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『ナラティブカンパニー: 企業を変革する「物語」の力』 #751


企業価値を高める方法として、いま注目されているのが「ナラティブ」です。

ナイキやアマゾン、パタゴニアといった、自分たちが大切にしていること=パーパスを起点に、多くの人が“当事者”として参加できる物語、それが「ナラティブ」だそう。

経済学者のロバート・シラーが『Narrative Economics』で唱えた概念を、実例と共に分かりやすく解説した本が本田哲也さんの『ナラティブカンパニー: 企業を変革する「物語」の力』です。

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『ナラティブカンパニー: 企業を変革する「物語」の力』
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「ナラティブ」と似た意味を持つ言葉に、「ストーリー」があります。両者の一番の違いは、「演者」かもしれません。

これまでの広告は、企業やブランドが主語となり、製品の優位性をメッセージしてきました。その一方的なあり方に、飽き飽きしちゃったのがいまではないでしょうか。

日本におけるPRの第一人者である本田さんが重要視するのは、「企業と生活者が共に紡ぐ物語」。一方的なメッセージではなく、共に作り上げていく物語があれば、消費者はそのブランドのファンになり、愛着がわき、結果として企業価値も向上するとのこと。

アウトドアブランドのパタゴニアの場合、環境団体や同業他社を動かすまでの波を起こしています。


スマホが普及し、SNSを使う人が増えたいま、ナラティブが重要になる理由は3つ。

1. 「共体験」価値の高まり
→ 共体験のマルチ化に対応する必要がある

2. 「社会的距離」の見極め
→ 時間と空間の制約を受けない、適切な間合い

3. 「自分らしさ」が問われる
→ その企業だからできる貢献と、ホンモノ感

なかでも、ある集団内で共有されている「価値」を見誤ると炎上する可能性が出てきます。例として挙がっているのが『100日後に死ぬワニ』です。

今後は、「人気企業」ではなく、「人気ナラティブ」に人は集まるのではないかという指摘も。

だってねー。「あっちで楽しそうなことやってる!」ってなったら、混ざりたいと考えるのが人の心ってものじゃないでしょうか。

でも。

ナラティブがあれば商品が売れるわけではないし、パーパスがあればかっこいいわけでもない。

オーセンティシティ=自分らしさがなければ、そこに熱は生まれないから。

企業のビジネスを前提にした本ですが、一番興味深く読んだのは、政治家におけるナラティブでした。

パンデミックで明らかになった、政治家の「ナラティブ力」。特に日本の政治家の語る力の弱さは、あまりにもあまりにもだった……。

本には「ナラティブ実践のための5step」のワークシートや、スクリプト作成の見本もついています。マーケティングの仕事をされている方はもちろん、採用担当の方にもおすすめです。自分の「ナラティブ」を考えてみたら、やることとやらないことがハッキリするかも。


こうしたパーパスを起点とするナラティブを大切にした経営には、美学が必須になっていくように思います。

ちょっと話は変わりますが、2021年8月1日から改正薬機法が施行されました。これによって、もし違反した場合には、該当商品売上高の4.5%を課徴金として納付する課徴金制度がスタート。その対象は「何人も」となっています。つまり、広告主も、広告制作に関わった関係者もすべてが対象ということです。

先月は、わたしがこれまでコレクションした薬機法違反広告を見ながら勉強会を実施しました。

資料を作りながら感じたんですよね。

こうした「なんでもいいから売って、自分たちさえ儲かればいい」式の広告が、いつまで続くんだろうかと。

ブラックな売り方には再現性も継続性もありません。企業は生活者のことを考えてもいないし、きっと、「ナラティブ」もない。

「ナラティブ」を紡ぐ姿勢には、経営者の美学が反映されている、といえるのではないでしょうか。


「ナラティブ」について、もっと知りたい!という方には、元エステー社のマーケターで、「消臭力」のCMを制作された鹿毛康司さんの『「心」が分かるとモノが売れる』がおすすめです。


本には「ナラティブ」という言葉は出てきませんが、鹿毛さんと対談された本田さんが「いやー、エステーさんの事例を入れておけば……」と仰っていましたよ。

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