スキップしてメイン コンテンツに移動

映画「玆山魚譜 チャサンオボ」#869


「きみは本当にいい目をしているね」

ソル・ギョングのひと言で、イ・ジュンイク監督の映画「玆山魚譜 チャサンオボ」への出演が決まったピョン・ヨハン。

流刑の身である元官僚と、一介の漁師という、身分も年齢も違うふたりが、友情を結び、師弟として、共に学ぶ喜びを知っていく物語です。

全編白黒作品ということで、(寝ちゃうかも……)と思っていましたが、いやー夢中になってしまいました。

☆☆☆☆☆

映画「玆山魚譜 チャサンオボ」

公式サイト
https://chasan-obo.com/

☆☆☆☆☆

<あらすじ>
キリスト教が迫害されていた19世紀初頭の朝鮮王朝時代、熱心な教徒だった天才学者のチョン・ヤクチョンは最果ての島に流刑になる。豊かな海と自然に恵まれた島での暮らしの中で、ヤクチョンは海の生物たちの魅力にとりつかれていく。庶民のための海洋学書を書き記したいと考えたヤクチョンは、島民の誰より海の生物に詳しい若き漁夫チャンデと出会う。やがて2人は師弟であり、友である関係となるが……。


大きな歴史的事件を扱いながらも、そこに関わった「人」を中心に映画を撮ってきたイ・ジュンイク監督。今回のタイトルは、読み方さえ分からん地味さです。

「玆山魚譜」とは。

玆山:島の名前である「黒山」の当て字
魚譜:海洋生物百科事典のこと

この漢字の韓国語読みが「チャサンオボ」。英語タイトルはスッキリと「The Book of Fish」なので、こっちのが意味は分かりやすいかもしれません。

映画の舞台である「黒山島」は、韓国の南西部にある島です。


「黒山島」には行ったことないけど、ぜったいお魚がおいしいでしょ!というロケーションですよね。

当たり前といえば、当たり前なんですが、島なので、海の恵みが豊かなんです。そんなところに流刑されて、失意のドン底かと思いきや、目の前に広がる自然に好奇心いっぱいなのが、ソル・ギョング演じるチョン・ヤクチョン。実在の人物です。

(画像は映画.comより)

ヤクチョンが罪人であり、クリスチャンということで、不信感と反発心がいっぱいだったところから、傾倒していき、やがて巣立っていく弟子のチャンデは、ピョン・ヨハンが演じています。チャンデについては詳しいことは分かっておらず、「玆山魚譜」の前書きに登場する程度の情報しかなかったそう。

(画像は映画.comより)

もう、このふたりの掛け合いが最高によかった。笑いと苦味、挫折と夢、頑なさと弱さが混じり合った交流が、映画のキモです。

「パラサイト 半地下の家族」の家政婦役イ・ジョンウンは、今回もせっせとヤクチョンの世話をする役です。

(画像はKMDbより)

そして「エクストリーム・ジョブ」のリュ・スンリョン、「国家が破産する日」のチョ・ウジンをはじめ、チェ・ウォニョン、チョン・ジニョンら、韓国コンテンツを支える名優たちが、多く「友情出演」しています。これはやっぱり、イ・ジュンイク監督の作品に出たい……ということなのでしょうね。

(画像は映画.comより)

時は、イ・サン=正祖が亡くなり、息子の純祖の時代です。日本と同じようにキリスト教への弾圧があり、ヤクチョンの弟は処刑されています。

ヤクチョン自身は生き延び、島へと流され、そこでチャンデという、独学で漢字を学んできた青年と出会うのです。

魚のことを教えてくれ。

この一説を解説してくれ。

そんな「取り引き」から始まったふたりの交流。一度学ぶ喜びを知ってしまったら、気持ちは止められない。チャンデは、学ぶことで女性への態度が変わり、言葉遣いが変わっていく。人間性が高まっていく様子が、よく伝わってきました。

(画像は映画.comより)

だけど庶子である彼は、科挙を受けることができないんです。チャンデに出世欲が芽生えたことで、師弟関係は変化していきます。

クソ感満載の父親との葛藤を乗り越え、夢を叶えるのか。

そして、ヤクチョンの流刑はいつ解かれるのか。

水墨画のようなダイナミックさと繊細さがあふれる映像をバックに、身分違いのふたりの男の友情はいかに……というストーリー。


ちょっと話は変わりますが、韓国のネットスラングとして一時期話題になった言葉に「泥のスプーン」というのがあります。お金持ちを意味する「シルバースプーン」に対する言葉として生まれたそう。「泥」なので、何もすくえない「ハズレ」の意味です。

むかしの財閥家族を描いた韓国ドラマは、「シルバースプーン」の人の中に、異端としての庶民が混じることによる対立が主なテーマでした。

「製パン王キム・タック」や、「ロイヤルファミリー」なんて、まさに異端排斥の愛憎劇でした。

(画像リンクです)

ここから、最近のドラマはテーマが変化してきたなと感じています。階層が固定化され、階層同士の対立になってきたんではないかと思うのです。「パラサイト 半地下の家族」はもちろん、「イカゲーム」なんてまさに、な話でしたよね。


階層を移動することができない絶望が、韓国の若者をして「N放世代」と言わしめるのですけど、「玆山魚譜」のヤクチョンもチャンデも、同じ状況だったのではないか、と思います。

ひとりは、罪人として転落し、元の階層に戻ることができない。

もうひとりは、庶子のため上の階層に上昇することができない。

そんな絶望的な状況の中でも、庶民のために「お魚事典」を作ろうとしたヤクチョンは、「置かれた場所で咲きなさい」を実践したようなもの。

それは、あきらめでもなく、絶望でもなく、ただ自分にできることをやって、「いま」を生きようとしていた、といえるのかもしれません。

わたしは「オレの辞書に“ライフハック”という言葉はないぜ」的な役ばかり演じるソル・ギョングが大好きで、彼の出演作品はほとんど観ています。今回の映画でもやはり魅せてくれたなーとしみじみしました。

韓国映画評論家協会賞に続いて、第42回青龍映画賞でも主演男優賞を受賞。ピョン・ヨハンも涙ぐみながら祝福したそう。

「きみは本当にいい目をしているね」

ふたりの“いい目”をした男たちの物語。酔わされました。


映画「玆山魚譜 チャサンオボ」126分(2021年)

監督:イ・ジュンイク

脚本:キム・セギョム

出演:ソル・ギョング、ピョン・ヨハン、イ・ジョンウン、リュ・スンリョン、チョ・ウジン、チェ・ウォニョン、チョン・ジニョン、カン・ギヨン、ミン・ドヒ、キム・ウィソン


コメント

このブログの人気の投稿

映画「新しき世界」#293

「アメリカに“ハリウッド”があるように、韓国には“忠武路”という町があります」 第92回アカデミー賞で 「パラサイト 半地下の家族」 が脚本賞を受賞した時、ポン・ジュノ監督と共同で脚本にあたったハン・ジュヌォンは、そう挨拶していました。「この栄光を“忠武路”(チュンムノ)の仲間たちと分かち合いたい」。泣けるなー! ハン・ジュヌォンのスピーチ(1:50くらいから) アメリカにハリウッドがあるように、韓国には忠武路というところがあります。わたしはこの栄光を忠武路の仲間たちと分かち合いたいと思います。ありがとう! #アカデミー賞 https://t.co/LLK7rUPTDI — mame3@韓国映画ファン (@yymame33) February 10, 2020 1955年に「大韓劇場」という大規模映画館ができたことをきっかけに、映画会社が多く集まり、“忠武路”(チュンムノ)は映画の町と呼ばれるようになりました。 一夜にしてスターに躍り出る人や、その浮き沈みも見つめてきた町です。 リュ・スンワン監督×ファン・ジョンミンの映画「生き残るための3つの取引」での脚本が評価されたパク・フンジョン。韓国最大の映画の祭典で、最も権威のある映画賞である「青龍映画賞」で、彼自身は脚本賞を受賞。映画も作品賞を受賞し、一躍“忠武路”の注目を浴びることに。 そうして、自らメガホンを取った作品が「新しき世界」です。 ☆☆☆☆☆ 映画「新しき世界」 Amazonプライム配信 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 韓国最大の犯罪組織のトップが事故死し、跡目争いに突入。組織のナンバー2であるチョン・チョンは、部下のジャソンに全幅の信頼を寄せていますが、彼は組織に潜入した警察官でした。この機会にスパイ生活を止めたいと願い出ますが、上司のカン課長の返事はNO。組織壊滅を狙った「新世界」作戦を命じられ……。 あらすじを読んでお分かりのように、思いっきり「ゴッドファーザー」と「インファナル・アフェア」のミックスジュース特盛り「仁義なき戦い」スパイス風味入りです。 無節操といえばそうですけれど、名作のオマージュはヘタをすると二番煎じの域を出なくなっちゃうと思うんです。よいところが薄まっちゃうというか。人気作の続編が、「あれれ?」となるのもそうですよね。ですが。 名作と名作を合わせたら、一大名作が...

『JAGAE 織田信長伝奇行』#725

歴史に「if」はないというけれど。 現代にまで伝わっている逸話と逸話の間を、想像の力で埋めるのは、歴史小説の醍醐味かもしれません。 『陰陽師』 の夢枕獏さんの新刊『JAGAE 織田信長伝奇行』は、主人公が織田信長です。 旧臣が残した『信長公記』や、宣教師の書いた『日本史』などから、人間・信長の姿を形にした小説。もちろん、闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”も登場。夢枕版信長という人物の求心力に、虜になりました。 ☆☆☆☆☆ 『JAGAE 織田信長伝奇行』 https://amzn.to/2SNz4ZI ☆☆☆☆☆ 信長といえば、気性が荒く、残忍で、情け容赦ないイメージがありました。眞邊明人さんの『もしも徳川家康が総理大臣になったら』には、経済産業大臣として織田信長が登場します。首相である家康を牽制しつつ、イノベーターらしい発想で万博を企画したりなんかしていました。 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』#687   『JAGAE』は、信長が14歳の少年時代から始まります。不思議な術をつかう男・飛び加藤との出会いのシーンが、また鮮烈なんです。人質としてやって来た徳川家康をイジる様子、子分となった秀吉との出会いなどなど。 信長のもとに常に漂う、血の臭い……。 これに引きつけられるのは、蚊だけではないのかも。 おもしろいのは、一度も合戦シーンが出てこないことです。信長のとった戦術・戦略は、実は極めてオーソドックスなものだったそう。そこで戦よりも、合理主義者としての人物像を描いているのではないか、と思います。 小説の基になっている『信長公記』は、旧臣の太田牛一が書いた信長の一代記です。相撲大会を好んで開催していたことなどが残っているそうで、史料としての信頼も高いと評価されているもの。 そんな逸話の間を想像で埋めていくのです。なんといっても、夢枕獏さんの小説だから。闇が闇としてあった時代の“妖しいもの”が楽しみなんです。 タイトルになっている「JAGAE」とは、「蛇替え」と書き、池の水をかき出して蛇を捕えることを指しています。 なんだかテレビ番組になりそうな話なんですけど、実際に領民が「大蛇を見た~」と騒いでいたことを耳にした信長が、当の池に出張っていって捜索したという記録が残っているのです。 民衆を安心させるための行動ともいえますが、それよりも「未知なるもの」への...

校閲レディの仕事術 Part II・「読み方」について

突然ですが、こちらの文章を読んでみてください。 「こんにちは 皆さんお元気ですか? 私は元気です。」 と読んだ方、もう一度、一文字ずつ読んでみましょう。 「あれ? あぁぁ!」 と、なった方、これからご紹介する 「校正的読み方」 をぜひご覧ください。 決して、意地悪したわけではないですよ! 今日は校閲レディの仕事術 Part IIとして、文字の「読み方」について書いてみたいと思います。 Part Iはこちらから。 校閲レディの仕事術・校正ってどうやってやるの? Part I   「校正的読み方」:どう見るのか 上の文章をスルリと読めるのは、「Typoglycemia」という現象だそうです。 「Typoglycemia」とは、単語の最初と最後の文字が合っていれば、中の文字が入れ替わっても読めてしまう現象のこと。 ずいぶん前に話題になりましたよね。まだ日本語の名称はないそうですが、要するに、「そら目」しちゃうということかと思います。 デジタル世界では、「こんちには」と「こんにちは」はまったくの別物。読み間違いという現象は起きません。 それはそれでいいのですが、人間がそれをやると疲れてしまいます。だから、“だいたい”のところで“ふんわり”と把握する能力は、生きる知恵なのではないかとわたしは感じるのです。 この大雑把でゆる~い感じはO型人間にとって、とてもうれしい! 大好き! サイコー! なんですが。 校閲レディとして仕事をする時は、この技は使えません。 ダメ。絶対。 校正の読み方とは、こちらです。 1 字 ず つ つ ぶ す なぜ、「つぶす」と呼ぶのか? 理由はよく分かりませんが、色鉛筆でひと文字ずつマークしていくので、確かに「つぶしている感」はある気がします。 webの短い記事を校正する時は、色鉛筆を使いますが、書籍などの長い文章を校正する時は、使いません。たぶん、疲れちゃうからでしょうね。 Part I で書いたように、校正の作業の流れは下記のとおりです。 <校正の流れ> 1 情報確認 2 資料合わせ 3 素読み 4 整合性 5 ネガティブチェック そして、どの作業においても、 1 字 ず つ つ ぶ す のです。 大変でしょ?笑 でも、残念ながら、校正のすべては、このひと言に尽きるのです。 「校正的読み方」:何を見るのか 1字ずつマークするだけなら簡単なのです...