人間の脳は他人に「正義」の制裁を加えることに、喜びを感じる。
こうして言葉にされると「え……」と言いたくなってしまいます。でも、スポーツイベントや災害、政治的イシューなどに対して一体感が強まっていると、「和」を乱す人を一方的に攻撃する行為が発生するのも事実です。
「誰かが得すると自分は損した気になる」ことも、「集団にとって都合の悪い個体を排除する」ことも、脳の働きなのだそう。
人間の仕組みにとらわれ、制裁の快感に飲み込まれる前に、一度立ち止まって考えてみませんか?という本が、『生贄探し 暴走する脳』。脳科学者の中野信子さんと、マンガ家のヤマザキマリさんの対談です。
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『生贄探し 暴走する脳』
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人間の脳の働きについては、中野信子さんの『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』に詳しいです。
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『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』
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そして、異質なモノを受け入れる生き方については、ヤマザキマリさんの『たちどまって考える』が参考になります。
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『たちどまって考える』
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どちらも新書なので、サラッと読めますが、2冊も読むのはちょっと……という方におすすめなのが、『生贄探し 暴走する脳』。内容がギュギュッとつまっています。
『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス 』など、ローマを舞台にしたマンガを描いてこられたヤマザキさんからは、ローマにおける毒親の話や、異文化の受け入れについての話が。これを聞いた中野さんが脳科学的に分析をしています。
ちょっと胸が痛くなるのが、暴君と呼ばれた皇帝ネロの話。ネロの母は完全に支配型の人だったそうで、「よかれと思って」ネロにすることが、すべて自分自身を満足させる方向に向かっていたのだとか。
こうした誰かのための「正義」に酔ってしまうと、痛みを訴える声は、ズルをするための言い訳に変換されてしまうとのこと。
「正義」という概念は、近代に西洋から輸入されたものです。
「正義」って、ヒーローモノによくある「正義の味方」という「弱い者を守る存在」な感覚があったんですけど、どうも違うようで。もともとは、「感情ではなく、作られた法・ルールによって問題を解決すること」を意味していたそうです。
だけど現代では、ずいぶんと恣意的な「正義」がまかり通っているのではないでしょうか。
ヤマザキさんは、同調圧力や私的な正義を振り回さないためにも、生き方の多様性を知ることを勧めています。
他人同士が、完全に分かり合うなんて幻想にすぎません。脳が人と比べてしまうのは、そういうものなのだとしても、自分を充すモノを自分で見つければいい。そうしてこそ、幸せを感じることができるのかも。
「違う」ことを恐れずにいたいと思ったのでした。
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