萩尾望都さんって、「少女マンガ」の神様だったのか!!!
ある意味、「そこ!?」と言われそうなところから衝撃を受けたのが、『私の少女マンガ講義』でした。萩尾望都さんがイタリアで行った少女マンガ史の講義録とインタビューが収録されています。
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『私の少女マンガ講義』
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我が家はとんでもなく貧乏で、子どものころは「マンガ雑誌」というものを買ってもらえませんでした。近所に本屋さんもなかったので、学校の図書館か、公立の図書館に行って「文字」の本を借りてくるくらい。
「絵」の書いてある本を読めるのは、夏休みや冬休みに親戚宅に泊まった時だけだったんですよね。『エースをねらえ!』や『ベルサイユのばら』があったので、何度も何度も読んでいました。
こうしたマンガとは、ちょっと違う世界だな……と子ども心に感じていたのが『ポーの一族』。萩尾望都さんの代表作です。
イタリアでの講義は、「日本ではマンガはどのような場所に売られていて、どのような人に読まれているのか」から始まります。
日本では、コンビニでも本屋さんでもマンガ本やマンガ雑誌が手に入りますが、海外では事情が違います。
以前聞いた話によると、アメリカの場合、オトナが目にするところにマンガがないのだそうです。『SHONEN JUMP』がアメリカに進出した時には、書籍流通の仕組みが日本とは違うため、定期購読者を増やすことで読者を増やしていったそう。
ところが、イタリアでは駅の売店で『名探偵コナン』や『NARUTO -ナルト-』が売られていたそうで、日本のマンガの受容度が全然違ったようです。
講義では、手塚治虫さんの『リボンの騎士』から『大奥』まで、多様なマンガが取り上げられています。質問者の質問内容も鋭いものばかり。
Q.:日本では、マンガが映画やテレビドラマの原作になっていますが、それはマンガ家にとってどういう意味があるのでしょうか。
萩尾さん:『イグアナの娘」をドラマにしたいという話が最初に来たときには、実は断りました。だってイグアナですよ?
こんな打ち明け話も披露されています。
先人が築き上げた歴史への敬意。少女マンガの黄金時代に、読者と編集者に鍛えられ、成長していったこと。作品を生み出す原動力。ひとつひとつ、確かめるように考えながら言葉が紡ぎ出されていく感じがあって、とても読み応えがありました。
「少女の、少女による、少女のためのメディア」、少女マンガ。
男装のお姫様「リボンの騎士」が活躍した時代から数十年経ったいま、女性像は大きく変わりました。闘い続けた結果、闘う相手がはっきり見えてきた段階といえるのかな。
少女マンガの歴史。興味深いです。
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