「夢は追い求めているほうが幸福なのだ」
まったく売れないマンガ家だったやなせたかしさんは、先輩からちょっとほめられただけで、天にも昇るくらいうれしかったそうです。
『アンパンマンの遺書』の中で、逆境の中でも夢を見るのが人間なのだと語っておられます。また、夢を実現することだけが人生の目的なのではなく、夢に向かって進もうとする力が尊いのだ、とも。
夢に向かって全力投球!!!
夢!夢!夢!
……と言われるたび、わたしはちょっとゲンナリしていました。
夢破れた過去があるから?
いま、これといった夢がないから?
いろいろ考えてみましたが、たぶん、「夢を見ろ! 夢を追え!」と煽られる空気がイヤなのだなと思います。
韓国でも、日本と同じくらい、いやそれ以上に「夢を見ろ! 夢を追え!」な社会のようで、最近邦訳の出ているエッセイには、そうした競争から下りることを勧めるものもありますね。
キム・テリさんとナム・ジュヒョクさん主演の「二十五、二十一」にも、鮮やかに夢をあきらめるシーンがありました。
☆☆☆☆☆
ドラマ「二十五、二十一」
☆☆☆☆☆
IMF通貨危機によって、夢を絶たれてしまったふたりが出会い、支え合う前半パート。後半には、キム・テリ演じるナ・ヒドと、ボナ演じるコ・ユリムが通う高校の後輩が「フェンシングを辞めたい」と言うシーンが出てきます。
コーチは「次の大会で8強に入れたら、辞めてもいい」と条件を出す。
そこから猛特訓が始まるんです。ヒドとユリムは、世界でもトップクラスの選手という設定なので、後輩もメキメキ上手くなっていく。
ここで、スレたオトナであるわたしは、
「あぁ、いまは単なる伸び悩みの時期で、大会で見事8強に入って、フェンシングの楽しさを再確認できたから、辞めません!!」
って叫ぶんだろうなーと予測していたのですけれど。
後輩の選択は、まったく予想外のものでした。
夢を追いかけて必死だった自分を肯定しつつ、その夢に見切りをつける。大きな喪失を抱えつつ、爽やかに踏ん切りをつける後輩。その吹っ切れた明るさがあまりにも残酷で、思わず涙しました。
後輩はまだ高校生だったので、これからもっとやりたいこと、見たい世界が出てくる可能性もありそうですが。
30代になってしまうと、進むも地獄、引くも地獄なのかもしれないなーと、一穂ミチさんの『パラソルでパラシュート』を読みながら感じました。
☆☆☆☆☆
『パラソルでパラシュート』
☆☆☆☆☆
舞台は大阪です。企業の受付で働く雨ちゃんは、現在29歳。この会社は“見た目の良いこと”を基準に受付係を採用しているため、あと1年で契約が切られてしまうという状況でした。
もう、この設定にツッコみたくなりませんか?笑
でも、わりと危機的な状況で雨ちゃんはお笑いライブに行き、「推し」をみつけてしまうのです。
そして芸人仲間と仲良くなり、シェアハウスで一緒に暮らすことに。
同居人のひとりが、テレビのお笑いトーナメントに出場することになるんですが、初めての舞台にのまれてしまった結果、はかなく散ってしまうのでした。
その同居人は、これを最後に引退することを決め、故郷に帰ってしまうのです。
どこで踏ん切りをつけるか。
まさに投資の世界でいう、「損切り」ってやつですね。
「おもしろいやつ」になりたくて投資した時間と、熱意と、お金と、相方などなど、すべての荷物を下ろすには勇気がいります。投資したものが多ければ多いほど、決断は先送りされてしまう。
どこかで「ここまでか……」と悟ることもあるでしょうし、やなせさんのように「いつか必ず……」と自分を信じる強さも必要でしょう。
わたしがひとつの目印にしているのは、「前向きなエネルギー」になっているかどうか、です。
やなせさんのように、売れても売れなくても「自分の好きなものを描いてきた」と言えるなら、それは「前向きなエネルギー」にあふれている。
一方で、「二十五、二十一」の後輩のように、フェンシングがつらいものでしかなくなったのなら、とても「前向きなエネルギー」とはいえません。もはや自分を削るものでしかない。
こうなってしまっては「夢」ではなく、「とらわれ」ですよね。
中川淳一郎さんは『夢、死ね!』という本の中で、「夢」よりも少し下のレベルにある「目標」こそ重要と強調されています。
言葉の印象の違いも大きくて、「目標」というとビジネスちっくだけど、「夢」ならキラキラ・ワクワク感がありそうな気がしませんか?
だから「夢」という言葉を使いたがる人が増えたのかしら。
「追い求めているほうが幸福」なのなら、「夢」に振り回されないようにしたい。もう少し、一歩一歩を大切にしたいなと思ったのでした。
コメント
コメントを投稿