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『一度きりの大泉の話』#875


なぜ、少女マンガ家たちの聖地は、聖地になれなかったのか。

昭和を代表するマンガ家たちが暮らした「トキワ荘」は、いまでは「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」として聖地になっています。


同じように、少女マンガ家の卵たちの交流の場となった借家が、「大泉サロン」。地方から上京した竹宮惠子さんと萩尾望都さんは、この家で同居生活を送っていて、多くのマンガ家たちが集まったのだそう。

同居生活は、1970年から1972年のたった2年間。

「距離を置きたい」

竹宮さんにそう告げられた萩尾さんは、訳が分からないまま、ひとり暮らしを始めます。親しくしていたマンガ家仲間もいるし、アシスタント同士の交流もあり、噂話がチラホラと漏れ聞こえるわけです。

2019年に竹宮惠子さんが『少年の名はジルベール』を出版し、その後、萩尾さんのところにも取材依頼が多くあったそうですが、萩尾さんは沈黙を保ってきました。

ですがあまりに多いため、答えの代わりにと出版されたのが、『一度きりの大泉の話』です。

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『一度きりの大泉の話』

(画像リンクです)

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福岡に暮らしていたマンガ好きの少女・萩尾さんは、竹宮さんに誘われて大泉にある借家で暮らし始めます。両親にはマンガを描くことを反対されていて、覚悟の上京だったようです。

地方出身のふたりにとって、心強い味方となってくれたのが、増山法恵さん。プロのピアニストを目指していたこともあって、クラシックや文学に詳しく、マンガのアイディアを豊富に持っていた、という方です。

この3人の関係がこじれたため、同居生活は解消されたといわれてきました。

読んでみて思ったのが、「まぁ、そんなひと言で言えるような簡単なことではないわな」です。

実際に竹宮さんは「大泉サロン」を出た後、スランプに陥っていたそうで、『少年の名はジルベール』には、その辺りの話も出てきます。ドン底に落ちた創作意欲を、一から立て直していくところに惹かれました。


大泉時代のマンガ家たちとの交流や、旅行の話が『一度きりの大泉の話』の前半。後半は、「大泉サロン」後の話です。

ひとつの時代を、ふたつの視点から読んでみて。

わたしたち人間は、「黙ること」を学んだ方がいいのでは、ということでした。

「あなたのために教えておくけど」といった雀たちの言葉に、当事者はどれほど苦しめられたのか。

「黙ること」には価値はある。たぶん、噂話をするよりも、もっとずっと大きな価値が。




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