目に見えている世界って、ほんのちょっとだけしかない。表出している出来事の奥深く、底が見えないほどの時間と距離の向こう側に、あるもの。
伊与原新さんの小説は、ざっぱな生活をしていると見逃してしまいそうなそんな世界を、科学の力で表現してくれます。
5編の短編からなる『八月の銀の雪』は、絶望を抱えた人々を科学が癒やす物語でした。
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『八月の銀の雪』
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伊与原さんは、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻された、バリバリの理系出身という方です。漢字が多いな……。なのに、というと失礼だけど、小説がガチガチのゴリゴリの正反対に位置しています。
就活に破れた大学生、ギリギリの生活に疲れてしまったシングルマザー、原発の仕事を辞めて福島へ向かう途中という会社員、自分の居場所をなくして絶望を抱えた人々が、ふと触れた科学によって救われていく。
数式を使わなくても、難しい用語を並べなくても、科学って説明できるんじゃん!と、数学が苦手なわたしにとっては感動的な物語でした。
前作の『月まで三キロ』は、「科学の知識」がとてもぬくもりのあるものとして感じられたのですけど。
今作ではさらに人を癒やすものとして登場しています。
表題作の「八月の銀の雪」は、新潮社のサイトで無料公開されているので、ぜひ読んでみてください。
連戦連敗中の就活生が、ドンくさいコンビニ店員のグエンと親しくなったことで、地球の奥深くにある「核」について知る物語です。
地表の下の層というと、熱く燃えたぎるマグマのことしか知らなかったんですよね。わたしの足の下に降っているかもしれない「銀の雪」のイメージが、とても美しかったです。
そして、哺乳類なのに海で暮らすクジラの絵が、シングルマザーの孤独を癒やす物語「海へ還る日」。深海に響くクジラの声は、わたしの胸にも届きました。
オーストリア出身の精神科医アドラーは、「幸福とは共同体への貢献感である」と提唱しました。共同体、つまり他者との連帯がある状態なのですけど、そこに自分の「居場所」を見失った時、自分が生きている意味も感じられなくなってしまう。
救いとなるのは、占い師のひと言かもしれないし、道に迷った鳩かもしれない。
希望の明かりは、そうと気が付かないところに灯っている。それさえ忘れなければ、今日を生きていけるかもしれない。
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