「きみは本当にいい目をしているね」
ソル・ギョングのひと言で、イ・ジュンイク監督の映画「玆山魚譜 チャサンオボ」への出演が決まったピョン・ヨハン。
流刑の身である元官僚と、一介の漁師という、身分も年齢も違うふたりが、友情を結び、師弟として、共に学ぶ喜びを知っていく物語です。
全編白黒作品ということで、(寝ちゃうかも……)と思っていましたが、いやー夢中になってしまいました。
☆☆☆☆☆
映画「玆山魚譜 チャサンオボ」
☆☆☆☆☆
キリスト教が迫害されていた19世紀初頭の朝鮮王朝時代、熱心な教徒だった天才学者のチョン・ヤクチョンは最果ての島に流刑になる。豊かな海と自然に恵まれた島での暮らしの中で、ヤクチョンは海の生物たちの魅力にとりつかれていく。庶民のための海洋学書を書き記したいと考えたヤクチョンは、島民の誰より海の生物に詳しい若き漁夫チャンデと出会う。やがて2人は師弟であり、友である関係となるが……。
大きな歴史的事件を扱いながらも、そこに関わった「人」を中心に映画を撮ってきたイ・ジュンイク監督。今回のタイトルは、読み方さえ分からん地味さです。
「玆山魚譜」とは。
玆山:島の名前である「黒山」の当て字
魚譜:海洋生物百科事典のこと
この漢字の韓国語読みが「チャサンオボ」。英語タイトルはスッキリと「The Book of Fish」なので、こっちのが意味は分かりやすいかもしれません。
映画の舞台である「黒山島」は、韓国の南西部にある島です。
当たり前といえば、当たり前なんですが、島なので、海の恵みが豊かなんです。そんなところに流刑されて、失意のドン底かと思いきや、目の前に広がる自然に好奇心いっぱいなのが、ソル・ギョング演じるチョン・ヤクチョン。実在の人物です。
(画像は映画.comより)
ヤクチョンが罪人であり、クリスチャンということで、不信感と反発心がいっぱいだったところから、傾倒していき、やがて巣立っていく弟子のチャンデは、ピョン・ヨハンが演じています。チャンデについては詳しいことは分かっておらず、「玆山魚譜」の前書きに登場する程度の情報しかなかったそう。
(画像は映画.comより)
もう、このふたりの掛け合いが最高によかった。笑いと苦味、挫折と夢、頑なさと弱さが混じり合った交流が、映画のキモです。
「パラサイト 半地下の家族」の家政婦役イ・ジョンウンは、今回もせっせとヤクチョンの世話をする役です。
(画像はKMDbより)
そして「エクストリーム・ジョブ」のリュ・スンリョン、「国家が破産する日」のチョ・ウジンをはじめ、チェ・ウォニョン、チョン・ジニョンら、韓国コンテンツを支える名優たちが、多く「友情出演」しています。これはやっぱり、イ・ジュンイク監督の作品に出たい……ということなのでしょうね。
(画像は映画.comより)
時は、イ・サン=正祖が亡くなり、息子の純祖の時代です。日本と同じようにキリスト教への弾圧があり、ヤクチョンの弟は処刑されています。
ヤクチョン自身は生き延び、島へと流され、そこでチャンデという、独学で漢字を学んできた青年と出会うのです。
魚のことを教えてくれ。
この一説を解説してくれ。
そんな「取り引き」から始まったふたりの交流。一度学ぶ喜びを知ってしまったら、気持ちは止められない。チャンデは、学ぶことで女性への態度が変わり、言葉遣いが変わっていく。人間性が高まっていく様子が、よく伝わってきました。
(画像は映画.comより)
だけど庶子である彼は、科挙を受けることができないんです。チャンデに出世欲が芽生えたことで、師弟関係は変化していきます。
クソ感満載の父親との葛藤を乗り越え、夢を叶えるのか。
そして、ヤクチョンの流刑はいつ解かれるのか。
水墨画のようなダイナミックさと繊細さがあふれる映像をバックに、身分違いのふたりの男の友情はいかに……というストーリー。
ちょっと話は変わりますが、韓国のネットスラングとして一時期話題になった言葉に「泥のスプーン」というのがあります。お金持ちを意味する「シルバースプーン」に対する言葉として生まれたそう。「泥」なので、何もすくえない「ハズレ」の意味です。
むかしの財閥家族を描いた韓国ドラマは、「シルバースプーン」の人の中に、異端としての庶民が混じることによる対立が主なテーマでした。
「製パン王キム・タック」や、「ロイヤルファミリー」なんて、まさに異端排斥の愛憎劇でした。
ここから、最近のドラマはテーマが変化してきたなと感じています。階層が固定化され、階層同士の対立になってきたんではないかと思うのです。「パラサイト 半地下の家族」はもちろん、「イカゲーム」なんてまさに、な話でしたよね。
階層を移動することができない絶望が、韓国の若者をして「N放世代」と言わしめるのですけど、「玆山魚譜」のヤクチョンもチャンデも、同じ状況だったのではないか、と思います。
ひとりは、罪人として転落し、元の階層に戻ることができない。
もうひとりは、庶子のため上の階層に上昇することができない。
そんな絶望的な状況の中でも、庶民のために「お魚事典」を作ろうとしたヤクチョンは、「置かれた場所で咲きなさい」を実践したようなもの。
それは、あきらめでもなく、絶望でもなく、ただ自分にできることをやって、「いま」を生きようとしていた、といえるのかもしれません。
わたしは「オレの辞書に“ライフハック”という言葉はないぜ」的な役ばかり演じるソル・ギョングが大好きで、彼の出演作品はほとんど観ています。今回の映画でもやはり魅せてくれたなーとしみじみしました。
韓国映画評論家協会賞に続いて、第42回青龍映画賞でも主演男優賞を受賞。ピョン・ヨハンも涙ぐみながら祝福したそう。
「きみは本当にいい目をしているね」
ふたりの“いい目”をした男たちの物語。酔わされました。
映画「玆山魚譜 チャサンオボ」126分(2021年)
監督:イ・ジュンイク
脚本:キム・セギョム
出演:ソル・ギョング、ピョン・ヨハン、イ・ジョンウン、リュ・スンリョン、チョ・ウジン、チェ・ウォニョン、チョン・ジニョン、カン・ギヨン、ミン・ドヒ、キム・ウィソン
コメント
コメントを投稿