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『言の葉の森——日本の恋の歌』#894

日本古来の詩である「和歌」を韓国語に翻訳し、歌にまつわるエッセイを再び日本語に翻訳する。 なんだかややこしい、ふたつの言葉の行ったり来たりが、こんなに美しい世界になるなんて。 韓国で日本語翻訳家として活動されているチョン・スユンさんのエッセイ『言の葉の森——日本の恋の歌』は、限りなく素直な透明感にあふれた一冊でした。 ☆☆☆☆☆ 『言の葉の森——日本の恋の歌』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 韓国留学中に、友人たちと韓国語の詩を読んでみようと挑戦したことがありました。でも、あまりに難しくて挫折しました。 「詩」の中で扱われる言葉は、意味の広さと深さ、音の響きやつらなりが、教科書に載っている文章とはぜんぜん違うんですもん。 「難しさを味わえただけでも、よかったよね」 みたいな感じで会は終わりました……。 当たり前ですが、「詩」よりも「和歌」の方が文字数が少ないわけです。「五七五七七」という決まりごともある。 それを外国語に訳すのは、想像するだけでも絶句するような難しさだと思います。おまけにチョン・スユンさんの韓国語訳は、できるかぎり「五七五七七」に近づけてあるんです。 下の画像がそれ。韓国語は分かち書きをするので、一見そう見えないかもしれませんが、単語としては和歌の型になっています。すごいしかない。 (画像はAmazonより) 取り上げられているのは、『古今和歌集』や『拾遺和歌集』などの和歌です。 もちろん、外国語になることで、さらに情景がクリアになったり、情感がハッキリしたりするんだなーと感じるところも。 それにしても、「翻訳家」という職業についておられる方の、言葉の豊かさよ……。 おだやかでやさしい言葉の森を歩いたような、すがすがしさがあふれていますよ。

『世界で一番すばらしい俺』#768

世界が反転した。 工藤吉生さんの第一歌集『世界で一番すばらしい俺』は、ページをめくるごとに歌人のイメージが変わってしまいます。 タイトルになっている「世界で一番すばらしい俺」は、実は一首の下の句です。これだけ見ると、ブイブイでウェイウェイな感じがするんだけれど。 膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺 なんと!! 思い描いた世界と全然違ってた。 生きることのしんどさと、やりきれなさ。人の目にイラつき、自分にイラつく。ああ、もう、どうにでもなれ!と思うのに、まだしぶとく生きている自分を発見するような歌集です。 ☆☆☆☆☆ 『世界で一番すばらしい俺』 https://amzn.to/3mdEFoG ☆☆☆☆☆ 1990年前後に広まった「ニューウェーブ短歌」は、インターネットのおかげで裾野が広がったのだそうです。 工藤吉生さんは、歌人・枡野浩一さんがネット上で「ドラえもんあるある」的な短歌を募集した『ドラえもん短歌』を見て、興味を持ち、歌を作り始めます。 歌集は、初々しい、青春の甘酸っぱさ全開の、レモンが降ってくるような、まぶしさいっぱいの歌からスタート。 そして、好きだった女性にふられて、4階のベランダから飛び降りる。 すごく凝縮された青春が、ガラスのような鋭さを持って振り下ろされてくるんです。一命をとりとめた後も、震災被害に遭い、交通事故にも遭われています。 クリエイターの業の深さを感じさせる一文がありました。 「車にはねられました」というシリーズについての紹介です。 “体験としては強烈でしたが、短歌は十首しかできませんでした。” 生きててよかった……。 どんな体験も、自分の中に取り込み、「作品」に昇華できるって、清算ができたってことなのかしら。負の感情を成仏させることができたら、明日も生きてみようと思えるかもしれないですね。

『言葉の園のお菓子番 見えない花』#729

エモい。とにかく全部がエモかった。 いや、これまで「エモい」という言葉を聞いても、あんまりどういう感じなのか分かるようで、分からないところがあったのですが。『活版印刷三日月堂』のほしおさなえさんによる、新シリーズ『言葉の園のお菓子番 見えない花』を読んで、こういうことか!と思ったのでした。 テーマは、「連句」です。 ☆☆☆☆☆ 『言葉の園のお菓子番 見えない花』 https://amzn.to/2TZUkfk ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 書店員の職を失った一葉は、仕方なく実家に戻ることに。亡くなった祖母の部屋を整理している途中、自分にあてた手紙をみつける。そこには、祖母が楽しみに通っていた連句の会に、顔を出して欲しいと書かれていた。祖母のノートを頼りに、お菓子を持って連句の会に顔を出した一葉は、少しずつ連句の魅力にはまっていく……。 「連句」とは、最初の句の情景から次の句を想像してつないでいく文芸です。イメージのしりとり、みたいな感じでしょうか。いろいろと決まりがありますが、大丈夫。主人公の一葉だって初めてなんです。ひとつずつ説明を聞きながら、おずおずと参加しています。 連句の会には「インターネット連句」をきっかけに参加したという方もいました。探してみたら「日本連句協会」という団体があって、ネット上の連句の情報も掲載されています。 一般社団法人日本連句協会 連句、連句会のことなら一般社団法人日本連句協会へ。各大会の情報も発信しております。   一葉のおばあちゃんは「連句」だから自分の居場所があったと語っていました。いつも、どんなときも、「No.1」になれない一葉も、「連句」におもしろさをみつけていきます。 前の句のイメージを受け取ってつなげたり、少し飛躍したり。 出来上がった巻をつなげてよむと、小さな宇宙のジグソーパズルのような趣がある。時空を越えたり、パンッと映像が切り替わったりしているんですよね。 「連句」では、飛び抜けてよくできた「No.1」の句よりも、つながりと飛躍の妙が好まれるようです。だから、おばあちゃんも、一葉も、ハマっていったのかもしれません。 ひとつでも欠けてしまえば完成しないジグソーパズルのように、どこかのパーツがエラいんじゃなく、どれもが自分の居場所を見つけるから、ひとつの絵が完成する。 それが言葉によって紡がれていくのですから、読んでいるだけで

料理にまつわる気持ちをギュッとフリージング 『わたしを空腹にしないほうがいい』 #598

あー、なんてみずみずしくて、おいしそうなんだろう。 トマト捥ぐしあわせがはちきれそうだ  『わたしを空腹にしないほうがいい』所収 盛岡の歌人・くどうれいんさんのエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』は、俳句+食を巡る日々の記録になっています。言葉にどれも透明感があって、切なくて、恋しくて、みずみずしいトマトのような一冊です。 ☆☆☆☆☆ 『わたしを空腹にしないほうがいい』 http://www.keibunsha-books.com/shopdetail/000000022854/ ☆☆☆☆☆ 「トマト捥ぐ」は、「トマトもぐ」と読むようです。収穫の時の青くさい匂いとか、汗のジメッとした感じや、強い日射しまで感じられる句ですよね。 盛岡生まれのくどうさんは、盛岡を拠点として活動されている方です。自費出版した『わたしを空腹にしないほうがいい』を見た書店「BOOKNERD」の店長さんが、改訂版としてあらためて出版したそう。わたしが手に入れたのもこちらです。 タイトルに惹かれて購入したのですが、買ってよかった!と思った一冊でした。なぜなら。 お腹が空くと不機嫌になるという一文に、めちゃくちゃ共感したから(つくづく食いしん坊やな……)。 はつなつを出刃包丁ではね返す 『わたしを空腹にしないほうがいい』所収 一匹まるごと鯛を手に入れた時の歌です。まな板の上の鯛を前に途方にくれたり、やけくそになってコンビニで甘いものを買ったり。時には「いのちをいただく」ことに打たれすぎて、食べられなくなってしまうことも。 家族の思い出、失恋の思い出、友だちと笑ったこと、ひとりでガスの火を見つめていたこと。食べることは、生きることだけど、料理には、人生が詰まっているように感じます。 そら豆はすこやかな胎児のかたち 『わたしを空腹にしないほうがいい』所収 俳句とエッセイには、すべて日付が振られています。ある年の「6月」に、こんな風に世界を見ている人がいたんだなと思う。食べ物の記録ともいえるし、料理を前にした瞬間の気持ちをフリージングした「日記」ともいえます。 くどうさんもFRIDAYのインタビューでこんな風に語っていました。 「私にとって言葉をつづることは、ある瞬間をぎゅっとまとめて手元に残しておけるものです。社会という大きな物語に自分自身が消費されないためのものでもあります。私は人生の手綱を