「ニコニコしながら歩くな」
十年ほど前、初めてスコットランドに行く時に、日本人だけどシンガポールとイギリスで育った友人がくれたアドバイスです。
いま考えてもひっどいなー。
でも、そうでなくてもボンヤリのわたしが、厳しい生存競争を戦っている人たちの中を歩いたらどうなるか。彼女には分かっていたのだと思います。
あれから何度もイギリス(イングランドとスコットランド)に行きましたが、いずれも合気道の海外セミナーに参加していたので、滞在中のほとんどの時間は体育館で過ごしました。それでもちょこっと町歩きをしたり、ショッピングに出かけたりくらいの時間はある。
どんな顔をして歩いたらいいんだろう。
いつも彼女のアドバイスが頭にあって、かえって悩みました。とはいえ、わたしが外出する時は、現地の合気道仲間ががっちりと周りを固めてくれるので怖い思いをすることはなかったんですけれど。
ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んで、合気道仲間について、イギリスという国について、わたしは本当にほんの一面しか見ていなかったのだと気がつきました。そして冒頭でご紹介した友人のアドバイスの真意についても。
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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、イギリスの南端にあるブライトンで保育士として働くみかこさんの息子くんが通う、「元・底辺中学校」での一年半を綴ったノンフィクションです。
イギリスという階級社会における格差について知ることができる上、複数のアイデンティティを持つひとりの少年の物語としても、子どもに育てられる親の物語としても読むことができます。
子育て中の方、外国人とふれ合うことがある人、多様性について知りたい人、アイデンティティに迷っている人に絶賛おすすめ。ポイントを紹介していきます。
ちょっとブルーが通う中学校とは
カトリックの名門小学校から、家の近くにある公立中学校に通うことになった息子くん。そこは数年前まで「底辺中学校」と呼ばれていた学校でした。
息子くんが通う頃には学校ランキングで真ん中辺りまで上がったため「元」が付いているのです。
ピーター・ラビットが出てきそうな上品なミドルクラスの小学校から、盗んだバイクで走り出すなんてかわいい!と思ってしまうくらいの少年少女がいる中学校へ変わるわけです。とまどいなんて簡単な言葉では言い表せないくらいの、劇的な環境の変化。おまけに中学生というタイミング。
思春期真っ盛りやん!!!
すでに設定がヤバみです。
この中学に通う生徒の多くは、「あそこはヤバい」と言われている公営住宅に住んでいる子どもたち。さらにヤバみ増し増しなのが、お母さんが日本人、お父さんがアイルランド人で東洋人的な顔立ちをしているのに、白人の英国人がほとんどの学校に通うのです。
アイデンティティの危機でしょ!!
この本のタイトルである『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、息子くんのノートのメモ書きからとられています。「ブルー」が表す感情について、息子くんは「怒り」だと思っていたのだとか。
このくだりを読んだだけで、涙が……。親には言わないだけで、彼の中に抱えるものはあったのかもしれない。
でも、まだまだ序盤ですよ。息子くんの中学生活はここからです。
親だからって、完璧じゃなくてもいい
息子くんが中学で出会うのは、自身も移民の子でありながら人種差別丸出しの美少年や、底辺の貧しさの中で暮らしている少年、頼りになる中国系の先輩たちです。
彼がぶち当たる数々の悩みやトラブルを一緒に考えるみかこさん。親は子どもを「育てて」いるつもりなのかもしれないけれど、実は親だって子どもに「育てて」もらっているのかもしれないと感じました。
いまの日本、特にネットを見ていると、完全なる「正解」だけがよしとされ、いかに速くそこにたどり着いて生産性を上げるかが求められ、そのためのtipsがシェアされ、それがバズる、という循環を感じます。そこに群がる人がいて、さらなるtipsが生み出される。
でも、息子くんを取り巻く環境には完全なる「正解」がないのです。
たとえば、学食で万引きを繰り返したため、いじめられている少年の場合。彼の家庭はそうでもしないとご飯が食べられないくらい貧しい。学校のクリスマスコンサートで彼が歌うラップの歌詞がふるっています。
母ちゃん、泥酔でがなってる
姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる
婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち
(中略)
だが違う 来年は違う
別の年になる
万国の万引きたちよ、団結せよ
こんな環境で生きている子に、「万引きは犯罪だ」と教えることに意味があるでしょうか? いや、それは本人も分かってるし。
それを自分の子どもにどう説明しますか?
また、アジア人への侮蔑に出会ってしまった息子くんは、アイデンティティに悩み、知恵熱まで出してしまいます。
一般によいものとされている仲間意識は、内側には帰属意識を、外側に向かっては排除を誘います。ただ、息子くんはどちらにも属すことができるし、どちらにも属すことができない。
こうした答えのない問いを子どもと一緒に考え、みかこさん自身、人間として悩む。その正直な告白が、教え諭すだけが「教育」ではないんだなと感じさせてくれます。
他人の靴を履いてみること
本にはイギリスの公立学校教育の特色も紹介されています。そのひとつが「シティズンシップ・エデュケーション」です。
日本語での定訳がないらしく、「政治教育」や「市民教育」と訳されることが多いそう。この科目の目的は、「社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける」ことです。
期末試験の問題は「エンパシーとは何か」でした。
シンパシーが「感情的な状態」であるのに対して、エンパシーは「能力」なんですね。だからトレーニングで身につけることができる。でもこれって教えられるものなんでしょうか……。
「エンパシーとは何か」という試験問題に、息子くんは「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えました。
これは英語の定型表現で、日本語で言うと「他人の立場に立ってみる」という意味だそうです。ブレグジット(イギリスのEUからの離脱)や移民問題に揺れるイギリスでは、いま最も必要な能力かもしれないとみかこさんは指摘しています。
これはイギリスに限らず、ではないかと思うのです。
厚生労働省の統計によると、日本は世界第3位の経済大国でありながら、貧困率は15.6%、ひとり親世帯では50.8%となっており、先進国の中では最悪のレベルに近く、格差が広がり、固定化していることが分かります。
また、外国人旅行者も増え続けているので多文化・多様性への配慮はますます必要になってきました。
2019年1~10月累計の訪日外国人旅行者数は、2691万4400人(日本政府観光局推計値)。政府が訪日外国人旅行者数の目標に掲げるているのは2020年に4千万人です。2019年4月に在留資格に「特定技能」が導入されたことで、日本で働く外国人も増えています。
2020年にはオリンピック・パラリンピックが開催されることを考えると、いまの日本で「他人の靴を履いてみること」は、大人にこそ求められる能力ではないでしょうか。
過去に、心の知能指数であるEQが注目されたこともありましたが、それほど大きな動きにはなりませんでした。それよりもいまは「AIに乗っ取られない生き方」「100歳まで生きるための準備」などが人気です。
イギリスの中学生が学ぶエンパシーについて、もっと考える機会があってもいいのに。わたしたちには、絶対の「正解」がない問題を考える時間が必要なのではないかと感じます。
ホンワカしていていいのか?
ブレイディみかこさんは、この本以外にも『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』など、階級の底辺にいる人たちについて書いています。
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『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』
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これらの本を読んで、合気道仲間たちの階級について考えずにはいられませんでした。
医者や大学教授、弁護士といった知的な職業に就いている人もいますが、会社員の友人も、少なくとも道場に通えるほどの余裕がある中産階層の人たちだったのでしょう。
彼らの出身は、イングランド、スコットランド、アイルランド、インド、スペイン、ジャマイカ、フィンランド、モンテネグロなどなどですが、おそらくは息子くんが通っていた「ピーター・ラビットが出てきそうな上品なミドルクラスの学校」レベル以上の教育を受けている人たちなのだと思います。
みかこさんによると、このレベルの学校の方が多様性があり、レイシスト的発想がでないようになっているとのこと。
だから彼らは、地球の裏側、東の果てからやって来た、チビのアジア人ががんばって稽古してるなーと温かく見守って、いろいろと助けてくれたのかもしれない。
でも、その外側には、息子くんが直面しているような現実がある。
日本で生まれ育ったわたしはあまりにも無知でした。多様性についても、底辺で生きる人たちの生存競争にも。
そのため、この世界をよく知る友人は「ニコニコしながら歩くな」「ボンヤリしてたら狙われるよ」とアドバイスしてくれたのでしょう。
海外セミナー中は、宗教も文化も違う人たちに囲まれて、少なくとも一週間を過ごすことになるので、日本人の友人にタブーを聞いておくことがあります。2019年の夏に行った時には、
「ブレグジットに触れない方がいいよ」
と言われました。これはタブーというよりも、それぞれ持論があるため、軽い気持ちで質問するとめんどくさくなるよという忠告です。
日本がいかにホンワカとしているのか(していていいのか)、いかに多様性が低いのか、政治的な話をしないのか。あらためて感じました。
ひとりの少年の学校生活を通して、知ることができる世界。
他人の靴を履いた時、見える世界。
それこそ、わたしがいま体験したいと思うものだから。
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