お笑いの世界は、異種格闘技だった……!
欽ちゃん、ドリフから、さんまさん、とんねるずへ。そしてダウンタウンやナインティナインから「第7世代」と呼ばれる人たちへ。
芸人とテレビの関係性の変化に注目し、各世代の特徴を論じたラリー遠田さんの『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』は、芸人世界の熾烈な闘いの歴史がつまった一冊です。
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『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』
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わたしにとっての「お笑い番組」は、いわゆる「しゃべくり漫才」であり、落語でした。関西では日曜日の昼間に漫才や落語の番組、そして吉本新喜劇が放送されていたからです。
上京してすぐの頃、江戸前の落語を聞いてみたくて出かけたことがあります。よりによって、立川談志師匠の独演会でした。
地方出身者にとって、たぶん東京在住の人の100倍くらいに感じられる江戸弁の迫力。たたみかけるように放たれる言葉に震え上がりました。わたしの江戸前落語デビューは、ほぼ聞き取れない&怖い×怖い×怖いとなったのでした。
関東の人だって、西の方の言葉を聞くと怖く感じることがあるらしいですが、それでも「関西弁」が受け入れられるようになったのは、さんまさんの功績が大きいといわれています。つまり、テレビの影響。
日本でテレビ放送が始まった1953年から、多くの芸人が「テレビの笑い」を追求してきました。
本では、芸人が生まれた年代によって世代を7つに区切り、それぞれの世代の特徴をみています。
・第一世代:1931~1946年生まれ → いかりや長介と萩本欽一
・第二世代:1947~1960年生まれ → ビートたけしと明石家さんま
・第三世代:1961~1970年生まれ → とんねるずとダウンタウン
・第四世代・第五世代:1971~1976年生まれ → スター不在
・第六世代:1977~1988年生まれ → 谷間の世代
・第七世代:1989年以降の生まれ → デジタルネイティブ世代
演芸場の舞台を知る第二世代までと、「師匠」を持たない芸人である第三世代以降との違い。そして、「お笑い」以外のスキルを打ち出していった第六世代以降の、ある意味「自由」な雰囲気。これらは俗に言う「世代論」とも、マッチしているように思います。
たぶんわたしは第六世代くらいの人が活躍し始めた頃から、テレビを観なくなりました。
異種格闘技としてテレビに参入した芸人たちの、熾烈な「笑い」を追求する姿勢から、ヒエラルキーが見え隠れする「楽屋ネタ」的なトークについていけなくなったから。そして、「いじり芸」を「芸」と感じられなかったから。
「芸人は人前で努力を見せるものではない」と言われてきたと語るケンドーコバヤシさんは、“舞台裏”をみせることにも抵抗があるそうで、この感覚はわたしも同じかもと思います。
コンビの仲の良さはもちろん、コンビ同士でさえ仲間意識を持っているいま。テレビという場は憧れでさえなくなりました。それだけ成熟したといえるのかもしれないし、「むかしはよかった……」と言うつもりはないけれど。
いかりや長介が、欽ちゃんが、自らの弱点を「テレビの芸」へと進化させていった歴史を見ると、小粒感は否めません。
お笑い評論家であるラリー遠田さんは、第七世代の活躍に対して、自分が「置いていかれる側」になりつつあると語っています。わたしもすっかり「置いていかれた」なと思う。そのことを寂しいと思わないことが、ちょっと寂しいかな。お笑い好きとしては。
あとひとつ。
「テレビの芸」は、関西弁を受け入れるのに役立ったかもしれませんが、一方で地方の言葉を標準化してしまったようにも思います。お笑いと言葉の関係についても、いつか書いていただけたらうれしい!
関連書籍として、ナイツの塙宣之さんの著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』があります。こちらはM-1という舞台における「表現手法」の変化について語った本。分析が緻密で、お笑いの見方が変わりますよ。
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