「無頼漢にあこがれてるんです」
新人ライター用の研修を実施した際、慣用句の間違いを指摘したわたしに、こう言った方がいました。
日本語の間違いを修正することと、無頼漢への憧れがどうつながるのか分からず、思わず無言になってしまったことを覚えています。
当の本人は数年後、「あのころは、無頼漢がどんなものなのか分かってなかったみたいっすね~」と言っておりました。
無頼漢ね……と思わずにいられない。
戦前くらいなら、太宰治や坂口安吾が“お手本”なのかな。たしか、伊集院静さんは”最後の無頼派”と呼ばれていたはず。
わたしの中では、天才的「無頼漢」はダントツで中島らもさんでした。
広告プランナーからコピーライターへ、バンドマンをやり、劇団を主宰し、小説も書く。その一方で、鬱に悩まされながら、クスリと酒で身を滅ぼした……という多才な方です。
『頭の中がカユいんだ』は、最初の小説といわれていますが、読んでいる間ずっとエッセイだと思っていました。なんでも泥酔状態で書いたのだとか。
最強の無頼派ここにあり、です。
☆☆☆☆☆
『頭の中がカユいんだ』
☆☆☆☆☆
妻子を残して家出した僕。現実と妄想の間で、つむじのように過ぎていく日々を綴った小説です。けど、体裁は「日記」になっています。
笑いと渋みの強さが強烈で、えぐみとして残るのは、社会の不条理。徹底的に突きつけられるのは、誰かが決めた尺度としての理論。
生きるって、大変だな……と思ってしまいます。久しぶりに読んだら、ダリの美術展に行った後、同じことを考えたのを思い出しました。
むかーしのこと。わかぎえふさんのファンだった友人に連れられ、「リリパットアーミー」の舞台を見に行ったことがあるのですが、帰り道、ふたりで「凡人でよかったね……」と語り合ったものでした。
なんというか、世界の見え方がこんだけ違うと、「苦しい」なんてもんじゃない。文庫版の解説でモブ・ノリオさんが書いておられる言葉が、一番ピッタリくるかもしれません。
「無頼漢」に憧れるなんて、人生を大火傷して生きる覚悟がないとできないもの。だって、天才の頭の中は、かゆいのですから……。
コメント
コメントを投稿