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『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』#986

ウソみたいなホントの話に、壮絶な努力に、壊れかけた家族の再生に、涙が止まらなかった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。 こんな話だと思ってなかったよ……。 通称「ビリギャル」と呼ばれた、教育についてのフィクション小説です。 ☆☆☆☆☆ 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 話題になっていた時にはスルーしていて、今ごろになって読みました。きっかけは、「ビリギャル」こと、小林さやかさんが、UCLAとコロンビア教育大学院に合格されたという話を聞いたから。 なんと...UCLAとコロンビア教育大学院に合格をいただきました😭どちらも教育心理学のプログラムです。TOEFL62から104までの道のりがなにより辛くて泣きながらだったけど、やっぱり何歳になっても、意思あるところに道は拓ける! 応援してくれたみなさま、ほんとーーに、ありがとうございました!! pic.twitter.com/5mD8xkAC90 — 小林さやか (@sayaka03150915) March 14, 2022 めちゃくちゃおめでたい!!! でも、さやかさんは高校2年生の段階で、「JAPAN」の意味は「ジャパーン」だと思っていた方なんです。 マジか!?という段階から偏差値を上げて慶応大学に合格するまでには、当たり前だけど壮絶な毎日があったことが伝わってきます。今回のTOEFL受験に至るまでの勉強方法もYouTubeにまとめられています。 本の中で衝撃を受けたのは、さやかさんのお母さん(ああちゃんと呼ばれているそう)と、坪田先生の、徹底的に相手を肯定する姿勢です。 ここから書くのはイベントでお聞きした話で本には載っていないのですが、子育ての姿勢として象徴的だったので紹介しますね。 小学校のときに習い事をしたいと思ったさやかさん。お母さんにお願いして通うことになりますが、わりとすぐに飽きてしまったそう。「辞めたい」というさやかさんに、さて、何と言いますか? 「せっかく通わせてあげたのに!」 「あんたが行きたいって言ったんでしょ!」 なんて、わたしの場合は言われてましたね……。自分でも言いそうな気がします。 でも、さやかさんのお母さんは違う。 「自分で決められてエライね!」 これを聞いて、(!!!!!)って

『ラ・フォンテーヌ寓話』#983

「暴力よりも優しさが多くを為す」 フランスでは、学校で必ず学ぶ詩人というジャン・ド・ラ・フォンテーヌ。たぶんほとんどの人が知っている「北風と太陽」の中の一節です。 イソップ童話をはじめ、インド、ペルシアなどの寓話を集め、皇帝ルイ14世の王太子に捧げられた寓話集が『ラ・フォンテーヌ寓話』です。 動物たちが主人公の、ちょっと笑える、ちょっと情けない、そして身もふたもない皮肉の利いた話がたくさん収録されています。 ☆☆☆☆☆ 『ラ・フォンテーヌ寓話』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ フォンテーヌの寓話の中に「カエルと王様」という話があって、それを探していて買ったんですが、掲載されていなかったという……。 目次を見て買おうね……、という毎回心に刻む学びがありました。 でも、ユーモラスで繊細なブーテ・ド・モンヴェルの挿絵がすてきだからいいんだもん、と絵本を眺めています。 1話が4~5ページなので、サラッと読めてしまうのですが、お話に内蔵された皮肉は後になってジワジワ効いてきちゃう。 有名なお話も収録されています。久しぶりに読んでニヤリとしたとは「キツネとぶどう」でした。 お腹を空かせたキツネが、食べごろのブドウを発見。でも、手が届かない。そこでキツネはこうつぶやきます。 「あれはまだ青すぎる。卑しい者の食い物だ」 負け惜しみがたまらんですよね。 また、「カラスとキツネ」というお話は、シャガールがエッチングの作品を残しています。 マルク・シャガール ラ・フォンテーヌの『寓話』   この、シャガールの「カラスとキツネ」は、河鍋暁翠の「烏と狐」と構図がそっくりなんです。 烏と狐.挿絵は河鍋暁翠による   暁翠が『ラ・フォンテーヌの寓話の選集 第1巻』に挿絵を描いたのは1894年。 その後、1900年にパリ万博が開催され、ジャポニズムが注目されたことを考えると、シャガールも暁翠の絵を見ていたのかも?と思えてきますね。 「北風と太陽」は、旅人のコートを脱がせようと、北風と太陽が勝負をする物語です。 何度も読んだお話で、その通りだと分かっているはずなのに、視野が狭くなるとそのことを忘れてしまう。 やさしさは、冷たい風をはるかに超えるパワーを持っている。 一日に3回つぶやこう。プーチンの耳元でもつぶやいてあげたい。

『言葉を育てる―米原万里対談集』#982

文章を書き始めたころ、強く勧められて読んでみて大ファンになった方が、ふたりいました。 ひとりは、読売新聞で「編集手帳」を担当された竹内政明さん。「起承転結」の鮮やかな、コラムのお手本のような文章。ずっと仰ぎ見ている方です。 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981   そしてもうひとりが、ロシア語通訳から作家へと転身された米原万里さんです。 ロシアをはじめとする、さまざまなお国の民族性と食を巡るエッセイ『旅行者の朝食』は、以前紹介していました。「米原万里といえば大食漢」と言われるほど、食いしん坊だったそうです。 いま見たら、ちょうど2年前に書いたのでした。 ブラックユーモアと生きるための知恵 『旅行者の朝食』 #255   2006年に亡くなられ、もう新作が読めないなんて、信じられない……と、ずっと感じています。ロシアのウクライナ侵攻を、彼女はどう評しただろうと思ってしまいますね。 おそらく、毒いっぱいのユーモアを入れつつ、剛速球のど真ん中へボールを投げ込んだんじゃないでしょうか。 傍若無人なヒューマニストと呼ばれた米原万里さん。最初で最後の対談集『言葉を育てる―米原万里対談集』でも、小森陽一さんや、林真理子さん、辻元清美さんに、糸井重里さんら、錚々たるお相手に、豪快な球を投げ込んでいました。 ☆☆☆☆☆ 『言葉を育てる―米原万里対談集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 米原さんはご両親の仕事の都合により、小学生のころ、プラハにあるソビエト学校に通うことになります。多国籍で、多彩・多才な同級生に囲まれた日々。米原さんの鋭い分析力と俯瞰力、観察力、そして女王様力は、こうした環境に身をおいたことでついたものなのでしょう。 日本に戻って、ロシア語通訳として活躍。エッセイストとなってからは、プラハでの日々を綴った『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。 こちらは米原さんの好奇心と包容力、負けん気と追求心が感じられるエッセイです。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (画像リンクです) すでに確立された実績があるのに、新しいことを始め、奇想天外なアイディアを生み出し、猫と犬と暮らす。 奔放にも、豪快にも思える生き方は、これぞ他者に評価されることを潔しとせず、自分の価値観で自分の人生を生きるってことなんだなーと思います。 タイトルにある「言葉

『竹内政明の「編集手帳」傑作選』#981

いまの流行と、自分の理想。そのギャップにずっと悩んできました。 「#1000日チャレンジ」を始める前、通っていたライター講座で、何度か講師の方から(参加者からも)言われた言葉がありました。 「自分が好きなライターの文章を“写経”するといいですよ」 やりました。何人ものライターさんの、何本もの記事。でもぜんぜんしっくりこない。好きなライターさんだけでなく、人気のライターさん、バズっている記事も“写経”してみましたが、やっぱり何かが腑に落ちない。 悩み続けて、やっと原因が分かりました。 ウェブで読まれるコラムと、わたしが理想とするコラムは、構造が違うことに。 「紙」で育った世代のせいか、わたしは「起承転結」のある文章が好きです。中でも「起」から「転」への角度が急であるほど、「おおっ!」という思いが強くなる。すべての流れを受ける「結」には、ジグソーパズルの最後のピースがピタッとはまるような快感がある。 読売新聞の「編集手帳」を担当された竹内政明さんのコラムは、ドンピシャでわたしの理想でした。 ☆☆☆☆☆ 『竹内政明の「編集手帳」傑作選』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 竹内さんは、読売新聞社に入社後、財政、金融などを担当して、1998年から論説委員を務められました。 新聞社などでよく見る肩書きの「論説委員」。似たものに「編集委員」がありますよね。 専門の分野のコラムや記事を書くのが「編集委員」、社説などで社の論調を書くのが「論説委員」なのだそう。 なんかすごそう……な肩書きですが、竹内さんのコラムは徹底した「下から目線」なんです。 “私の書くコラムというのはよくへそ曲がりだといわれまして、大体電報と一緒で、勝った人にそっけないんですね。負けた人に手厚い。” たとえばソチ・オリンピックの期間、「勝った」選手を取り上げたのは2回しかなかったと綴っておられます。 歌舞伎に落語、相撲や童謡など、時には町で耳にした子どもの言い間違いから話が始まり、時事問題へとつながっていく。 深い教養があるからこそ、こうした「起」を書き出せるのでしょうね。 構成の練り具合、言葉の選び方、目線のやさしさに惚れてしまい、読売新聞は読んでないけど、竹内さんのことはずっと尊敬しているという、おかしな具合になっています。 ただ、会社の後輩(20代女性)3人に『「編集手帳」傑作選』の1本を読んでもらったところ

ドラマ「未成年裁判」#979

少し前に「韓国ドラマのような恋がしたい」という内容のキャンペーンが行われていました。 ……ってマジですか!? と思ったんですよね。 もれなく「初恋の思い出」とか「毒親」とか「ワケアリ家族」がついてきますよ? 時には恋した相手が「オバケ」だったりもしますよ? なーんてね。 韓国ドラマのドラマチックに煽るスキルはラブコメに強く発揮されますが、最近は心臓をヒンヤリさせる社会派ドラマをかぶりつきで観てしまいます。 韓国のサスペンスドラマに、実話を基にした作品が多いのは、視聴者も当時を思い出して観てしまうからかもしれません。 制作にあたっては、被害者の家族に事前説明をして、同意をいただくそうですが、映画などでは裁判になったりもしていました。 たしかに、忖度なしに思い切った表現で切り込む姿勢は、韓国ドラマならではだなと思います。 最近配信されたドラマの中では、「未成年裁判」がダントツにしびれました。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「未成年裁判」 Netflixサイト: https://www.netflix.com/title/81312802 ☆☆☆☆☆ <あらすじ> ヨンファ地裁の判事に赴任したシム・ウンソク。13歳の少年ソンウが9歳の少年を殺してバラバラにした事件を担当することになるが、ソンウの証言が嘘だと気づく。世間の注目を集める裁判に対し、政界への転身を狙うカン部長判事はよけいなことをするなと詰め寄るが……。 「少年刑事合意部」に所属している判事はふたり。キム・ヘス演じるシム判事、キム・ムヨル演じるチャ判事です。ふたりの上司が、イ・ソンミン演じるカン部長判事。 「未成年の犯罪を憎んでいます」 そうハッキリと口にし、嫌悪感をあらわにするシム判事。 不良行為を働く少年少女たちに同情的なチャ判事。 20年勤めた裁判所から、次のステップに移ろうとしているカン判事。 3人の思惑と対決が、前半の見どころ。 後半はここに、イ・ジョンウン演じるナ判事が加わります。 (画像はNetflixより) キム・ヘス vs. イ・ソンミンが蛇とマングースな闘いだとすると、キム・ヘス vs. イ・ジョンウンは、ツキノワグマ同士の対決って感じ。 巨大名優の火花が飛び散る演技の中を、自制的で内省的なチャ判事がアワアワ動き回る構図になっていて、キム・ムヨルの穏やかさが一服の清涼剤みたいに効いてきます。 「パラサイト

『感情は、すぐに脳をジャックする』#978

「カラダは嘘をつかないけど、脳は嘘をつくんです!」 これはかつて師事していたアメリカ人映画監督の口癖で、彼女はいつも「カラダの声を聞け」と言っていました。 人間は感情の生き物といわれていますが、「こんな感情を持ってしまう自分はよくないかも……」と思ったとき、その感情に理性でフタをしようとしてしまいます。 そこで、ニコニコした表情を作っても、カラダは引いている……ということが起こる。 こんなことを繰り返していると、いつか自分の感情に鈍感になってしまうよ、という話だったと思います。そもそも感情に、善し悪しのラベルを貼ってしまうこと自体、意味のないことですし。 でも。 何かあるとすぐに不安になって、そのことが頭から離れなくなるのです。 下手をすると、一日グルグルしていたり、思い出し怒りをしていたり。ああ、こんなにも持て余してしまう自分の「感情」。上手な切り替え方法はないものでしょうか。 そんなときに読んだのが、佐渡島庸平さん、石川善樹さん、羽賀翔一さんが「感情」について語り合った『感情は、すぐに脳をジャックする』。 タイトルが、そのものズバリのドンピシャ。自分の中に湧き上がる「感情」を、ジッとみつめながら読みました。 ☆☆☆☆☆ 『感情は、すぐに脳をジャックする』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 第1章から第3章までは佐渡島さんによる、「感情」の考察論と、石川さんのコラム。第4章と第5章は、各「感情」を掘り下げて考察する鼎談です。 本の中で佐渡島さんが紹介されている、プルチック博士が考案した「感情の輪」を使ったキャラクターやストーリー作りの話がとても興味深かったです。 Wikipediaへのリンク↓ 感情の一覧 - Wikipedia   8つの基本感情と相関する「感情」を描いてから、本当に描きたかった「感情」を描けば、振り幅が大きくなって、より伝わるのではないか、という仮説です。また、少年マンガと青年マンガで描かれる「感情」の違いについての考察もありました。 人間は毎日、毎時間、毎秒、さまざまな刺激を受けて、たくさんの「感情」を抱いているはずなのですが、それはほとんど無意識のうちに流れてしまう。 特に強い「感情」だけが、一日の最後に残っているように思います。 悔しかったり、恥ずかしかったり、悲しかったり、うれしかったり。 こうした「感情」の、なにが、どこが、どうして、自

『鶏小説集』#977

たぶん、人間にとって一番身近な「飛べない鳥」といえば、ニワトリではないでしょうか。 せっかく翼をもっているのに、ほとんどの時間を地面をほじくり返すことに使っているニワトリたち。 学研のサイトによると、ニワトリの先祖は「セキショクヤケイ」という鳥で、もともと飛ぶのがあんまり得意ではなかったそう。 食べてみたらおいしかった ↓ 人間が飼うようになり、飛ぶ必要がなくなった ということらしいです。 ニワトリはどうしてとべないの | 空の動物 | 科学なぜなぜ110番 | 科学 | 学研キッズネット   それにしても、「飛びたい」という欲求は、忘れてしまえるものなのかしら? 今は地べたを歩いているけれど、いつかは空に舞い上がるのかしら? 坂木司さんの『鶏小説集』を読みながら、ニワトリの境遇について考えてしまいました。「飛べない鳥」は、きっと、わたしも同じだから。 ☆☆☆☆☆ 『鶏小説集』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ お互いの家族に憧れる友だち。夜中の駐車場で缶チューハイを飲みながら語り合うおっちゃんたち。少しずつ登場人物が重なりながら、あげチキ、地鶏の炭火焼、ローストチキンなど、「鶏料理」でつながっていく連作短編集です。 坂木司さんは『和菓子のアン』シリーズが好きで、お菓子のイメージが強かったのですが、他の料理になったとき、ずいぶんと印象が変わりました……。 『和菓子のアン』#976   ほんとうは『鶏小説集』の前に『肉小説集』があったみたいでした。 (画像リンクです) 『和菓子のアン』シリーズの特徴は、ミステリーといいつつ、イヤな人が出てこないところかもしれません。 だけど『鶏小説集』の登場人物たちは、それぞれにブラックな想いを抱えた人たちです。腹を割って語り合える人に出会えるんだけど、語り合ううちに価値観の違いが見えてくる。 こういう小説に出会うと、「分かり合える」「共感する」といった言葉の薄っぺらさを感じてしまうんですよ、どうしても。 心底理解し合えるなんて、幻想なんじゃないか、と。 それでも人は分かりたいと思うし、分かってほしいと思って、誰かとつながりをもとうとする。空回りにも見えるジタバタが、ほんのりせつなくなりました。 地べたを歩くしかなく、羽をむしられ、“部位”に分けられて食べられてしまうニワトリたち。 地べたを歩き回り、意欲をむしられ、心折られることがあっ

『和菓子のアン』#976

“お菓子は、生きるための必須の要素ではありません。でも人はいつの時代もどこの国でもお菓子を作り、食べてきました。それはおそらく、お菓子が「心を生かすもの」だから。” お菓子、中でも「あんこ」が大好きなわたしとしては、大きくうなずいてしまう坂木司さんの言葉です。 坂木司さんの小説『和菓子のアン』でも、「心を生かすもの」としてお菓子が登場します。デパ地下の和菓子屋「みつ屋」を舞台とした、お菓子を巡るミステリーです。 ☆☆☆☆☆ 『和菓子のアン』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 高校を卒業したばかりの梅本杏子・通称あんちゃんは、特に将来の進路を考えたこともなく、これならできそうかも……という、わりと消極的な理由で「みつ屋」でアルバイトをすることに。 お店にいるのは、元ヤンの桜井さん、和菓子職人を目指す立花さん、店長の椿さん。見た目とは裏腹に雄叫びの上がるバックヤードの描写にクスリとさせられ、閉店後のデパ地下の様子にうなってしまう。 和菓子はもちろん、料理の世界は「季節感」が強く打ち出されます。梅雨の時期の涼しげな和菓子、秋の初めに並ぶこっくりした味、どれもおいしそうで、たまらん物語でした。 現在までに3巻が出ています。 第1巻:和菓子のアン 第2巻:アンと青春 第3巻:アンと愛情 タイトルを見てお分かりのように、思いっきり『赤毛のアン』を意識した展開ですね。 季節の移ろいと一緒に、あんちゃんの成長を感じられるストーリー。 わたしにとって和菓子は、ホッとしたいときに選ぶお菓子のように思います。クリームたっぷりの洋菓子や、歯ごたえも楽しみたい焼き菓子は、気分を上げたいときかも。 その、和菓子に込められた意味と一緒に、ゆっくり読みたい小説です。もちろん「心を生かすもの」であるお菓子とお茶もお手元に。

『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』#975

「ウェルビーイング」って、最近よく耳にするようになりましたが、こういう横文字はふんわりしていて意味がとらえづらい。 「ウェル」が入ってるってことは、「いい感じ」に生きようってことかな? なんて、思っておりました。 予防医学研究者の石川善樹さんによると、「ウェルビーイング」は「日本の昔話」に学ぶのがよいらしい。実際、石川さんは夜な夜な「にっぽん昔ばなし」をご覧になっているそうです。 研究者ってすごいですね……。 ☆☆☆☆☆ 『むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 1948年にWHOが憲章前文に「ウェルビーイング」という言葉を使っています。 健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態である ここから70年経って、現在はこういう形で理解されているそう。 ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である「満足」と、日々の体験に基づく「幸福」の2項目によって測定できる 「満足」と「幸福」は、とても主観的な価値なので、人によって違いが大きい。そのため、定義もふわっとしてみえるし、「何をどうやってこうすればウェルビーイングが上がるよ」と言い切れないものなのですね。 わたし自身、生きるにあたって「満足」でありたいし、「幸福」でありたい。 でも、「満足」がたくさんあっても飽きるかも……という気がします。 ここが日本文化の特徴なのだそう! 日本の昔話は、名もないおじいさんやおばあさんが主人公の話が多いですよね。そして、ハッピーエンドになることもなく、フッと話が終わってしまう。 これが西洋の物語だと、主人公は子どもで、冒険して宝物を見つけたり、結婚してハッピーになったりして「めでたし、めでたし」と終わります。 日本の文化は、こうした「ゼロに戻る」ことが特徴なので、そのメンタリティを受け継いでいる現代人も、西洋式の「上昇志向」よりも、日本式の「奥という感覚」を意識するほうが、心の平安を探れるのではないか、とのこと。 石川さんは「○○のためには何をしたらいいですか?」という質問をよく受けるのだそうです。こうした、「○○をする=doing」によって、「○○になる=becoming」な発想は、「因果の宗教」にハマっている状態だと指摘されています。 自分の内

『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』#972

天災、戦争など、自分の力ではどうにもならない出来事を前にして、無力感に襲われることがあります。 2011年3月11日もそうでした。 新宿のオフィスから新宿御苑へと避難し、自転車で麻布まで行ってダンナ氏と合流。そこから車と電車と徒歩で、なんとか帰宅しました。 「うちは、倒れずに残っているかな……」 なんて話をしながら、お互いが無事であったことに感謝し、珍しく手をつないで歩きました。 いま世界ではまた、天災や戦争が起きていて、自分の力ではどうにもならない事態に打ちひしがれる日々でした。 そんなときに、南米アンデスに伝わる「クリキンディの話」を教えてもらいました。 森が火事になったとき、ほかの動物たちは急いで逃げてしまったのですけれど、ハチドリだけが、くちばしで水のしずくを運んでいる。「何をしているの?」と聞かれたハチドリは、こう答えます。 「私は、私にできることをしているだけ」 クリキンディ=ハチドリの物語は、『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』としてまとめられています。 ☆☆☆☆☆ 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ クリキンディの話は絵本の形になっていて、坂本龍一さんやC.W.ニコルさんのメッセージが収録されています。 著者の辻信一さんは、文化人類学者で環境運動家という方。クリキンディの話を英訳し、イラストレーターの方と打ち合わせをした際、善悪二元論にしてしまうのは違うのではないか、という指摘を受けたのだそう。 森の一大事にあたって、行動をしたのはハチドリだけだったわけですが、だからといってそれがエライわけでもない。 ハチドリ=正義 ほかの動物=悪 ではないところが、この物語に引きつけられる理由かなと思います。 “怒りや憎しみに身をまかせたり、人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。” 鳥類の中で最も体が小さいハチドリ。小さなくちばしで運んだ水のしずくは、本当にちょびっとだったと思います。 でも、ちょびっとがたくさん集まれば、森の火事を消し止めるのに役立つかもしれない。 そう思って、今年もスタバの「ハミングバードプログラム」に参加してきました。 「ハミングバード プログラム」とは、東日本大震災をきっかけに始まった若者支援プログラム。期間中にカードで購入すると、商品代金の1%が寄

『一切なりゆき 樹木希林のことば』#971

そういえば、最近「新書」を読んでないかもしれない。 珍しく外出する予定があったとき、気が付きました。理由は単純。家にいる時間が長くなったので、薄い本より分厚い本を読むようになったから。 ここ2年くらい「鈍器本」と呼ばれるほど分厚い本が多く出ていて、中にはベストセラーになっているものもあります。 厚くて高価な「鈍器本」が異例のベストセラー おうち時間の学びに…女性におすすめの一冊も   上の記事にある『独学大全』なんて、寝転んで読むには重すぎるくらい分厚いです……。 「新書」には「新書」の良さがあるんだけどなと思う程度には、「新書」好き。久しぶりに手に取ってみたのは、樹木希林さんの『一切なりゆき 樹木希林のことば』です。 ☆☆☆☆☆ 『一切なりゆき 樹木希林のことば』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 2018年に亡くなられた樹木希林さん。どんな姿を思い出すかは、世代によって違うかもしれません。 わたしは富士フイルムのCMのイメージが強いです。毎年お正月前になると、岸本加世子さんとの楽しいやり取りのCMが流れていたんですよね。 「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」というキャッチフレーズは、当初は「美しくない方も美しく」だったものを、希林さんの提案で修正したものだとか。 こうした他者への想像力や感性が、彼女の演技力を支えていたのかもしれないと、本を読んで感じました。 さまざまな雑誌に掲載されたエッセイから、154の言葉を紹介しています。 後ろを振り返るより、前に向かって歩いたほうがいいじゃない、という話に続いて、 「自分の変化を楽しんだほうが得ですよ」 なんて言葉があったり。 ほとんど服などを買わないという希林さんが、 「物を買う代わり、自分の感性に十分にお金をかけるほうがいい」 ということを娘の也哉子さんに伝えていたり。 人生のこと、俳優としてのこと、女として、病を抱えた者として、日々感じていたことからは、途方もなく“人間くさい”姿が感じられます。 巻末には、也哉子さんの「喪主代理の挨拶」も収録。 理解しがたい関係だった両親の、知らなかった一面をのぞいたエピソードには、ホロッとしてしまいました。 「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」 母から贈られたという、このメッセージ。全人類に伝えたい。

映画「グッドモーニング・プレジデント」#970

「韓国の大統領って、退任後に行くところが決まってるよね……笑」 そんな冗談を耳にすることも多い時期。問題は、この「笑」の部分ですよね……。なんでこんなに懲りずにやらかしてしまうんだろう?と不思議に思います。 現大統領の人気は今年の5月9日まで。本日3月9日は、大統領選の投票日です。 韓国の政治ドラマは“忖度なし”の骨太な作品が多く、歴代大統領の中でもパク・チョンヒ大統領やチョン・ドファン大統領は、何度も映画に描かれています。 この時代、軍事的、政治的な事件が多かったせいでしょうね。 一方、チャン・ジン監督の「グッドモーニング・プレジデント」は、“人間”としての大統領に焦点を当てたヒューマンドラマです。 3人の大統領に仕えた青瓦台(大統領官邸)の料理人の視点で描かれる、大統領たちのあまりにも庶民的な姿。かなり笑えます。 ☆☆☆☆☆ 映画「グッドモーニング・プレジデント」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ 最初に登場するのは、イ・スンジェハラボジが演じるキム大統領。退任まで半年を切り、ガツガツと手腕も発揮することもなくなってしまった、ある日。 ロトで244億ウォンが当たったーーーーー!!!!! けど。 以前、当せんしたら「全額寄付する」と公約してしまっていたのでした。なんてこったいな事態に、大いに悩んでしまう。そりゃ、そうだわ。 そんなキム大統領の跡を継いで就任したのが、チャン・ドンゴン演じるチャ大統領。 (画像はKMDbより) 若いし、切れ者だし、おまけにイケメンというエリート政治家なのですが、国家的危機の時に恋に落ち、シングルファーザーでもある大統領も、大いに悩んでしまう。いや、それどころじゃないかもよ。 そして最後に登場するのが、コ・ドゥシム演じる、「初の女性大統領」という設定のハン大統領。 映画としては4年ぶりにスクリーンに復帰したチャン・ドンゴン押しな宣伝だったと記憶していますが、一番おもしろくて、ホロリとしたのは、この3番目の大統領でした。 ハン大統領と一緒に、青瓦台で暮らすことになり、ファースト・ジェントルマン扱いを受けるようになった夫。慣れない生活に、「ちょっとだけ……」と羽目をはずして、スキャンダルを起こしてしまう。 うもーー!!!となって離婚するしかないと、大いに悩むハン大統領。うん、分かる……。 だけど、イム・ハリョンの「憎めないおっちゃん」感は最高

ドラマ「ミセン-未生-」#968

「心を閉じた人へ思いを伝える方法は、学校では教わらなかった。だから、がむしゃらにやってみることにした」 毎年、この時期になると見返すドラマが、「ミセン-未生-」です。 原作のWebマンガは、韓国のビジネスパーソンのバイブルと呼ばれ、数々のドラマ賞を獲得。イ・ソンミン&キム・デミョン&イム・シワンの「営業3課」が味わう悲喜こもごもに、何度も胸を熱くするドラマです。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「ミセン-未生-」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 10歳からプロ棋士になるため、修行を続けてきたチャン・グレ。父親の病気でバイトをしているうちに、入団試験に失敗しあきらめることに。 26歳でやっと、インターンから契約社員として採用されるが、高卒で何の技術もないグレは、同期の有能さに押しつぶされ、自分の無能さを知る。 配属された営業3課で、囲碁で鍛えた集中力や戦い方を活かし、少しずつ仕事を覚えていくが…… 「営業3課」は、専務に反抗したせいで、課長のまま据え置かれているオ・サンシクが率いる部署です。会社の中では「オマケ」扱い。演じるキム・デミョンの寝癖が、「こんなオッチャンいるいる~」な感じです。 唯一の部下キム・ドンシク代理を演じるのは、キム・デミョン。週末はお見合いに励んでいるけれど、くせ毛のせいで決まらない……と悩んでます。たぶん違う。 そこに配属されたのが、高卒で、コネ入社というだけで、同期のインターンたちからイジメを受けていたチャン・グレ。 (画像はNetflixより) 韓国は日本のように、新卒一括採用というシステムではないため、就職活動=インターンで経歴を積むことが大切なのだそう。 たくさんのインターン生がいましたが、チャン・グレの同期となったのは3人。でも、この3人は大学卒業資格を持っており、「正社員」の立場。高卒のグレだけが「契約社員」となります。 この立場の違いもドラマの中にはしっかり描かれていて、同期のありがたさや嫉妬心と一緒に味わうことができます。 カン・ソラ、カン・ハヌル、ピョン・ヨハン、そしてイム・シワンが演じる4人の新人たちがぶち当たる、会社員の壁。 説明してくれないと分かんねーよ!ってなったり、丸投げかよ!ってなったり。「会社」という組織の論理に“慣れて”しまったわたしには、新人たちのとまどいを知ることができる、貴重なドラマでした。 冒頭のセリフ

ドラマ「女の香り」#967

闘病中だった知人の訃報が届きました。 友人の友人……というちょっと遠い距離だけど、やはり心が沈んでしまいますね。 なかなかに波瀾万丈な人生で、たしか50歳を過ぎてから新宿にバーをオープン。それまでやったことがなかった水商売だったにも関わらず、人柄を慕う人たちでいつも賑わっていました。 最期の瞬間を、どんな風に迎えたいか。 自分のお葬式で、誰にどんな言葉をもらいたいか。 そんなことを時折考えます。その日に向かって、その言葉に向かって、生きなければと思うから。 韓国で2011年に放送されたドラマ「女の香り」は、34歳の主人公が突然、余命宣告を受け、生きることの意味をみつける物語。 「私の名前はキム・サムスン」 で大ブレイクを果たし、ラブコメの女王と呼ばれたキム・ソナさんが、内気だけど芯の強い女性・ヨンジェを演じています。 ☆☆☆☆☆ ドラマ「女の香り」 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 旅行会社に勤める34歳のヨンジェは、会社からはこき使われ続け、上司からも邪険にされている。ある日、交通事故に巻き込まれて病院で検査を受けることに。そこで末期の胆のう癌が発覚。余命はあと半年と知らされる。会社を辞めたヨンジェは貯金をはたき、きれいに着飾って人生最後のバカンスを満喫すべく沖縄ヘと旅立つ。そのとき、ヨンジェが社内でひと目惚れしていた御曹司のジウクも沖縄を訪れていた……。 キム・ソナさんは日本で中学・高校生活を送っていたため、日本語もお上手です。ドラマでは沖縄での出会いのシーンがあり、そこでも流ちょうな日本語を披露しています。 あの強烈な「サムスン」のイメージが残っていたので、ドラマの序盤は、シュッと痩せて小顔になり、モジモジした様子のヨンジェにとまどいました。 余命半年という宣告を受け、やれなかったことをやったろうやないかい!と沖縄に向かってからは、憑き物が落ちたように晴れやかな表情に。思い切って買ったオシャレなワンピースもよく似合う。 そこで、運命の出会いをします。 という展開が、韓国ドラマらしいんですよね。 ヨンジェが勤めていた会社の御曹司を演じるのは、 「トッケビ」 の死神役がかわいかったイ・ドンウクさん。彼の勘違いのおかげで、ヨンジェは才能を発揮する機会を与えられます。 次々とアイディアを生み出し、自分の意見を口にするヨンジェ。これまでいかに、言葉を封じられ

『センス・オブ・ワンダー』#965

「知ることは、感じることの半分も重要ではない」 そう語るのは、『沈黙の春』で知られるレイチェル・カーソンです。遺作となった『センス・オブ・ワンダー』には、彼女の姪の息子である幼いロジャーと過ごした日々が綴られています。 自然の中で、自然を感じること。 五感で刺激を受けて、心が動かされる体験は、「ググる」世界では味わえない豊かさを秘めている。そんな当たり前のことに、あらためて気付かされました。 ☆☆☆☆☆ 『センス・オブ・ワンダー』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ レイチェル・カーソンの代表作である『沈黙の春』は、初めて環境問題を正面から取り上げたレポートとして注目されました。 そのせいか、ちょっとかたいんですよね……。 でも『センス・オブ・ワンダー』は、夏の数か月を過ごしたメーン州が舞台のエッセイ。だから読みやすいですし、美しい自然描写に、地球という存在への愛がひしひしと感じられます。 タイトルに使われている「センス・オブ・ワンダー」とは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」のことで、子どもなら誰でも持っている才能です。 わたしも子どものころ、空に浮かぶ雲を見て、シュークリームを想像したり、林の中に基地を作ってごっこ遊びをしたりしました。子どもって、ホントに「見立て」がうまいですよね。 でも、そんな純な心は、もしかしたらオトナの笑い声によって消されてしまうのかもしれない。 「センス・オブ・ワンダー」を守り、育てるために必要なことは、子どもと一緒にさまざまな発見をし、感動を分かち合うこと。少なくともそんな大人がひとり、そばにいれば、子どもの心は守られる。 地球の営みに驚くこと、神秘に感激すること。 ググって得た知識とは別次元の「感じること」を、最近やってないような気がしてきました。 この週末は、森を歩きたいな。

『らんたん』#963

なぜ、学ぶのか。 答えは人によっていろいろだと思います。わたしは知識を得ることで見る目を養い、自分の言葉を獲得することが楽しいと感じるし、なにより世界が広がることがうれしい。 でも、これは学んだ立場からの結果論かもしれないですね。 子どもなら、ウニョウニョして訳の分からない文字を追うよりも、野原で犬を追いかけていた方が楽しいですもん。 恵泉女学園の創立者・河井道もそうでした。 教育を受けられなかった母から諭されるも、学校から逃げ回った河井道。親の都合で三重から北海道へ移住した後、ようやく学ぶことのおもしろさに目覚めます。 女性に対する教育が当たり前ではなかった時代に、アメリカ留学を果たし、教育に生涯を捧げた人生。 柚木麻子さんの小説『らんたん』は、そんな河井道の「光をシェアする」精神を描いた小説です。 ☆☆☆☆☆ 『らんたん』 (画像リンクです) ☆☆☆☆☆ <あらすじ> 大正最後の年。かの天璋院篤姫が名付け親だという一色乕児は、渡辺ゆりにプロポーズした。 彼女からの受諾の条件は、シスターフッドの契りを結ぶ河井道と3人で暮らす、という前代未聞のものだった……。 河井道が、「シスターフッド」の関係にあった渡辺ゆりと共に、1929年に創立した恵泉女学園は、いまでは中高一貫校となり、大学もあります。で、実は柚木麻子さんの母校でもあるそう。 恵泉女学園について | 学校案内 | 恵泉女学園 中学・高等学校   河井道は伊勢神宮の神主の娘として生まれたにも関わらず、洗礼を受け、キリスト教に改宗。アメリカのブリンマー女子大に留学する機会に恵まれるなど、高等教育を受けられた女性なんです。 道に学ぶことの喜びを教えてくれた人々が、とにかく豪華。明治から大正、昭和にかけての女性運動、女性の教育運動に関わった人たちが多く登場します。 北海道で出会ったのは、新渡戸稲造。五千円札の人です。河井道が留学する際、一緒の船に乗るんですが、長旅に飽きた新渡戸に、「日本を紹介する本を英語でお書きになっては?」と提案。それが『武士道』です。マジか。 (画像リンクです) 留学を勧め、手配してくれたのは津田梅子。現在の津田塾大学の創立者です。アメリカでは偶然出会ったご夫婦がロックフェラー家の人だったり、野口英世に会ったり。反抗的な教え子の中には、平塚らいてうがいます。北海道時代からアメリカ、東京でも「腐れ