文章を書き始めたころ、強く勧められて読んでみて大ファンになった方が、ふたりいました。
ひとりは、読売新聞で「編集手帳」を担当された竹内政明さん。「起承転結」の鮮やかな、コラムのお手本のような文章。ずっと仰ぎ見ている方です。
そしてもうひとりが、ロシア語通訳から作家へと転身された米原万里さんです。
ロシアをはじめとする、さまざまなお国の民族性と食を巡るエッセイ『旅行者の朝食』は、以前紹介していました。「米原万里といえば大食漢」と言われるほど、食いしん坊だったそうです。
いま見たら、ちょうど2年前に書いたのでした。
2006年に亡くなられ、もう新作が読めないなんて、信じられない……と、ずっと感じています。ロシアのウクライナ侵攻を、彼女はどう評しただろうと思ってしまいますね。
おそらく、毒いっぱいのユーモアを入れつつ、剛速球のど真ん中へボールを投げ込んだんじゃないでしょうか。
傍若無人なヒューマニストと呼ばれた米原万里さん。最初で最後の対談集『言葉を育てる―米原万里対談集』でも、小森陽一さんや、林真理子さん、辻元清美さんに、糸井重里さんら、錚々たるお相手に、豪快な球を投げ込んでいました。
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『言葉を育てる―米原万里対談集』
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米原さんはご両親の仕事の都合により、小学生のころ、プラハにあるソビエト学校に通うことになります。多国籍で、多彩・多才な同級生に囲まれた日々。米原さんの鋭い分析力と俯瞰力、観察力、そして女王様力は、こうした環境に身をおいたことでついたものなのでしょう。
日本に戻って、ロシア語通訳として活躍。エッセイストとなってからは、プラハでの日々を綴った『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
こちらは米原さんの好奇心と包容力、負けん気と追求心が感じられるエッセイです。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
すでに確立された実績があるのに、新しいことを始め、奇想天外なアイディアを生み出し、猫と犬と暮らす。
奔放にも、豪快にも思える生き方は、これぞ他者に評価されることを潔しとせず、自分の価値観で自分の人生を生きるってことなんだなーと思います。
タイトルにある「言葉を育てる」とは、自分の頭で考え、自分の意見を持ち、そしてそれを臆せずに発することを指すのかもしれません。
糸井さんとの対談の中に、こんなやり取りがありました。金メダルをとるのは、才能のある人ではなく、その人の背中を追いかけてきた人のことが多い、という話に続いての発言です。
プーチン大統領も、あの人も、この人も、立派な実績を誇る人たちは「天才」というよりは、誰かをベンチマークして努力を積み上げてきた、といえます。
だけど、この、努力に執着すると、進むべき道も、目指すべき目標も、生きる目的も見失ってしまう。
ニュースを見ていると、どうしても米原さんの言葉が聞きたくなってしまうのだけれど。
そこは自分の「言葉を育てる」とこでしょ!と活を入れられちゃうかも。
同業者だった黒岩幸子さんの解説によると、米原さんの喝はそうとう怖かったようです。それだけ真剣に生きてたってことかな。
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