「潰しのきく人生を選んでしまうと、一生なんにもなれなくなる気がしたんです」
器用になんでも習得できる人なら、キャリアについての選択肢は多いはず。でも、不器用さんにとっては、どの道を選んでも茨の道に思えてしまいます。
すべてに不器用で、口下手な“野宮恭一”が唯一好きなことは、人の“瞳”をのぞくことでした。
自分の好きを信じて、視能訓練士となり、町の眼科医院で働く青年を描いた小説が、砥上裕將さんの『7.5グラムの奇跡』です。
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『7.5グラムの奇跡』
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眼科に行ったことがある方なら分かるかもしれません。お医者さんの診察の前に、いろいろと検査をしますよね。眼圧を測ったり(ピュッと空気が出てくるやつ)、視力を測ったり。こうした検査をしてくれる方が、視能訓練士です。
視力検査ではぜんぜん見えないはずなのに、野宮の名札は見える小学生。失明の危機にあるのに、カラーコンタクトレンズが止められない女性。
いろいろな症状を抱えて病院を訪れる患者たちは、年齢も、性別も、病気もさまざま。そのため、不器用な野宮はアワアワしながら一所懸命でした。
ちょっと怖いなと思ったのは「緑内障」の話でした。
「緑内障」とは、視神経に障害が起こり、視野(見える範囲)が狭くなる病気です。
実は、わたしは「緑内障」ではないかと疑われたことがありました。
校正の仕事を始めてからしばらくして、とつぜん視力がガクンと落ちたんです。わたしの視力は、小学生の時から両眼とも「2.0」。都会ではあまり役に立たない視力が自慢でした。
なのに、駅のホームに立っていて、次の電車の発車時刻を表示した看板の文字が見えない。これが、生まれて初めての「見えない」体験でした。
あまりにも急激に視力が落ちていったので、夫が「病院に行きなよ!!!」と心配してくれたのでした。この時は、単に目を使いすぎて疲れていただけだったんですけど。
「緑内障」は、発症すると完治はせず、目薬をさして眼圧が上がらないようにコントロールするくらいしか治療法がないそう。これが、小説の中でもトリック(?)になっています。
閑話休題。
砥上裕將さん『線は、僕を描く』でデビュー。第59回メフィスト賞受賞作です。傷ついた少年が、水墨画と出会って自分を取り戻していく物語で、ウルウルさせられました。
水墨画という世界から、町の眼科医院と舞台は変わり、今度の作品では「見る」ことがテーマになっているのですが、共通しているのが、「ひとつのことをやりきること」といえます。
これは砥上さんの生き方そのものなのかもしれません。
野宮は、視能訓練士として、目の状態を確認する仕事をしているわけですが、アワアワと勤務するうちに、彼がとても大切な能力を持っていることが分かってきます。
それは、「観察力」に優れていること。
検査の結果を分析する時、患者の様子を観察する時、自分の知識を過信して判断することもないし、患者の外見に左右されることもない。どっちかというと、ナメられるくらいなんだけど。
心の柔軟性と、普段との差異に気付けることが、野宮の才能なんです。
「自分は不器用だから」という青年が、ひとつずつ仕事を覚え、成長していく姿が、とても爽やかです。タイトルにある「7.5グラム」とは、眼球の重さのこと。
「見える」という奇跡と、「見える」ことが起こす奇跡。
砥上さんの描く世界が好きだ。
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