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『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』#987

恥ずかしながら、「ローランド」という方について知りませんでした。 2019年に出版された『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』という本のタイトルを見て、(またすごい系が来たな……)と思っていたくらいです。 ずっと積ん読になっていた本を読んでみたら。 おもしろい!!! いまさら?な話ですみません。でも、おもしろかったので紹介したかったのです。 ☆☆☆☆☆ 『俺か、俺以外か。 ローランドという生き方』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <発する言葉すべてが「名言」となる、現代ホスト界の帝王ローランド>と帯にありますが、現在はホストを引退されて、実業家に転身されたのだそう。 小学生の時のエピソードが秀逸でした。 小学生くらいの男の子が夢中になるものといえば、「戦隊もの」ではないでしょうか。わたしでさえ、近所の友だちと田んぼを駆け回りながら、ゴレンジャーごっこなんかをやりました。 でも、ローランドさんが夢中になっていたのは。 「ゴッドファーザー」!!! (画像リンクです) (現在、Amazonプライムで配信中です。パート1を観ちゃうと、もれなく全シリーズ観たくなってしまうのがミソ) ドン・コルレオーネみたいな男こそ、真の男!と思い定め、タキシードの似合う体型を目指したのだとか。 ゆるTとか、腰パンとかは幼く見えるからイヤだ。男はエレガントでなければ!!とタキシードの似合う所作を意識していたそうです。 渋すぎる……。 身近にこんな小学生がいたら、浮いていたかもしれません。 ローランドさんの場合、お父さんの影響もあって、自分の好きなものに忠実に生きてこられたとのこと。 読みながら感じたのは、自分の言葉を持っていることの強さでした。そして、「ビリギャル」こと小林さやかさんに負けないくらい自己肯定感が高い! 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986   わたしは自己肯定感がゼロのまま、ずっとなんとか生きてきた……という状態だったんですが、そしてそこにあまり疑問も感じていなかったのですけれど。 さやかさんとローランドさんのふたりを見て、自己肯定感って、人間をこんなに強くするのかと、考えをあらためました。 ホスト界では珍しく、売り掛けをしない、お酒を飲まない、タバコを吸わないという、自分のやり方を通してきたローランドさん。愛・仕事・哲学など、す

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986

ウソみたいなホントの話に、壮絶な努力に、壊れかけた家族の再生に、涙が止まらなかった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。 こんな話だと思ってなかったよ……。 通称「ビリギャル」と呼ばれた、教育についてのフィクション小説です。 ☆☆☆☆☆ 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 話題になっていた時にはスルーしていて、今ごろになって読みました。きっかけは、「ビリギャル」こと、小林さやかさんが、UCLAとコロンビア教育大学院に合格されたという話を聞いたから。 なんと...UCLAとコロンビア教育大学院に合格をいただきました😭どちらも教育心理学のプログラムです。TOEFL62から104までの道のりがなにより辛くて泣きながらだったけど、やっぱり何歳になっても、意思あるところに道は拓ける! 応援してくれたみなさま、ほんとーーに、ありがとうございました!! pic.twitter.com/5mD8xkAC90 — 小林さやか (@sayaka03150915) March 14, 2022 めちゃくちゃおめでたい!!! でも、さやかさんは高校2年生の段階で、「JAPAN」の意味は「ジャパーン」だと思っていた方なんです。 マジか!?という段階から偏差値を上げて慶応大学に合格するまでには、当たり前だけど壮絶な毎日があったことが伝わってきます。今回のTOEFL受験に至るまでの勉強方法もYouTubeにまとめられています。 本の中で衝撃を受けたのは、さやかさんのお母さん(ああちゃんと呼ばれているそう)と、坪田先生の、徹底的に相手を肯定する姿勢です。 ここから書くのはイベントでお聞きした話で本には載っていないのですが、子育ての姿勢として象徴的だったので紹介しますね。 小学校のときに習い事をしたいと思ったさやかさん。お母さんにお願いして通うことになりますが、わりとすぐに飽きてしまったそう。「辞めたい」というさやかさんに、さて、何と言いますか? 「せっかく通わせてあげたのに!」 「あんたが行きたいって言ったんでしょ!」 なんて、わたしの場合は言われてましたね……。自分でも言いそうな気がします。 でも、さやかさんのお母さんは違う。 「自分で決められてエライね!」 これを聞いて、(!!!!!)って

『言葉のズレと共感幻想』#985

「言葉のやり取りはたくさんあるのに、意味のやり取りは行われていない」 『具体と抽象』の細谷功さんと、マンガ編集者の佐渡島庸平さんが対談した『言葉のズレと共感幻想』には、たくさんのドキリとする指摘があります。 冒頭の一文は、佐渡島さんの言葉で、深まることのないまま続いていく会話は、猿の毛づくろいみたいだとして、バッサリ……。 厳しい言葉もありますが、人間にしかできないコミュニケーションを、「on」にするためのヒントが見つかるかもしれません。 ☆☆☆☆☆ 『言葉のズレと共感幻想』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 観察力を上げるトレーニングをしている佐渡島さんから、日常の不思議、コミュニケーションへの疑問などが挙げられ、細谷さんがその事象を分析したり質問したりしながら話は進みます。 「誰かへの共感は、共感している自分に酔いしれているだけでは」 「人は目の前のものが見えていると思い込んでいて、立ち止まって考えずに済ませている」 などなど、厳しいなーと思ってしまうのは、自分に心当たりがあるから。 おもしろかったのは「共感エコノミーと共感格差」の章でした。 「いいね」をひとつのエコノミー指標と考えると、その偏りは富の分配よりもはるかに大きいかもしれないという指摘です。 現代では多くの人がSNSの「アカウントを持っている」状態ですが、実際に発信している人は少数、そこで「いいね」をもらえる人なんてもっと少数、ましてや「バズる」ことなんて、ごくごく少ない。 そのため、多くの「いいね」を集めるインフルエンサーの発言力・影響力は増しています。 この、「共感格差」はどこから生まれるのか。 “細谷:人そのものに共感しているかはわかりませんが、行為に集中しているように見えます。共感される人は、日々の行動の中に共感されるような要素があるわけで、日々の行動というのは繰り返されるはずだから、どんどんそこに共感が集まっていく構図になるんでしょう。” ただ、ここで共感を集める人は、普通の会社にいたら協調性がなくてはみ出してしまうような人かも、とも。 わたしは安易に「分かる」と言わないようにして、言葉に対する感度を上げようと意識しています。 本にも出てきますが、「まきこむ」という言葉も好きじゃないので使いません。ベンチャー界隈ではよく使われる言葉ですが、すごく違和感がある。「まきこまれる側」の主体性がな

『決断=実行』#984

落合博満さんほど、好き嫌いの分かれる選手・監督はいないと聞いたことがあります。 カリスマ性とダークヒーロー感漂う「オレ流」スタイル。 「落」合博満の「信」者を表す「オチシン」という言葉が生まれるほどの信頼感。 相反するイメージに、よく知らないまま“揶揄”する空気だけを受け取っていました。 42万部を突破するベストセラー『采配』の内容をアップデートした『決断=実行』を読んでみたら、ぜんぜん思っていたのと違った……。というか、なぜ“嫌う”人がいるのかが分かった気がしました。 ストイックな姿勢に対して、言い訳を封じられたように感じてしまう人が、反発してしまうのかなと感じたのです。 ☆☆☆☆☆ 『決断=実行』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 落合博満さん。 1953年に秋田県に生まれ、1979年にドラフト3位でロッテオリオンズに入団。その後、中日ドラゴンズや読売ジャイアンツなどで選手としてプレーされました。 「ロッテ時代に、史上4人目かつ日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王」と説明にありましたが、これがどれくらいすごいことなのか、野球に詳しくないわたしには分からない……のだけど。 日本のプロ野球が1920年に始まり、100年以上も続いてきた中で「唯一の3度の三冠王」ということは、飛び抜けた成績を持っていたのだろうことだけは理解できますね。 2004年に、中日ドラゴンズの監督に就任。多くを語らず、結果だけを残していくスタイルが注目されていました。 落合さん自身は、こうした自分の野球=仕事への取り組み方について、 「人目を気にせず、自分がこうだと思ったことをやり抜く」 ことだとしています。 “練習が好きな選手はいないだろう。私も例外ではない。できれば練習せずに寝ていても、試合になれば打てるようになりたかった。だが、それが無理だと分かっているから練習した。” ドラフト3位でプロ野球選手となった当時は、バッティングフォームを酷評されたりして、期待されていなかったそう。だからこそ、結果にこだわり、タイトルを目指し、より野球に打ち込むことに。 誰かに認めてもらいたいからではなく、見返すためでもなく、ただ野球という仕事に取り憑かれる姿勢。このストイックさが、「言い訳大王」として生きているわたしのようなフツーの人の劣等感を刺激するのかもしれませんね。 監督となってから意識していたことが、

『ラ・フォンテーヌ寓話』#983

「暴力よりも優しさが多くを為す」 フランスでは、学校で必ず学ぶ詩人というジャン・ド・ラ・フォンテーヌ。たぶんほとんどの人が知っている「北風と太陽」の中の一節です。 イソップ童話をはじめ、インド、ペルシアなどの寓話を集め、皇帝ルイ14世の王太子に捧げられた寓話集が『ラ・フォンテーヌ寓話』です。 動物たちが主人公の、ちょっと笑える、ちょっと情けない、そして身もふたもない皮肉の利いた話がたくさん収録されています。 ☆☆☆☆☆ 『ラ・フォンテーヌ寓話』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ フォンテーヌの寓話の中に「カエルと王様」という話があって、それを探していて買ったんですが、掲載されていなかったという……。 目次を見て買おうね……、という毎回心に刻む学びがありました。 でも、ユーモラスで繊細なブーテ・ド・モンヴェルの挿絵がすてきだからいいんだもん、と絵本を眺めています。 1話が4~5ページなので、サラッと読めてしまうのですが、お話に内蔵された皮肉は後になってジワジワ効いてきちゃう。 有名なお話も収録されています。久しぶりに読んでニヤリとしたとは「キツネとぶどう」でした。 お腹を空かせたキツネが、食べごろのブドウを発見。でも、手が届かない。そこでキツネはこうつぶやきます。 「あれはまだ青すぎる。卑しい者の食い物だ」 負け惜しみがたまらんですよね。 また、「カラスとキツネ」というお話は、シャガールがエッチングの作品を残しています。 マルク・シャガール ラ・フォンテーヌの『寓話』   この、シャガールの「カラスとキツネ」は、河鍋暁翠の「烏と狐」と構図がそっくりなんです。 烏と狐.挿絵は河鍋暁翠による   暁翠が『ラ・フォンテーヌの寓話の選集 第1巻』に挿絵を描いたのは1894年。 その後、1900年にパリ万博が開催され、ジャポニズムが注目されたことを考えると、シャガールも暁翠の絵を見ていたのかも?と思えてきますね。 「北風と太陽」は、旅人のコートを脱がせようと、北風と太陽が勝負をする物語です。 何度も読んだお話で、その通りだと分かっているはずなのに、視野が狭くなるとそのことを忘れてしまう。 やさしさは、冷たい風をはるかに超えるパワーを持っている。 一日に3回つぶやこう。プーチンの耳元でもつぶやいてあげたい。

『言葉を育てる―米原万里対談集』#982

文章を書き始めたころ、強く勧められて読んでみて大ファンになった方が、ふたりいました。 ひとりは、読売新聞で「編集手帳」を担当された竹内政明さん。「起承転結」の鮮やかな、コラムのお手本のような文章。ずっと仰ぎ見ている方です。 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981   そしてもうひとりが、ロシア語通訳から作家へと転身された米原万里さんです。 ロシアをはじめとする、さまざまなお国の民族性と食を巡るエッセイ『旅行者の朝食』は、以前紹介していました。「米原万里といえば大食漢」と言われるほど、食いしん坊だったそうです。 いま見たら、ちょうど2年前に書いたのでした。 ブラックユーモアと生きるための知恵 『旅行者の朝食』 #255   2006年に亡くなられ、もう新作が読めないなんて、信じられない……と、ずっと感じています。ロシアのウクライナ侵攻を、彼女はどう評しただろうと思ってしまいますね。 おそらく、毒いっぱいのユーモアを入れつつ、剛速球のど真ん中へボールを投げ込んだんじゃないでしょうか。 傍若無人なヒューマニストと呼ばれた米原万里さん。最初で最後の対談集『言葉を育てる―米原万里対談集』でも、小森陽一さんや、林真理子さん、辻元清美さんに、糸井重里さんら、錚々たるお相手に、豪快な球を投げ込んでいました。 ☆☆☆☆☆ 『言葉を育てる―米原万里対談集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 米原さんはご両親の仕事の都合により、小学生のころ、プラハにあるソビエト学校に通うことになります。多国籍で、多彩・多才な同級生に囲まれた日々。米原さんの鋭い分析力と俯瞰力、観察力、そして女王様力は、こうした環境に身をおいたことでついたものなのでしょう。 日本に戻って、ロシア語通訳として活躍。エッセイストとなってからは、プラハでの日々を綴った『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。 こちらは米原さんの好奇心と包容力、負けん気と追求心が感じられるエッセイです。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (画像リンクです) すでに確立された実績があるのに、新しいことを始め、奇想天外なアイディアを生み出し、猫と犬と暮らす。 奔放にも、豪快にも思える生き方は、これぞ他者に評価されることを潔しとせず、自分の価値観で自分の人生を生きるってことなんだなーと思います。 タイトルにある「言葉

『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981

いまの流行と、自分の理想。そのギャップにずっと悩んできました。 「#1000日チャレンジ」を始める前、通っていたライター講座で、何度か講師の方から(参加者からも)言われた言葉がありました。 「自分が好きなライターの文章を“写経”するといいですよ」 やりました。何人ものライターさんの、何本もの記事。でもぜんぜんしっくりこない。好きなライターさんだけでなく、人気のライターさん、バズっている記事も“写経”してみましたが、やっぱり何かが腑に落ちない。 悩み続けて、やっと原因が分かりました。 ウェブで読まれるコラムと、わたしが理想とするコラムは、構造が違うことに。 「紙」で育った世代のせいか、わたしは「起承転結」のある文章が好きです。中でも「起」から「転」への角度が急であるほど、「おおっ!」という思いが強くなる。すべての流れを受ける「結」には、ジグソーパズルの最後のピースがピタッとはまるような快感がある。 読売新聞の「編集手帳」を担当された竹内政明さんのコラムは、ドンピシャでわたしの理想でした。 ☆☆☆☆☆ 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 竹内さんは、読売新聞社に入社後、財政、金融などを担当して、1998年から論説委員を務められました。 新聞社などでよく見る肩書きの「論説委員」。似たものに「編集委員」がありますよね。 専門の分野のコラムや記事を書くのが「編集委員」、社説などで社の論調を書くのが「論説委員」なのだそう。 なんかすごそう……な肩書きですが、竹内さんのコラムは徹底した「下から目線」なんです。 “私の書くコラムというのはよくへそ曲がりだといわれまして、大体電報と一緒で、勝った人にそっけないんですね。負けた人に手厚い。” たとえばソチ・オリンピックの期間、「勝った」選手を取り上げたのは2回しかなかったと綴っておられます。 歌舞伎に落語、相撲や童謡など、時には町で耳にした子どもの言い間違いから話が始まり、時事問題へとつながっていく。 深い教養があるからこそ、こうした「起」を書き出せるのでしょうね。 構成の練り具合、言葉の選び方、目線のやさしさに惚れてしまい、読売新聞は読んでないけど、竹内さんのことはずっと尊敬しているという、おかしな具合になっています。 ただ、会社の後輩(20代女性)3人に『「編集手帳」傑作選』の1本を読んでもらったところ