善と悪の境界線が溶けていく。
デジタルの世界は「0」と「1」の二元論でできていて、いまわたしの生活は、そんなデジタルに支えられているけれど、すっぱりきっぱりと切り分けられないものだってあります。
なにかの事件が起きるたび、テレビのワイドショーでは「悪人」を探し出して断じるわけですが、自らの立つ「善人」の位置は、誰が決めてくれたものなのか。
韓国の新人監督ホン・ウィジョンの映画「声もなく」を観て、そんなことを考えていました。
ユ・アインとユ・ジェミョンが“犯罪者”コンビを演じています。
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映画「声もなく」
公式サイト:https://koemonaku.com/
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テインとチャンボクは、普段は鶏卵販売をしながら、犯罪組織から死体処理などを請け負って生計を立てていた。ある日、犯罪組織のヨンソクに命じられ、身代金目的で誘拐された11歳の少女チョヒを1日だけ預かることに。しかしヨンソクが組織に始末されてしまったことから、テインとチョヒの疑似家族のような奇妙な生活が始まり……。
※ネタバレありです。ご注意ください※
青年テインを演じるのは、ユ・アイン。この役のために15kgも体重を増やして臨んでいます。猫背でぽっちゃりしたお腹が、新鮮でした。パンフレットの監督インタビューによると、太ったり痩せたりしてイメージを固め、依頼通りに「だらしなく」太ってくれたんだそう。
(画像は映画.comより)
理由は明らかにされていませんが、テインは言葉を発することができないという設定。99分間、本当にひと言も発しません。
代わりに、仕草や表情で感情を伝えています。
そんなテインを幼い頃に引き取り、いまは「裏稼業」も手伝わせている相棒が、チャンボク。ユ・ジェミョンがおしゃべりで、腰が低くて、人のいいおっちゃん感満載で演じています。「梨泰院クラス」の会長とは正反対の空気感でした。
チャンボクが謙虚に、ていねいに話せば話すほど、笑いを誘うという不思議な役柄です。
(画像は映画.comより)
ユ・ジェミョンのおしゃべりがブラックなユーモアに包まれているので、思わず「フフッ」となってしまうのですが、この映画の登場人物は、ド底辺もド底辺な生活を強いられている人たちです。
おそらくは障害があること、学がないことで社会から落ちこぼれ、救済システムも届かないところで、ただ生きるために生きている。テインの何も映さない瞳が、「夢」とか「大志」とか、そんな言葉とは遠く隔たったところで育ったことを感じさせます。
ビニールハウスで妹と暮らすテインの家は、生活の場というより、ゴミ溜めのよう。そこにやって来た「誘拐された少女」が、服のたたみ方を教えてくれる。
(画像は映画.comより)
初めて触れた「人間らしい」生活に、テインも変化してくのですが、これだけならストックホルム症候群のお話にしかなりません。ここからがホン・ウィジョン監督の脚本のすごいところです。
言葉を話さないテインが、ひとつだけ欲しがったものがありました。自分たちに“仕事”を発注してくるチンピラが着ているスーツです。
そのスーツは、社会とつながるための「力」のように思えたんですよね。
テインにとって、言葉には価値がない、だから話さなくなったようにも見える中、家族的な生活と、社会とのつながりを求める意識が結びついていく。だって、彼には困ったときに助けてくれる人が、文字通りひとりもいないのです。
誘拐された少女のチョヒも、ある意味で「捨てられた」存在なのだといえます。両親は身代金を払う様子もなく、弟だけが大切にされていたことが分かります。韓国における「長男重視」の残酷さの犠牲ともいえる存在です。
そんな、社会から疎外されたふたりのラストシーンは、胸が締めつけられました。
チョヒの行動は、もしかしたら社会システムに戻るためだったのかもしれない。一方で、生け贄として差し出されたテインが脱ぎ捨てたジャケットは、社会との決別を意味するのかも。
善と悪の境界線が曖昧な世界で、生きるために生きるテイン。すべてが悪い方へ、悪い方へと転がって、「犯罪者」にされてしまったテインを、いったい誰が裁けるのだろう。
テインの家がビニールハウスを加工したものであることから、映画「バーニング 劇場版」も意識されているのだと思います。
合わせて観れば、ユ・アインの俳優としての成長ぶりを実感できますよ。
映画「声もなく」99分(2020年)
監督:ホン・ウィジョン
脚本:ホン・ウィジョン
出演:ユ・アイン、ユ・ジェミョン、ムン・スンア、イ・ガウン、イム・ガンソン、チョ・ハソク、スン・ヒョンベ、ユ・ソンジュ
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