「世界でもっとも孤独なクジラ」とは、なんて悲しい言葉なんだろう。
海で生きる哺乳類の動物にとって、頼りになるのは聴覚。水の中では光の吸収が大きいため、視覚や臭覚は役に立たないからです。
クジラの場合、バヒョーンバヒョーンと大きなヒレで海面を叩いたり、歌のような音を出したりしてコミュニケーションを取っているのだそうです。ほとんどのクジラの鳴き声は15〜20ヘルツの周波数帯域ですが、これまでたった一頭だけ、52ヘルツという高い周波数で鳴く個体が確認されています。
このクジラが「好きだよ」と言っても、誰にも届かない。誰もその声を聞くことができない。想いは海の底へと消えてしまう。「世界でもっとも孤独なクジラ」と言われている所以です。
町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』は、誰にも届かない声を秘めて生きてきた女性と少年が主人公。家族に人生を搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年が出会ったとき。「52ヘルツの叫び声」が共鳴するかのようでした。
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『52ヘルツのクジラたち』
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祖母が遺した大分の家にやって来た貴瑚。古い町のため、世間話のタネになってしまう。ある雨の日、貴瑚は話すことのできない少年と出会い、保護することに。明らかに虐待を受けた跡のある少年に、貴瑚は自分の過去を思い出してしまう……。
わたしの家の裏は公園になっていて、その向こうの家からときどき大きな声が聞こえます。
泣き止まない子どもの叫び声、叱りつけるお母さんの声は、聞いているこちらの気持ちも凹ませる……。先日は、「土下座して謝れっつってんだよぉーーーっ!!」という怒声が聞こえ、思わずダンナと顔を見合わせました。
いまも書きながら思い出して、ドキドキしています。
もしゲームをしているのであれば、わたしの心配なんて、当事者にとっては失礼でしかないでしょう。こんな時は、ママになったばかりの友人が「子どもが泣き止まないとき、虐待してるんじゃないかと疑われそうでつらい」と言っていたことも思い出してしまいます。
“家”という密室から漏れ出る物音が、どんな状況で現われているのかなんて分からない。だから「Help」の声も届きにくくなるし、手を差し伸べるのをためらってしまう。
そこから聞こえるのは、「52ヘルツ」の鳴き声にされてしまうのか。
実母に疎んじられ、母の再婚相手との間に生まれた弟とに差をつけられ、義父の介護要員としてしか扱われなかった貴瑚。大分にある祖母の家を譲り受けて独立することにします。そこで親から「ムシ」と呼ばれている少年と出会いますが、彼を助けたいと思ったところで、「法律的」にはそうカンタンにはいきません。
傷ついたことのある人は、誰とも関わらずにいれば、平穏に暮らせると思ってしまいます。どんな性格診断を受けても「孤独を愛しすぎる」と出るわたしも、そう考えるひとりです。
でも、人生は、誰かと関わらずにはいられない。
貴瑚を救ってくれた「アンさん」の言葉、貴瑚と少年のつながり方は、とてもやさしいものでした。52ヘルツという声で鳴くクジラは1頭だけですが、タイトルには“たち”という言葉が入っています。この、“たち”に込められた、「ひとりじゃないよ」という想いを大事にしたいなと思った一冊でした。
誰もが世界一孤独な52ヘルツの声を持っているのかもしれないから。
この本は、カバーの“そで”の部分に秘密が隠されています。こういう仕掛けを楽しめるから、紙の本が好きなんですよね。気になる方は、こちらの記事もどうぞ。
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