「読書」は、高尚な趣味なのでしょうか。 以前、「オススメの本はこれ!」としたツイートが、「ビジネス書ばっかりやんか」と批判されていましたよね。気の毒……。 これは「本」というくくりが、大きすぎたのではないかと思います。 「本」とひと言でいっても、小説もあればエッセイもあるし、ミステリーもSFも恋愛ものもある。古典が好きな人もいれば、ハウツー本しか読まない人もいるでしょう。 その中で、「アレが上で、コレが下」とはいえないし、人は結局、自分が読んだことがある本に反応するのだなーと毎日書いていて感じます。 『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、著者のピエール・バイヤールが、「読書が高尚な行為だというのは大いなる誤解」と指摘していました。 『読んでいない本について堂々と語る方法』#992 どんな本を読んだにせよ、その本について語ることは、「書評」と呼ばれたり、「レビュー」と呼ばれたり、「感想文」と呼ばれたりしています。 こちらに関しても「どう違うねん」という気がしています。 三省堂の「ことばのコラム」によると、「評論」よりも「レビュー」と表記した方が、堅苦しくなさそうな雰囲気があるのだそう。 第18回 レビュー | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム 「レビュー」は、Amazonなどの「商品レビュー:使ってみての使い勝手や感想」という場で使われていることを考えると、なるほどカジュアルに書き込みやすいのかもしれません。 とはいえ、どちらも目的としては「これよかったから、ぜひ!!!」と誘うことです。まぁ、逆の場合もあるけど。 『批評の教室』の著者・北村紗衣さんは、「作品に触れて何か思考が動き、漠然とした感想以上のものが欲しい、もう少し深く作品を理解したいと思った時に、思考をまとめてくれる」ものが「批評」である、とされています。 批評のための3ステップ「精読する、分析する、書く」について解説した『批評の教室』。めちゃくちゃ勉強になりました。 ☆☆☆☆☆ 『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 批評の役割としては、大きくふたつ。 ・解釈:作品の中からよく分からない隠れた意味を引き出す ・価値づけ:その作品の位置づけや質を判断する このふたつは、なんじゃかんじゃと言葉を尽くして