スキップしてメイン コンテンツに移動

『氷柱の声』#769


「なんてキレイな海!!!」

そう言いたくなったとたんに、言葉を飲み込んでしまったことを思い出す。

2017年の7月、夏休みに岩手を旅しました。ふるさと納税の返礼品でホテルの宿泊券を選び、盛岡→遠野→陸前高田を回った旅。三陸海岸の海は透明度が高いんです。


「青の洞窟」の中では、岩にしがみついたウニの姿も見えました。「青」という名前ですが、光の加減やプランクトンの様子で色味は変わるそう。わたしが行った時は、エメラルドグリーンでした。



生活の糧を与えてくれたこの海が、2011年3月11日には、いろんなものを飲み込んでいきました。そう思うと、なんて言えばいいのか分からない。

海辺の町にはまだ空き地も多くて、建っている家はピカピカの新築。その姿を見ても、胸にグッとこみ上げてくるものがある。

海そのものを見ること、光っているものが消えていく様子を見ることが苦手になってしまった「中鵜くん」の姿を読んでいて、この夏の旅を思い出しました。

「中鵜くん」は、短歌や俳句などで活躍してきた、くどう れいんさん初の小説『氷柱の声』の登場人物です。ヘラッとしているようにみえて、消えない痛みを抱えている彼に、すごく感情移入してしまったのでした。

☆☆☆☆☆

『氷柱の声』
https://amzn.to/3z6UEsk

☆☆☆☆☆

<あらすじ>
高校の美術部員である伊智花(いちか)。祖母との思い出の詰まった「不動の滝」の絵が完成間近となった頃、東日本大震災が発生。内陸にある伊智花の家には大きな被害がなかったが、そのことがだんだんと重荷になっていき……。


東日本大震災が起きた時、盛岡の高校生だった伊智花(いちか)が、仙台の大学で出会い、恋人になったのが「中鵜くん」でした。

油絵の作品を出した、伊智花にとって高校最後のコンクール。

同じアパートに住む、福島出身の友人。

千葉から陸前高田へと移住し、海を撮り続ける女性。

そして、宮城県の避難所で夜を明かした経験を持つ「中鵜くん」。

それぞれの震災の記憶が、それぞれの形で残っています。とはいえ、大きな被害を受けなかった伊智花は、一様に「被災者」としてひとくくりにされることに違和感を持つ。

自分に、何かを語る資格はあるのだろうか、と。

『氷柱の声』は、「失わなかった立場」から語るという小説です。傷は、ムリに癒やそうとしなくてもいいのだと、本を読みながら感じました。

だって、なかったことにはできないのだから。


「被災者」の声を聞く時、どうしてもマスコミは感動物語に仕立てようとしてしまいます。だけど、被害のあり方は人それぞれ。その県在住者だからといって、みんなに「被災者」の仮面を付けてしまうことは、本当の声を隠すことにもなってしまう。

そんな大きな物語ではなく、もっと個の物語が必要なのだといえるのかもしれません。

小説を書くにあたって、くどうさんは、岩手、宮城、福島にゆかりのある7人に取材。「『言えなかったこと』『言うほどじゃないと思っていること』を聞かせてください」とお願いしたのだそう。

あらかじめ用意したシナリオをいったん忘れ、真摯に耳を傾けようとする姿は、伊智花に重なりました。


盛岡出身のくどうさんは、いまも盛岡で会社勤めをしながら短歌や俳句をつくり、エッセイを書きと、活発に活動されている方です。

料理にまつわる短歌×エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』や、『うたうおばけ』に出てくる愉快な“友人”も、小説に影響を与えているのかなと感じます。


大きな事件や災害があった後、その出来事が風化してしまうことへの危機感は、よく目にします。でも、いつまでも「被災者」としてゲタをはかされるのは、本意ではないのではないか。

こうした、ちょっとモゾモゾとした気持ちを、小説という形で露わにしてくれたことが、とても新鮮で、読み手の受け取りやすさにつながっているように思います。

だって、キレイな海を目にして、何も言えないのは哀しいから……。


2011年3月11日のことは、決して忘れない。


きっと誰もが「当事者」になった日。春になれば氷柱が少しずつ溶けていくように、いつか。あの日のことをもう少しそのまま、語れるようになるのかもしれない。

その時、本当の声に耳を澄ませられますように。

明るい気持ちになったり、元気づけられたりするだけが、「復興」ではないのだと思います。


コメント

このブログの人気の投稿

映画「新しき世界」#293

「アメリカに“ハリウッド”があるように、韓国には“忠武路”という町があります」 第92回アカデミー賞で 「パラサイト 半地下の家族」 が脚本賞を受賞した時、ポン・ジュノ監督と共同で脚本にあたったハン・ジュヌォンは、そう挨拶していました。「この栄光を“忠武路”(チュンムノ)の仲間たちと分かち合いたい」。泣けるなー! ハン・ジュヌォンのスピーチ(1:50くらいから) アメリカにハリウッドがあるように、韓国には忠武路というところがあります。わたしはこの栄光を忠武路の仲間たちと分かち合いたいと思います。ありがとう! #アカデミー賞 https://t.co/LLK7rUPTDI — mame3@韓国映画ファン (@yymame33) February 10, 2020 1955年に「大韓劇場」という大規模映画館ができたことをきっかけに、映画会社が多く集まり、“忠武路”(チュンムノ)は映画の町と呼ばれるようになりました。 一夜にしてスターに躍り出る人や、その浮き沈みも見つめてきた町です。 リュ・スンワン監督×ファン・ジョンミンの映画「生き残るための3つの取引」での脚本が評価されたパク・フンジョン。韓国最大の映画の祭典で、最も権威のある映画賞である「青龍映画賞」で、彼自身は脚本賞を受賞。映画も作品賞を受賞し、一躍“忠武路”の注目を浴びることに。 そうして、自らメガホンを取った作品が「新しき世界」です。 ☆☆☆☆☆ 映画「新しき世界」 Amazonプライム配信 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 韓国最大の犯罪組織のトップが事故死し、跡目争いに突入。組織のナンバー2であるチョン・チョンは、部下のジャソンに全幅の信頼を寄せていますが、彼は組織に潜入した警察官でした。この機会にスパイ生活を止めたいと願い出ますが、上司のカン課長の返事はNO。組織壊滅を狙った「新世界」作戦を命じられ……。 あらすじを読んでお分かりのように、思いっきり「ゴッドファーザー」と「インファナル・アフェア」のミックスジュース特盛り「仁義なき戦い」スパイス風味入りです。 無節操といえばそうですけれど、名作のオマージュはヘタをすると二番煎じの域を出なくなっちゃうと思うんです。よいところが薄まっちゃうというか。人気作の続編が、「あれれ?」となるのもそうですよね。ですが。 名作と名作を合わせたら、一大名作が...

『JAGAE 織田信長伝奇行』#725

歴史に「if」はないというけれど。 現代にまで伝わっている逸話と逸話の間を、想像の力で埋めるのは、歴史小説の醍醐味かもしれません。 『陰陽師』 の夢枕獏さんの新刊『JAGAE 織田信長伝奇行』は、主人公が織田信長です。 旧臣が残した『信長公記』や、宣教師の書いた『日本史』などから、人間・信長の姿を形にした小説。もちろん、闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”も登場。夢枕版信長という人物の求心力に、虜になりました。 ☆☆☆☆☆ 『JAGAE 織田信長伝奇行』 https://amzn.to/2SNz4ZI ☆☆☆☆☆ 信長といえば、気性が荒く、残忍で、情け容赦ないイメージがありました。眞邊明人さんの『もしも徳川家康が総理大臣になったら』には、経済産業大臣として織田信長が登場します。首相である家康を牽制しつつ、イノベーターらしい発想で万博を企画したりなんかしていました。 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』#687   『JAGAE』は、信長が14歳の少年時代から始まります。不思議な術をつかう男・飛び加藤との出会いのシーンが、また鮮烈なんです。人質としてやって来た徳川家康をイジる様子、子分となった秀吉との出会いなどなど。 信長のもとに常に漂う、血の臭い……。 これに引きつけられるのは、蚊だけではないのかも。 おもしろいのは、一度も合戦シーンが出てこないことです。信長のとった戦術・戦略は、実は極めてオーソドックスなものだったそう。そこで戦よりも、合理主義者としての人物像を描いているのではないか、と思います。 小説の基になっている『信長公記』は、旧臣の太田牛一が書いた信長の一代記です。相撲大会を好んで開催していたことなどが残っているそうで、史料としての信頼も高いと評価されているもの。 そんな逸話の間を想像で埋めていくのです。なんといっても、夢枕獏さんの小説だから。闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”が楽しみなんです。 タイトルになっている「JAGAE」とは、「蛇替え」と書き、池の水をかき出して蛇を捕えることを指しています。 なんだかテレビ番組になりそうな話なんですけど、実際に領民が「大蛇を見た~」と騒いでいたことを耳にした信長が、当の池に出張っていって捜索したという記録が残っているのです。 民衆を安心させるための行動ともいえますが、それよりも「未知なるもの」への...

『コロナ時代の選挙漫遊記』#839

学生時代、選挙カーに乗っていました。 もちろん、なにかの「候補者」として立候補したわけではありません。「ウグイス嬢」のアルバイトをしていたんです。候補者による街頭演説は、午前8時から午後8時までと決まっているため、選挙事務所から離れた地域で演説をスタートする日は、朝の6時くらいに出発することもあり、なかなかのハードワークでした。 選挙の現場なんて、見るのも初めて。派遣される党によって、お弁当の“豪華さ”が違うんだなーとか、候補者の年齢によって休憩時間が違うんだなーとか、分かりやすい部分で差を感じていました。 それでも、情勢のニュースが出た翌日なんかは事務所の中がピリピリしていることもあり、真剣勝負の怖さを感じたものでした。 「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば“ただの人”だ」とは、大野伴睦の言葉だそうですが、誰だって“ただの人”にはなりたくないですもんね……。 そんな代議士を選ぶ第49回衆議院議員総選挙の投票日が、今週末10月31日に迫っています。   与党で過半数を獲得できるのかが注目されていますが、わたしが毎回気になっているのは投票率です。今回は、どれくらい“上がる”のかを、いつも期待して見ているのですが、なかなか爆上がりはしませんね……。 ちなみに、2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙の投票率は、53.68%でした。 『コロナ時代の選挙漫遊記』の著者であり、フリーライターの畠山理仁さんは、選挙に行かないことに対して、こう語っています。 “選挙に行かないことは、決して格好いいことではない。” 全国15の選挙を取材したルポルタージュ『コロナ時代の選挙漫遊記』を読むと、なるほど、こんなエキサイティングな「大会」に積極的に参加しないのはもったいないことがよく分かります。 ☆☆☆☆☆ 『コロナ時代の選挙漫遊記』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 昨年行われた東京都知事選で、「スーパークレイジー君」という党があったのをご存じでしょうか? またオモシロ系が出てきたのかしら……と、スルーしてしまったのですけれど、本を読んで、とても真剣に勝負していたことを知りました。300万円もの供託金を払ってまで挑戦するんですもん。そりゃそうですよね。 この方の演説を、生で見てみたかった。もったいないことをしてしまった。 こんな風に後悔しないで済むように、畠...