人生は、常に何かを失いながら進んでいくものなのかもしれない。
ポロポロと、日々、手の平から何かがこぼれ落ちていく。気がついてみれば、手の中には何もなかった。そんな思いをした経験は、わたしにもあります。
人生の全てを映画に捧げ、そして全てを失ったアラフォー女子“チャンシルさん”が主人公の映画「チャンシルさんには福が多いね」は、たぶん、ほとんどの人にとって“明日は我が身”なストーリーです。
仕事を失い、お金はなく、家もなく、恋人も、子どももいない。ないない尽くしの“チャンシルさん”。でも、この映画を観て、ものすごく、ものすごく、充実した気分を味わいました。
心が洗濯された!!!
そんな気持ちを味わえる作品です。
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映画「チャンシルさんには福が多いね」
https://www.reallylikefilms.com/chansil
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「豚が井戸に落ちた日」や「よく知りもしないくせに」など、ダメダメ男のダメダメな日常を撮ってきたホン・サンス監督。その監督をプロデューサーとして支えてきたキム・チョヒ監督の、長編デビュー作です。若いころに映画監督を志したものの、ずっとプロデューサーを務めてきたキム・チョヒ監督は、40歳の時に全てを手放したのだそうです。
そして、本当にやりたかった映画監督の道へと踏み出します。
映画で、突然全てを失うことになる“チャンシルさん”というキャラクターには、監督自身の経験が反映されているそう。
呆然としつつも、実務能力はあって、現実的だけど幻と対話する“チャンシルさん”を演じるのは、カン・マルグム。舞台で活躍してきた俳優だそうで、わたしは初めて見ました。「82年生まれ、キム・ジヨン」のキム・ドヨン監督の前作に出演し、キム・チョヒ監督が惚れてしまったとのこと。
よく知らない俳優が演じるからこそ、“チャンシルさん”という存在が自分自身のようにも、身近にいる人のようにも思えて、とても自然に受け入れられました。
(画像はKMDbより)
失業した“チャンシルさん”がまずやったのは引っ越しです。「タルトンネ(月に近い町の意)」と呼ばれる、古くて、多くは貧困層が住んでいる町の大家さんが、ユン・ヨジョン。とぼけた味わいに、ピリッとしたセリフ。この人なしでは、この映画の空気は生きなかったと思います。
(画像はKMDbより)
失意の“チャンシルさん”は、「レスリー・チャン」と名乗る男と出会います。寒いのにランニングシャツを着て、ウロウロしている謎の男です。彼を演じるのが、「愛の不時着」で、北朝鮮の盗聴係を演じたキム・ヨンミンです。
(画像はKMDbより)
真顔で、「ボクはレスリー・チャンです」と言い張る様子や、聞き上手なのか、茶化しているのかよく分からない態度にはフフッと笑いが込み上げてきちゃう。彼との対話を通して、“チャンシルさん”は自分が本当にしたかったことを「深く、深く」考えるようになります。
ホン・サンス監督はもちろん、監督自身が好きだという小津安二郎の影響も強く感じます。レスリー・チャンや、クリストファー・ノーラン監督など、映画好きならニヤリとしてしまうセリフもいっぱい盛り込まれています。
わたしはかなりの出不精で、筆無精で、電話不精です。だから「不要不急の外出を控えてね」と言われても、あまり不便を感じていませんでした。
人見知りが激しいため、見知らぬ誰かとつながりたいと思わない。誰かと何かについて語り合いたいという欲求もほとんどない。よくいえば、「ひとり遊び」が上手なタイプだといえますかね。
人生とは、ポロポロと、手の平から何かがこぼれ落ちていくものだと思っていたから、ひとりが平気になるように生きてきました。ドン底も、挫折も、失意も、孤独も、これ以上ないくらいに味わったから。
そんな、ひとりが大好きなわたしなのに。“チャンシルさん”から与えられた「福」について語り合いたいと思いました。この想いを分かち合う人がいれば、さらに幸せな気持ちになれたのに……と思わずにはいられなかった。
おまけにいまの状況では、気軽に「映画に行こう!」とも、「この映画観て!」とも言いにくい。外出できないことを不便と思ったことはなかったけれど、こういういい映画に出会ってしまうと、そのことがとてもとても悲しい。
“チャンシル”は、漢字では「燦実」と綴るそうです。美空ひばりの名曲「愛燦燦」の「燦」に、果実の「実」。漢字に現われている通り、「太陽のように輝く果実」を意味する名前です。
おいしそうに実った輝く果実が、「福」として届けられる。
そんな映画です。
映画情報「チャンシルさんには福が多いね」96分(2019年)
監督:キム・チョヒ
脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア
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