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『星へ行く船』#998


「自身を変えるような運命の一本に出会えることは、幸せなこと」

映画研究者の伊藤弘了さんは、著書の『仕事と人生に効く教養としての映画』の中でそう語っておられました。


わたしの場合、映画は「運命の一本」がいっぱいありすぎなんですが、小説なら絶対これ!というのがあります。

それが、新井素子さんの『星へ行く船』。

ひとりの女性の成長物語としても、かっこいい大人のあり方としても、大きな刺激を受けたシリーズです。

新井素子さんの小説を通して、SFやハードボイルドという分野を知り、ファンタジーや世界文学全集みたいな本ばかり読んでいたわたしは、一気に世界が広がりました。

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『星へ行く船』

(画像リンクです)

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「マンガ『ルパン三世』の活字版を書きたかったんです」とインタビューで語っておられるとおり、独特の文体を活かした小説で、ライトノベルの草分け的存在として知られている新井素子さん。

高校2年のときに第1回奇想天外SF新人賞に応募して、星新一に見出され、デビューを飾ります。

あの、星新一に、ですよ!?

初期の頃の作品は、「幼稚園のときから小説家になりたい」と考えていた新井素子さんの脳内を再現するような、ハチャメチャで、ドタバタで、それでいてヒューマニズムにあふれるものでした。

デビュー2作目となった『星へ行く船』は、19歳の森村あゆみが、家出ついでに地球を捨てちゃおう……と宇宙船に乗り込むところから始まります。

この時代、人口過多となった地球は積極的に他の星への移住を勧めていて、とりあえず最初に開拓され、住環境が整っていそうな火星に向かうことにする。

イーロン・マスクに聞かせてあげたいですね……。

1981年に集英社のコバルト文庫から発行された『星へ行く船』。評判がよかったので続編を書くことが決まり、物語はシリーズ化されることに。全5巻のシリーズは、2016年に「新装・完全版」が発売されました。

(画像はAmazonより)


宇宙船の個室を予約したはずなのに、見知らぬオッサンと相部屋となり、やっかいごとに巻き込まれ、事件を見事に解決してしまう、あゆみちゃん。

ここで知り合ったのが、山崎太一郎という男性です。

実は「星へ行く船」シリーズは、新井素子さんの脳内に太一郎さんのセリフがフッと浮かんで出来上がったものなんです。


「森村あゆみ」や「山崎太一郎」は、現代を舞台(といっても昭和ですが)にしたSF小説のキャラクターの子孫でもあり、まさに“もとちゃん”ワールドの原点といえます。

が。(←この書き方が、新井素子流)

なんせ物語が出来上がったのが1980年代なので、コンピュータも出てこなければ、宇宙船の客室で煙草を吹かすようなシーンも出てくる小説です。

それでも、運命を自分で切り開いて生きていくってこういうことなのか……と、小学生だったわたしは大きなロマンを感じていました。

世の中でたった一人、自分のことを好きでいてくれるのは、自分。

流されていくのが怖くて逃げ出しただけだった。

事件をとおして自分のことを振り返るあゆみちゃんは、まだまだ無鉄砲で、無計画で、莫迦なガキでした。太一郎さんや、元妻のレイディ、火星で就職した事務所の方々にもまれながら、一歩ずつ歩み始めます。

「夢が破れたら、それをつくろう為に、手があるんだ」

そんな思いを胸に抱いて。


新井素子さんの小説にはパラレルワールドを舞台にしたものや、地球滅亡を1週間後に控えた世界などありますが、初期の頃は「人としてのあり方」がテーマといえるかなと思います。


たとえば「星へ行く船」シリーズの田崎麻子さんは、プロ意識をもって「お茶くみ」をする方。新井素子さん自身は「会社で経理とかムリだと思ってた」と、会社員生活を送ることなく小説家として歩まれましたが、昭和の時代、女性の仕事といえば「お茶くみ」でした。

男性と同じような機会は与えられず、男性をサポートするのが仕事だった、女性たち。

そんな意識を逆手にとるように、麻子さんはプロ級のお茶を淹れるのです。

「仕事」って、そういうものなのか……と、すっかりすり込まれていますね、わたしの中に。

25歳で結婚された後は、『結婚物語』などリアルの生活をユーモア混じりでフィクションにしたような小説や、『チグリスとユーフラテス』のような母性をテーマにした小説へと変化していきます。

「オトナになったら、こういう世界にいきたい……」

田んぼの真ん中にある家の階段で、ひとりときめいていました。現在では、こういう症状のことを、「新井素子の呪い」と呼ぶそうです。いやん。


ところで、なぜ、階段なのか。

実はこの『星へ行く船』、姉が読んでいたのをたまたま見つけ、読もうとしたら取り合いになって大ゲンカになったのでした。

そこで小学生だったわたしは一所懸命考えました。

一冊まるごと、ノートに写してしまえっ!!(←この書き方が、新井素子流)

いまみたいにコンビニとか、コピー機のない時代です。欲しい!読みたい!となったら“手で”ひたすら書き写すしかない。

第1巻の『星へ行く船』から、第3巻の『カレンダー・ガール』まで、姉が寝た後にそっと本棚から本を抜き取り、夜中にセコセコ書きました。

いま考えると莫迦そのものやな……ですが、当時は必死でしたもん。(←この書き方が、新井素子流)

何度も何度もページをめくったせいで、エンピツで書いた文字が真っ黒な“ミミズ”になっていたっけ。

それくらい、読みたかった「運命の一冊」。

「新装版」に収録されている特別編の「水沢良行の決断」を読んでみたら、こんなセリフがありました。

“ここまで莫迦な奴は、将来、きっと、化ける。”

莫迦でよかったのかもしれない。すばらしい小説に出会えて、本が好きになって、本の業界のすみっこで仕事をしていて、なんとか生きている。

なにより、太一郎さんもこう言ってます。

“あんたはほんとに運がいい。だって、俺とお知り合いになれたんだから。”

すべての始まりとなったこのセリフは、声優の広川太一郎さんの声でお聞きください。

「太一郎」という名前は、声優の広川太一郎さんの声が好きだった新井素子さんが、ご本人の許可を得て付けた名前です。あのナイスボイスで脳内再生するのが正解ですよ!

自分の責任は自分で引き受けること。卑下と謙遜は違うこと。働く女性の結婚。異端とのコミュニケーション。

などなど、新井素子さんの描く世界は、ちょっと先に待ち受ける人生の出来事を思わせるものでした。「星へ行く船」シリーズのメンバーは、人生のベースとなってくれるのです。


「星へ行く船」シリーズの一覧は、こちらです。

1:星へ行く船

2:通りすがりのレイディ

3:カレンダー・ガール

4:逆恨みのネメシス

5:そして、星へ行く船

6:星から来た船(上)(中)(下)

7:キャスリング(後)(特別編の「αだより」を収録)

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