日本語教師をしている友人に、「一番教えにくい言葉ってなに?」と聞いたことがあります。「質問が大雑把すぎる」と文句を言われちゃったのですけれど。
漢字圏以外の学生が一番つまずくのはやっぱり「漢字」、それ以外で多いのは「助詞」とのことでした。
わたし“が”、mameです。
一文字違うだけで、ニュアンスが変わってしまうのが日本語。もし「わたし“が”」だけを覚えてしまったら、とても出しゃばりな人に見えてしまうかもしれませんね。
ふだん何気なく使っている言葉でも、あらためて考えてみると混乱してくるものもあります。
「水が飲みたい」か「水を飲みたい」か。
「食欲をそそられる」か「食欲をそそらせる」か。
そんな、辞書の用例だけではとらえられない、微妙な使い分けについて解説したのが『日本語の類義表現辞典』です。
☆☆☆☆☆
『日本語の類義表現辞典』
https://amzn.to/3iY6xLD
☆☆☆☆☆
著者の森田良行さんは、外国人留学生への日本語教育をされていた方で、『助詞・助動詞の辞典』の著者でもあります。
受け身・可能表現について確認したいことがあって『日本語の類義表現辞典』を買ったのですが、たぶんはるかにたくさん活用させてもらっているのは「語順の入れ替わる言い方」の章です。
② 母にだけ相談する。
どちらも相談するのは「母」オンリー。お父さんも、お姉ちゃんも、おじいちゃんも、おばさんも、ない。意味としてはそうなんですけれど。
助詞の順番が違うだけなのにちょっとニュアンスが違いませんか?
「だけ」は限定を表す言葉ですが、①の場合、「お父さん、お姉ちゃん、おじいちゃん、おばさん、その他大勢」を無関係のものとして排除し、「母」だけを取り出して限定する言い方。
一方の②は、行為の対象や範囲を限定しているのだそうです。「相談する」という行為が、他のものには当てはまらないけれど、「母」にだけ成り立つということですね。
「どこを強調したいのか?」と考えると、分かりやすいのかもしれません。
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」といった態度を表す表現、「現代に生きる」と「現代を生きる」といった時や場所を表す言い方など、よくある表現が解像度高く解説されています。
困ったときに引く辞典、というよりも、知りたい表現についてつまみ読みする辞典といえるかな。
類似点と相違点をクリアにしてくれる、ナビゲーターのような一冊。こうした表現の違いを意識できるようになると、もっと繊細な表現の可能性もみえてきますね。そして論理的に物事を把握できるようになるのかもしれません。
コメント
コメントを投稿