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『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』#991

「雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる」は、間違い。 これを知って、かなり驚きました。 抜いても抜いても生えてきて、なんでこんなところから?と思うような場所からも顔を出してくる雑草。踏まれて倒れたぐらいでは、へこたれない。これほど「強い」草はないと思っていたのに! 雑草を研究しているという、静岡大学教授の稲垣栄洋さんの本『はずれ者が進化をつくる』に紹介されていた、「雑草魂」というか、「雑草戦略」には学ぶところが多かったです。 ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる --生き物をめぐる個性の秘密』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 『はずれ者が進化をつくる』などを出している「ちくまプリマー新書」は、「ちくま新書」の姉妹レーベルという位置づけだそうで、ラインナップにはヤングアダルト向けの本が並んでいます。 2018年には既刊本が300点を超えたそうで、特設サイトがありました。稲垣栄洋さんの本も「五本柱」のひとつに選ばれています。 ちくまプリマー新書 祝★300点突破!   ティーンエイジャーが対象なので、語り口がやさしい本が多いのが特徴。大人が読んでも十分におもしろいです。 植物はもちろん、地球上の生物は「違うこと」に価値をおいてきました。これはあくまでバラバラなのであって、優劣ではありません。 バラバラではあるけれど、中央値みたいな生存適性はあって、隅っこには「はみだしもの」もいます。で、環境などの変化が起きたとき、この「はみだしもの」が生き延び、そしてまたその「はみだしもの」が中央値となり、あらたな「はみだしもの」が生まれ……というように、生物は進化してきました。 だけど現代の人間たちは「ナンバーワンよりオンリーワン」と言ってみたり、「いやいやそれじゃ甘いよ、やっぱりナンバーワンじゃなきゃ」と言ってみたりする。 そして、 わたしのオンリーワンってなんだっけ? 自分らしさってどういうこと? 個性を出せってどうすればいいの? といった悩みを抱えてしまうのです。 「考える葦」である人間って、自分で悩みを作り出しているようなもんなんですね……。 冒頭に書いた雑草の戦略「雑草は踏まれても立ち上がらない」。 雑草にとっては「立ち上がる」ことが大事なのではなく、「種を残す」ことが目標だから、立ち上がらない方がよければ、横に伸びたり、根を伸ばしたりして、目的を果たすのだそう。 立ち上

『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』#989

振り返ってみると、動物の出てくる物語をたくさん読んでいることに気が付きました。 『火狩りの王』のようなファンタジーには動物がつきものですし、動物の妖怪が人間のふりをして暮らしている『しゃばけ』みたいな小説もある。 『火狩りの王』#735   とぼけた味の妖たちが大活躍 『しゃばけ』 #497   ミステリーの世界でも「三毛猫ホームズ」シリーズは大好きだったし、ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』も好きでした。 一方で、荻原規子さんの『グリフィンとお茶を』みたいな「魔法生物」に関するエッセイも大好物です。 『グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~』#946   現実(?)に近い話でも、佐々木倫子さんのマンガ『動物のお医者さん』とかおもしろかったですよね。チョビを飼いたかったけど、散歩が大変そうだから断念しました。 もっとリアルに大変そうで、でも愉快でシビアな現場が、鳥取環境大学の研究室です。小林朋道教授によって「森の人間動物行動学先生!」シリーズは、10巻を超えています。 今日ご紹介するのは、記念すべき10巻目の『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』です。 ☆☆☆☆☆ 『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 小林朋道教授は動物行動学者で、ヒトと自然の精神的なつながりなどを研究しておられるそう。 研究室にある水槽に新しいお客さまをお迎えし、「お・も・て・な・し」をしたときの話が、タイトルになっている「イソギンチャクが腹痛を起こしちゃった」事件です。 そもそも動物の生態(陸の動物も、海の生き物も)って、分からないことがこんなに多いんですね。人間ならインタビューという手法が使えますが、相手は動物。好きな餌も、心地よい環境も、ひとつずつトライ&エラーを繰り返して発見していくんです。 その過程が……。 笑いしかなかった! 教授自身が腹痛を抱えながら、珍しいコウモリに会えるかもしれない洞窟に調査に行くなど、研究者魂を感じさせるエピソードもあり、ヒトも動物も、生きることに熱心だなーという世界です。 最初に出版されたのは『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』ですが、内容にあまりつながりはないので、どれから読んでも大丈夫。 人間は生きて生活しているだけで環境汚染の原因をつくっている、といわれているいま。自然と

『いつか陽のあたる場所で』#988

日本は「弱者」にやさしくない社会になってしまった、と言われています。 別にキビキビ・シャキシャキできることだけが、人間の存在価値じゃないだろうと思いますが、「自分の基準」に満たない人を排除し、邪魔者扱いするようになってしまったのは、いつからなのだろう? 乃南アサさんの小説『いつか陽のあたる場所で』の主人公は、罪を犯して刑務所で出会ったというふたりの女性です。 出所後、東京の谷中で新しい人生を始めたふたり。後ろ暗い過去は、どこまでも足かせになってしまう。劣った者としてないがしろにされ、ドン底まで落ちた過去の痛みを抱えたふたりの再生は叶うのか……。 ☆☆☆☆☆ 『いつか陽のあたる場所で』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 乃南アサさんはサスペンスのイメージが強かったのですが、『いつか陽のあたる場所で』は、友情と再生をユーモラスに描いています。 『いつか陽のあたる場所で』はシリーズの第1巻で、この後、『すれ違う背中を』『いちばん長い夜に』へと続いていきます。 (画像リンクです) (画像リンクです) 主人公のふたりは小森谷芭子が29歳、江口綾香が41歳と年齢差も大きく、出身も、育ちも、犯した罪も違います。 それでもお互いだけがお互いの「過去」を知っている身。かばい合い、支え合いながら再起を図る。 んですけど。 そうは簡単にいかないのが、「世間」ってもの。パン屋に弟子入りした綾香は、どんくさいと叱られまくってるし、芭子はアルバイトもできないくらい内気なのに、お巡りさんに惚れられてしまうし。 女ふたりの友情物語から浮かび上がるのは、「世間」の風なのです。 どれほどの痛みを抱えていても、時間は一方通行。人生は前にしか進めません。過去にとらわれるよりも、ただ“いま”という瞬間を一所懸命生きるしかない。 せつなさがあふれて、谷中で本当にふたりが暮らしているような気がしてしまいました。 完結編の『いちばん長い夜に』で描かれる震災の出来事は、実際に乃南さんが取材中に経験したことだそう。 震災が表現者に与えた影響は、計り知れないものだったことが感じられます。乃南さんも、凄みを増したかも。 クスッと笑えて、ホロッとする、やさしい気持ちになれるシリーズです。ぜひ!

『言葉のズレと共感幻想』#985

「言葉のやり取りはたくさんあるのに、意味のやり取りは行われていない」 『具体と抽象』の細谷功さんと、マンガ編集者の佐渡島庸平さんが対談した『言葉のズレと共感幻想』には、たくさんのドキリとする指摘があります。 冒頭の一文は、佐渡島さんの言葉で、深まることのないまま続いていく会話は、猿の毛づくろいみたいだとして、バッサリ……。 厳しい言葉もありますが、人間にしかできないコミュニケーションを、「on」にするためのヒントが見つかるかもしれません。 ☆☆☆☆☆ 『言葉のズレと共感幻想』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 観察力を上げるトレーニングをしている佐渡島さんから、日常の不思議、コミュニケーションへの疑問などが挙げられ、細谷さんがその事象を分析したり質問したりしながら話は進みます。 「誰かへの共感は、共感している自分に酔いしれているだけでは」 「人は目の前のものが見えていると思い込んでいて、立ち止まって考えずに済ませている」 などなど、厳しいなーと思ってしまうのは、自分に心当たりがあるから。 おもしろかったのは「共感エコノミーと共感格差」の章でした。 「いいね」をひとつのエコノミー指標と考えると、その偏りは富の分配よりもはるかに大きいかもしれないという指摘です。 現代では多くの人がSNSの「アカウントを持っている」状態ですが、実際に発信している人は少数、そこで「いいね」をもらえる人なんてもっと少数、ましてや「バズる」ことなんて、ごくごく少ない。 そのため、多くの「いいね」を集めるインフルエンサーの発言力・影響力は増しています。 この、「共感格差」はどこから生まれるのか。 “細谷:人そのものに共感しているかはわかりませんが、行為に集中しているように見えます。共感される人は、日々の行動の中に共感されるような要素があるわけで、日々の行動というのは繰り返されるはずだから、どんどんそこに共感が集まっていく構図になるんでしょう。” ただ、ここで共感を集める人は、普通の会社にいたら協調性がなくてはみ出してしまうような人かも、とも。 わたしは安易に「分かる」と言わないようにして、言葉に対する感度を上げようと意識しています。 本にも出てきますが、「まきこむ」という言葉も好きじゃないので使いません。ベンチャー界隈ではよく使われる言葉ですが、すごく違和感がある。「まきこまれる側」の主体性がな

『言葉を育てる―米原万里対談集』#982

文章を書き始めたころ、強く勧められて読んでみて大ファンになった方が、ふたりいました。 ひとりは、読売新聞で「編集手帳」を担当された竹内政明さん。「起承転結」の鮮やかな、コラムのお手本のような文章。ずっと仰ぎ見ている方です。 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981   そしてもうひとりが、ロシア語通訳から作家へと転身された米原万里さんです。 ロシアをはじめとする、さまざまなお国の民族性と食を巡るエッセイ『旅行者の朝食』は、以前紹介していました。「米原万里といえば大食漢」と言われるほど、食いしん坊だったそうです。 いま見たら、ちょうど2年前に書いたのでした。 ブラックユーモアと生きるための知恵 『旅行者の朝食』 #255   2006年に亡くなられ、もう新作が読めないなんて、信じられない……と、ずっと感じています。ロシアのウクライナ侵攻を、彼女はどう評しただろうと思ってしまいますね。 おそらく、毒いっぱいのユーモアを入れつつ、剛速球のど真ん中へボールを投げ込んだんじゃないでしょうか。 傍若無人なヒューマニストと呼ばれた米原万里さん。最初で最後の対談集『言葉を育てる―米原万里対談集』でも、小森陽一さんや、林真理子さん、辻元清美さんに、糸井重里さんら、錚々たるお相手に、豪快な球を投げ込んでいました。 ☆☆☆☆☆ 『言葉を育てる―米原万里対談集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 米原さんはご両親の仕事の都合により、小学生のころ、プラハにあるソビエト学校に通うことになります。多国籍で、多彩・多才な同級生に囲まれた日々。米原さんの鋭い分析力と俯瞰力、観察力、そして女王様力は、こうした環境に身をおいたことでついたものなのでしょう。 日本に戻って、ロシア語通訳として活躍。エッセイストとなってからは、プラハでの日々を綴った『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。 こちらは米原さんの好奇心と包容力、負けん気と追求心が感じられるエッセイです。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (画像リンクです) すでに確立された実績があるのに、新しいことを始め、奇想天外なアイディアを生み出し、猫と犬と暮らす。 奔放にも、豪快にも思える生き方は、これぞ他者に評価されることを潔しとせず、自分の価値観で自分の人生を生きるってことなんだなーと思います。 タイトルにある「言葉

『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981

いまの流行と、自分の理想。そのギャップにずっと悩んできました。 「#1000日チャレンジ」を始める前、通っていたライター講座で、何度か講師の方から(参加者からも)言われた言葉がありました。 「自分が好きなライターの文章を“写経”するといいですよ」 やりました。何人ものライターさんの、何本もの記事。でもぜんぜんしっくりこない。好きなライターさんだけでなく、人気のライターさん、バズっている記事も“写経”してみましたが、やっぱり何かが腑に落ちない。 悩み続けて、やっと原因が分かりました。 ウェブで読まれるコラムと、わたしが理想とするコラムは、構造が違うことに。 「紙」で育った世代のせいか、わたしは「起承転結」のある文章が好きです。中でも「起」から「転」への角度が急であるほど、「おおっ!」という思いが強くなる。すべての流れを受ける「結」には、ジグソーパズルの最後のピースがピタッとはまるような快感がある。 読売新聞の「編集手帳」を担当された竹内政明さんのコラムは、ドンピシャでわたしの理想でした。 ☆☆☆☆☆ 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 竹内さんは、読売新聞社に入社後、財政、金融などを担当して、1998年から論説委員を務められました。 新聞社などでよく見る肩書きの「論説委員」。似たものに「編集委員」がありますよね。 専門の分野のコラムや記事を書くのが「編集委員」、社説などで社の論調を書くのが「論説委員」なのだそう。 なんかすごそう……な肩書きですが、竹内さんのコラムは徹底した「下から目線」なんです。 “私の書くコラムというのはよくへそ曲がりだといわれまして、大体電報と一緒で、勝った人にそっけないんですね。負けた人に手厚い。” たとえばソチ・オリンピックの期間、「勝った」選手を取り上げたのは2回しかなかったと綴っておられます。 歌舞伎に落語、相撲や童謡など、時には町で耳にした子どもの言い間違いから話が始まり、時事問題へとつながっていく。 深い教養があるからこそ、こうした「起」を書き出せるのでしょうね。 構成の練り具合、言葉の選び方、目線のやさしさに惚れてしまい、読売新聞は読んでないけど、竹内さんのことはずっと尊敬しているという、おかしな具合になっています。 ただ、会社の後輩(20代女性)3人に『「編集手帳」傑作選』の1本を読んでもらったところ

映画「2階の悪党」#980

韓国に留学していたころ、とても驚いたことがありました。 なんで韓国で売っている「ブラジャー」は、こんなに小さいの!? 当時、日本では「上げて、寄せる」タイプが主流だったと思いますが、韓国で売っているのは「小胸」に見せるタイプばかり。「上げて、寄せる」希望がないわたしにはちょうどよかったのですが、考え方の違いが気になって友人に聞いてみました。 「もともと身体のラインを強調するような服は、あんまりないかもねー」 テレビでは、オム・ジョンファが身体のラインをめっちゃ強調しながら歌い踊っておりましたが、普通の市民はそういう発想をもっていない時期だったのかもしれません。 そして、むかしのドラマにもグラマラスな俳優は、あんまりいなかったような気がします。 いまでは韓国にも「盛る」タイプの下着が出ていて、身体のラインを見せつける演出も出てきましたね。 中でもキム・ヘスには圧倒されます。 映画「10人の泥棒たち」では、“大人のオンナ”を強調した姿を見せていました。 「オーシャンズ」好きならこれ! 映画「10人の泥棒たち」 #139   ハン・ソッキュと共演した「2階の悪党」では、夫を亡くして茫然自失……のはずが、やけに色っぽいママを演じています。 ☆☆☆☆☆ 映画「2階の悪党」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 夫が急に亡くなり、経済的に困窮したヨンジュ。2階の空き部屋を「作家」と名乗る男チャンインに貸し出すことにする。しかし、ことあるごとに1階をのぞき込もうとするチャンインに不信感を抱くように。ある日、執筆のためにヨンジュにインタビューしたいと言いだして……。 サスペンスとドタバタコメディの掛け合わせを狙っていたのでしょうけれど、正直に言ってどちらにも振り切れずに終わった……感はあります。 韓国で公開された時にも、興行が振るわなかった模様。ただ、後になって評価する声が上がるようになったのだとか。 監督は「シークレット・ジョブ」のソン・ジェゴン監督。こちらがひたすらコミカルに振り切った脚本だったので、やはり「2階の悪党」から一皮むけた感じはしますね。 映画「シークレット・ジョブ」#842   わたしとしては、とにかくキム・ヘス姐さんのズレっぷりに笑いました。 夫に先立たれ、娘は反抗期真っ最中。周囲の男たちは、みんな自分に「説教」しようとしているように感じているんです。

ドラマ「未成年裁判」#979

少し前に「韓国ドラマのような恋がしたい」という内容のキャンペーンが行われていました。 ……ってマジですか!? と思ったんですよね。 もれなく「初恋の思い出」とか「毒親」とか「ワケアリ家族」がついてきますよ? 時には恋した相手が「オバケ」だったりもしますよ? なーんてね。 韓国ドラマのドラマチックに煽るスキルはラブコメに強く発揮されますが、最近は心臓をヒンヤリさせる社会派ドラマをかぶりつきで観てしまいます。 韓国のサスペンスドラマに、実話を基にした作品が多いのは、視聴者も当時を思い出して観てしまうからかもしれません。 制作にあたっては、被害者の家族に事前説明をして、同意をいただくそうですが、映画などでは裁判になったりもしていました。 たしかに、忖度なしに思い切った表現で切り込む姿勢は、韓国ドラマならではだなと思います。 最近配信されたドラマの中では、「未成年裁判」がダントツにしびれました。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「未成年裁判」 Netflixサイト: https://www.netflix.com/title/81312802 ☆☆☆☆☆ <あらすじ> ヨンファ地裁の判事に赴任したシム・ウンソク。13歳の少年ソンウが9歳の少年を殺してバラバラにした事件を担当することになるが、ソンウの証言が嘘だと気づく。世間の注目を集める裁判に対し、政界への転身を狙うカン部長判事はよけいなことをするなと詰め寄るが……。 「少年刑事合意部」に所属している判事はふたり。キム・ヘス演じるシム判事、キム・ムヨル演じるチャ判事です。ふたりの上司が、イ・ソンミン演じるカン部長判事。 「未成年の犯罪を憎んでいます」 そうハッキリと口にし、嫌悪感をあらわにするシム判事。 不良行為を働く少年少女たちに同情的なチャ判事。 20年勤めた裁判所から、次のステップに移ろうとしているカン判事。 3人の思惑と対決が、前半の見どころ。 後半はここに、イ・ジョンウン演じるナ判事が加わります。 (画像はNetflixより) キム・ヘス vs. イ・ソンミンが蛇とマングースな闘いだとすると、キム・ヘス vs. イ・ジョンウンは、ツキノワグマ同士の対決って感じ。 巨大名優の火花が飛び散る演技の中を、自制的で内省的なチャ判事がアワアワ動き回る構図になっていて、キム・ムヨルの穏やかさが一服の清涼剤みたいに効いてきます。 「パラサイト

『感情は、すぐに脳をジャックする』#978

「カラダは嘘をつかないけど、脳は嘘をつくんです!」 これはかつて師事していたアメリカ人映画監督の口癖で、彼女はいつも「カラダの声を聞け」と言っていました。 人間は感情の生き物といわれていますが、「こんな感情を持ってしまう自分はよくないかも……」と思ったとき、その感情に理性でフタをしようとしてしまいます。 そこで、ニコニコした表情を作っても、カラダは引いている……ということが起こる。 こんなことを繰り返していると、いつか自分の感情に鈍感になってしまうよ、という話だったと思います。そもそも感情に、善し悪しのラベルを貼ってしまうこと自体、意味のないことですし。 でも。 何かあるとすぐに不安になって、そのことが頭から離れなくなるのです。 下手をすると、一日グルグルしていたり、思い出し怒りをしていたり。ああ、こんなにも持て余してしまう自分の「感情」。上手な切り替え方法はないものでしょうか。 そんなときに読んだのが、佐渡島庸平さん、石川善樹さん、羽賀翔一さんが「感情」について語り合った『感情は、すぐに脳をジャックする』。 タイトルが、そのものズバリのドンピシャ。自分の中に湧き上がる「感情」を、ジッとみつめながら読みました。 ☆☆☆☆☆ 『感情は、すぐに脳をジャックする』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 第1章から第3章までは佐渡島さんによる、「感情」の考察論と、石川さんのコラム。第4章と第5章は、各「感情」を掘り下げて考察する鼎談です。 本の中で佐渡島さんが紹介されている、プルチック博士が考案した「感情の輪」を使ったキャラクターやストーリー作りの話がとても興味深かったです。 Wikipediaへのリンク↓ 感情の一覧 - Wikipedia   8つの基本感情と相関する「感情」を描いてから、本当に描きたかった「感情」を描けば、振り幅が大きくなって、より伝わるのではないか、という仮説です。また、少年マンガと青年マンガで描かれる「感情」の違いについての考察もありました。 人間は毎日、毎時間、毎秒、さまざまな刺激を受けて、たくさんの「感情」を抱いているはずなのですが、それはほとんど無意識のうちに流れてしまう。 特に強い「感情」だけが、一日の最後に残っているように思います。 悔しかったり、恥ずかしかったり、悲しかったり、うれしかったり。 こうした「感情」の、なにが、どこが、どうして、自

『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』#975

「ウェルビーイング」って、最近よく耳にするようになりましたが、こういう横文字はふんわりしていて意味がとらえづらい。 「ウェル」が入ってるってことは、「いい感じ」に生きようってことかな? なんて、思っておりました。 予防医学研究者の石川善樹さんによると、「ウェルビーイング」は「日本の昔話」に学ぶのがよいらしい。実際、石川さんは夜な夜な「にっぽん昔ばなし」をご覧になっているそうです。 研究者ってすごいですね……。 ☆☆☆☆☆ 『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1948年にWHOが憲章前文に「ウェルビーイング」という言葉を使っています。 健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態である ここから70年経って、現在はこういう形で理解されているそう。 ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である「満足」と、日々の体験に基づく「幸福」の2項目によって測定できる 「満足」と「幸福」は、とても主観的な価値なので、人によって違いが大きい。そのため、定義もふわっとしてみえるし、「何をどうやってこうすればウェルビーイングが上がるよ」と言い切れないものなのですね。 わたし自身、生きるにあたって「満足」でありたいし、「幸福」でありたい。 でも、「満足」がたくさんあっても飽きるかも……という気がします。 ここが日本文化の特徴なのだそう! 日本の昔話は、名もないおじいさんやおばあさんが主人公の話が多いですよね。そして、ハッピーエンドになることもなく、フッと話が終わってしまう。 これが西洋の物語だと、主人公は子どもで、冒険して宝物を見つけたり、結婚してハッピーになったりして「めでたし、めでたし」と終わります。 日本の文化は、こうした「ゼロに戻る」ことが特徴なので、そのメンタリティを受け継いでいる現代人も、西洋式の「上昇志向」よりも、日本式の「奥という感覚」を意識するほうが、心の平安を探れるのではないか、とのこと。 石川さんは「○○のためには何をしたらいいですか?」という質問をよく受けるのだそうです。こうした、「○○をする=doing」によって、「○○になる=becoming」な発想は、「因果の宗教」にハマっている状態だと指摘されています。 自分の内

『時代の風音』#973

「世界的巨匠」なんて呼ばれることを、たぶん宮崎駿監督はお嫌いなんでは……と思ったことがあります。 何者かになりたくてアニメをつくってきたわけではないだろうから。 情熱のまま、子どものように無邪気に、ガンコに物語を紡いできた姿は、鈴木敏夫さんの『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』に綴られていました。 『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』#927   そんな宮崎監督にも“若かりし頃”はあったわけで、堀田善衛さん、司馬遼太郎さんという知の巨人に挟まれて、20世紀を語りつくす鼎談『時代の風音』では、「書生役」というか、「小僧役」のような扱いをうけています。 ☆☆☆☆☆ 『時代の風音』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ ロシアや中国、イスラームに日本、近代から現代へと時代が移る中で、日本人が得たものと、失ったもの。世界が向かう方向についてなどなど、話題がとても広い。 もともと別の出版社から刊行されていた本の再版なのですけど、最初に刊行されたのが1992年。 ソ連が崩壊したのは1991年12月25日なので、まだ生々しい興奮が感じられます。堀田善衛さん曰く、ソ連は「難治の国」なのだとか。 イスラムとモンゴル族に気を使わざるを得なかったイワン雷帝。イデオロギー独裁政治から、強行着陸を目指すしかなかったゴルバチョフ。 合議制という発想がなかったのだから、そうなりますよね……。 なーんて、分かったようなことを書いていますけれど。 この鼎談、堀田さんと司馬さんの知識量が豊富すぎて、しかも怒濤なので、まったく理解できない……。笑 たとえていうなら、空中戦のドッジボールのコートにいるような感じです。ぜったい自分にボールがヒットする可能性はない。 そんな中、宮崎さんが何か言うと、かるく司馬さんにいなされてしまうシーンも。 ちょうどこの頃、映画を準備されていた宮崎さん。司馬さんからこんな質問を受けます。 司馬「今度の作品の題名はなんでしたっけ。『ピンクの豚』?(笑)」 宮崎「ヤケクソみたいな名前なんですけど『紅の豚』」 司馬「紅か。おもしろそうですね。また飛んでいくんでしょう」 ピンク……。飛んでいく……。 門前の小僧のように、何度も読めば、少しはヒットするところが出てくるのかしら。と、思いつつ、自分がふだん、いかに「分かりやすい」ものに触れているのか感じました。 難しいことを分かりやすく言えるって、すごい知

『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』#972

天災、戦争など、自分の力ではどうにもならない出来事を前にして、無力感に襲われることがあります。 2011年3月11日もそうでした。 新宿のオフィスから新宿御苑へと避難し、自転車で麻布まで行ってダンナ氏と合流。そこから車と電車と徒歩で、なんとか帰宅しました。 「うちは、倒れずに残っているかな……」 なんて話をしながら、お互いが無事であったことに感謝し、珍しく手をつないで歩きました。 いま世界ではまた、天災や戦争が起きていて、自分の力ではどうにもならない事態に打ちひしがれる日々でした。 そんなときに、南米アンデスに伝わる「クリキンディの話」を教えてもらいました。 森が火事になったとき、ほかの動物たちは急いで逃げてしまったのですけれど、ハチドリだけが、くちばしで水のしずくを運んでいる。「何をしているの?」と聞かれたハチドリは、こう答えます。 「私は、私にできることをしているだけ」 クリキンディ=ハチドリの物語は、『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』としてまとめられています。 ☆☆☆☆☆ 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ クリキンディの話は絵本の形になっていて、坂本龍一さんやC.W.ニコルさんのメッセージが収録されています。 著者の辻信一さんは、文化人類学者で環境運動家という方。クリキンディの話を英訳し、イラストレーターの方と打ち合わせをした際、善悪二元論にしてしまうのは違うのではないか、という指摘を受けたのだそう。 森の一大事にあたって、行動をしたのはハチドリだけだったわけですが、だからといってそれがエライわけでもない。 ハチドリ=正義 ほかの動物=悪 ではないところが、この物語に引きつけられる理由かなと思います。 “怒りや憎しみに身をまかせたり、人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。” 鳥類の中で最も体が小さいハチドリ。小さなくちばしで運んだ水のしずくは、本当にちょびっとだったと思います。 でも、ちょびっとがたくさん集まれば、森の火事を消し止めるのに役立つかもしれない。 そう思って、今年もスタバの「ハミングバードプログラム」に参加してきました。 「ハミングバード プログラム」とは、東日本大震災をきっかけに始まった若者支援プログラム。期間中にカードで購入すると、商品代金の1%が寄

映画「グッドモーニング・プレジデント」#970

「韓国の大統領って、退任後に行くところが決まってるよね……笑」 そんな冗談を耳にすることも多い時期。問題は、この「笑」の部分ですよね……。なんでこんなに懲りずにやらかしてしまうんだろう?と不思議に思います。 現大統領の人気は今年の5月9日まで。本日3月9日は、大統領選の投票日です。 韓国の政治ドラマは“忖度なし”の骨太な作品が多く、歴代大統領の中でもパク・チョンヒ大統領やチョン・ドファン大統領は、何度も映画に描かれています。 この時代、軍事的、政治的な事件が多かったせいでしょうね。 一方、チャン・ジン監督の「グッドモーニング・プレジデント」は、“人間”としての大統領に焦点を当てたヒューマンドラマです。 3人の大統領に仕えた青瓦台(大統領官邸)の料理人の視点で描かれる、大統領たちのあまりにも庶民的な姿。かなり笑えます。 ☆☆☆☆☆ 映画「グッドモーニング・プレジデント」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 最初に登場するのは、イ・スンジェハラボジが演じるキム大統領。退任まで半年を切り、ガツガツと手腕も発揮することもなくなってしまった、ある日。 ロトで244億ウォンが当たったーーーーー!!!!! けど。 以前、当せんしたら「全額寄付する」と公約してしまっていたのでした。なんてこったいな事態に、大いに悩んでしまう。そりゃ、そうだわ。 そんなキム大統領の跡を継いで就任したのが、チャン・ドンゴン演じるチャ大統領。 (画像はKMDbより) 若いし、切れ者だし、おまけにイケメンというエリート政治家なのですが、国家的危機の時に恋に落ち、シングルファーザーでもある大統領も、大いに悩んでしまう。いや、それどころじゃないかもよ。 そして最後に登場するのが、コ・ドゥシム演じる、「初の女性大統領」という設定のハン大統領。 映画としては4年ぶりにスクリーンに復帰したチャン・ドンゴン押しな宣伝だったと記憶していますが、一番おもしろくて、ホロリとしたのは、この3番目の大統領でした。 ハン大統領と一緒に、青瓦台で暮らすことになり、ファースト・ジェントルマン扱いを受けるようになった夫。慣れない生活に、「ちょっとだけ……」と羽目をはずして、スキャンダルを起こしてしまう。 うもーー!!!となって離婚するしかないと、大いに悩むハン大統領。うん、分かる……。 だけど、イム・ハリョンの「憎めないおっちゃん」感は最高

ドラマ「レディプレジデント〜大物」#969

今日3月8日は「国際女性デー(International Women’s Day)」です。 1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモがあり、それを記念して制定されたのだとか。 日本で女性が初めて参政権を行使したのは、1946年4月10日。戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生。 女性の参政権の獲得に尽力した市川房枝さんは、柚木麻子さんの小説『らんたん』にも登場します。戦争中の「銃後の守り」への協力と引き換えに、参政権にイエスと言わせた……ような描かれ方をしていました。初めての選挙のときは、公職追放処分を受けていて投票できなかったそう。 『らんたん』#963   2030年までに達成すべきSDGsには、「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」がありますが、日本では劇的に進んだ……ようには感じられないですね。正直に言って。 世界経済フォーラムが公表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」によると、日本の順位は156か国中120位。韓国は前年の108位から102位へと、前進しました。 家父長的な社会の空気や男性中心の組織文化、“飲みニュケーション”も盛んな韓国では、長く女性の社会進出が難しいといわれてきました。 自ら「フェミニズム大統領」と名乗った文在寅大統領が強力に「男女公正」を進めたおかげで、順位がアップしたようです。 そんな文大統領の任期も今年の5月9日まで。明日3月9日に、次の大統領を選ぶ選挙の投票が行われます。誰が選ばれるのか、今後の世界はどうなるのか、気になるところです。 かつてパク・クネ大統領が、女性として東アジア初、韓国史上初の大統領に就任した際は、どうしてもドラマ「レディプレジデント〜大物」と比べてしまいました。 コ・ヒョンジョン演じる、初の女性大統領に吹き付ける風圧に驚き、彼女を支え、10年愛を貫くクォン・サンウの純愛が光るドラマです。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「レディプレジデント〜大物」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> アナウンサー採用試験へ向かっていたソ・ヘリムは、偶然、不良少年のハ・ドヤと知り合う。数年後、ソ・ヘリムの夫がアフガニスタンで殺害され、ヘリムは番組内で政府の対応を批判。会社を辞めることに。一方のハ・ドヤは検事となり、政治家の収賄事件を調査するようになり……。

ドラマ「ミセン-未生-」#968

「心を閉じた人へ思いを伝える方法は、学校では教わらなかった。だから、がむしゃらにやってみることにした」 毎年、この時期になると見返すドラマが、「ミセン-未生-」です。 原作のWebマンガは、韓国のビジネスパーソンのバイブルと呼ばれ、数々のドラマ賞を獲得。イ・ソンミン&キム・デミョン&イム・シワンの「営業3課」が味わう悲喜こもごもに、何度も胸を熱くするドラマです。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「ミセン-未生-」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 10歳からプロ棋士になるため、修行を続けてきたチャン・グレ。父親の病気でバイトをしているうちに、入団試験に失敗しあきらめることに。 26歳でやっと、インターンから契約社員として採用されるが、高卒で何の技術もないグレは、同期の有能さに押しつぶされ、自分の無能さを知る。 配属された営業3課で、囲碁で鍛えた集中力や戦い方を活かし、少しずつ仕事を覚えていくが…… 「営業3課」は、専務に反抗したせいで、課長のまま据え置かれているオ・サンシクが率いる部署です。会社の中では「オマケ」扱い。演じるキム・デミョンの寝癖が、「こんなオッチャンいるいる~」な感じです。 唯一の部下キム・ドンシク代理を演じるのは、キム・デミョン。週末はお見合いに励んでいるけれど、くせ毛のせいで決まらない……と悩んでます。たぶん違う。 そこに配属されたのが、高卒で、コネ入社というだけで、同期のインターンたちからイジメを受けていたチャン・グレ。 (画像はNetflixより) 韓国は日本のように、新卒一括採用というシステムではないため、就職活動=インターンで経歴を積むことが大切なのだそう。 たくさんのインターン生がいましたが、チャン・グレの同期となったのは3人。でも、この3人は大学卒業資格を持っており、「正社員」の立場。高卒のグレだけが「契約社員」となります。 この立場の違いもドラマの中にはしっかり描かれていて、同期のありがたさや嫉妬心と一緒に味わうことができます。 カン・ソラ、カン・ハヌル、ピョン・ヨハン、そしてイム・シワンが演じる4人の新人たちがぶち当たる、会社員の壁。 説明してくれないと分かんねーよ!ってなったり、丸投げかよ!ってなったり。「会社」という組織の論理に“慣れて”しまったわたしには、新人たちのとまどいを知ることができる、貴重なドラマでした。 冒頭のセリフ