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映画「コーダ あいのうた」#939


「I’ve looked at clouds from both sides now」

両サイドから雲を見てみたの、って感じでしょうか。映画「コーダ あいのうた」の中で、主人公のルビーがオーディションで歌った曲が、まさしくこの映画を表していました。

ジョニ・ミッチェルジの「青春の光と影(Both Sides Now)」という曲です。


ルビーが歌ったバージョンがこちら。



両サイドから見てみる。

聴覚障害を持つ人と健聴者の、どちらもが「音楽を感じる」仕掛けがあって、ウルウル・ボロボロ泣きました。

☆☆☆☆☆

映画「コーダ あいのうた」

https://gaga.ne.jp/coda/

☆☆☆☆☆

<あらすじ>
海辺の町で両親と兄と暮らす高校生のルビー。家族の中でひとりだけ耳が聞こえるルビーは、幼い頃から家族の耳となり、家業の漁も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいたV先生は、音楽大学の受験を強く勧めるが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは家族を助けることを決意するが……。


この映画は、2015年に公開されたフランス映画「エール!」のリメイクです。

(画像リンクです)

酪農家から漁業一家へと設定はいろいろ変わっていますが、4人家族の中で、たったひとり健聴者がいて、その子が天才的な歌声を持っている、という設定は同じです。

ルビーは、朝早くから父と兄と一緒に漁船に乗って漁を手伝い、両親が“外部”と交渉するときには通訳を務めています。子どものころからずっと、その役回りだったので、家族にとっては「当たり前」のことでした。

でも、V先生との出会いによって、初めてやりたいことができたルビー。

家族か、自分の夢か。

思い悩む姿は、過去の自分とも重なってしまいました。

ママもパパも、いい感じに利己的なんですもん。「あなたを頼りにしてるのよ」という言葉は、あるときは承認欲求を満たす言葉になるかもしれないけれど、子どもを縛る呪文にもなります。

親の期待通りに生きなくてもいいし、親の役に立つことを優先しなくてもいい。

家族第一で生きてきたルビーの勇気が試される瞬間でした。

でも、ルビーの歌声がどんなものなのか、家族は聴くことができません。だから、ルビーの挑戦に対しても及び腰になってしまう。

実際、ルビーが学校のコンサートで舞台に立ったとき、懸命に歌うルビーを見ながら、両親は晩ごはんのメニューの話をしていました。もちろん手話で、です。

遠い世界、なんですよね。聞こえない人にとっては。

リチャード・ドレイファスが音楽教師を演じた「陽のあたる教室」には、聴覚障害を持つ息子に、音楽の楽しさを感じてもらおうとするシーンがありました。

(画像リンクです)


一方で「コーダ」には、健聴者が「聞こえない」世界を体感できる仕掛けがあります。

それが、「無音」です。

わたしはバリアフリー字幕付き上映で観ていたので、字幕に「無音」と出たのですが、これがなかったら「??」となったかもしれない。

シーーーーーンとした世界で、口だけがパクパク動いている人たち。

映画の中のパパは、笑顔の人、身体でリズムを取る人、涙を浮かべる人がいることに気付き、初めてルビーの歌声を「聴く」。

映画の冒頭から、ルビーはずっと歌っているのですが、パパと兄は聞こえないので知らんぷりなんですよね。そしてようやくルビーの才能に気付き、最後には「両サイド」が融合し、一緒にひとつの曲を味わえるシーンが待っています。

このステップが、とてもよかった。

ここ数年のハリウッドでは、マイノリティの役は当事者の俳優が演じる流れがあるそうで、今回の映画でも、パパ役・ママ役・お兄ちゃん役は、実際に耳の聞こえない俳優が演じています。

「多様性」とか、「インクルージョン」とか言われながら、なんとなく「壁」が透明化しているだけなのではないかと感じていた昨今。

「両サイドから見てみる」映画に出合えたのは、本当によかったです。

タイトルの「コーダ(CODA)」とは「Children of Deaf Adults=耳の聞こえない両親に育てられた子ども」という意味なのだそう。また、音楽用語で「楽曲の終わり」のことでもあり、次の章が「始まる」意味も持っているとのこと。

ルビーに「家族の犠牲になるな」と背中を押してくれたお兄ちゃんにも、第二章がありそうで、家族それぞれの自立がとても響きました。


映画を観に行ったとき、わたしの隣に座っていた二人連れの方は、手話で会話をされていました。わたしは手話ができないので、聞きたいけど聞けなかったのですが。

健聴者のわたしにとっては、「音が聞こえない」世界を体験することができる映画でした。でも、おふたりはこの映画を、どんな風に感じたんだろう?

両サイドから、同じ感動を味わえていたのならうれしいな……。

ラストシーンの手話には、翻訳がありません。たぶんこんな意味かな?と思っていた通りだった。

「愛してる」

(画像は映画.comより)

この形、めっちゃ難しい!

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