中華といえば幸楽苑。三大庭園といえば後楽園。国語辞典といえば『広辞苑』。というわけで、校閲の仕事をするとき、一番使っているのは『広辞苑』かもしれません。
ただ辞書って不思議なもので、「あと一歩、かゆいところに手が届かない」と感じることが多いんです。
普段はCASIOの電子辞書「XD-SX20000」を使っています。収録されている国語系の辞書は、『広辞苑』『明鏡』『新明解』『日本国語大辞典』です。探し物をしながら、解説の違いを読み比べるのもおもしろいもの。
これには入っていませんが、ユニークだと有名な辞書が三省堂の国語辞典です。飯間浩明さんの『三省堂国語辞典のひみつ』は、その編集の裏側を綴った本。リアルに『舟を編む』の世界です。
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『三省堂国語辞典のひみつ』
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『新明解』と三省堂の国語辞典、通称『三国』は、ひとつの辞書から分かれたものなのだとか。原形を作ったのは見坊豪紀さんという方で、ほぼ独りで145万枚もの用例カードを作り、言葉の収集にあたったそうです。
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『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』
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「w」を辞書に載せたことでも話題になった『三国』。『新明解』との違いは、にやりとさせる『新明解』か、すとんと理解できる『三国』かとのこと。『三国』は「要するに何か」が分かる説明に振り切っているため、百科事典的な要素は、あえて省いているそうです。
辞書作りの背景だけでなく、言葉の「揺れ」についての話も興味深く読みました。
たとえば、「的を射る」か、「的を得る」か。これまで校閲の際に「的を得る」を見かけたら、
と青字(著者への注意喚起や確認事項を書くときは青いペンを使います。エンピツを使う人も)で書いていました。赤字にしないのは、なんぞ「思惑」があるのかもしれないと思うからです。
が、飯間さん曰く、「あながち間違いとはいえない」とのこと。例として引用されているのが新井素子さんの小説『結婚物語』で、まさしくこの小説でわたしも「あぁ、そうなのか!」と覚えたんですよね。
「的を射る」と似たような言葉に、「正鵠を得る」という表現があります。正鵠=的と考えれば、「的の中心をうまく得る」とも考えられるのではないか。
えええええええええーっ!
校閲の仕事では安易に「赤字」を出すことはありません。すべて根拠をもって説明できるものに対して指摘を出します。国語辞典は「指針」として確認するものなので、根拠が揺らぐととても困る……。
「爆笑」「全然」といった、誤った使い方だと決めつける都市伝説の方が優勢なものもあり、ホントに言葉の世界は奥深いと「知ることができる」のです。
えー、上の一文はあんまり意味はなく、書きたかったのは「知ることができる」の方です。これ、最近よく見かける書き方は「知れる」だと思います。わたしが担当している原稿でも、たまに見かけます。
これがとても悩ましい。
自分では絶対に書かない表現なんですよね、これ。なんとなくショートカットしている感じがするのと、「お里が知れる」のようなネガティブな印象があるからでしょうか。
「知れる」ってどうですか?
これにも解説が欲しいなーと思うと「あと一歩、かゆいところに手が届かない」状態になって、ついついいろんな本に手を伸ばしてしまうのです。
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