「会えない時間が愛 育てるのさ~♪」
と、郷ひろみは言うけれど。
やっぱり毎日会って、おしゃべりをして、散歩をして、一緒にご飯を食べたい。
外食ができなくなったため、最近ではテレビの時代劇を見ながら夕飯を食べるのが、我が家の日課です。ケンカをしていても、イラッとすることがあっても、ダンナとなら一緒にご飯を食べているうちに、まぁなんとかなってしまう。
わたしにとっては、これが「普通の生活」なんですよね。
そんなささやかな当たり前を崩してしまうのが、戦争です。
今日、8月15日は76回目の「終戦の日」です。
韓国では、“光”が“復活”した日という意味の「光復節」と呼ばれています。
やっと植民地支配から解放され、ボロボロになった故国を立て直そうと喜ぶ人たちは、とにかく命が脅かされることはなくなった……と、思っていたのに。
1950年6月25日、再び戦争が始まります。
日本と韓国、そして38度線の向こう側にある北朝鮮。複雑な国家間の駆け引きに翻弄された、韓国人の画家がいました。
大貫智子さんの『愛を描いたひと』は、イ・ジュンソプという韓国人画家と、その妻・山本方子さんの「愛」を追ったノンフィクションです。
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『愛を描いたひと イ・ジュンソプと山本方子の百年』
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1916年に現在の北朝鮮の町で生まれ、1956年にソウルで亡くなった画家イ・ジュンソプ。
知らなかったけど、2014年に「ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-」として映画化されていました。
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ドキュメンタリー映画「ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-」
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予告編には方子さんの姿もあります。
著者の大貫智子さんは、毎日新聞の記者をされている方です。ソウル特派員時代、国立現代美術館で行われた展覧会で絵を見たことをきっかけに、イ・ジュンソプの生涯を追いかけるように。
大貫さんが見たのは、タバコの包み紙に描いた、家族の姿でした。そして、日本で暮らす妻と息子に当てた膨大な手紙。
戦時中は、紙を手に入れるのも、絵の具を手に入れるのも、簡単なことではありません。そのため、愛煙家のイ・ジュンソプは、タバコを包んでいる銀紙に傷をつける方法で絵を描いていました。
習作のつもりだったのかもしれませんが、後に、アジア人で初めて、アメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)に作品が所蔵されることになります。
(画像はAmazonより)
上の「黄牛」の絵は、韓国語の教科書に掲載されていたのか、わたしも見たことがありました。生の力強さ、いまにも「モォォォ~」という声が聞こえてきそうな口元。一度見たら忘れられないインパクトがありますよね。
韓国ではよく知られている画家ですが、その生涯は誤解されている部分も多いのだそうです。特に、息子を連れて日本に帰ってしまった妻・山本方子さんについてです。
ふたりが出会ったのは、1939年。日本の文化学院でした。
美術を学ぶために留学してきたイ・ジュンソプと、筆を洗う水場で出会った方子さん。親しくなり、デートしたりしますが、戦争が激しくなったため、イ・ジュンソプは帰郷。その後、方子さんは、彼を追って元山(現在の北朝鮮にある町)に渡り、結婚します。
ふたりの子どもが生まれますが、朝鮮戦争が勃発。元山から釜山へと避難する様子は、ファン・ジョンミン主演の映画「国際市場で逢いましょう」そのものです。
釜山からさらに済州島へ避難したものの、生活苦から再び釜山へ戻ります。
イ・ジュンソプという方は、天才的に絵が上手かったけれど、およそ生活力がないんですね……。子どもが栄養失調状態になったことを機に、方子さんと息子たちだけが「先に」日本に帰ることになります。
「またすぐ会えるよ」
その言葉を信じ、船に乗るのです。でも、その時代、国交のない日本と韓国は、自由に行き来できる関係ではありませんでした。
資金を貯めてはだまし取られ、協力者を見つけるも、進展はせず。ヤキモキしながらも、息子たちに送る絵手紙には、父の愛情があふれています。
日本行きの資金を作るため個展を開催し、大成功しますが、集金ができない。いやー、画家本人にそんな俗世間的なことはムリやろ……。
そして、最後の希望が消えた時、イ・ジュンソプの生きる力も消えてしまう。
夭折した天才画家として知られるイ・ジュンソプ。有名人とはいえ、第二次世界大戦と朝鮮戦争の時代を生きた人です。避難を繰り返し、極貧生活を送っていたため、残された手記などはない。
そこで大貫さんはコツコツと集めた、かつての芸術仲間の言葉や、学芸員の説明を頼りに、その生涯をひとつずつ開いていきます。
イ・ジュンソプの暮らしを、なによりも鮮やかにみせてくれたのが、家族に送った200通を超える手紙でした。
ひとり残されてからは、「手紙が遅い」と言って拗ねたり、「冷たい」と言って怒ったり。ツンデレな姿が愛らしいのですが、彼との暮らしを語る方子さんがまた、めちゃくちゃ愛らしいんです。
インタビューしながら、きっと大貫さんも微笑んでしまったのではないかと思うほど、愛する夫を語る姿はポカポカした光に包まれているようでした。
長い長いふたりの歴史ですが、一緒に暮らしたのは7年ほど。その後は、文通でお互いの状況を語り合っていました。
ただひたすらに、会える時を待ち、お互いを信じる。大貫さんの記述からは、ふたりの強い強い愛が感じられます。
ドラマよりもドラマチックな展開は、できれば韓国語に翻訳して、韓国で出版してほしい。さまざまに誤解されている事柄の、真実の姿が伝わることを祈るばかりです。
わたしは結婚して21年になります。毎日ダンナとおしゃべりをして、散歩をして、一緒にご飯を食べるこの生活が、わたしにとっての「普通の生活」です。こんなささやかなことさえ、イ・ジュンソプと方子さんは叶えることができませんでした。
国家の都合に翻弄された、ふたりの愛の物語を読んで。
どうか、この先も、このささやかな当たり前が続きますようにと、願わざるを得ません。そのためには、戦争のない日々がずっとずっと続かなければならない。
また、新型コロナウイルスによって、会いたい人に会えないことがあるのだと知った一年でもありました。
「普通の生活」が続きますように、ではなく、続けるのだという意志を持って、76回目の「終戦の日」を過ごしたいと思います。
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