スキップしてメイン コンテンツに移動

愛燦燦とこの身に降ってくる人生 映画「チャンシルさんには福が多いね」 #569


人生は、常に何かを失いながら進んでいくものなのかもしれない。


ポロポロと、日々、手の平から何かがこぼれ落ちていく。気がついてみれば、手の中には何もなかった。そんな思いをした経験は、わたしにもあります。


人生の全てを映画に捧げ、そして全てを失ったアラフォー女子“チャンシルさん”が主人公の映画「チャンシルさんには福が多いね」は、たぶん、ほとんどの人にとって“明日は我が身”なストーリーです。


仕事を失い、お金はなく、家もなく、恋人も、子どももいない。ないない尽くしの“チャンシルさん”。でも、この映画を観て、ものすごく、ものすごく、充実した気分を味わいました。


心が洗濯された!!!


そんな気持ちを味わえる作品です。

☆☆☆☆☆

映画「チャンシルさんには福が多いね」
https://www.reallylikefilms.com/chansil

☆☆☆☆☆

<あらすじ> 映画プロデューサーとして働くチャンシルだが、ずっと支えてきた映画監督が急死したため失業してしまう。人生の全てを映画に捧げてきた彼女には家も恋人も子どももなく、青春さえも棒に振ってきたことに気づく。そんな彼女に、思わぬ恋の予感が訪れる。

「豚が井戸に落ちた日」や「よく知りもしないくせに」など、ダメダメ男のダメダメな日常を撮ってきたホン・サンス監督。その監督をプロデューサーとして支えてきたキム・チョヒ監督の、長編デビュー作です。若いころに映画監督を志したものの、ずっとプロデューサーを務めてきたキム・チョヒ監督は、40歳の時に全てを手放したのだそうです。


そして、本当にやりたかった映画監督の道へと踏み出します。


映画で、突然全てを失うことになる“チャンシルさん”というキャラクターには、監督自身の経験が反映されているそう。


呆然としつつも、実務能力はあって、現実的だけど幻と対話する“チャンシルさん”を演じるのは、カン・マルグム。舞台で活躍してきた俳優だそうで、わたしは初めて見ました。「82年生まれ、キム・ジヨン」のキム・ドヨン監督の前作に出演し、キム・チョヒ監督が惚れてしまったとのこと。


よく知らない俳優が演じるからこそ、“チャンシルさん”という存在が自分自身のようにも、身近にいる人のようにも思えて、とても自然に受け入れられました。

(画像はKMDbより)

失業した“チャンシルさん”がまずやったのは引っ越しです。「タルトンネ(月に近い町の意)」と呼ばれる、古くて、多くは貧困層が住んでいる町の大家さんが、ユン・ヨジョン。とぼけた味わいに、ピリッとしたセリフ。この人なしでは、この映画の空気は生きなかったと思います。

(画像はKMDbより)

失意の“チャンシルさん”は、「レスリー・チャン」と名乗る男と出会います。寒いのにランニングシャツを着て、ウロウロしている謎の男です。彼を演じるのが、「愛の不時着」で、北朝鮮の盗聴係を演じたキム・ヨンミンです。

(画像はKMDbより)

真顔で、「ボクはレスリー・チャンです」と言い張る様子や、聞き上手なのか、茶化しているのかよく分からない態度にはフフッと笑いが込み上げてきちゃう。彼との対話を通して、“チャンシルさん”は自分が本当にしたかったことを「深く、深く」考えるようになります。


ホン・サンス監督はもちろん、監督自身が好きだという小津安二郎の影響も強く感じます。レスリー・チャンや、クリストファー・ノーラン監督など、映画好きならニヤリとしてしまうセリフもいっぱい盛り込まれています。


わたしはかなりの出不精で、筆無精で、電話不精です。だから「不要不急の外出を控えてね」と言われても、あまり不便を感じていませんでした。


人見知りが激しいため、見知らぬ誰かとつながりたいと思わない。誰かと何かについて語り合いたいという欲求もほとんどない。よくいえば、「ひとり遊び」が上手なタイプだといえますかね。


人生とは、ポロポロと、手の平から何かがこぼれ落ちていくものだと思っていたから、ひとりが平気になるように生きてきました。ドン底も、挫折も、失意も、孤独も、これ以上ないくらいに味わったから。


そんな、ひとりが大好きなわたしなのに。“チャンシルさん”から与えられた「福」について語り合いたいと思いました。この想いを分かち合う人がいれば、さらに幸せな気持ちになれたのに……と思わずにはいられなかった。


おまけにいまの状況では、気軽に「映画に行こう!」とも、「この映画観て!」とも言いにくい。外出できないことを不便と思ったことはなかったけれど、こういういい映画に出会ってしまうと、そのことがとてもとても悲しい。


“チャンシル”は、漢字では「燦実」と綴るそうです。美空ひばりの名曲「愛燦燦」の「燦」に、果実の「実」。漢字に現われている通り、「太陽のように輝く果実」を意味する名前です。


おいしそうに実った輝く果実が、「福」として届けられる。


そんな映画です。


映画情報「チャンシルさんには福が多いね」96分(2019年)

監督:キム・チョヒ

脚本:キム・チョヒ

出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア

コメント

このブログの人気の投稿

まったく新しい映画体験に思うこと 4D映画「ハリー・ポッターと賢者の石」 #484

映画の公開20周年を記念して、「ハリー・ポッターと賢者の石」が初の3D化されました。体感型の4DXやMX4Dで上映されています。 映画を「配信」するサービスが増え、パソコンやスマホでも映画が観られるようになったいま、「劇場で観る楽しみ」を、最大限与えてくれる上映方法だと思います。 でも、なぜか、4D映画ってモヤッとしてしまう……。 クィディッチゲームの疾走感や、チェスの駒が破壊されるシーンの緊迫感は倍増されていたので、こうした場面の再現率、体感度は以前に比べてかなり上がってきたように感じます。 (画像はIMDbより) それでも、稲光、爆風や水滴など、ストーリーとのズレを感じてしまう。 むかし観た4D映画では主人公が「GO! GO!」と走り出すシーンで、スポットライトがピカピカと点滅していたんですよね。わたしの頭の中で、「パラリラ パラリラ~」という暴走族のバイクの音が再生されてしまいました。 そうしたストーリーとは関係のない効果は減り、洗練されてきた感じはするものの、やっぱりスッキリしないものは残るのです。 4D映画はなぜモヤるのだろうと考えていて、「誰の目線で映画を観ればいいのか混乱する」からかもしれないと気がつきました。 ここで、あらためて4D映画について説明しておきます。 4D映画とは、映画に合わせて光や風などの演出が施された、アトラクション型の「映画鑑賞設備」のことです。 2D映画でも、4D映画の設備で上映されなら、4D映画になります。今回わたしが観た「ハリー・ポッターと賢者の石」は、3D映画の4D上映でした。 日本で導入されている4Dシアターは2種類。韓国のCJ 4DPLEX社が開発した4DXと、アメリカのMediaMation社が開発したMX4Dです。わたしは今回、TOHOシネマズで観たのですが、導入しているのはMX4Dのほうでした。サイトによると、体感できる環境効果はこちら。 特殊効果 ・シートが上下前後左右に動く ・首元、背後、足元への感触 ・香り ・風 ・水しぶき ・地響き ・霧 ・閃光 なるほど、のっけからシートがジェットコースターのように揺れ、風が吹きつけ、地響きも、ふくらはぎに礫が当たるような感触も体験できました。 人間社会で虐待されながら育ったハリー・ポッターは、ハグリットと出会うことで初めて魔法の世界に触れることになります。 ホグワーツ魔

キャラクター名“画数グランプリ” 優勝したのは!?「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」 #515

劇場版「鬼滅の刃」が話題ですね。 校閲ガールであるわたしにとって、気になるのはストーリーでも、煉󠄁獄さんのかっこよさでも、興行収入でもありません。 漢字が多すぎ!!! ってことです。 たぶん、すべての校閲ガールや校閲ボーイは、トラウマとなる漢字を持っています。変換ミスや同音異義語を見落とした経験を持っているから……。一度やってしまうと、その漢字を見ただけで「ヒッ!」となります。特に画数の多い漢字はつらいんです。 なのに、 「鬼滅の刃」の登場人物は、全員画数多過ぎでしょ!!! 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編公式サイト 「その刃で、悪夢を断ち斬れ」劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編 絶賛公開中!   主人公は竈門炭治郎。その妹は禰豆子。鬼殺隊仲間は、我妻善逸、嘴平伊之助。「鬼殺隊」という名前からすでに怖そうですよね……。ちなみに一度で変換できなくて、「おに」「ころし」「たいちょう」と入力したので、あの日本酒を思い出しました。 清洲城信長 鬼ころしパックが【全国燗酒コンテスト2020】お値打ち熱燗部門 金賞受賞(2年連続受賞)   そんな「鬼殺隊」最強の剣士・煉󠄁獄杏寿郎さんはやはり、漢字の難しさも最高レベル。さすがは炎の呼吸を使う炎柱です。たぶん「隊長」みたいな役職の人です。 今回の映画の敵は魘夢と猗窩座というヤツで、これまで炭治郎たちが戦ってきた鬼よりはるかに強いヤツらしい。文字だけ見ても強そうですもんね。その鬼を束ねている悪の総帥が鬼舞辻無惨。 読み方分かりませんね……? 手書きできませんね……? 「鬼滅の刃」漢字検定1級をとれたらすごいと思います。このアニメとのコラボグッズは、校正するの、大変そう……。 そこで、緊急企画 「画数グランプリ」を開催 したいと思います! 「漢字辞典online」というサイトにて、各キャラクターの名前の画数を確認してみました。 kanji.jitenon.jp 「竈」という漢字を検索すると、こんな感じで表示されます。 この「画数」を足し上げていくのです。さて、優勝したのは!? (表記は公式サイトを基にしています) * * * 第3位:鬼舞辻無惨 54画 第2位:竈門炭治郎 55画 僅差です! 「魘夢」なんて、「魘」だけで24画もありました。これはぶっちぎるのでは……と思いきや、2文字という名前が仇に。けっこうしぶとい強いヤツでしたが、こ

人生をやり直したい男の誤算が招くコメディ 映画「LUCK-KEY」 #298

名バイプレーヤーとして知られる俳優が、主演を務めるとき。その心中はドッキドキでしょうね……。 映画「ベテラン」や「タクシー運転手 約束は海を越えて」で味のある演技を披露していたユ・ヘジンにとって、初めての単独主演映画が「LUCK-KEY ラッキー」でした。 ☆☆☆☆☆ 映画「LUCK-KEY」 https://amzn.to/3watGNT ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 売れない貧乏役者のジェソンは、将来に絶望して自殺を試みます。が、大家の侵入によって失敗。せめて身ぎれいになってからにしようと銭湯に行くことに。石けんを踏んで転倒した男の鍵をすり替え、男のフリをして暮らそうとしますが……。 原作は内田けんじ監督のコメディ「鍵泥棒のメソッド」。リメイク版の試写会で、観客が提案したタイトルが「LUCK-KEY」で、それがそのまま使われることに決まったのだそう。 ☆☆☆☆☆ 映画「鍵泥棒のメソッド」 https://amzn.to/3jEEotv ☆☆☆☆☆ ユ・ヘジンが演じるのは記憶喪失になった男「ヒョヌク」なのですが、ロッカーの鍵をすり替えられてしまったため、周囲には貧乏役者だと思われています。助けてくれた救急隊員の実家である食堂で働くことになりますが、刀さばきはすごいし、客さばきもうまい。だけど彼自身は俳優として成功し、親孝行しなければとマジメに努力します。 (画像はKMDbより) 一方、鍵をすり替えて逃げ出したジェソンの方は、豪勢な「ヒョヌク」の家にビックリ。贅沢三昧に自堕落に暮らし始めますが、隠し部屋で多くの銃を発見してしまいます。 実は「ヒョヌク」は、100%の成功率を誇る伝説の殺し屋だったのです!!! というお話。とにかくおかしな方へ、おかしな方へと話が転がっていく、コメディです。 (画像はKMDbより) 驚くのはユ・ヘジンの身体能力の高さ。趣味は登山と日曜大工だそうですが、いや、すごすぎやろというくらい、見事なアクションをみせています。 映画では、どう見てもおっちゃんなのに身分証は20代だったり、大部屋俳優から出世しちゃったり。 記憶は失っても、努力の仕方は覚えてるんですよね。 逆に、鍵をすり替えたジェソンは、夢はでっかく、だけど行動力はゼロという青年です。ふたりの対照的な生き方は、入れ替わっても続いてしまう。「幸運の鍵」をつかむには、という部分で、ちょっと身に