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『鶏小説集』#977

たぶん、人間にとって一番身近な「飛べない鳥」といえば、ニワトリではないでしょうか。 せっかく翼をもっているのに、ほとんどの時間を地面をほじくり返すことに使っているニワトリたち。 学研のサイトによると、ニワトリの先祖は「セキショクヤケイ」という鳥で、もともと飛ぶのがあんまり得意ではなかったそう。 食べてみたらおいしかった ↓ 人間が飼うようになり、飛ぶ必要がなくなった ということらしいです。 ニワトリはどうしてとべないの | 空の動物 | 科学なぜなぜ110番 | 科学 | 学研キッズネット   それにしても、「飛びたい」という欲求は、忘れてしまえるものなのかしら? 今は地べたを歩いているけれど、いつかは空に舞い上がるのかしら? 坂木司さんの『鶏小説集』を読みながら、ニワトリの境遇について考えてしまいました。「飛べない鳥」は、きっと、わたしも同じだから。 ☆☆☆☆☆ 『鶏小説集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ お互いの家族に憧れる友だち。夜中の駐車場で缶チューハイを飲みながら語り合うおっちゃんたち。少しずつ登場人物が重なりながら、あげチキ、地鶏の炭火焼、ローストチキンなど、「鶏料理」でつながっていく連作短編集です。 坂木司さんは『和菓子のアン』シリーズが好きで、お菓子のイメージが強かったのですが、他の料理になったとき、ずいぶんと印象が変わりました……。 『和菓子のアン』#976   ほんとうは『鶏小説集』の前に『肉小説集』があったみたいでした。 (画像リンクです) 『和菓子のアン』シリーズの特徴は、ミステリーといいつつ、イヤな人が出てこないところかもしれません。 だけど『鶏小説集』の登場人物たちは、それぞれにブラックな想いを抱えた人たちです。腹を割って語り合える人に出会えるんだけど、語り合ううちに価値観の違いが見えてくる。 こういう小説に出会うと、「分かり合える」「共感する」といった言葉の薄っぺらさを感じてしまうんですよ、どうしても。 心底理解し合えるなんて、幻想なんじゃないか、と。 それでも人は分かりたいと思うし、分かってほしいと思って、誰かとつながりをもとうとする。空回りにも見えるジタバタが、ほんのりせつなくなりました。 地べたを歩くしかなく、羽をむしられ、“部位”に分けられて食べられてしまうニワトリたち。 地べたを歩き回り、意欲をむしられ、心折られることがあっ

『和菓子のアン』#976

“お菓子は、生きるための必須の要素ではありません。でも人はいつの時代もどこの国でもお菓子を作り、食べてきました。それはおそらく、お菓子が「心を生かすもの」だから。” お菓子、中でも「あんこ」が大好きなわたしとしては、大きくうなずいてしまう坂木司さんの言葉です。 坂木司さんの小説『和菓子のアン』でも、「心を生かすもの」としてお菓子が登場します。デパ地下の和菓子屋「みつ屋」を舞台とした、お菓子を巡るミステリーです。 ☆☆☆☆☆ 『和菓子のアン』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 高校を卒業したばかりの梅本杏子・通称あんちゃんは、特に将来の進路を考えたこともなく、これならできそうかも……という、わりと消極的な理由で「みつ屋」でアルバイトをすることに。 お店にいるのは、元ヤンの桜井さん、和菓子職人を目指す立花さん、店長の椿さん。見た目とは裏腹に雄叫びの上がるバックヤードの描写にクスリとさせられ、閉店後のデパ地下の様子にうなってしまう。 和菓子はもちろん、料理の世界は「季節感」が強く打ち出されます。梅雨の時期の涼しげな和菓子、秋の初めに並ぶこっくりした味、どれもおいしそうで、たまらん物語でした。 現在までに3巻が出ています。 第1巻:和菓子のアン 第2巻:アンと青春 第3巻:アンと愛情 タイトルを見てお分かりのように、思いっきり『赤毛のアン』を意識した展開ですね。 季節の移ろいと一緒に、あんちゃんの成長を感じられるストーリー。 わたしにとって和菓子は、ホッとしたいときに選ぶお菓子のように思います。クリームたっぷりの洋菓子や、歯ごたえも楽しみたい焼き菓子は、気分を上げたいときかも。 その、和菓子に込められた意味と一緒に、ゆっくり読みたい小説です。もちろん「心を生かすもの」であるお菓子とお茶もお手元に。

『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』#975

「ウェルビーイング」って、最近よく耳にするようになりましたが、こういう横文字はふんわりしていて意味がとらえづらい。 「ウェル」が入ってるってことは、「いい感じ」に生きようってことかな? なんて、思っておりました。 予防医学研究者の石川善樹さんによると、「ウェルビーイング」は「日本の昔話」に学ぶのがよいらしい。実際、石川さんは夜な夜な「にっぽん昔ばなし」をご覧になっているそうです。 研究者ってすごいですね……。 ☆☆☆☆☆ 『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1948年にWHOが憲章前文に「ウェルビーイング」という言葉を使っています。 健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態である ここから70年経って、現在はこういう形で理解されているそう。 ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である「満足」と、日々の体験に基づく「幸福」の2項目によって測定できる 「満足」と「幸福」は、とても主観的な価値なので、人によって違いが大きい。そのため、定義もふわっとしてみえるし、「何をどうやってこうすればウェルビーイングが上がるよ」と言い切れないものなのですね。 わたし自身、生きるにあたって「満足」でありたいし、「幸福」でありたい。 でも、「満足」がたくさんあっても飽きるかも……という気がします。 ここが日本文化の特徴なのだそう! 日本の昔話は、名もないおじいさんやおばあさんが主人公の話が多いですよね。そして、ハッピーエンドになることもなく、フッと話が終わってしまう。 これが西洋の物語だと、主人公は子どもで、冒険して宝物を見つけたり、結婚してハッピーになったりして「めでたし、めでたし」と終わります。 日本の文化は、こうした「ゼロに戻る」ことが特徴なので、そのメンタリティを受け継いでいる現代人も、西洋式の「上昇志向」よりも、日本式の「奥という感覚」を意識するほうが、心の平安を探れるのではないか、とのこと。 石川さんは「○○のためには何をしたらいいですか?」という質問をよく受けるのだそうです。こうした、「○○をする=doing」によって、「○○になる=becoming」な発想は、「因果の宗教」にハマっている状態だと指摘されています。 自分の内

『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』#974

地球史上、この本ほど、「沼」に引き込む本はあっただろうか。 万年筆好きが必ず通るインク沼。 本好きなら素通りできない特殊フォント。 ファンタジー好きが憧れる妄想商店街。 さまざまな仕掛けで、その世界に引き込まれてしまう『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』。副題には「ガラスペンでなぞる」とありますが、もちろんどんなペンで書いてもOK。 これ、めちゃくちゃハマります……。 ☆☆☆☆☆ 『ツキアカリ商店街―そこは夜にだけ開く商店街』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 本の制作は、「少し不思議」な紙雑貨屋の「九ポ堂」さんです。もともとは活版印刷屋さんだったそう。 九ポ堂 powered by BASE   わたしの中で(勝手に)活版印刷屋さんといえば、ほしおさなえさんの 『活版印刷三日月堂』 でした。もちろん、九ポ堂さんとコラボした作品も制作されています。はぁ、もう、かわいいしかない世界。 印刷博物館×活版印刷三日月堂 コラボ企画展   『ツキアカリ商店街』は、過去のグループ展イベントがきっかけで誕生した、妄想の商店街シリーズをまとめたものです。 ・ツキアカリ商店街 ・雪乃上商店街 ・でんでん商店街 ・ゾクリ町商店街 ・七色珊瑚町商店街 5つの商店街にある、48のお店と57のおはなしが「なぞり書き」できるようになっています。 (画像はAmazonより) おはなしに合わせてインクを選ぶのも楽しいですし、書体や紙自体もたくさんの種類があるので、書き味の違いも楽しめます。 設定もとても細かくて、「雪乃上商店街」は上空2000メートルのところにあるらしい。「でんでん商店街」は雨の日だけオープン。理由は、カタツムリの殻が割れちゃうかもしれないから! 書き込みながら自分だけの一冊がつくれるオリジナリティと、インクやガラスペンへのオタク愛を刺激するポイント満載の本。 なにより、妄想の世界の広がりが心地いい。 休日のリラックスタイムにお試しいただくと……沼へGo!となりますよ。

『時代の風音』#973

「世界的巨匠」なんて呼ばれることを、たぶん宮崎駿監督はお嫌いなんでは……と思ったことがあります。 何者かになりたくてアニメをつくってきたわけではないだろうから。 情熱のまま、子どものように無邪気に、ガンコに物語を紡いできた姿は、鈴木敏夫さんの『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』に綴られていました。 『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』#927   そんな宮崎監督にも“若かりし頃”はあったわけで、堀田善衛さん、司馬遼太郎さんという知の巨人に挟まれて、20世紀を語りつくす鼎談『時代の風音』では、「書生役」というか、「小僧役」のような扱いをうけています。 ☆☆☆☆☆ 『時代の風音』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ロシアや中国、イスラームに日本、近代から現代へと時代が移る中で、日本人が得たものと、失ったもの。世界が向かう方向についてなどなど、話題がとても広い。 もともと別の出版社から刊行されていた本の再版なのですけど、最初に刊行されたのが1992年。 ソ連が崩壊したのは1991年12月25日なので、まだ生々しい興奮が感じられます。堀田善衛さん曰く、ソ連は「難治の国」なのだとか。 イスラムとモンゴル族に気を使わざるを得なかったイワン雷帝。イデオロギー独裁政治から、強行着陸を目指すしかなかったゴルバチョフ。 合議制という発想がなかったのだから、そうなりますよね……。 なーんて、分かったようなことを書いていますけれど。 この鼎談、堀田さんと司馬さんの知識量が豊富すぎて、しかも怒濤なので、まったく理解できない……。笑 たとえていうなら、空中戦のドッジボールのコートにいるような感じです。ぜったい自分にボールがヒットする可能性はない。 そんな中、宮崎さんが何か言うと、かるく司馬さんにいなされてしまうシーンも。 ちょうどこの頃、映画を準備されていた宮崎さん。司馬さんからこんな質問を受けます。 司馬「今度の作品の題名はなんでしたっけ。『ピンクの豚』?(笑)」 宮崎「ヤケクソみたいな名前なんですけど『紅の豚』」 司馬「紅か。おもしろそうですね。また飛んでいくんでしょう」 ピンク……。飛んでいく……。 門前の小僧のように、何度も読めば、少しはヒットするところが出てくるのかしら。と、思いつつ、自分がふだん、いかに「分かりやすい」ものに触れているのか感じました。 難しいことを分かりやすく言えるって、すごい知

『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』#972

天災、戦争など、自分の力ではどうにもならない出来事を前にして、無力感に襲われることがあります。 2011年3月11日もそうでした。 新宿のオフィスから新宿御苑へと避難し、自転車で麻布まで行ってダンナ氏と合流。そこから車と電車と徒歩で、なんとか帰宅しました。 「うちは、倒れずに残っているかな……」 なんて話をしながら、お互いが無事であったことに感謝し、珍しく手をつないで歩きました。 いま世界ではまた、天災や戦争が起きていて、自分の力ではどうにもならない事態に打ちひしがれる日々でした。 そんなときに、南米アンデスに伝わる「クリキンディの話」を教えてもらいました。 森が火事になったとき、ほかの動物たちは急いで逃げてしまったのですけれど、ハチドリだけが、くちばしで水のしずくを運んでいる。「何をしているの?」と聞かれたハチドリは、こう答えます。 「私は、私にできることをしているだけ」 クリキンディ=ハチドリの物語は、『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』としてまとめられています。 ☆☆☆☆☆ 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ クリキンディの話は絵本の形になっていて、坂本龍一さんやC.W.ニコルさんのメッセージが収録されています。 著者の辻信一さんは、文化人類学者で環境運動家という方。クリキンディの話を英訳し、イラストレーターの方と打ち合わせをした際、善悪二元論にしてしまうのは違うのではないか、という指摘を受けたのだそう。 森の一大事にあたって、行動をしたのはハチドリだけだったわけですが、だからといってそれがエライわけでもない。 ハチドリ=正義 ほかの動物=悪 ではないところが、この物語に引きつけられる理由かなと思います。 “怒りや憎しみに身をまかせたり、人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。” 鳥類の中で最も体が小さいハチドリ。小さなくちばしで運んだ水のしずくは、本当にちょびっとだったと思います。 でも、ちょびっとがたくさん集まれば、森の火事を消し止めるのに役立つかもしれない。 そう思って、今年もスタバの「ハミングバードプログラム」に参加してきました。 「ハミングバード プログラム」とは、東日本大震災をきっかけに始まった若者支援プログラム。期間中にカードで購入すると、商品代金の1%が寄

『一切なりゆき 樹木希林のことば』#971

そういえば、最近「新書」を読んでないかもしれない。 珍しく外出する予定があったとき、気が付きました。理由は単純。家にいる時間が長くなったので、薄い本より分厚い本を読むようになったから。 ここ2年くらい「鈍器本」と呼ばれるほど分厚い本が多く出ていて、中にはベストセラーになっているものもあります。 厚くて高価な「鈍器本」が異例のベストセラー おうち時間の学びに…女性におすすめの一冊も   上の記事にある『独学大全』なんて、寝転んで読むには重すぎるくらい分厚いです……。 「新書」には「新書」の良さがあるんだけどなと思う程度には、「新書」好き。久しぶりに手に取ってみたのは、樹木希林さんの『一切なりゆき 樹木希林のことば』です。 ☆☆☆☆☆ 『一切なりゆき 樹木希林のことば』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 2018年に亡くなられた樹木希林さん。どんな姿を思い出すかは、世代によって違うかもしれません。 わたしは富士フイルムのCMのイメージが強いです。毎年お正月前になると、岸本加世子さんとの楽しいやり取りのCMが流れていたんですよね。 「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」というキャッチフレーズは、当初は「美しくない方も美しく」だったものを、希林さんの提案で修正したものだとか。 こうした他者への想像力や感性が、彼女の演技力を支えていたのかもしれないと、本を読んで感じました。 さまざまな雑誌に掲載されたエッセイから、154の言葉を紹介しています。 後ろを振り返るより、前に向かって歩いたほうがいいじゃない、という話に続いて、 「自分の変化を楽しんだほうが得ですよ」 なんて言葉があったり。 ほとんど服などを買わないという希林さんが、 「物を買う代わり、自分の感性に十分にお金をかけるほうがいい」 ということを娘の也哉子さんに伝えていたり。 人生のこと、俳優としてのこと、女として、病を抱えた者として、日々感じていたことからは、途方もなく“人間くさい”姿が感じられます。 巻末には、也哉子さんの「喪主代理の挨拶」も収録。 理解しがたい関係だった両親の、知らなかった一面をのぞいたエピソードには、ホロッとしてしまいました。 「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」 母から贈られたという、このメッセージ。全人類に伝えたい。