アウトプットするなら、そうした映画の作り手たちにエールを贈るつもりでした方がいいよ、とも。
とある小説のAmazonレビューを見ていて、心が痛んだ昨日。
個人的な好き嫌いや、エセ専門家風の上から目線なコメントが淘汰され、最低限のマナーとして「レビュー文化」に根付くことを願ってやみません。
そのために一家に一冊、『仕事と人生に効く教養としての映画』を!
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