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『なりたくて妖精になったわけじゃない』#730


地下から見上げる空は、はるか遠くて、見上げるだけで絶望を誘うのかもしれない。

田中経一さんの小説『なりたくて妖精になったわけじゃない』は、「地下アイドル」が主人公の物語です。小説ではありますが、地下アイドル界の闇をのぞく、ルポルタージュのようでもありました。

☆☆☆☆☆

『なりたくて妖精になったわけじゃない』
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<あらすじ>
地下アイドル界の名物プロデューサー・トシ松尾は、五人組の新グループ「ティンカーベル」を結成した。伝説のアイドルの姪・白井希の存在が、ブレイクの切り札だ。しかし、ヲタクの青年・豊原優星をマネジャーに迎え活動を進める矢先、業界内で連続殺人事件が起こり、メンバーも一人ずつ姿を消していく。少女たちはなぜ消えたのか。「ティンカーベル」は“地上”へ這い上がることができるのか……。


地下アイドルの人数は、2016年の時点で5,000人超といわれていたそうです。ライブを中心に活動していて、メジャーデビュー前の「アマチュア」という意味合いを持つことも。

坂道グループの「会いに行けるアイドル」はもちろん、ももクロの「今会えるアイドル、週末ヒロイン」のような「地上アイドル」への憧れ。IZ*ONEやNiziUといった歌もダンスも上手な「アーティスト」タイプのグループなんて、めちゃくちゃキラキラしている。

そんな世界に憧れる女の子に群がるのは、下心満載のオッサンたち。中には「ヲタクが気持ち悪い」と脱退してしまう方もいるようです。それを言ってしまったら……という気がしちゃうな。


小説には、ヲタク活動の用語や活動方法、アイドルグループの育成と売り出しまでの戦略も出てきます。

詳しいなーと思ったら、田中経一さんは、テレビ朝日系の番組「ラストアイドル」の演出をしていた方なのだそう。「料理の鉄人」などの人気番組を成功させ、2014年に『麒麟の舌を持つ男』で小説家デビュー。

芸能界の裏事情に通じた人だからこその展開かなと思いますが、その分、小説というよりもノンフィクションのような生々しさがありました。

一度地下の住人となってしまったら、地上に這い上がるのは至難の業。それでも、少女たちは地上を目指すのです。なのに「なりたくてなったわけじゃない」なんて言ってしまったら……という気がしちゃうな。

なによりおもしろかったのは、この本の帯です(中身じゃないのかよ……という指摘はおいておいて)。


「秋元康氏、期待!」

え、ちょっと待て。

「……期待!?」

なんと、まだ読んでいない本の帯を書いておられるんですね。「僕もみなさんと一緒にこれから、この小説を読みます」とのこと。

いやー、この「盛り方」は、「地下アイドル」を売り出す時のゲスさを彷彿させて、ちょっとなーと思ってしまった。

アイドルを目指す以上、少女たちはいつまでも「夢見る少女じゃいられない」のだし、プロになるには過去を捨てる「イニシエーション」も必要になります。その儀式に、伝説のアイドル沢井優希の自殺の謎と、現在起きている地下アイドルの死亡・失踪事件も絡んできて、ミステリー的な展開を見せるのですが。

アイドルを目指す少女たちの心の傷を「凹」、彼女たちに恋するヲタクたちの心の傷を「凸」と表現した、こんな一文があります。

“メンバーもファンも傷を負った心を抱えている。その心は変形し、へこんだりとんがったりしている。そして、凹の心を持つメンバーと、凸の心を持つファンが一体化し綺麗な正方形を作り上げた時、ライブは最高の盛り上がりをみせるのだと。”

それはもろにセックスの話なんでは。たしかにライブの一体感と恍惚感はエクスタシーかもしれないけど。アイドルを取り巻く、男たちの本音に触れた気分……。

底辺にドロッとしたものを感じるけど、読後感はさわやかです。地上アイドルって、それでもやっぱりいろいろすごいんだなーと感じさせる一冊。アイドル好きの方におすすめ。


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