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『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』#994

「読書」は、高尚な趣味なのでしょうか。 以前、「オススメの本はこれ!」としたツイートが、「ビジネス書ばっかりやんか」と批判されていましたよね。気の毒……。 これは「本」というくくりが、大きすぎたのではないかと思います。 「本」とひと言でいっても、小説もあればエッセイもあるし、ミステリーもSFも恋愛ものもある。古典が好きな人もいれば、ハウツー本しか読まない人もいるでしょう。 その中で、「アレが上で、コレが下」とはいえないし、人は結局、自分が読んだことがある本に反応するのだなーと毎日書いていて感じます。 『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、著者のピエール・バイヤールが、「読書が高尚な行為だというのは大いなる誤解」と指摘していました。 『読んでいない本について堂々と語る方法』#992   どんな本を読んだにせよ、その本について語ることは、「書評」と呼ばれたり、「レビュー」と呼ばれたり、「感想文」と呼ばれたりしています。 こちらに関しても「どう違うねん」という気がしています。 三省堂の「ことばのコラム」によると、「評論」よりも「レビュー」と表記した方が、堅苦しくなさそうな雰囲気があるのだそう。 第18回 レビュー | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム   「レビュー」は、Amazonなどの「商品レビュー:使ってみての使い勝手や感想」という場で使われていることを考えると、なるほどカジュアルに書き込みやすいのかもしれません。 とはいえ、どちらも目的としては「これよかったから、ぜひ!!!」と誘うことです。まぁ、逆の場合もあるけど。 『批評の教室』の著者・北村紗衣さんは、「作品に触れて何か思考が動き、漠然とした感想以上のものが欲しい、もう少し深く作品を理解したいと思った時に、思考をまとめてくれる」ものが「批評」である、とされています。 批評のための3ステップ「精読する、分析する、書く」について解説した『批評の教室』。めちゃくちゃ勉強になりました。 ☆☆☆☆☆ 『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 批評の役割としては、大きくふたつ。 ・解釈:作品の中からよく分からない隠れた意味を引き出す ・価値づけ:その作品の位置づけや質を判断する このふたつは、なんじゃかんじゃと言葉を尽くして

『「言葉にできる」は武器になる。』#993

今日から新年度。 新しい仕事場に向かう人、社会人デビューをする人、昨日までと同じ仲間と仕事をしている人たちにも、絶賛おすすめしたい本が、梅田悟司さんの『「言葉にできる」は武器になる。』です。 特に社会人一日目を迎える方は、「言葉にできる」ことの可能性を感じてほしい。 ☆☆☆☆☆ 『「言葉にできる」は武器になる。』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 自分の考えていることがうまく言葉にできない、伝わらない、そしてモヤモヤしちゃう……って、よくありませんか? コピーライターの梅田悟司さんのお考えは、これ。 “言葉が意見を伝える道具ならば、まず、意見を育てる必要があるのではないか?” 言葉には、人に伝えるための「外に向かう言葉」と、自分の思考を深めるための「内なる言葉」の2種類があります。「外に向かう言葉」は、外に向かっている分、分かりやすいのでハウツーで学びやすいんですよね。 でも、大切なのは自分の考えを広げたり、奥行きをもたせたりするための「内なる言葉」。 この「内なる言葉」を深めるためのエクササイズが、「T字型思考法」です。 まずは頭の中に浮かんだ言葉をそのまま書き出し、それに対して「なぜ?」「それで?」「本当に?」と、3つの観点から問いかけていきます。 「なぜ?」:考えを掘り下げる → 下に 「それで?」:考えを進める → 右に 「本当に?」:考えを戻す → 左に こうして「T字型」に書き出すことで、モヤモヤしているものが明確になり、考えの土台をつくることができるとのこと。 「T字型思考法」で考えを進める。 | ウェブ電通報   黒猫の「大吉」との暮らしで学んだことを綴った 『捨て猫に拾われた男』 も大好きだったんですが、この『「言葉にできる」は武器になる。』は、大好きすぎて、いろんな人に勧めてきました。毎年、新人研修の課題図書にもしていたくらいです。 忙しさに追われたり、言いたいことを言えない環境だったりすると、自分が何を感じているのか分からなくなってしまうことがあります。 毎年多くの新人たちと出会い、仕事の醍醐味を感じながら、大人語の世界にアワアワし、チャレンジと理不尽の間に泣く姿を見てきました。 そんなときこそ、ぜひ自分の感情について振り返りましょう。 「T字型思考法」はアイディア出しにも使えるものですが、日々の振り返りにも使えるシンプルなエクササイズです。 A

『読んでいない本について堂々と語る方法』#992

こうして毎日ブログを書いていて、一度はやってみたかったことがありました。 読んでない本について書いてみたい!! たとえば清水義範さんは『主な登場人物』で、チャンドラーの『さらば愛しき女よ』の登場人物だけでストーリーを想像する……という短編を残しておられます。 “既存の要素”を組み合わせればこうなる!短編集 『主な登場人物』 #391   こういう「芸」のあるものを書いてみたかったなー。もちろんピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んだから、狙っていたんです。 ☆☆☆☆☆ 『読んでいない本について堂々と語る方法』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ピエール・バイヤールは精神分析家の大学教授です。大学の講義の中で名作本について触れることもあれば、自身が書く論文に引用することもある。メディアにコメントを求められることだってあります。 こうした「文化人」枠の人たちは、はたして本当に本をすべて読んでいるのでしょうか? バイヤールの答えは、「non」! 『読んでいない本について堂々と語る方法』の中でとりあげる本については、 <未>ぜんぜん読んだことのない本 <流>ざっと読んだことがある本 <聞>人から聞いたことがある本 <忘>読んだことはあるが忘れてしまった本 の4分類で記号が付けてあるんです。つまり、どの本もうろ覚え状態。バイヤールは他の文化人も大して変わらず、「読んだふり」してるんですぜ……と指摘しています。 では、なぜこうした人たちは、正々堂々と語れるのか。 ひとつには、文学や歴史の大きな地図の中で、その作品の立ち位置が分かっているからだ、とのこと。 “教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。(中略)全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。” さすが教授。読んでない本について語るためには、その本のページ数の100倍は教養が必要なのだと教えてくれました……。 いまではもう割り切ってマイペースで書くようになったけれど、「#1000日チャレンジ」を始めた当初は、いったいどうすれば「書評」や「映画評」と呼ばれるものになるのだろうと、試行錯誤して、書評の本も読みました。

『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』#991

「雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる」は、間違い。 これを知って、かなり驚きました。 抜いても抜いても生えてきて、なんでこんなところから?と思うような場所からも顔を出してくる雑草。踏まれて倒れたぐらいでは、へこたれない。これほど「強い」草はないと思っていたのに! 雑草を研究しているという、静岡大学教授の稲垣栄洋さんの本『はずれ者が進化をつくる』に紹介されていた、「雑草魂」というか、「雑草戦略」には学ぶところが多かったです。 ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる』などを出している「ちくまプリマー新書」は、「ちくま新書」の姉妹レーベルという位置づけだそうで、ラインナップにはヤングアダルト向けの本が並んでいます。 2018年には既刊本が300点を超えたそうで、特設サイトがありました。稲垣栄洋さんの本も「五本柱」のひとつに選ばれています。 ちくまプリマー新書 祝★300点突破!   ティーンエイジャーが対象なので、語り口がやさしい本が多いのが特徴。大人が読んでも十分におもしろいです。 植物はもちろん、地球上の生物は「違うこと」に価値をおいてきました。これはあくまでバラバラなのであって、優劣ではありません。 バラバラではあるけれど、中央値みたいな生存適性はあって、隅っこには「はみだしもの」もいます。で、環境などの変化が起きたとき、この「はみだしもの」が生き延び、そしてまたその「はみだしもの」が中央値となり、あらたな「はみだしもの」が生まれ……というように、生物は進化してきました。 だけど現代の人間たちは「ナンバーワンよりオンリーワン」と言ってみたり、「いやいやそれじゃ甘いよ、やっぱりナンバーワンじゃなきゃ」と言ってみたりする。 そして、 わたしのオンリーワンってなんだっけ? 自分らしさってどういうこと? 個性を出せってどうすればいいの? といった悩みを抱えてしまうのです。 「考える葦」である人間って、自分で悩みを作り出しているようなもんなんですね……。 冒頭に書いた雑草の戦略「雑草は踏まれても立ち上がらない」。 雑草にとっては「立ち上がる」ことが大事なのではなく、「種を残す」ことが目標だから、立ち上がらない方がよければ、横に伸びたり、根を伸ばしたりして、目的を果たすのだそう。 立ち上

『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』#990

「メモ書き」によって思考と感情の言語化をトレーニングする。それが、赤羽雄二さんの『ゼロ秒思考』です。 やり方は超シンプル。 裏紙など、A4の紙にテーマと日付を書き、頭に浮かんだことをそのままガンガン書いていくだけです。 ただし。 制限時間は1テーマ1分。 これが激しく筋トレになるのです。 ☆☆☆☆☆ 『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 20世紀に最も影響を与えたビジネス書の1位になった本といえば、『7つの習慣』です。タイトルどおり、7つの習慣について書いた本で、これを実践すれば人生を効果的にできるというもの。 『7つの習慣 人格主義の回復』#903   7つの習慣のうち、「第1の習慣」と呼ばれているのが「主体的であること」です。 自分で考え、選択する。特に、感情的に反応するのではなく、わたしたちは反応を選ぶことができるという考え方に、わたしはとても引かれました。 とはいえ、日常というのはさまざまなストレスに満ちています。 抑え込んだ感情がグルグルと頭の中を駆け回り、何日経ってもトゲのように残っていることも。 また、完全にキャパオーバーでやらなければならないことがあるのに、なにから手を付ければいいのか分からなくなってしまうこともあります。 そんな時こそ、『ゼロ秒思考』の「メモ書き」が役に立ちます。 特に、時間制限があるために、瞬発力がつく感じがとてもありました。 A4の紙1枚に1テーマ、4~6つくらいの箇条書きにして書いていきますが、頭の中から出てきたメモの内容を、次のテーマにして深掘りしたり、ヨコ展開したりすることはOKです。 6年くらい前に初めてこの本を読み、しばらく「メモ書き」をやっていました。 最初はそんなにサクサク書けないし、出てくる言葉といえば愚痴と不満と不安と不平と泣き言ばかりでした……。 でも、2週間くらい書き続けていると、ようやく「不」のつく感情が空っぽになったようで、テーマに対して前向きな言葉が出てくるようになったんです。 たぶんこのとき、「主体的であること」の習慣ってこういうことかと感じたんですよね、たしか。 いまではだいたい自分でテーマを決めていますが、本には各シチュエーション毎にテーマが載っているので、それを参考にすることも。 テーマの例: <上司に腹が立った時、心を落ち着ける> ・ああい

『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』#989

振り返ってみると、動物の出てくる物語をたくさん読んでいることに気が付きました。 『火狩りの王』のようなファンタジーには動物がつきものですし、動物の妖怪が人間のふりをして暮らしている『しゃばけ』みたいな小説もある。 『火狩りの王』#735   とぼけた味の妖たちが大活躍 『しゃばけ』 #497   ミステリーの世界でも「三毛猫ホームズ」シリーズは大好きだったし、ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』も好きでした。 一方で、荻原規子さんの『グリフィンとお茶を』みたいな「魔法生物」に関するエッセイも大好物です。 『グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~』#946   現実(?)に近い話でも、佐々木倫子さんのマンガ『動物のお医者さん』とかおもしろかったですよね。チョビを飼いたかったけど、散歩が大変そうだから断念しました。 もっとリアルに大変そうで、でも愉快でシビアな現場が、鳥取環境大学の研究室です。小林朋道教授によって「森の人間動物行動学先生!」シリーズは、10巻を超えています。 今日ご紹介するのは、記念すべき10巻目の『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』です。 ☆☆☆☆☆ 『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 小林朋道教授は動物行動学者で、ヒトと自然の精神的なつながりなどを研究しておられるそう。 研究室にある水槽に新しいお客さまをお迎えし、「お・も・て・な・し」をしたときの話が、タイトルになっている「イソギンチャクが腹痛を起こしちゃった」事件です。 そもそも動物の生態(陸の動物も、海の生き物も)って、分からないことがこんなに多いんですね。人間ならインタビューという手法が使えますが、相手は動物。好きな餌も、心地よい環境も、ひとつずつトライ&エラーを繰り返して発見していくんです。 その過程が……。 笑いしかなかった! 教授自身が腹痛を抱えながら、珍しいコウモリに会えるかもしれない洞窟に調査に行くなど、研究者魂を感じさせるエピソードもあり、ヒトも動物も、生きることに熱心だなーという世界です。 最初に出版されたのは『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』ですが、内容にあまりつながりはないので、どれから読んでも大丈夫。 人間は生きて生活しているだけで環境汚染の原因をつくっている、といわれているいま。自然と

『いつか陽のあたる場所で』#988

日本は「弱者」にやさしくない社会になってしまった、と言われています。 別にキビキビ・シャキシャキできることだけが、人間の存在価値じゃないだろうと思いますが、「自分の基準」に満たない人を排除し、邪魔者扱いするようになってしまったのは、いつからなのだろう? 乃南アサさんの小説『いつか陽のあたる場所で』の主人公は、罪を犯して刑務所で出会ったというふたりの女性です。 出所後、東京の谷中で新しい人生を始めたふたり。後ろ暗い過去は、どこまでも足かせになってしまう。劣った者としてないがしろにされ、ドン底まで落ちた過去の痛みを抱えたふたりの再生は叶うのか……。 ☆☆☆☆☆ 『いつか陽のあたる場所で』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 乃南アサさんはサスペンスのイメージが強かったのですが、『いつか陽のあたる場所で』は、友情と再生をユーモラスに描いています。 『いつか陽のあたる場所で』はシリーズの第1巻で、この後、『すれ違う背中を』『いちばん長い夜に』へと続いていきます。 (画像リンクです) (画像リンクです) 主人公のふたりは小森谷芭子が29歳、江口綾香が41歳と年齢差も大きく、出身も、育ちも、犯した罪も違います。 それでもお互いだけがお互いの「過去」を知っている身。かばい合い、支え合いながら再起を図る。 んですけど。 そうは簡単にいかないのが、「世間」ってもの。パン屋に弟子入りした綾香は、どんくさいと叱られまくってるし、芭子はアルバイトもできないくらい内気なのに、お巡りさんに惚れられてしまうし。 女ふたりの友情物語から浮かび上がるのは、「世間」の風なのです。 どれほどの痛みを抱えていても、時間は一方通行。人生は前にしか進めません。過去にとらわれるよりも、ただ“いま”という瞬間を一所懸命生きるしかない。 せつなさがあふれて、谷中で本当にふたりが暮らしているような気がしてしまいました。 完結編の『いちばん長い夜に』で描かれる震災の出来事は、実際に乃南さんが取材中に経験したことだそう。 震災が表現者に与えた影響は、計り知れないものだったことが感じられます。乃南さんも、凄みを増したかも。 クスッと笑えて、ホロッとする、やさしい気持ちになれるシリーズです。ぜひ!