スキップしてメイン コンテンツに移動

『隣の国のことばですもの ――茨木のり子と韓国』#763


作家の田辺聖子さんが、終戦前後に執筆した日記が見つかったというニュース。昨日はテレビで特集されていました。


軍国少女だった田辺さん。学びたい、小説家になりたいという夢を抱えつつ、工場で働かされていました。空襲で家を失い、書きためたノートも失いました。

そして終戦。

「何事ぞ! 悲憤慷慨(こうがい)その極(きわみ)を知らず、痛恨の涙滂沱(ぼうだ)として流れ肺腑(はいふ)はえぐらるるばかりである」

他の日づけの日記とは、文字のサイズも違い、字体も乱れるほど、憤りを綴っていたそうです。

情報統制がされる中、すべてのものを我慢してきたのに、信じるしかなかったものに裏切られた衝撃の大きさが感じられます。

田辺さんと同世代の詩人・茨木のり子さんもまた、軍国少女として終戦を迎え、すべての価値が崩れ落ちる衝撃を味わった人です。

田辺聖子:1928年3月27日 - 2019年6月6日
茨木のり子:1926年6月12日 - 2006年2月17日


晩年、茨木のり子さんは韓国語を学び、韓国の詩を日本語に訳す活動をされていました。

なにが彼女をそうさせたのか。

金智英さんの『隣の国のことばですもの』を通して、茨木のり子さんの新たな側面を見ました。

☆☆☆☆☆

『隣の国のことばですもの ――茨木のり子と韓国』
https://amzn.to/3jTsjyX

☆☆☆☆☆

韓国でとても有名な詩人に、尹東柱(ユン・ドンジュ)という人がいます。日本の植民地時代に朝鮮語で詩を創作し、朝鮮語で出版することを目指します。が、治安維持法違反容疑で逮捕され、福岡の刑務所で27歳の若さで獄死しました。

1948年に詩や散文を集めた『空と風と星と詩』され、一気に人々に知られるように。韓国語の教材などにも載っています。

茨木のり子さんの詩「韓国語の森」や、エッセイ集『ハングルへの旅』でも紹介されていました。

で、これらを読んだ当時、わたしはとても不思議だったのです。なぜ、これほどまでに「懺悔」の気持ちが強いんだろう、と……。

政治家でもなく、歴史家でもない。一個人として日本と朝鮮の関係に向き合う時、なんともいえない居心地の悪さはあると思います。K-POPアイドルを愛する現代の10代ならともかく、茨木さんの年代ならなおさらだと思う。

にしてもなーという気がしていたんです。

そんな疑問が、この本のおかげで理解できました。

軍国少女としての体験=国家やマスコミにコントロールされることへの警戒心が、茨木さんの出発点だったこと。

「モノローグよりダイアローグ」を求める詩人であったこと。

“茨木のり子が作品を通して言い続けてきたのは、いかなる権力にもコントロールされず、自分自身を生きることであり、同じように他者をも自己を生きる存在として理解することが社会を生き抜いていくうえで何よりも大事である、ということであった”

茨木さんにとっての朝鮮は対等な隣人であり、フェアな関係を築くために過去のイメージを拭い去る必要があったといえるのかも。

そして、人としての茨木さんの印象もずいぶん変わりました。

茨木さんの詩って、厳しく自立を求めるんですよね。

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
「自分の感受性ぐらい」より

できあいの思想にも、権威にも倚りかかりたくないという言葉に続く詩は、こんな風に終わります。

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
「倚りかからず」より

女だから、妻だから、という枠に押し込めることなく、詩人として生きる自由を支えてくれた夫。でも、医師だった夫を亡くし、生活していくということに対して初めてビビるんです。

なんとも人間らしい姿!


なぜ(よりによって)韓国語を学ぶのかと聞かれた時、茨木さんは「隣の国のことばだから」と答えていたそうです。

そして、隣の国で愛されている詩を、日本語に訳して紹介することがライフワークになっていきます。

いま、日本で韓国文学ブームが起きていることを知ったら、どれだけ喜ばれただろう。

でも、まだまだ「対等な関係」には遠い気がしちゃうけど。


人間・茨木のり子の魅力を再発見し、より深い詩の理解を誘う本書。同時に、茨木のり子という詩人を作り上げた、軍国主義の愚かさにも触れることができます。

コメント

このブログの人気の投稿

映画「新しき世界」#293

「アメリカに“ハリウッド”があるように、韓国には“忠武路”という町があります」 第92回アカデミー賞で 「パラサイト 半地下の家族」 が脚本賞を受賞した時、ポン・ジュノ監督と共同で脚本にあたったハン・ジュヌォンは、そう挨拶していました。「この栄光を“忠武路”(チュンムノ)の仲間たちと分かち合いたい」。泣けるなー! ハン・ジュヌォンのスピーチ(1:50くらいから) アメリカにハリウッドがあるように、韓国には忠武路というところがあります。わたしはこの栄光を忠武路の仲間たちと分かち合いたいと思います。ありがとう! #アカデミー賞 https://t.co/LLK7rUPTDI — mame3@韓国映画ファン (@yymame33) February 10, 2020 1955年に「大韓劇場」という大規模映画館ができたことをきっかけに、映画会社が多く集まり、“忠武路”(チュンムノ)は映画の町と呼ばれるようになりました。 一夜にしてスターに躍り出る人や、その浮き沈みも見つめてきた町です。 リュ・スンワン監督×ファン・ジョンミンの映画「生き残るための3つの取引」での脚本が評価されたパク・フンジョン。韓国最大の映画の祭典で、最も権威のある映画賞である「青龍映画賞」で、彼自身は脚本賞を受賞。映画も作品賞を受賞し、一躍“忠武路”の注目を浴びることに。 そうして、自らメガホンを取った作品が「新しき世界」です。 ☆☆☆☆☆ 映画「新しき世界」 Amazonプライム配信 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 韓国最大の犯罪組織のトップが事故死し、跡目争いに突入。組織のナンバー2であるチョン・チョンは、部下のジャソンに全幅の信頼を寄せていますが、彼は組織に潜入した警察官でした。この機会にスパイ生活を止めたいと願い出ますが、上司のカン課長の返事はNO。組織壊滅を狙った「新世界」作戦を命じられ……。 あらすじを読んでお分かりのように、思いっきり「ゴッドファーザー」と「インファナル・アフェア」のミックスジュース特盛り「仁義なき戦い」スパイス風味入りです。 無節操といえばそうですけれど、名作のオマージュはヘタをすると二番煎じの域を出なくなっちゃうと思うんです。よいところが薄まっちゃうというか。人気作の続編が、「あれれ?」となるのもそうですよね。ですが。 名作と名作を合わせたら、一大名作が...

『JAGAE 織田信長伝奇行』#725

歴史に「if」はないというけれど。 現代にまで伝わっている逸話と逸話の間を、想像の力で埋めるのは、歴史小説の醍醐味かもしれません。 『陰陽師』 の夢枕獏さんの新刊『JAGAE 織田信長伝奇行』は、主人公が織田信長です。 旧臣が残した『信長公記』や、宣教師の書いた『日本史』などから、人間・信長の姿を形にした小説。もちろん、闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”も登場。夢枕版信長という人物の求心力に、虜になりました。 ☆☆☆☆☆ 『JAGAE 織田信長伝奇行』 https://amzn.to/2SNz4ZI ☆☆☆☆☆ 信長といえば、気性が荒く、残忍で、情け容赦ないイメージがありました。眞邊明人さんの『もしも徳川家康が総理大臣になったら』には、経済産業大臣として織田信長が登場します。首相である家康を牽制しつつ、イノベーターらしい発想で万博を企画したりなんかしていました。 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』#687   『JAGAE』は、信長が14歳の少年時代から始まります。不思議な術をつかう男・飛び加藤との出会いのシーンが、また鮮烈なんです。人質としてやって来た徳川家康をイジる様子、子分となった秀吉との出会いなどなど。 信長のもとに常に漂う、血の臭い……。 これに引きつけられるのは、蚊だけではないのかも。 おもしろいのは、一度も合戦シーンが出てこないことです。信長のとった戦術・戦略は、実は極めてオーソドックスなものだったそう。そこで戦よりも、合理主義者としての人物像を描いているのではないか、と思います。 小説の基になっている『信長公記』は、旧臣の太田牛一が書いた信長の一代記です。相撲大会を好んで開催していたことなどが残っているそうで、史料としての信頼も高いと評価されているもの。 そんな逸話の間を想像で埋めていくのです。なんといっても、夢枕獏さんの小説だから。闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”が楽しみなんです。 タイトルになっている「JAGAE」とは、「蛇替え」と書き、池の水をかき出して蛇を捕えることを指しています。 なんだかテレビ番組になりそうな話なんですけど、実際に領民が「大蛇を見た~」と騒いでいたことを耳にした信長が、当の池に出張っていって捜索したという記録が残っているのです。 民衆を安心させるための行動ともいえますが、それよりも「未知なるもの」への...

『コロナ時代の選挙漫遊記』#839

学生時代、選挙カーに乗っていました。 もちろん、なにかの「候補者」として立候補したわけではありません。「ウグイス嬢」のアルバイトをしていたんです。候補者による街頭演説は、午前8時から午後8時までと決まっているため、選挙事務所から離れた地域で演説をスタートする日は、朝の6時くらいに出発することもあり、なかなかのハードワークでした。 選挙の現場なんて、見るのも初めて。派遣される党によって、お弁当の“豪華さ”が違うんだなーとか、候補者の年齢によって休憩時間が違うんだなーとか、分かりやすい部分で差を感じていました。 それでも、情勢のニュースが出た翌日なんかは事務所の中がピリピリしていることもあり、真剣勝負の怖さを感じたものでした。 「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば“ただの人”だ」とは、大野伴睦の言葉だそうですが、誰だって“ただの人”にはなりたくないですもんね……。 そんな代議士を選ぶ第49回衆議院議員総選挙の投票日が、今週末10月31日に迫っています。   与党で過半数を獲得できるのかが注目されていますが、わたしが毎回気になっているのは投票率です。今回は、どれくらい“上がる”のかを、いつも期待して見ているのですが、なかなか爆上がりはしませんね……。 ちなみに、2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙の投票率は、53.68%でした。 『コロナ時代の選挙漫遊記』の著者であり、フリーライターの畠山理仁さんは、選挙に行かないことに対して、こう語っています。 “選挙に行かないことは、決して格好いいことではない。” 全国15の選挙を取材したルポルタージュ『コロナ時代の選挙漫遊記』を読むと、なるほど、こんなエキサイティングな「大会」に積極的に参加しないのはもったいないことがよく分かります。 ☆☆☆☆☆ 『コロナ時代の選挙漫遊記』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 昨年行われた東京都知事選で、「スーパークレイジー君」という党があったのをご存じでしょうか? またオモシロ系が出てきたのかしら……と、スルーしてしまったのですけれど、本を読んで、とても真剣に勝負していたことを知りました。300万円もの供託金を払ってまで挑戦するんですもん。そりゃそうですよね。 この方の演説を、生で見てみたかった。もったいないことをしてしまった。 こんな風に後悔しないで済むように、畠...