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インフレ化した夢の後始末


「夢は追い求めているほうが幸福なのだ」

まったく売れないマンガ家だったやなせたかしさんは、先輩からちょっとほめられただけで、天にも昇るくらいうれしかったそうです。

『アンパンマンの遺書』の中で、逆境の中でも夢を見るのが人間なのだと語っておられます。また、夢を実現することだけが人生の目的なのではなく、夢に向かって進もうとする力が尊いのだ、とも。

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夢に向かって全力投球!!! 

夢!夢!夢!

……と言われるたび、わたしはちょっとゲンナリしていました。

夢破れた過去があるから?

いま、これといった夢がないから?

いろいろ考えてみましたが、たぶん、「夢を見ろ! 夢を追え!」と煽られる空気がイヤなのだなと思います。

韓国でも、日本と同じくらい、いやそれ以上に「夢を見ろ! 夢を追え!」な社会のようで、最近邦訳の出ているエッセイには、そうした競争から下りることを勧めるものもありますね。

キム・テリさんとナム・ジュヒョクさん主演の「二十五、二十一」にも、鮮やかに夢をあきらめるシーンがありました。

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ドラマ「二十五、二十一」

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IMF通貨危機によって、夢を絶たれてしまったふたりが出会い、支え合う前半パート。後半には、キム・テリ演じるナ・ヒドと、ボナ演じるコ・ユリムが通う高校の後輩が「フェンシングを辞めたい」と言うシーンが出てきます。

コーチは「次の大会で8強に入れたら、辞めてもいい」と条件を出す。

そこから猛特訓が始まるんです。ヒドとユリムは、世界でもトップクラスの選手という設定なので、後輩もメキメキ上手くなっていく。

ここで、スレたオトナであるわたしは、

「あぁ、いまは単なる伸び悩みの時期で、大会で見事8強に入って、フェンシングの楽しさを再確認できたから、辞めません!!」

って叫ぶんだろうなーと予測していたのですけれど。

後輩の選択は、まったく予想外のものでした。


夢を追いかけて必死だった自分を肯定しつつ、その夢に見切りをつける。大きな喪失を抱えつつ、爽やかに踏ん切りをつける後輩。その吹っ切れた明るさがあまりにも残酷で、思わず涙しました。

後輩はまだ高校生だったので、これからもっとやりたいこと、見たい世界が出てくる可能性もありそうですが。

30代になってしまうと、進むも地獄、引くも地獄なのかもしれないなーと、一穂ミチさんの『パラソルでパラシュート』を読みながら感じました。

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『パラソルでパラシュート』

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舞台は大阪です。企業の受付で働く雨ちゃんは、現在29歳。この会社は“見た目の良いこと”を基準に受付係を採用しているため、あと1年で契約が切られてしまうという状況でした。

もう、この設定にツッコみたくなりませんか?笑

でも、わりと危機的な状況で雨ちゃんはお笑いライブに行き、「推し」をみつけてしまうのです。

そして芸人仲間と仲良くなり、シェアハウスで一緒に暮らすことに。

同居人のひとりが、テレビのお笑いトーナメントに出場することになるんですが、初めての舞台にのまれてしまった結果、はかなく散ってしまうのでした。

その同居人は、これを最後に引退することを決め、故郷に帰ってしまうのです。


どこで踏ん切りをつけるか。

まさに投資の世界でいう、「損切り」ってやつですね。

「おもしろいやつ」になりたくて投資した時間と、熱意と、お金と、相方などなど、すべての荷物を下ろすには勇気がいります。投資したものが多ければ多いほど、決断は先送りされてしまう。

どこかで「ここまでか……」と悟ることもあるでしょうし、やなせさんのように「いつか必ず……」と自分を信じる強さも必要でしょう。

わたしがひとつの目印にしているのは、「前向きなエネルギー」になっているかどうか、です。

やなせさんのように、売れても売れなくても「自分の好きなものを描いてきた」と言えるなら、それは「前向きなエネルギー」にあふれている。

一方で、「二十五、二十一」の後輩のように、フェンシングがつらいものでしかなくなったのなら、とても「前向きなエネルギー」とはいえません。もはや自分を削るものでしかない。

こうなってしまっては「夢」ではなく、「とらわれ」ですよね。

中川淳一郎さんは『夢、死ね!』という本の中で、「夢」よりも少し下のレベルにある「目標」こそ重要と強調されています。

“「夢」と「目標」をはき違えすぎている言説が多過ぎる。単なる「目標」が「夢」にインフレ化してしまった例も多々ある。夢は不要である。”

言葉の印象の違いも大きくて、「目標」というとビジネスちっくだけど、「夢」ならキラキラ・ワクワク感がありそうな気がしませんか?

だから「夢」という言葉を使いたがる人が増えたのかしら。

「追い求めているほうが幸福」なのなら、「夢」に振り回されないようにしたい。もう少し、一歩一歩を大切にしたいなと思ったのでした。


コメント

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